自分という本のページをめくる《週刊READING LIFE vol.110「転職」》
2021/01/11/公開
記事:みつしまひかる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「このままこの会社にいていいのかな……?」
僕はこの疑問をずっと抱いたまま、新卒入社した会社で働いている。
次の3月31日で丸12年が経過する、36歳。
苦労の末入社した人、自分の市場価値に疑問を持っている人は、きっと同じ悩みを持っているだろう。
僕は、大学院時代の就活でかなり苦戦をした。
大学院1回生のときに1か月の短期留学プログラムに参加して、それは今振り返ってみてもとても有意義だったのだけれど、戻ってきたときには同級生は完全に就活モードに入っており、結構な出遅れ感を味わった。
エントリーシートも何回書いたかわからないし、面接にまで進んでも落とされ続ける日々だった。
しかも生物系専門の場合、その専門を生かした就職は難しい。
薬学系、あるいは食品系の採用数が少ないからだ。
僕は父が製薬会社に勤めていたこともあり、薬に興味を持っていたが、そちらの研究職は狭き門だった。
僕はそもそも薬学出身ではない。当然のように全滅した。
食品に関しても、発酵という観点で専門性を生かせるビールやワインなどのアルコール業界は数名枠だった。
おいしいものを食べるのが大好きという点ではお菓子メーカーも興味をひかれたが、そちらも大手で数名枠だった。
落とされ、落とされ、落とされる日々。
僕は当時家族と同居していたのだが、朝食をとっているときに不覚にも母の前で泣いてしまったことさえある。
あまりにも落とされ続けるので、とにかくどこでもいいからエントリーをした。
家の近所にも店舗がある、某お菓子メーカーもその一つだ。
ただ家族の猛反対にあった。そんな専門性を活かせないところに行ってどうするんだと。
でもそう言われてもどこにも入れないよりはマシだろうと喚くような形で反論した。
家の近所の料理屋で僕の誕生日会をしていたのだけど、僕らのテーブルで言い合いが始まってしまい、店内の雰囲気が悪くなってしまった。
あまりにも不甲斐ない状況だった。
事態が好転しない状況の中、父から、父の先輩が取締役をしている会社を教えてもらうことになった。
その会社のことは全く知らなかった。BtoBを手掛けている会社だった。これをX社としよう。
X社は多岐にわたる事業を展開しており、その中の一つに「医薬品」の開発があった。いわゆる「製薬会社」ではない。
それまでの僕は自分が知っている会社にしかエントリーをしていなかった。当然、ライバルは多い。
ただ考えてみれば自分の知っている会社なんてこの世の0.0001%にも満たない。X社は知らない会社だったが、それでいてグループ連結で当時年商7000億円と十分な大企業だった。
知名度が低いならきっとライバルも少ないだろう、しかも専門性も少しは生かせそうだし、規模が十分に大きい。
どん底にあった僕は、ちょっとした希望が見え、少しだけ心が軽くなったのをよく覚えている。
もちろん、受かる保証なんてないんだけれど。
ただ父に助けてもらうのもシャクなので、ひとまずは当時選考が進んでいる会社に注力しようと思っていた。
特に、その時は誰もが知っているメーカーへの最終選考が進んでいたし、X社のHPによると、採用スケジュールはしばらく先まで示されていたからだ。
ただ、結局、最終選考に進んだ会社も落とされてしまった。
これはもう、父の教えてくれたX社しかない。
そう思ってX社のHPを見ると、もう採用人数を満たしたので、閉め切ります、と書いてある。
は?
いやちょちょちょちょちょっと待ってちょっと待って……ほんと待って!
