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週刊READING LIFE vol.88

闇に飲み込まれた母《週間READING LIFE Vol,88「光と闇」》


記事:石野敬祐(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
今、母が闇に飲み込まれている。
いや、20年ぐらい前には飲み込まれはじめていたと思う。
 
幸い、僕は両親に恵まれてきていた。ひとりっ子ということもあってか、小さい頃から両親からとても愛されてきたと思うし、おかげさまで特段お金に困ったこともなかった。両親の喧嘩とかそういうシーンもみたことがなかった。おそらく裏でもそんな大きな喧嘩はなかったと思う。
 
僕が大学生の時、事件が起こった。
当時父は名古屋に単身赴任中、母と僕は神奈川で一緒に住んでいた。
 
ある日父が、母にも僕にも相談なく、突然会社を辞めてきたのだ。次の会社を決めて転職、というわけでもなく、ただ辞めてきたのだ。
その時の父の年齢は50歳ぐらいだったと思う。リアイアするには早かったし、それなりの役職・収入もあったようだし、辞める必要はなかったのではないかと思える状況だった。
 
父いわくは仕事がしんどかったから、ということだ。だが母としてはなぜ相談してくれなかったの、と憤っていた。
 
そこから母と父の関係が悪くなった。
家に帰ったときの空気はとても悪くなった。
 
僕から見ると、父はあまり変わっていないように感じた。
母が心配性の闇に飲み込まれたのだと思っていた。
 
僕としてはびっくりしたものの、父にもいろんな事情、考え・思いがあるだろう。子供である僕がいうのもなんだが、とても真面目な父。本当は悪いことをしてクビになったとかそういうわけじゃないことは聞かなくてもわかる。なぜ辞めたか、なども気になっていたが、今わざわざ聞かなくてもいいかなと思って自分から根掘り葉掘りは聞かずにいた。
ある日お金は心配しなくていいと父が話してくれた。早期退職制度での退職金もあるし、貯金もしてきているからと。大学生の僕はのんきに、大学辞めなきゃいけないとか自分の生活が変わらないならまぁいいや。もう二十歳も超えてるし、いざとなったらバイトなりなんなりしたらいい。そんな思いでいた。
 
だが、会社を辞めてずっと家にいる父に対して、母がイライラし始めた。ずっと家にいるのが嫌だと言うのだ。
 
父は、よく話にきくような「家ではダメ男」ではなかった。むしろ、昔からマイホームパパよりだった。父は普段から家事も手伝っていて、皿洗いをしたり洗濯物を干したりしていた。会社を辞めて家にいるようになっても、それらは継続していた。ずっとゴロゴロしているだけというわけでもない。ベランダの植物に水をやったり、本を読んだり、どこかにでかけたりして父は一日を過ごしていた。この期間に大型特殊の運転免許を取ったり、簿記の資格を取ったりもしていた。
 
母は、父の何が嫌だったんだろうか。
直接父と母でどのくらいの話をしたのかわからない。ただ、僕が家に帰ると母に捕まり、父の愚痴を聞かされた。
 
「まぁお父さんも今までこんなに頑張ってもらったわけだし、少しゆっくりさせてあげたら?」
一通り愚痴を聞いた後、僕はいつも母にそう言っていた。だが母の愚痴は続いていた。
 
ある夜、母から父が会社を辞めた理由の話を聞いた。
当時、景気やライバル企業の進出などを受けて父の会社の業績が悪化。人員削減をしなければいけない状況だったという。父は会社側の人間として、今まで交流のあった部下だとか後輩であっても彼らの肩を叩いて辞めてもらわざるを得なかった。その人員削減が一通りおちついたものの、その状況が父にとって本当に辛かったと。で、最後に自分が残るのもつらいということで、最後に自分が辞めることにした。そんな話だった。
 
「お父さん、上手い生き方じゃないかもしれへん。だけどかっこいいやん。なおさらゆっくりさせてあげたら?」
僕はいつものような回答になるわけだが、母はやっぱり納得していなかった。
 
