週刊READING LIFE vol,108

「少女パレアナ」的人生を面白くする方法《週刊READING LIFE vol.108「面白いって、何?」》


2020/12/21/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
温かく燃える暖炉と、たくさんのご馳走。
家族みんなで過ごす聖なる夜。
その日、サンタクロースは、一年で一番大忙しだ。
トナカイのそりに乗って、世界中の良い子たちの元にプレゼントを届けなければならないから。
子どもたちが寝た頃に、そっと家に忍び込んではプレゼントを置いていくサンタクロース。
そして、真っ白な雪が積もるクリスマスの朝目覚めると、欲しかったものがリボンをかけて待っているのだ。
 
今年も12月に入った。
師走とはよく言ったもので、何故かこの月になると忙しなく感じてしまう。
12月のお楽しみと言えば、クリスマス。
別にキリスト教徒でもないのに、私はキラキラしたクリスマスの時期が大好きだった。
きっと、幼い頃に見た冒頭のようなクリスマスの絵本が、かなり私の頭に刷り込まれているのだと思う。
定番中の定番のクリスマスストーリーだが、なぜか自分が主人公になったような高揚した幸せな気持ちにさせられるのが面白い。
 
今年は、忙しい年の瀬にクリスマスを待ちわびるワクワク感が私を包んでいる。
以前では考えられなかったことだ。
今年は、いつも注文していたクリスマスケーキは自分で作る予定だ。
土台のスポンジケーキは上手く作れる気がしないので、デコレーションのみではあるが。
それでも、まず作ってみようと思えるようになったことが私は嬉しいのだ。
 
前職のとき、年々増してくる忙しさの上に心配性の性格が災いし、私は無限ループに陥っていた。
こうなったらどうしよう。
ああなったら困るから、先にこれをしておくべきじゃないのか。
間に合わない。でもどうにかして間に合わせなければならない。
人手も足りないし、次から次へと仕事が天井から降ってくる。
でも私は、やらなければならない。
完璧にやらないと、周りに迷惑がかかる。
一旦不安に陥ると、あとは螺旋のごとく沸き起こってくる、みぞおちが冷えるような感覚。
それに捕われて、結局やらなければならないことが増えていく。
妙に生真面目で、周りに甘えることも下手だった私は、家で過ごす時間よりも職場で過ごす時間が長くなっていった。
残業や休日出勤が、自分の中では当たり前になってしまっていた。
常に崖っぷちにいるような気持ちの中、義務感だけが私の砦だった。
そして、ふと思うこと。
どうして、こんなに頑張らなくてはいけないのだろう?
疑問とそれに答えを出す暇もないほど心の余裕がなくなっていた私には、自分が見えない落とし穴に嵌ってしまっていることに気づいていなかった。
 
好きだったコーラスやジャザサイズ(ジャズダンスとエクササイズが融合したような運動)も辞めてしまった。
忙しすぎて時間がなく、もし時間が取れたとしても疲れすぎていて行く気になれなかったのだ。
さらには、兄弟が欲しいという夫と娘の熱意に押され7年にわたって不妊治療まで受けていた私は、体と気持ちの折り合いがついておらず干乾びる寸前だった。
 
そして40代も半ばでようやく赤ちゃんが授かったのも束の間、流産してしまった私は失意の底にいた。
どう頑張っても報われない。
努力すれば、夢は叶うのではなかったのか?
なのに、どうして私には来てくれないのだろう?
ありとあらゆる方法を試し、もし妊娠していて障りになるといけないからと、具合が悪くても決して薬は服用せず、ストイックな生活を送っていたのに。
一緒に不妊治療に励んでいた知人が出産したのも羨ましかった。
もちろん、子どもは授かりものだ。
いくら願ってもどうにもならないことは、頭では理解している。
けれど私は自分を責め続け、好きなお笑い番組を見ても全く面白くなく、むしろ不快だった。
世の中が灰色に見え、何も楽しいことなどないような気さえしていた。
 
だが、本当は考えてみればそうではない。
家族も健康で、有り難いことに食べることには困っていない。
私が悲しんでいれば、家族が励ましてくれる。
私が困っていれば、助けてくれる友達がいる。
一緒に笑える仲間がいる。
周りに恵まれ、そのおかげで生きている自分がいる。
客観的に自分を見る目があれば、幸せな自分を見つけることもできたはずだ。
 
そんなことに気づかなかった私は、その後も悶々とした日々を過ごしていた。
自分では抜け出せない落とし穴に嵌ったままで、手の届かない空を見上げているばかりだった。
 
しばらく経ち、ようやく這い出た私の前に新たな落とし穴が口を広げて待っていた。
治ることのない病気が発覚したのだ。
手術しても完治はせず、ただリスクを抑えるだけのものということ。
けれど、いよいよ体が動かなくなって手術をしても、機能が戻らないことを告げられた。
とりあえず、選択肢は一つ。
少しでも抑えるために、手術をする以外になかった。
現実とは思えず、まるで人ごとのように医師の話を聞いていた。
実際、手術室に入るまで本当とは思えなかったくらいだ。
心配しすぎると、また無限のループに嵌ってしまいそうだったから、意識的に病気のことは考えないようにしていた。
恐ろしさをシャットアウトして、ただ逃げたかっただけかもしれない。
どこか達観したような自分を演じなければ、潰れてしまうのが怖かったからかもしれない。
 
