週刊READING LIFE vol.92

“今”は、いつか焦がれる思い出の1ページとなるから《週刊READING LIFE Vol,92 もっと、遠くへ》


記事:ゆりのはるか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「このあと、空いてない? どうしても誰かとご飯が食べたくて」
 
誘ったのは、私からだった。
基本的に仕事終わりはぱっぱと帰りたいタイプの私は(そもそも仕事が終わらないので帰るのが遅くなることが多い)、たとえ金曜の夜でもあまり自分から人を誘わない。
 
でも、その日はどうしても誰かとご飯が食べたかった。
ひどく疲れていた。
誰かと言っても、誰でもいいわけじゃない。
気の許せる、大好きな同期じゃないとだめだった。
 
「まだ会社いるから、もうちょっと待ってくれたら大丈夫」
「ほんとにーー!? ありがとう! むしろ遅い方がありがたい」
 
チャットツールでやりとりをして、爆速で仕事を片付けて、なんとか帰れる状態にまで持ってきた。時刻はすでに21時前だった。
まだ終わってないけど、月曜の朝に頑張ればなんとかなる。
そう判断した私は、すでに仕事を終えて外で待ってくれている同期を追いかけて、会社を出た。
とにかく、私はひどく疲れていた。
 
「何食べる?」
 
同期と合流して、スマホで検索しながらお店を探した。
どうせなら普段あまり行かないところに行きたいよね、と言って、神保町の奥の方まで歩く。
できるだけ、日常の延長線上ではないところへ。仕事のことをいったん忘れられるところへ。今日はそういう気分だった。
何にもとらわれることなく、心置きなく乾杯できるところに行きたかった。
 
「あ、ここ美味しいよ。ここにしよう」
 
そう言って同期が連れて行ってくれたのは、大衆寿司居酒屋の杉玉だった。
 
飲めるサーモン、鮪3貫、鰯と明太子のアヒージョ、山芋の鉄板焼き、鶏皮……。その店はスシローの系列店であることから、お寿司や魚を使った料理を安くたくさん食べられる。お互い好きなものを選んで好きなだけ食べて、好きなだけ飲んだ。
 
「美味しいー!」
 
他愛もない話をしながら、目の前に並ぶ料理をぱくぱくと食べる。幸せだった。大好きな子と一緒に美味しいものを食べるだけで、今日の疲れなんて一気に吹き飛ぶような気がした。
 
私はあまり人に弱音を吐くことはしない。
そもそも弱音を吐くということ自体が、あまり好きではないからだ。
人はみんなそれぞれ、自分のなかに何かしらの課題を持っていて、それを乗り越えようと必死になっている。
楽しいときもあれば苦しいときもあるのはみんな同じだから、まるで自分が世界で一番辛いかのように、自分の悩みを語るのは違う。
悩み相談をしたところで、結局それに答えを出すのも、解決するのも私。
だからこそ、あまり何も言わないようにしている。
 
「このポテトサラダ、真ん中に玉子が入ってるなんて夢があるね……」
「でしょー、これは私のおすすめ」
 
目の前の料理を美味しく楽しく食べて笑う。
それだけで元気が出るし、モヤモヤした気持ちは自分のなかで消化すればいい。
いつものわたしならそう思って、何も言わないまま終わるのだけれど。
 
たぶん、少し限界だった。
ひとりでは抱えきれないほどの様々なことがわたしの周りには起こっていて、いろいろな気持ちを飲み込みながら自分を奮い立たせるしかない状況に陥っていた。
環境の変化、仕事内容の変化、責任の量の変化。
何の前触れもなく突然降りかかってくるそういうものに、ひたすら惑わされていた。
 
「最近ちょっとつかれちゃったんだよね」
 
思わずぽろっと本音がこぼれた。過剰に捉えられるのも、追求されるのも違うからこそ、人には言わないようにしているのに、つい気が緩んでこぼしてしまった。
 
「よく頑張ってるよねー、すごいよ」
 
目の前の仕事も一人前にできていない私は、全然すごくなんかないけれど、同期はこうやってちょうどいい温度感でさらりと受け止めてくれる。下手に深入りしようとしないけど、踏み込むところは踏み込んでくれて、前向きな言葉をくれて、楽しく話ができるこの同期が私は大好きだ。
 
神保町近くまでランチを食べに来ることはよくあるけれど、少し駅から離れたこの場所まで来ることはあまりない。次、いつ来るかもわからないちょっと特別な場所。こういう非日常な空間に現実の話は持ち込みたくなかったけど、こぼれ落ちた言葉をほどよい温度感で包み込んでもらえたことで、少し楽になった。
 