会社を辞めてから半年強経ったころだっただろうか、父が転職活動を始めたという。そこでも母の愚痴が始まる。
 
父の知り合いから「うちで働かないか」といくつか声をかけていただいていたようだ。給料も決して悪くないお話もあったようだ。だが、父からするともう同じ業界では働きたくないと断っていたようだ。まぁ先程の事情での心の疲れを考えれば無理もない。
 
「お父さん、経理がやりたいって仕事を探しているみたい。今までそんなに経験ないみたいなのに」
僕からすると意見は一貫している。ここまで不自由なく育ててもらい、父になんの文句もない。父のやりたいようにしてもらっていいんじゃないかと。ただ母は不満があるようだった。父に何気なくきくと「お金じゃなく、やりたいことに挑戦したい。もう前の業界は嫌だ」と言っていた。
 
母が飲み込まれていたと思っていた心配性の闇の元はどこにあるのだろうか。当時の僕はわかっていなかった。
 
父はその後、経理の仕事が出来る転職をして、再び働きに出ることになった。
 
父が働きはじめても、母の愚痴はずっと止まらなかった。「なれない仕事、新しい職場で苦労して。声をかけてくれる人もいてそっちのほうがいいと思うのに」と。
 
母は何を心配しているのだろう。
 
母から「お父さんとお母さん、離婚したらどうする?」などと聞かれたこともある。
僕は二人がハッピーな選択だとしたら別に構わないと答えた。
幸い離婚には至らず、ただ母からすると父に対する愚痴は何かしらある状態が続いていた。
 
それから数年経った。僕はすでに社会人になっていた。そんなあるとき。
 
父がガンの宣告を受けた。肝細胞ガンだ。もともと肝炎持ちということで、肝臓がそこまで強くないことも知っていた。更にお酒(特にビール)が好きだった父がガンになるというのは、ショックではあったものの、不思議と僕の中でそこまで驚きという感覚はなかった。
僕は一人暮らしを始めようかと考えていたときであったが、さすがにこんな状況なのでやめることにした。
 
それまで少しすれ違っていた両親だったが、ガンという共通の敵を見つけたためか、いつの間にか母の愚痴もなくなっていた。ただ、母の心配が日に日に増していった。母が心配しながら泣くのを、横で見守る夜が何日もあった。
 
ある時、余命3ヶ月を覚悟してくれと病院で言われた。
 
それ以降、隣の部屋で寝ている母が寝ながら叫ぶ声に気付いて目がさめたことが何度もあった。大きな声を出していたが本人は気付いていなかったようだ。どうも父が亡くなる夢とか、そういう悪夢をみていたという。
 
父はそれから2年以上生き、65歳の誕生日を前に他界した。
 
僕は父が亡くなって、深い悲しみとともに、どこかホッとした気持ちも湧き上がっていた。
そんなことを思うなんて、ひどい息子かもしれない。でも、父が闘病で苦しんでいるのも、看病・介護する母も辛い状況なのも知っていたから。そして、母の闇が晴れればいいと思った。
 
だが、母はというと、直後はもちろん葬儀が終わった後も母はずっと泣いていた。落ち込んでいた。そして1年以上たったと思う。母もようやく父の死を受け入れられたようで、落ち着いた。ようやく闇から抜け出せるかなと思った。
 
ただ、母の闇はもっと深いところにあった。
 
不幸なことに、今度は母が難病にかかった。日常生活でもふらついたり、歩きにくかったりという状況が続いている。
病気のせいか、薬の副作用のせいかわからないが、日常生活の中で、転ぶことが多くなった。昨年秋には、母が風呂で動けなくなっているのに気づき、僕が救急車を呼んだ。その時もその後も幸い大事には至っていないが、これは僕としても普通の生活ができないと、看病・介護のために会社をやめた。
 