あのときは文字通り血の気が引いた。
あまりに短い文章でそっけなく、おまえはもうトライすることすらできないと告げていた。
ひとしきりショックをかみしめた後、せっかく教えてくれたのに申し訳ないけど、もう採用締め切られていたと、父に伝えた。
そうしたら、父が、予想外にX社の取締役の先輩に連絡をしてくれた。
元々定期的に連絡を取り合うほど仲が良かったのだ。
その甲斐あり、なんと、採用試験を受けさせてくれることになった。
結果、3回の面接を経て、僕はX社に入社することが決まった。
合格の通知を受けた時、正直に言って僕は、父のおかげなんだと思った。
何しろ取締役からの連絡で、採用試験を別途用意してもらったのだから。
面接では、うまく対応することができたと思う。
それでも、経緯が経緯だけに、僕は自分の実力だとは確信が持てなかった。
X社にとっても、必要ないと思っている人間を受け入れたくないだろう。
そう思って、僕はあれだけつらい就職活動期間を経てきたのに、連絡をくれた採用責任者の方にこう言った。
「採用合格のご連絡、本当に、うれしいです。ただ、私は採用が締め切られた後に、特別に採用試験を受けさせていただいています。もし、御社が本当は私を必要としていないのであれば、私を落としてください」
すると、その採用責任者の方は、こう言ってくれた。
「みつしまさん。私たちは、ちゃんと採用試験をし、必要と思ったから、こうして合格の連絡を差し上げています。期待しております。別途、メールにて今後の手続きの連絡をいたします」
私はそのとき阪急梅田駅とJR大阪駅の間の連絡橋のところにいた。
多くの人が行き交う中で、私は電話を受けながら涙がどんどんこぼれてきた。
父には感謝してもしきれない。つらい時期を支えてくれた母にも。
二人はとても喜び、ようやく安心させることができた。
なお、僕と同期入社したのはグループ全体で120名ほど。
僕は、幸い、希望した医薬品開発の部署に配属された。
入社してからは、研究開発職として、日本でまず3年間、それからアメリカで3年と3か月医薬品開発に従事した。
アメリカでのプロジェクトは当時うまくいき、大手製薬会社とパートナーシップ契約を結ぶことができるのだが、その直前に、僕は日本への帰任命令を受けた。
ショックだった。
医薬品開発は、製品化までもっていくのが非常に難しい。
仮に30年研究開発職に携わっても、1つもモノにならない可能性が高い。
このプロジェクトを逃すと、僕はもう世に出る医薬品開発に携われないかもしれない。
そんな痛切な危機感があった。
でも抵抗むなしく、僕は帰任せざるを得なかった。しかも、工場のある、東北の田舎に。
それまではアメリカのサンディエゴという、年中過ごしやすい気候の大都市に住んでいたのに。
この時には、転職を強く意識した。
しかし、僕より一年前に帰任した同僚が、今度は僕の上司になるという。
支える必要がある、そう念じて、転職しない決心と覚悟をもって東北の田舎に向かった。
僕の精神力は帰任が決まってから5%を切っていたと思う。
そして東北に着任するも、いきなり難易度が異常に高いプロジェクトを任された。
このままだと事業が赤字だから、何とかできる提案を考えろ、という。
正直に言って、僕はアメリカ駐在を命じられたときには、この事業には将来性が極めて低いように感じていた。
あれだけ苦労した末に入れてくれた会社だけれど、将来がないとなると、さすがに話は変わってくる。
そんな中、別の技術との組み合わせで、事業部を立て直せるような事業を作ってこいというミッションで、アメリカ駐在することになったという経緯がある。
でも古巣に戻って、これまでにかなり検討されてきた採算性を高める方策を出せ、という。
さすがに厳しすぎる。
また採算性に当たっては、非常に厳しい意見を経理の方に言われた。
面識も知識もないからなおさらだったのだろう。
そして先に述べたプロジェクト以外に任されたテーマもまた、難題だった。
東北着任時にすでに瀕死状態だった僕の心は、本当にどんどん壊れていった。
東北の冬は厳しい。
気温はマイナス二けたまで達することもある。
6時半頃に起きるとあたりはまだ暗い。
身支度をして、車の雪下ろしをして、車で通勤する。
路面凍結でスリップする可能性があるので気を張っている必要がある。
朝8時始業であるが、会社の前が一本道で渋滞するので、7時半に着くくらいの余裕を持つ必要がある。
8-22時くらいまで仕事をする。
退社するときは車が雪で埋まっている。雪下ろしをして、周囲の雪もかき分けて、来た道を戻る。
もちろん真っ暗な道を。
年末に帰省したが、僕は大晦日の晩も、業務のデータまとめをしていた。
思考がうまく機能しない。
日付が変わるまで粘っても、進んだ感じがしない。
その頃には精神科に通っていたが、回復はしなかった。
休みが明けて職場に戻り、何とか日々を過ごしていたが、2016年のある日、エクセルの入力をしていた際に、タッチパッドが勝手に反応してしまったところで、こらえてこらえてこらえてきた最後の糸が切れた。
もう無理だ。
そして僕は休職し、実家に帰省した。
その後、投薬しながらしばらくは何もしない生活をした。
次第に、規則正しい生活を心がけるようになり、ビジネス本を読んだり、スポーツジムに通うなどして、心身を整えていった。
同年の年末に、なんとか職場復帰をした。なおその際には所属グループは大阪に移っていた。
職場復帰後、研究開発職ではあるが業務内容が変わり、またいろいろと浮き沈みを経つつも、なんとかやり過ごしてきた。
2019年には、これまでの研究開発部から、企画部に異動した。
いろんな欠員がでて、その穴を埋めてほしいというリクエストがあったからだ。
ただ、ちょうどこの時にも、転職を強く意識していた。
研究開発職として携わった新製品ができれば、僕が世の中に少しでも役立った証になる。
できればベストセラーになって残り続けてほしい。
メーカーのロマンはそこにあると思う。
特に、医薬品は人のためになる魅力が大きい。
でも、新しい医薬品を世に出すのは、とても実現可能性が低い。
僕は10年間医薬品開発に携わって、芽が出なければ、別の業界に行きたいと思っていた。
世間水準よりも、X社はありがたいことに給料は高い。でも、芽が出なければそのお金は世間に還元されない。
言ってしまうと、無駄遣いだ。
先に述べたアメリカでの仕事の成果、製薬会社とのパートナーシップも、あれから数年経ち、解消されてしまった。
僕は世の中の役に立ちたい。では、どういう業界が良いのだろうか?
