週刊READING LIFE vol,108

鬼滅の刃を何回読み返したのか、もう数えるのをやめた《週刊READING LIFE vol.108「面白いって、何?」》


2020/12/21/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
2020年12月4日、待ちに待った鬼滅の刃の最終巻が発売された、私はしっかり書店予約して手に入れた。今から鬼滅の刃全体のネタばらしを思う存分書くので、ネタバレが嫌な方は残念だがこれ以上読まないことをオススメする。
 
今回のライターズ倶楽部の課題が「面白いって何?」だと知った時、最初に思い浮かべたのはもちろん鬼滅の刃だ。こんなに面白い作品、滅多に出るものではない。コンテンツが使い捨てで消耗されるような現代において、それでも百年に一度の傑作だったかもしれない。みんなが面白いと言っているし、私も面白いと思っている。まだ読んだことがない人におススメすれば、10人中9人、いや10人が間違いなく面白いと言ってくれる自信がある、それくらい鬼滅の刃は面白い。じゃあ、その面白さは一体どこから来ているのか。そもそも面白いって何なのか。ただただ面白いと騒ぐだけじゃなくて、ライターならもう少し頭を使って深掘りしてみたらいかがでしょうか。温和な池口さんが不敵に微笑む様子が脳裏に浮かんできたような気がして冷や汗をかきつつ、今日の課題に取り組むこととなった。
 
さて、映画が止まるところを知らない勢いで日本映画興行記録を塗り替えていく中、満を持して発売された鬼滅の刃の最終巻。どんな漫画でどれだけ数字がすごいかはもうさんざん騒がれているので割愛する、新刊が出るようなコミックスなのに既刊もAmazon在庫がなく転売が横行し、映画興行収入は「千と千尋の神隠し」を超える勢いだ、くらい押さえて頂ければ大丈夫だ。鬼滅の刃という作品は、少年ジャンプ本誌での連載は5月に完結していたが、私のような単行本派は未だ物語の結末を知らず、余計な情報を拾ってしまわないように細心の注意を払って生活していた。これだけ素晴らしい物語をきちんと本筋から楽しみたい、推理小説の犯人だけ先に知ってしまうような形で結末を知るのは絶対に避けたい、本当ならネット検索をして隅から隅まで鬼滅の刃関連情報や個人の感想を漁りたいのだが、それを封印して、12月4日まで、耐えに耐えた。
 
物語が完結するからには、人食い鬼の首魁である鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を倒して終わりになる。そんなのは最終巻を読むまでもなく分かっていた。なんなら1巻の頃から分かっていた、この物語が無惨に家族を殺された竈門炭治郎(かまどたんじろう)の仇討ちだとはっきり示されていたからだ。少年漫画でここまで人気が出て、まさか全て夢でしたとか、無惨が心を入れ替えたので和解しましたとか、俺たちの戦いはこれからだとか、そういう虚しい尻切れトンボの終わり方はあり得ない。どんな形であれ、しっかりと無惨を倒して終わるというのは、もはや暗黙の了解だった。無惨が倒される、それは分かっていても猶ネタバレを恐れたのは、「どんな風に倒されるか」を知りたくなかったからに他ならない。どんな結末を迎えるのかただでさえ気が気ではないというのに、余計な情報を耳にしてしまって、そこからあれこれと邪推してしまうのが、作者が意図した通りに物語を楽しむことが出来ないのが心底嫌だった。とにかく真っ新な気持ちで最終巻に向かい合い、自分の感性でその結末を受け止める、ただそれだけのことが何よりも難しく、何よりも楽しみだった。
 
そして発売日当日、開店と同時に予約していた書店に並び、鬼滅の刃23巻が私の手元にやってきた。その日はちょうど病院で検診があったため、待合室に持ち込んで、表紙を隠しもせずに読み始めた。もっとゆっくり落ち着いたところで読みたい気がしないでもなかったが、鞄の中にもうあるというのに、検診が終わるまで待つなどとてもできなかった。
 
