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週刊READING LIFE vol,110

その先にある未来はどんな未来?《週刊READING LIFE vol.110「転職」》


2021/01/11/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
社員証を返却して正門を出ると、私はもう一度振り返り、大きな白い建物を見上げながら、13年前に初めてこの工場を見た時のことを思い出していた。
 
その日私は面接を受けるため、バスでその会社に向かっていた。
工業団地に入ってバスが右折すると、左側に巨大な白亜の建物が目に飛び込んできた。
「デカっ!」
間口300m近くはあろうかという真新しい工場を見ながら、そこで働く自分を想像してみた。
 
転職活動だったけれど、私にとっては事実上初めての「就職活動」だった。初めての就職の時はバブル全盛期で、「ここ」と決めた1社に応募して入社したから、就活らしいことは何もしなかった。
 
転職を決意して、エージェントに登録をした時、担当のアドバイザーは少し険しい表情でこう言った。
 
「37才という年齢は、結構ギリギリですねぇ」
 
もともと求人の少ない職種。そして年齢、性別……。今からの転職は容易なことではないとは想像していた。でも、自分の希望する職種の求人が出るのを待ち続けた。
 
時折ポツポツと希望に近い求人が出るものの、書類選考で落とされる。そんなことが何回か繰り返された。
 
「やっぱり難しいのかな」
段々と自信が無くなっていく自分がいた。
 
だから、書類選考が通って、面接まで進んだならば、どこへでも出かけた。
館山、東京、尾道……。どんなに今住んでいる所から遠く離れても、今の自分の環境を変えられるならば、どこへでも行く! そんな気持ちだった。
 
初めて面接に進んだ会社で、色々な質問に答えた後、最後に私は思い切って聞いてみた。
「これまで書類選考で落とされてきたので、こうして面接をして頂けて、嬉しかったです。差し支えなかったら、面接に呼んで下さった理由を教えて頂けませんか?」
 
私はただ、自分の何に興味を持ってもらえたのかを知りたかった。だって、書類に書かれた限られた情報だけで判断されるのは、何だか納得がいかないではないか。
 
「ちょっと会ってみようか」と思われる何かが有ったのなら、それは自分のセールスポイントになるかもしれない。
 
「私のいい所はどこ?」なんて、たとえ家族でもなかなかしない質問だ。かなり恥ずかしい。でも、この面接の結果がダメでも次に進む何かを得たい。そんな気持ちが勝って、恐る恐る面接官に聞いてみた。
 
「経歴とか、お持ちの資格とかを見て、どんな方なのかなと思ったんですよ。やはり実際に会ってお話しないと分からないことがありますしね」
面接官の方は、快くそう教えてくれた。そして、私の「褒めポイント」をいくつか挙げてくれた。それを聞いて私は素直に嬉しかった。聞いて良かったと思った。
 
帰りの電車の中で、面接官の言ってくれた言葉を反芻しながら職務経歴書を見直していると、もう1社から面接の通知が来た。
 
そこは私にとっては大本命の会社。仕事の内容も希望とドンピシャリ。勤務地も地元圏内だ。入社できたら、どんなに嬉しいことか。まるで片思いをしている女の子のように、ドキドキ、ソワソワしながら過ごした。
 
そして迎えた面接日当日。
 
バスから降りると、私は正門からその巨大な白い工場を見上げた。正門の向こう側には、部材を運ぶフォークリフトが行き来するのが見える。出張で来た業者とおぼしき人達が、正門前でタクシー待ちの行列を作っている。
 
身震いするような活気が、この工場にはあった。そして、色々なことをゼロから作り上げていける可能性に満ちていた。
 
案内された部屋に入ると、4人ほどの面接官が座っていた。私が挨拶をして席に座ると、それぞれの面接官が自分の名前を名乗って挨拶をしてくれた。
 
「今まで面接を受けた会社では、面接官が名乗るなんて無かったのに」と驚いた。
 
面接は終始にこやかな感じで進み、気が付くと「こんな仕事もやってみたいです」と語っている自分が居た。何というか、相性が合うといった雰囲気を感じた。私はお見合いをしたことはないけれど、決まるときのお見合いってこんな雰囲気なのかな? と思ったりした。
 