考えられたのは、アルコール業界の研究開発職あるいは商品開発職。実現可能性が十分にあり、かつ専門性が活かせそうな業界だ。
ただ冷静に考えると、これまで医薬品業界の研究開発職として培った技術と経験を、アルコール業界で活かせるかというと、かぶるところもあろうが、正直業界が違うので、不安なところだ。
また世の中の役に立つには、ビジネス的な素養を身に着ける必要があると感じていた。
そんな時に来た、異動のリクエストだった。
他に適任者がいそうになかった。
実験は好きなので、研究開発職への未練もあった。
それでも、僕はそのリクエストに応じることにした。
言うなれば、社内転職だ。
それから、調査、共同研究の締結と運営管理、それらにかかる調整が主な業務となった。
技術関連の調査は自身の興味があり、おもしろくはあったが、デスクワークの時間が最大でも20%程度だったのが、100%になり、しばらくは本当に苦痛だった。
集中力を維持していられない。
全然動き回らないから体重も増える。
共同研究については、魔窟のような相手先もある。
実験もろくにしない、研究の方向性やロジックがおかしいなどの問題があっても、上層部とのコネクションがあって関係性を切れないところだ。研究費を下げようとしたら上層部へ直接クレームがきて返り討ちに合うこともあった。
正直かなりストレスがかかり、窓口である僕も、実験担当者も疲弊してくる。
一方で、ありがたいことに、世界的な研究成果を出しながらも、偉そうにしない、気分の良い先生方もいらっしゃる。
今手掛けているのがちょうどその案件だ。
本件では、僕は会社の窓口を担当し、研究、知財、法務を取りまとめ、契約締結のプロセスを進めている。
取りまとめる相手は部長クラスで、それなりにはプレッシャーもかかる。
実は共同研究が根本から覆りそうな状況が2回発生し、非常に困ったのだけれど、最終的には先方との関係性をうまく維持しながら解決策が見つかった。契約面の構造は少し複雑になったが、それらをうまく整理し、また短期間で社内の意見を取りまとめた上で交渉し、こちらに有利な条件で両者合意をすることができた。
人にも部署にもそれぞれの思惑や役割があり、それらをまとめるのは非常に困難な場面がある。
社外はもちろん、社内ですらそうだ。
だから良いメンバーに恵まれた部分が多分にあるものの、これを成し遂げたことに対する自信もついた。
社内外から、ありがたいことに感謝の言葉も何回もいただけた。
現在契約締結の大詰め段階で、来年1月から2年間共同研究を行う予定だ。
お互いの強みを持ち合って、新しい医薬品創出につなげられそうな手応えを、今、感じることができている。
幸い、今回の件で、社内外での感謝の声をもらうことができた。
次は、世の中の役に立てるようになりたい。
ただし医薬品開発には、時間がかかる。今から10年はかかるだろう。
今回の共同研究が実を結べば、そうなる可能性は少なからずあるように感じている。
僕はこれから、僕が世の中の役に立つ可能性を上げていきたい。
上述のように、X社で1つの種を仕込むことができた。
だから、僕はもうこの会社を来年中には離れようと思っている。
社内転職をして、僕は自分を再発見できた。
これまでも人間関係の構築には自信があり、気難しい人にも自分を曲げることなく気に入られてきた。
それがどうやら調整業務において非常に大きな強みになるらしい。
他にも自分の武器はあるはずだ。
これまで何をしてきて、現在何ができて、何が向いているのか。
周りの人には自分のどんなところに感謝されてきたのか。
スキルと持ち味の棚卸をして、それらを見極めたい。
次に、活かせる場所を特定したい。
己を知り、会社を選べば、転職危うからず。
答えは、きっと僕の中にある。
せっかくの冬休みだから、自分という本を、深く深く読み直してみたい。
世の中の役に立つ可能性を探るために。
□ライターズプロフィール
みつしまひかる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
大阪府出身、在住。大阪大学卒、大阪大学大学院卒(生物系修士)。
2020年7月開講の天狼院書店のライティング・ゼミ受講。2020年12月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
ちょっとだけでも読んだ人の心が満たされるような、そして書いた自分も大好きになれるような話を書きたいと願っています。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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