結果、私は待合室でボロボロ泣く不審な患者に成り果てた。
 
手に鬼滅の刃を持っているから、体調が悪いとかそういう誤解はされなかったと思いたい。というかどう見ても鬼滅の刃を見て泣いているようにしか見えなかっただろう。鬼を倒すために結成された鬼殺隊の総力で無惨を追いつめ、力を削ぎ、道を封じ、何百年と受け継がれてきた「鬼を滅ぼす」という本懐をついに果たす……分かっている、そうなることは分かっていたのだけれど、瀕死の重傷を負った炭治郎たちが、互いに鼓舞し助け合う様、戦いが終わり命を落とした剣士たちの今際の際の言葉と涙。ページをめくるたびに息を呑み、紙面の隅から隅まで凝視して、手汗を拭いて、目頭を拭いた。全て読み終わる前に診察が終わり会計も終わったので、続きは帰宅して昼食もそこそこに読んだ。
 
面白かった。
 
すぐに漫画好きの友達にLINEをして、読了を確認してから感想のやり取りをする。その合間にもう一度23巻を読み返してまた涙し、いたたまれなくなって今度は1巻から読み返してはポロポロと泣く。仕事がなければこの日はずっと鬼滅の刃を読み返しているだけだっただろう。やむを得ず仕事に戻っても、脳内の8割以上は鬼滅の刃のことばかりを考えていた。面白かった、鬼滅の刃。最後の最後まで期待を裏切らずにずっと面白かった。私は面白かったことそのものより、物語がその勢いを失わずに完結したことに何よりの安堵を覚えていた。吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)という漫画家が、物語の終わりをしっかりと描ける技量を持った漫画家で本当に良かったと、漫画の神様である手塚治虫に感謝すらした。終わり良ければ総て良しとはよく言ったものだ。だが鬼滅の刃は終わりだけではない、隅から隅まで良かったのだ。ネタバレを避け続けて本当に良かったと、今までの自分を褒めてやりたかった。
 
これだけ尋常ならざる人気が出ると、漫画好きだけでなくいろいろな人がその面白さを考察している。流行だからちょっと読んでみたと言う人から、漫画マニアの全てを解剖するような解説、どれを読んでも、その人が思う「鬼滅の刃の面白さ」があって、物語が終わってしまったという寂しさを少し埋めてくれる。そうしたレビューを見ると、その人が気に入っていたというシーンをもう一度読み返したくなり、そこを読み返すと、次はあそこのシーンを見たくなり……と、読み返しの無限ループが発生するので、休憩時間や睡眠時間に要注意だ。
 
そう、面白い作品は、何度でも読み返したくなる。
 
鬼滅の刃は、言ってしまえば進撃の巨人のように目新しい要素が魅力となった類の作品ではない。鬼退治、仇討ちなんて神話時代から使い古されているモチーフだし、少年が成長して強くなっていくのも、ジャンプをはじめとした少年漫画が得意とする王道ストーリーだ。クスっと笑えるエピソードもあるが、あくまでもシリアス続きの息抜きと言う位置づけでしかない。各キャラクターごとに凄惨な過去が隠されているのも割と見かけるし、絵は上手いとは思うが漫画的で、井上雄彦の日本画を思わせる芸術的な筆致などとは趣が異なる。漫画家のスキルをいくつか並べて点数を割り出したら、優等生にはなるだろうが、何かに抜きんでた天才、という評価にはならないだろう。それでも、私を含めた多くの人が鬼滅の刃の虜になり、何度も読み返し、映画館に足を運び、限定コラボアイテムを買い漁らずにはいられなくなってしまった。よくある漫画、よくあるストーリーなのに、もう一度見たいと思わずにいられない。作品に触れて、その面白さを堪能せずにいられない……なんでこんなに面白いんだ、鬼滅の刃。面白いって一体何なんだ。言葉の意味的には、珍しいだとか予想外だとかそんな意味合いがあるけれど、鬼滅の刃の奇抜さが面白いというわけじゃない。だったら何が面白いと私に感じさせているんだろう? 課題もあってそんなことを考えながら子育ての本を読んでいると、こんな一文が目に飛び込んできた。
 