閉店時間は22時。
お店を出ても、終電までまだ時間はある。
また来てくださいね、という店長の声に元気に「はーい」と答えながら、私たちは外に出た。
 
「東京ドームまで歩いてみる?」
 
それは、同期からの提案だった。
神保町から東京ドームのある水道橋は意外と近く、徒歩20分ぐらいで行ける。
彼女も何度か歩いたことがあるらしくて、なんとなく散歩することになった。
 
神保町の奥まで来ていたこともあって、少し歩いただけで東京ドームはすぐに見えてきた。
 
「すごい、こんなに近いんだねー」
 
東京ドームに行くときはいつも電車で水道橋まで行っていた私は、こんなにすぐに歩けることが新鮮で、わくわくした。かつては、憧れていた東京ドーム。好きなアイドルのライブDVDに収録されているライブは、たいてい東京ドームで行われたものが収録されていて、いつか行ってみたいってずっと思っていたんだっけ。
 
「こんなにすぐ来られるようになるなんて思わなかったな」
「ね、小学生の時とか、行きたくても行けない場所だった」
「わかる。あんなに遠かったのに、今ではこんなにすぐ近くにあるなんて」
 
同期も私と同じ上京組でアイドルが好きだから、この気持ちを心底理解してくれた。なんだか不思議だった。ずっとずっと憧れていた場所に、会社帰りに歩いて訪れることができる。そして、まったく違う土地で生まれ育った私たちが、東京という街で一緒に散歩をしている。24年も生きているとさすがに、考えてもみなかった場所に住んでいたり、自分では予想もできない出会いがあったりするものなのだ。今は遠くて手が届かないけど、いつか。そう思っていた“いつか”が、今ここにある。
 
そのあと、せっかくなら飯田橋の方まで歩いちゃおう、と言って、コンビニで買ったフラッペを飲みながら私たちは散歩を続けた。大学時代の夏の夜の遊び方みたいで、懐かしいねと笑った。
もう、わたしの抱えていた疲れはすっかりどこかへ消え去っていた。
 
「こんな遊び、今しかできないよね」
 
唐突に、同期が言った。
 
「もし結婚したらさ、こんな風に自由に深夜にふらふら散歩するのとか絶対できないよ。今だけだよね、こういう遊び方できるの」
 
「……たしかに、そうだね」
 
もう24歳。いつ結婚しても、家庭を持ってもおかしくない年齢。実際に結婚したり子どもを産んだりしている友達だって何人かいる。そうなったとき、今日みたいに夜中まで好きに過ごすことはできなくなる。私の時間は私だけのものじゃなくなるのだ。
 
いつもは歩かない道。
高架下の壁にあるくじらの落書き。
散らばるゴミ袋。
街灯の明かり。
 
同期のその言葉を受けて私は、非日常なこの時間のなかで、目に見えるものすべてが突然、尊いものに思えた。手に持っているフラッペさえも、今日が終われば二度と買わないような気すらした。
 
正直、今日の私はもう逃げ出してしまいたいと思っていた。
放り出したいわけじゃないけれど、ただ少し苦しくて、疲れていて、ほんの少しの間遠くへ行きたいと、そう思っていた。日常じゃない場所に足を運んで、いろいろなことに対する気持ちをリセットしたい。そしてまた明るい気持ちで月曜日を迎えたかった。
 
夜の散歩は、私にはちょうどいい非日常感で、新鮮で、どきどきした。でも、きっと私はこれからもこういう散歩を同期とするだろうし、今日は最近疲れていた自分を癒すための時間になったというぐらいにしか思っていなかった。それで満足していた。
 
でも、当たり前だけど、今日という日は二度と来ない。
今この瞬間の私にしかできないことがある。
私が今していることは、今の私だからできることであって、数年後の私にはもうできないことかもしれない。
 
仕事だって、疲れたと思えるのがもしかしたら幸せなのかも。
もし結婚して子どもができたら、私は子どもを優先したいし、今みたいに忙しくて苦しくなるほど、自分を追い詰めて仕事をすることはできなくなる。
 
「こうやって散歩してることも、この場所を歩いてることも、数年後、思い出すのかな」
「そうだね、この場所も思い出の地になってるかもね」
 
エモいね、と言いながら笑う。
特別ではないはずの夜も、同期といると一気に特別な夜になってしまうのが不思議だった。この夜、私たちには予想以上に時間がないと改めて気づかされた。この先の人生をどうしていくか、もう考えなければならない年齢だった。
 