僕も母の闇をもらってしまったのかもしれない。心配しすぎかもしれない。
母からも「私はいいから、働きに出て」と何度も言われた。
 
ただ、最初から2年ほどたち、ようやく病名がついた。多系統委縮症というものだった。
難病であり完治は見込めないものの、効かない薬での副作用というものがなくなる。要介護の認定も受けたり、障害者手帳の申請などもでき、介護サービスを受けやすくなることもあり、僕としては少しホッとした。母が気持ちを取り戻せたら、僕はまた働きに出ても大丈夫かな、と思い始めた。
 
が、母の言動は変わらなかった。いや、むしろ悪くなったように思う。
劇的に効く治療薬が出たわけでもなく症状が良くなったわけでもないので辛いところはあると思う。障害者手帳など、介護などのサービスを受けやすくなる裏返しとして、弱っているという認定を受けることにもショックだったのもあるだろう。
 
でも僕としては母の介護に少し目処が立ったと思った。テレワーク制度があるとか、フレックス制度があるとか、家のことと両立できる仕事を探そう。
そう思って僕も転職活動を本格的に始めていた。
 
そんなある日、母との会話の中であることに気付いてしまった。
母の闇の根っこのありかに。
 
それはお金への漠然とした不安、だ。
 
父が突然会社をやめてきたときも、父へのねぎらい、慮る気持ちよりもお金の心配のことを多く言っていた。父の転職にも文句を言っていたのも、給料が高くないことについてのことがいつもついてまわっていた。
 
僕が無職でいることについても、僕の収入がないことへの不安だ。
 
ほぼ専業主婦できた母にとって、ある意味お金への不安が強くなるのは当然である。ましてや、今67歳で病気の中で稼ぐということは難しいだろう。
 
父がなくなった後、母と一緒に財産の試算をしたことがある。母にはお金がかかる趣味があるわけでもなく、贅沢をすることもないので支出はそんな大きくない。年金と父の遺産があれば、生活に極端にこまることはないと計算がたった。病気になるなどの出費があっても、僕の貯金と収入でなんとかする。そういう話をしていたはずなのに。
 
お金の話になると母はいつも僕にいう。「あなたに遺産を少しでも多く残したいから」と。
僕にとって複雑な心境になる。
「借金があると困るけど、お金はなくていい。全部お母さんが使ったらいい。僕はここまで育ててもらったことだけで十分。ちゃんと社会人になって15年近く貯金してきたのもあるし」
そう言ってもにっこり笑いながら、それが楽しみだからというのだ。
 
お金はもちろんあったほうがいい。あって困ることはない。
ただ、お金でかえないものはたくさんある。
 
父も給料が良くても、リストラでしんどいという気持ちを優先した。僕も、お金よりも母の面倒を見る時間を作るため会社を辞めた。もちろん、ちゃんと貯金をしてきたから出来るということはある。ただ、お金で幸せになるとは限らないことを、おそらく父も、そして僕も知っている。
 
手を変え品を変え、お金のことは心配しないでと伝えている途中だ。
母を闇から救い出すのはお金じゃない。
最低限食べていけるようなお金があれば、あとは知恵であり、愛だ。
 
母が好きなアイスを買って帰る。母にスマホを買ってあげる。
母がお金を使わないなら、僕が使って渡せばいい。
どうせ母が使わなかったら、遺産として僕に回ってくるだけだ。
 
今は頭が回りきっていないので意識してできていることはそれだけだ。ただ、そうやって何か動いているうちに、母の本当の笑顔が戻ることを期待している。
 
闇の中で光の在り処を求める必要なんてない。
光は、僕の中に、そして母の中にもあるはずだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石野敬祐(いしのけいすけ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

頑張る人が報われることを志向する人事コンサルタント。
みんなが幸せに近づくことに関する求道者としてありたいと考えている。
神奈川県川崎市在住。慶應義塾大学理工学研究科修了。

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2020-07-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.88

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