──子どもは1冊の本を気に入ると、何度でもその本をくりかえし読みたがります。大人から見ると不思議なのですが、子どもにとってはつねに新しい気づきがあり、回を重ねるたびに自分の力で発見することが増えていきます。──(「子育てベスト100」 加藤紀子/ダイヤモンド社/2020年)
 
子どもは気に入るとくりかえし読みたがるだって? 確かに息子は今、「せんろはつづく」という絵本が気に入っていて、毎晩読んでくれとせがんでくる。読み聞かせながら様子を見ていると、「これこれ、これなんだよ、いつものおなじみのこれ!」という感じで、同じ人物を指さし、同じようにコメントをし、同じように笑い転げる。新しいものを発見しているわけではないが、それでも毎回、息子はこの絵本を読むひと時をとても楽しんでいる。
 
「…………」
 
この本を読んでいるデスクのすぐ脇にも、ついさきほどまで読み返していた鬼滅の刃の23巻が置かれている。もっと前の巻も少し離れたところに山積みにされている。少し考えてから、私はもう一度23巻を手に取った。太陽光で焼き殺すしか倒す手段がない鬼舞辻無惨が、炭治郎たちの尽力で朝日の前に引きずり出され、どこかの陰に逃れようと悪あがきをするシーン。このシーンを読み返す度に、よくぞ最後まで無惨を悪者のまま葬ってくれた、と吾峠呼世晴を称賛せずにはいられない。ここで醜態を晒す無惨を「可哀そうだから助けよう」「彼もまた命なのだ」的な薄っぺらい博愛主義的な方向に持って行ったら、それこそ私は怒り狂って単行本を投げ捨てていたかもしれない。タイトルを挙げるのは避けるが、そんな結末になってがっかりした作品を今までいくつも見てきた。ちゃんと倒せよ、ラスボス。ラスボスはラスボスのまま、むかつく奴のまま退治しろよ。本筋では、無惨は無惨のまま、人間とは相容れない化け物のまま、憎むべきものとして倒された。最後の最後の悪あがきは本当にみっともなくて、ザマあみろと思うと同時に哀れみすら感じさせ、だが彼には一切の救済がなく滅びることとなり、初めて読んだ時に何よりも安堵したのをよく覚えている。よくぞ倒してくれた、炭治郎。よくぞ倒してくれた、鬼殺隊。よくぞ悪役を全うしてくれた、鬼舞辻無惨、お前は近年稀に見る素晴らしい悪役だ……よくぞ書き切った、よくぞここで物語を終わらせた、吾峠呼世晴。一人のファンとしてずっと物語を追いかけ応援し続けてきた身として、惜しみないスタンディングオベーションをしたくなるような気持ちが何度でも湧き上がってくる。
 
試しに他の巻も手に取ってみた。家族や兄弟を思い遣るシーン。もと人間だった鬼たちが、狂おしい嫉妬や憎悪に駆られて道を踏み外すシーン。炭治郎の「優しい長男」としての一面が垣間見えるシーン。炭治郎たちをかばい、最強の剣士が犠牲となるシーン。どれもこれも、新しい発見があるかというと、そういうわけではない。物語の結末を知ったからこその感慨はあるが、おぞましい鬼のビジュアルに息苦しいような衝撃を受けたり、ちょっとズレた発言をする炭治郎にほくそ笑んだり、つい手を握り締めて涙を堪え切れなかったり……どちらかというと、「これこれ、これなんだよ、いつものおなじみのこれ!」の感覚だ。一度乗ったことがあるジェットコースターにもう一度乗って無重力感や疾走感を体験したいと思うように、もう見知っているはずの物語にもう一度触れたい。もう一度あのシーンを見て、この感情を抱きたい。ここを見て泣きたい、あそこでゾッとしたい……。日本で普通に暮らしていれば、化け物に家族を殺されるなんてことはまず有り得ないし、物理的に殺されそうになっても自分を鼓舞して戦わなければいけないような死闘を繰り広げることもない。
 
