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週刊READING LIFE vol.88

強盗に遭った本当の話《週刊READING LIFE「光と闇」》


記事:布施 京(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
強盗に遭ったことがあるだろうか。
 
私は、ある。包丁で脅された。
だけど、日本ではない。南米のエクアドルだ。
エクアドルは、バナナとガラパゴス諸島で有名な国だ。
 
私が、2年間、エクアドルに、ボランティアで日本語を教えに行ったときのことだ。かれこれ15年ほど前になる。
 
日本から、首都キトの空港に到着した。キトは標高2800メートルのところにある。私は、着いてすぐ高山病で体調を崩した。ボランティア事務所で説明を受け、予定より2日遅れて海側の街にある州立大学に赴任した。私は、その大学で、第二外国語として初めて日本語を教えることになっていた。
ボランティアは、ホームステイが基本だった。事務所が、安全な住居を選定し、受け入れの準備を整えてくれていた。私のホームステイ先は、3メートルの白い外壁、庭にはプール、シャンデリア付きの応接間。周りには、竹でできた家や、窓ガラスのない家もある中、明らかに富豪の家だった。
 
ボランティアは、100ドル(≒約1万円)の食費をホームステイ先に支払うことになっていた。私は、到着してすぐに、ホストマザーに100ドルを支払おうとした。だが、受け取ってはくれなかった。ホストマザーは、背が高く、スタイルもよく、美しい人だった。食卓で、爪の手入れをしながら、私に話し掛けた。
「事務所と話がついていないのよ。100ドルなんて、安すぎるわ。月100ドルの食費で生活できるわけないでしょ」
確かに、安いかもしれない。だが、当時、レストランで食事をすると、セットで1~1.5ドル(≒100~150円)程度だった。1食1ドルとして、3食×30日で90ドル。妥当のような気もするが、彼女曰く、うちはそんな安い食材で料理をしていない、ということだったのかもしれない。私のスペイン語力は、まだ理解力に乏しかったので、そんな想像をしながら聞いていた。
 
赴任地は標高がなかったため、体調はすぐによくなった。大学側は、私に配慮して、3日ほど休んでから来ればいいと言ってくれたが、私には家でやることがなかった。部屋には、テレビもなかった。スペイン語の勉強をする意欲も湧かなかった。街に出るには、バスに乗らなければならなかったが、乗り方さえもわからなかった。家族に一緒に行って欲しい、と気軽にお願いできるような雰囲気ではなかった。ホストファミリーはホストファーザーだけが、最初に笑顔で話し掛けてくれたが、いつも不在だった。ホストマザーもその小学生の息子も住み込みのお手伝いさんも、私の前では一切笑ったことはなかった。
息がつまりそうな家から出たくて、2日目に、自転車を借りて出かけることにした。ホストマザーは「危ないわよ」と言った。「日本でも乗っていたから大丈夫」と私は答えた。でも、私は、その時、ホストマザーのその言葉の本当の意味を、よくわかっていなかった。私は、ただ、外の空気を吸いたかった。3メートルの壁の中から、とにかく外に出たかったのだ。
 
私は、働くことになっている州立大学に行きたかった。
キトのボランティア事務所で説明を受けていた時、大学のメルセデス先生という英語の先生が、キトに私を迎えに来てくれていたのだ。そして、任地に到着した時は、メルセデス先生と一緒に、まず大学へ挨拶に行ったのだ。その時、大学の学長から、職員さんまで、みんなが笑顔で迎えてくれた。私は、あの笑顔に会いたくて、自転車で大学に行こうと決めた。ナップザックに、水のペットボトルと身分証明書と街の地図だけを入れた。エクアドルでは、アジア人は珍しい。紺のTシャツにジーパンにスニーカー。目立たないようにキャップを深くかぶって出かけることにした。
 
大学は街外れにあった。大学に行くには、大通りを通らなければならなかったが、車は、あまり走っていなかった。大通りはまっすぐだが、舗装されていなかったので、乾季で砂埃がひどく、大学までの道のりが遠く感じられた。だけど、私は、大学へ行けることがうれしくて、自転車を軽やかに漕いでいた。
 