いよいよ自分を保ち続ける限界まで来ると、負の感情に飲み込まれっぱなしではなく、いよいよ正面から自分の人生について向き合う覚悟を持たねばならないのだと思い始めた。
留まったままではなく、今まで顔を背けていた自分の気持ちや現状を認め、その上で新たに踏み出していかなければならない。
私には、今までとは違う思考回路が必要だった。
 
きっと赤ちゃんが私の元を去ったのは、私がのちにかかる病気を見越していたからだ。
自分を納得させるためか、そういう想いがよぎった。
病の影響で、私は以前よりも重いものを持つことや無理をすることができなくなった。
子育ては重労働。
幼い子の世話をする力は、今の私には確かに無い。
あの子は、私を哀れに思って自ら身を引いたのかもしれない。
こんな考えは、こじつけとも思える思い込みに過ぎない。
けれど、私は前に進むために、流産と病気の相関性を証明したかった。
そうすることで、救いを得たかったのだろうと思う。
 
そんなときに、思い出した物語があった。
エレナ・ポーター著の「少女パレアナ」だ。
児童文学の、名作シリーズのようなラインナップに入っていた。
私は、小学校低学年のときにこの物語を読んで、幼いながらにパレアナの健気さに涙したものだった。
物語は、孤児となったパレアナが、気難しい叔母さんに引き取られてからの生活を描いたものだ。
寂しい生活の中でも、パレアナは亡くなった父親から教わった、どんなことからでも喜ぶことを探し出す「喜びのゲーム」で、心に距離のあった叔母さんや町の人々の心を明るくしていくのだ。
「喜ぶことを探し出すことが難しければ難しいほどに面白い。」
パレアナはそう言って、困難な状況でも、その中に喜びを見出すことを忘れない。
どんな出来事も、見方によって絶望的な状況から自分を救い出せるのだ。
 
パレアナの喜びの見つけ方は、例えるなら凍えそうな夜に小さな焚き火に手をかざして、その温もりにホッとするような感じだ。
温もりを感じることができたのは、外が凍えるほどに寒かったおかげなのだ。
その小さな明かりに秘められているものは、希望の光だ。
こんな状況も悪くはないと思える、ささやかな幸せだ。
凍えるような寒さに震えていたとしても、小さな焚き火のおかげで感じられる幸せや有り難さ。
それを感じることができれば、この世界は面白く変化していくことだろう。
 
病気をして仕事を辞めることになったけれども、それとは引き換えに感じられる幸せがある。
心の余裕と時間の余裕だ。
気持ちが焦っていた時は、何もかも合理的に速く済ませることに一生懸命だった。
これが終われば、これというように、ベクトルの動きが直線的だったのだ。
私の動きには遊びがなく、張りつめてキリキリとしていた。
そのせいで、視野も狭くなっていたのだろう。
本来であれば、面白いと思っていたことにも興味を失っていた。
 
今では、憑き物が落ちたように焦りがなくなった。
直線的な動きの代わりに、あちこち興味が赴くままにふんわりとカーブを描きながら寄り道をする。
狭まっていた視野が広くなり、そういうこともあるよねと大らかに受け止めることも多くなった。
必ず。絶対。そうせねばならぬ。
そんな私を委縮させる言葉たちが、頭から零れていった。
大丈夫。何とかなる。そうしてもいいよ。やってみよう。
温かで肯定的な言葉たちが、私の頭の新たな住人となっている。
一つの事柄が起こったとして、それをどの方向から見るかでまるで違う。
植物も汚い言葉を言って育てるとよく育たず、前向きな言葉をかけて育てるとよく育つという。
きっと、人間の出すマイナスとプラスのエネルギーを感じているのだろう。
 
パレアナのように、喜びを見つける達人には程遠いかもしれないけれど、ささやかな楽しみや幸せを感じることができるよう、心を柔らかくしておけたなら。
クリスマスの朝のように満たされた想いで、世の中を見つめることができたなら。
 
見方を変えれば、世界が変わる。
つまらないと思っていたことでも、もしかすると面白いことに変わるかもしれないのだ。
その差は紙一重。
どのように物事を見る人であるか、またはその人がどんな状況にいるかで見え方が変わってくるのだ。
 
そう、実は世界は面白いことで満ちている。
それを見つけるフィルターを装着できれば、もっと人生を面白がることができるだろう。
心配して鬱々と過ごすも一生。
笑って面白がって過ごすも一生。
目の前の出来事を慈しみ、希望を持って生きていきたいのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-12-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol,108

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