現実とは違う世界、キャラクターを通して生じた心の動きを、もう一度体験したい。
だからもう何度も読んだ漫画を、鬼滅の刃を、また読み返さずにはいられないのではないか。
 
だとすると、「面白い」というのは、どれだけ感情を動かされたか、ということだと言えるのではないか。斬新な設定に驚くのも面白いし、王道で完成度が高い作品も面白い。破天荒なコメディで笑い転げたのも面白いし、シリアスな展開でハラハラさせられるのも面白い。仕事で自分の成長を実感できるので面白い。タイミングが絶妙で感心したので面白い。世の中のいろいろな場面で使われる「面白い」は、どれもこれも何らかの心の動きを受けての「面白い」ではないか。息子が同じ本を読みたがるのも、私が鬼滅の刃を夜な夜な読み返してしまうのも、本質的には全く同じだったのだ。なるほどなるほど、これは今まで思いつきもしなかった発想だからとてもウキウキしているぞ、とても「面白い」考え方だ。
 
一つの答えを得られたことに満足しつつ、私はもう何度目か知れない鬼滅の刃の読み返しを始めたのだった。

 

 

 

私が思う鬼滅の刃の醍醐味は、吾峠呼世晴の尋常ならざるキャラクター造形の巧みさと独特の重厚かつ鋭い言語体系であると思っている。主人公の炭治郎を、よくある熱血主人公系でなく、「礼儀正しく情に厚いが頭が固い長男キャラ」に仕立てたところがもう異様としか言い表しようがない。炭治郎の性格は第一話の時点で既に完成していて、妹の命乞いのために土下座をしたり、第二話でぼろカゴを譲ってもらう時に頑なにお金を払おうとしたところからまざまざと感じることが出来るし、物語が進んでもあちこちで垣間見ることが出来る。礼儀正しい炭治郎が、目上の人は苗字で呼び、鬼殺隊の同期は呼び捨て、年下には「くん」づけするなどもリアリティがあって良い。
 
言葉ではなくもはや言語体系と言いたくなるのは、それだけ言葉選びが凄まじいからに他ならない。日本語なのに、同じ令和という時代を生きる人間の言葉とはとても思えないのだ。炭治郎の恩人である冨岡義勇の第一話の「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」はあまりにも有名だし、私も以前エッセイで取り上げたことがある。またその後に出てくる義勇が自身の師匠に当てた手紙も、純文学の文豪でもないのにどうしてこんな文体で書けるのか、ただただ驚かされるしかない。吾峠呼世晴は、漫画を描くのが面倒くさいなら小説家か何かになればいいんじゃないかと心の底から思う。鬼滅の刃以外にも、この人が描く世界をもっともっと覗いてみたい、こんな風に思わせてくれる作家にすごく久しぶりに出会えたことが何よりの喜びだ。
 
だからこそ、私は何よりもネタバレを避けた。吾峠呼世晴の言葉以外で先にストーリーを知ってしまうと、いざ漫画を読むときに余計な雑念が混ざってしまう感覚になるのが嫌だった。吾峠呼世晴自身の言葉で、表現で、この物語に最初に触れたい。とってつけたような他の誰かの言葉に邪魔されたくない。何も知らない状態で物語に触れれば、それこそ最高に「面白い!」と思えることをよく知っているからだ。だからどうか、この最後の一文を読むのは鬼滅の刃の原作を全て読み終わった人だけであることを、切に切に願うのだ。
 
読んでないのに読んじゃった人、自己責任だけどそれでもごめん。
それでも絶対面白いからめげずに読んでみてね、鬼滅の刃。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
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2020-12-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol,108

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