すると、背中のナップザックが一瞬重たくなった。振り向くと、高校生くらいの男の子が自転車に乗っていて、私のかばんに手を掛けていた。私に道を聞きたいのだろうか、と自転車を停めた。すると、他にも4名ほど自転車に乗った男の子が現れて、囲まれる形になった。この時は、まだ何が起こっているのか、わかっていなかった。みんなが私に何か言っているが、早口過ぎて、まったく聞き取れなかった。私が、あまりにも、何も言わず、何の動きもしないので、きっとしびれを切らしたのだろう。最初に私に声を掛けた男の子が、私に詰め寄ってきた。その子の手に持っているものが私の手の甲に当たった。それを見た瞬間、私は大声を上げた。
「キャ―――――!! キャ――――――!!」
手に当たったのは、錆びた大きな包丁だった。この時、ようやく、「脅されている」という状況を把握したのだった。
2回めの「キャーーーーーー!!」を言った時、男の子たちの視線が、私から一斉に私の後ろに移動した。私はそれを見逃さなかった。
「今だ!」
私は、そう心の中で、叫んだ。そして、男の子たちの間をすり抜け、自転車を必死に漕いだ。砂埃の中を振り向かずに、とにかく死にもの狂いで漕いだ。ただただ、漕いだ。後ろから自転車で追って来る音が聞こえてきた。だが、後ろを振り向いている余裕などなかった。
「とにかく早く! もっと早く!!」
心の叫びとともに、とにかく、ひたすら漕いだ。必死だった。競輪選手顔負けの回転数で漕いでいたと思う。だけど、もう誰かが私のすぐ後ろまで追い付いて来ていた。すると、前方にタクシーが停まっているのが見えた。
「あのタクシーに助けを求めよう!」
残っている力を出し切るように、夢中で漕いだ。だが、斜め後ろの視界に自転車の影が見えた。
「ああ! このままでは、またナップザックに手を掛けられてしまう!」
そう思った瞬間、男の子の自転車は、私の横に並んだかと思うと、何もせずに、私を追い抜かして行ってしまった。それも、ものすごい勢いで抜かれたのだ。私は、肩透かしを食らわせられた気分になった。だが、状況が飲み込めなかったので、とにかく急いで、タクシーの停まっているところに向かった。
 
「助けてください!」
私は、もう追われていないような気もしたが、一応、助けを求めた。すると、タクシーの運転手は、まったく動じず、のほほんとした様子で、何か言った。
私は、理解できなかった。運転手は、私が来た方を指差して、言った。
「パトカーが来てるよ」
「パトカー?」
私は、運転手が指差す方を見た。グレーのボロボロのセダンが停まっていた。パトカーには、全く見えなかった。だが、大柄な男性が、強盗団の男の子を一人捕まえていた。もう一人の男の子は、草むらの中に逃げて行った。別の男の子は、必死に自転車を漕いで、先ほどの男の子と同様に、私に見向きもせず、通り過ぎて行った。
 
タクシーが去り、パトカーがやって来た。
近くで見ても、私には、ただの乗用車にしか見えなかった。
警察官は、運転席と助手席に乗っていた。
運転席から警察官が降りてきて、いろいろ話してきたが、私は理解できなかった。理解できたのは、「もう帰っていい」ということだった。だが、そんな危険な場所から、一人でまた同じ道を通って帰ることなど到底できなかった。
「一人では、帰れません」
私は、つたないスペイン語で訴えた。
「じゃあ、乗っていけばいい」
後部座席のドアを開けてくれた。
だが、そこには、先程逮捕されたばかりの男の子が乗っていたのだ。
「ええ!? ここには乗れません!!」
私は、断固として断った。
「大丈夫だから」
「大丈夫!? 犯人ですよ!」
「じゃあ、自転車で帰るしかない」
「一人では、帰れません……」
そんな押し問答を何回か繰り返した。こうして、外国語が身についていくのを学んだ。
結局、警察官が「こうすればいいんだろ」と言わんばかりに、男の子の着ていた薄汚れた緑色のTシャツの前面を持ち上げて、お腹を丸見えにさせたかと思ったら、頭をぐいっと押さえつけ、そのTシャツを男の子の頭から首まですっぽりかぶせてしまった。確かに、男の子は頭を動かすことができない状態になり、何も見えなくなった。
「でも、手が……」
私は、自分の手をぶらぶらさせて、男の子の手が自由であることをジェスチャーで訴えた。
「そんなの大丈夫だよ」
警察官は笑って、私が乗ってきた自転車をトランクに入れると、運転席に戻ってしまった。助手席の警察官は、一度も降りてこなかった。
「偉い人なのだろうか……。この人が私と席を替わってくれればいいのに……」
と思ったが、警察官が提案してこないのだから無理だろう、と思い、諦めた。
私は、仕方なく、強盗犯の隣に座った。
「日本だったら、こんなこと絶対にありえない……」
私は、心の中で愚痴りながらも、犯人と一緒に乗っているパトカーの中では、緊張を解くことができなかった。
 