面接の最後に、私は例のごとく面接に呼んでもらえた理由を聞き、面接を終えて部屋を出た。
 
そして、その面接から2ヶ月半後、私はその工場の社員として働き始めたのだ。
 
転職を考える時、表向きには立派な理由を言うけれど、私の場合は「逃げ」もあった。
「もう嫌だ、やってられない。リセットしたい」
そんな思いが高まると、「転職したい」スイッチが発動する。
 
仕事の内容が面白くないとか、職場の雰囲気が嫌だとか、そりの合わない人がいて嫌だとか、そういう不満がつのってくると、逃げ出したくなる。
 
あれほど恋い焦がれて入社したのに、6、7年も経つとすっかりその気持ちが失われ、「当たり前の日常」に変わる。忙しい毎日でクタクタになり、面白くないことがあると、「もうこんな会社、辞めてやる!」と思うことも多々あった。
 
実際、ツテを頼って履歴書を送ってみたこともある。けれども、上手くいかなかった。そりゃそうだ。立派な理由を書き並べても、魂がこもってないことは、バレるものだ。それに、本格的に転職活動をするようなエネルギーも湧かなかった。なぜか? その先に待っているであろう未来を、はっきりと描けなかったからだ。
 
前の会社から転職した時も、「逃げ」の理由は確かにあった。けれども、その時は「もっと大きな場所で泳いでみたい」という思いの方が強かった。
 
新しい仕事を覚え、できるようになると、もっとこんな仕事もやってみたいと思うようになった。でも、自分が望むような仕事ができる環境ばかりではない。段々と自分の居る環境が窮屈に感じてきて、もっと大きな所でのびのびとやってみたくなったのだ。
 
だからあの時は、「こんなことをやってみたい」という強い思いがあった。そして、それは当時の職場では実現が難しいことだった。書類選考がなかなか通らなくても、諦めずに転職活動を続けることができたのは、そういう理由があったからだ。
 
でも今は?
「今、環境を変えてでもやりたいことは何?」
そう自分に問いかけても、はっきりした答えが見つからない。
 
それなら今はタイミングじゃない。今の環境でやれることをやっていこう。確かに面白くない仕事はあるけれど、面白い仕事だって沢山やっているではないか。もっと心震える未来が描ける時が来たら、その時にまた考えればいい。
 
そうして数年後……。心震える未来は唐突にやって来た。中国に行って新しい工場をつくるという話だ。全く予想外だったけれど、なぜか心がざわざわした。自分に務まるだろうか? でもやってみたかった。
 
それから部署を異動し、中国に飛んだ。
 
中国での仕事は刺激的だった。2年で日本に戻るつもりだったのが、3年目に突入していた。
 
あと半年で日本に帰るというある日、上司に呼び出された。
「次の新しいプロジェクトに一緒に行きませんか?」
 
次のプロジェクトに参加するなら、今勤めている会社を辞めて、中国のその会社へ転職することになる。プロジェクトが終わったその後はどうするのか? また転職? 色んな思いが頭の中を駆け巡った。
 
それに、新しいプロジェクトに参加すれば、また激務が始まる。またあの日々が繰り返されるのか……と思うと、気が重くなった。
 
「この週末、よく考えてみます」と返事をして、上司の部屋を出た。
 
日本に帰ってやりたいことは何だろう?
次のプロジェクトに行くとしたら、どうなりたいのか?
 
そんなことを自問自答し、書き出していく内に、次のプロジェクトに行って楽しそうにしている自分が目に浮かんだ。今よりもっといい工場を作り、今よりもっと中国語を使えている自分……。
 
迷うっていうことは、1ミリでも自分の中に「やってみたい」という気持ちがあるということなのではないか? 目に見えない「流れ」が来ているなら、乗ってみればいいんじゃないか。
 
そう思うと迷いは吹っ切れていた。そして私は、13年間勤めた会社を辞めて中国の会社へ転職することを決めた。
 
退職の日。正門で社員証を返却して振り返ると、13年前と同じように白い建物を見上げた。
色々あったけど、途中で「辞めてやる」なんて感情にまかせて辞めなくてよかったなと不意に思った。
 
もし、そんな気持ちで辞めていたら、今感じているような寂しさは感じなかっただろう。でも、同時に、この先始まる新しい未来に対しても、今感じているほどの期待は感じなかっただろう。
 
これからまた新しく始まる未来に思いをはせながら、あの日ドキドキしながらくぐった正門を後にした。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
20年以上の会社員生活に終止符を打ち、2020年に独立。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からライターズ倶楽部参加。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人の背中を押せる存在になることを目指している。

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2021-01-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol,110

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