私は、どこに行きたいんだろうか。
それから、ふと考えることが増えた。
 
このまま仕事でステップアップしていきたいのか。
結婚して主婦になりたいのか。
趣味に没頭したいのか。
 
いつのまにか目の前の現実にばかり追われていたから、こういうことを考えるのは久しぶりだった。
 
疲れて、どこか遠くに行ってしまいたいと思っていた。
すぐに戻ってくるから一度離れさせてほしいと思っていた。
でも、それじゃだめなのだ。
一度失ったものを取り戻すのは難しい。
ならせめて、自分の手の中にあるうちは大切に守らないといけない。
 
だからわたしは、この先に未来で何を大事にして、何を目指したいか、どこに向かって行きたいか判断しなければならないのだけど。
考えても答えはなかなか出せない。
 
今の自分にしかできないことをしながら、今の自分が目指したいものを目指す。
一見単純なことのように思えるのに、“今”を見つめるのは簡単ではない。
みんな大概、過去を振り返ったり、未来ではこうなってほしいと思いを馳せたりする方に意識が向いてしまうからだ。
 
遠くに行きたい。もっと、遠くへ。
逃げる方ではなく、目指す方。追いかける方。
遠くに、遠くにある私の求める場所を早く目指したい。
そういう気持ちは確かにある。
だけどまだ、自分の大切にしていきたいものも目指す場所も、私はあいまいだ。
 
『この前はありがとう。写真送るね』
 
またひとりでぐるぐると考えていると、夜の散歩をした日の写真が同期から送られてきた。
飯田橋の高架下にあった壁の落書きと、私たちは写真を撮っていたのだ。
ちょうど同期がミラーレスを持っていたこともあり、“いい感じにエモくなる”写真を撮ろうと努力していた。
 
まだまだ私も同期も写真練習中だけど、結果、写真は“いい感じ”に撮れていた。仕事終わりでお互い疲れが顔からにじみ出でいるので、LINEのアイコンにするほどではないけれど、雰囲気を切り取ってインスタグラムに乗せるのはありだと思った。
 
こういうのいいな、と思う。
今しかない時間を写真に切り取って積み重ねていく。
日常の何気ないシーンで写真を撮ることはあまりないけど、意識して撮ることでその時の記憶を思い出しやすくなるはずだ。
 
私たちは、すぐに現状では満足できなくなる。
現実から逃げたくて非日常に浸るために、遠くに行きたいと思う。
地元では見られないライブを見るために、遠くに行きたいと思う。
自分の目指したいものを目指すために、遠くに行きたいと思う。
 
それでもやはり、“今”は“今”しかない。
目の前にある世界以外のことを思って、焦がれることはたくさんあるけど、定期的に私たちが思い出に浸ってしまう。あの頃はよかった、と過去に帰ろうとしてしまう。つまり、今日この日もいつかは数年後の自分が焦がれる思い出の1ページとなる。
 
それなら、遠くばかりを見るのではなくて、現状の自分の環境や自分自身のことももっと愛してあげたい。
 
もらった写真を見ていると、そんなことを思った。
逃げようとしたり、求めるものを追いかけたり、先に進もうとしたり。
全部間違ってはいないけど、それで目の前の素敵な今を見落としてしまったらもったいない。
 
『こちらこそありがとう。楽しかった』
 
同期にそうメッセージを返すと、送られてきた写真一つひとつを大切に保存した。
疲れたときは、こうやって楽しい気持ちにしてくれる同期がいる。そんな同期がいてくれる“今”が大切だと素直にそう思えた。
 
この前の夜、お寿司を食べて散歩に出かけたことは、すでにわたしのなかで大事な想い出のひとつとなって、心のなかに仕舞われている。
 
遠くを見るのもいいけど、まずは、“今”を見ていたい。
もっと、遠くへ。じゃなくて、もっと、目の前を。
たとえ疲れることがあっても、それもいつかは良い思い出になるから。
目の前の今を大切にしていたいと、“今”のわたしはそう思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
ゆりのはるか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西出身、東京在住。24歳。社会人2年目。
Webメディアで広告制作の仕事をしている。
趣味はアイドルを応援すること。
幼少期から文章を書くことが好きで、2020年3月からライティング・ゼミを受講。
現在はライターズ倶楽部に所属し、修行中の身。

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2020-08-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.92

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