パトカーを降りて、警察署の中に通された。身分証明書を渡すと、廊下で待つように言われた。またしても、強盗犯の隣の席に座らせられた。私は、自ら2つ席を空けて座った。だけど、もう怖くはなかった。なんといっても、ここは警察。私は、ようやく、心から安堵した。ホストマザーに「危ないわよ」と言われたことを思い出した。申し訳ないことをしてしまった。安心したからか、少し涙腺が緩んできた。その時だった。
 
「お願いだから、電話しないで! 電話しないでよ!」
隣の男の子が泣きながら、訴えた。泣いている男の子の顔は、まだあどけなかった。身分証明書を渋々渡した男の子は、家の人に強盗したことがバレるのを恐れていた。ということは、親がいるのだろうか。親がいるのに、なぜ強盗をしなければならなかったのか。
 
「僕じゃないよね? 僕は、包丁持ってなかったよね?」
男の子は、私に涙目で訴えてきた。警察官が、男の子が主犯かどうか確認しているようだった。
正直、顔なんて、よく覚えていなかった。だけど、もう少し、背格好が大きかったのは、確かだった。
「違います」
私は、はっきりと答えた。男の子の涙で、私の涙は引っ込んでしまった。男の子は、「でしょ? でしょ? 僕じゃないでしょ?」と、安心したようだった。
警察官は、「わかったわかった」とちょっとうんざりしたように言った。そして、私に向かって、こう言った。
「君は、ホストファミリーが忙しいから、大学から迎えが来るよ」
そうなのか。もちろん、仕方ない。だけど、ほんのちょっと、淋しさを覚えた。たった2日間の家族だったのだから、家族にはなりきれていなかったのだろう。いや、家族とは思ってももらえなかったのだ。結局、食費の問題が解決されず、その3週間後に引っ越すことになったのだから。
 
私は、泣き止んだ男の子に声をかけた。彼は、16歳だった。
エクアドルの就学率は、小学校は約90%だが、中等教育になると、50%程度に下がってしまう。彼も、高校には行っていなかった。
「もう、こんなこと、しちゃダメだよ」
彼の涙は、嘘ではないと思ったから、何か伝えたかった。だが、私のスペイン語では、そんなことしか言えなかった。
 
警察には、大学のメルセデス先生が迎えに来てくれた。彼女は、とても心配してくれた。子どもみたいだが、私は、心配してもらえたことがうれしかった。だが、彼女は、私以上に、心配しているものがあった。それは、自転車だった。
「京、自転車が盗まれなくて、本当によかったわ!!」
彼女は、私に何度も同じことを言った。あの大通りでは、自転車を盗まれることが多いと説明してくれた。
男の子たちが乗っていた自転車は、色がなかった。全体が錆びた色をしていたからかもしれない。とにかく古い自転車だった。それに引き換え、ホストファミリーの自転車は、鮮やかなシルバーとブルーで光輝いていた。
 
エクアドルで私が住んでいた街に、スラム街があった。山のようなところに、たくさんの掘っ立て小屋が立っていた。盗みをする人たちは、その山から降りて街に働きに来ると言われていた。夜になると、スラム街のオレンジの電灯が妙にきれいに見えた。私は、それを見るのが嫌いじゃなかった。
 
闇がなければ、光は美しく感じないのではないだろうか。
だけど、不要な光も、たまにある。
あの男の子は、本当の光を手に入れることが、できたのだろうか。
普段光っていなくても、とても価値あるものが、世の中にはたくさんあるということを、彼は知ることができたのだろうか。
 
そう言いながら、私も時々わからなくなって、闇をさまよってしまうのだけれど……。
自分にとっての本当の光を手に入れるには、さまようことも必要なのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
布施 京(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2020-07-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.88

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