私には向かない職業《週刊READING LIFE vol.110「転職」》
2021/01/11/公開
記事:黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
叔父が心理カウンセラーに転職したのは、かれこれ15年ほど前だろうか。
当時私は大学生で、そろそろ自分の就職活動を始めなければ、という時期だったと思う。
転職どころかまだ就職もしていない、のんきな1学生には、「ふーん、そういう道もあるのか」と思った程度である。
それが時を経て仕事をし出したとたん、叔父の選択がいかに思い切ったことか、いかに困難なことか、改めて思うのである。
叔父の前職は、私と同じく高校教師であった。
まったく教員という職業は、いわゆる「つぶしのきかない職業」である。
教師という以上、優秀で様々なスキルを持っていると思われるかもしれないが、さにあらず。
もちろん、そういう先生方も大勢いるかもしれないが、なんというか先生方の持っているスキルは、教育現場という特殊条件下で有効なものが多い。
いや、特化していると言ってもいい。
授業での工夫、生徒指導の工夫、学級運営の工夫。
どうも世間の一般企業とずれている場合が多い。
人を相手にしているからかもしれないが、世間の企業との常識がずれている可能性がある。
例えば、度々言われることに、教員はビジネスマナーのような一般常識がない、というものがある。
電話対応だとか、挨拶だとか、メールの文面だとか、まあ、そういう細かいところのことだろう。てんでなっていない、というのだ。
しかし、考えてみれば当然である。教員は、他社との接点があまりない。
あるとすれば、例えば教科書会社だとか、教材会社だとか、制服や競技服の会社などであろうか。
もはや片手で数えられる程度である。
ビジネス面における常識は、なくてもまあやっていける立場だ。
また、これはいい意味でもあるかもしれないが、上司部下の関係性があまり強くない。
例えば校長先生や教頭先生は「管理職」と呼ばれ、ある一定以上の権限がある。
おそらく上司と言っていいだろう。
だが、一般教員の上司は、と言ったら、学年や分掌の長である。
すなわち学年主任や分掌主任だ。
学年や分掌の舵取りではあるが、それが即「えらい人」にはならない。
もちろん、年齢的に上の方が指名されやすいので、経験値は多い。だから様々な場合に最適解(とは言わないまでもよりよい考え)を出してくれる。
ただ、そうは言っても同じ“先生”なのである。上下の関係なく意見を聞いてくれるし、その意見を実現させてくれる。
そもそも特権があまりない。逆に会議は多いし、主任ならではの仕事もある。その上、当然授業もしなければならない。これはこれで大変そうだ。
全国の○○主任の先生には頭が下がりっぱなしである。
いつもありがとうございます。
それはともかく、この感覚で一般企業に行ったら、多分お叱りを受けるだろう。社風にもよるかもしれないが、上司に対する態度がなっとらんとか何とかで、大目玉をくいそうだ。
この一般企業とのずれは、やはり接点の無さによるものが多いだろう。
教師は教師で、一つの職業形態を確立してしまっているのである。
まさにガラパゴス化である。
ところが、そんな教員の中で、ほぼ唯一、他企業にコンタクトを多くとらねばならない分掌がある。
どこだかお分かりだろうか?
そう、進路係である。
高卒求人がある企業と、多く接点を持たなければならないし、進路行事を執り行っていただける企業と、コンタクトをとらねばならない。
実は私も、本年度この分掌を初めて経験した。
多くのメール、電話、そして面談をこなし、そのたびにビジネスマナーについて迷った。
メールの文面はこうでいいのか? 始まりは? 終わりは? 署名には何を書けばいい?
あるいは電話はどうか。どう切り出すべきか。どう受けるべきか。
名刺の交換時にはどんなマナーがあるか。
などなど、普通なら新人研修で教わりそうなあれやこれを、教員は教わらないのである。
初任者研修で受けるのは、指導への心構えだとか、教員としての心構えだとか、授業でのテクニックだとか……
学校教育にとっては不可欠な知識や技術だが、これは一般企業にとって果たして有効になるものか、はなはだ疑問である。
ゆえに思う。
教員とはつぶしのきかない職業である、と。
そんな教員だった叔父が、心理カウンセラーである。
これも何か一般企業とずれを感じる職業であるが、少なくとも、教員とはまた一線を画す職業である。
最初にも言ったが、この話を聞いた当時、私は大学生で、学校で働くことの何たるかがわかっていなかった。
そして、働きだして10年ちょっと、この決断がかなり思い切ったものだと理解するのである。
事実、叔父も最初のうちは軌道に乗らず、厳しい生活をしていたという。
それを耐えた上で、今はスクールカウンセラーとして華々しい活躍をしている。
いったい私にそんな冒険ができるだろうか。
答えは否である。
無論、転職を考えたことがなかったわけではない。
毎日毎日、朝早く夜遅い仕事である。
県内で車通勤なのをいいことに、日をまたいでしまったこともあった。
授業が終わっても雑務が多くあり、仕事は探せばいくらでもあった。
その上、県立高校に勤めていると、職場は県全土。端から端まで、どこに赴任するかわからない(ちなみに現在は車で1時間弱のところである)。
しかも、私の場合、どうも生徒指導が苦手な部分がある。
いかに注意したものか、どうしたらわかってくれるか、特にいじめ問題に関しては、私は最適な答えを導き出すことができない。
無論学校単位で取り組むこととて、主任の先生に相談することが正しい選択ではあり、学年や学校全体で考えることであるが、私自身ならどう答えを出すか、とか、どう諭すべきか、とか、そんな明確な答えが見つからないのである。
そんな極端な話でなくとも、授業が面白くないだろうなぁ、とか、的確な生徒指導ができていないなぁ、とか、とにかく負い目を感じる日々なのである。
その上に長時間の労働である。さらに(ややいいわけじみているが)体が健康ではなく、持病があるため、疲労による負荷が大きい。
そりゃあ、違う職業も考えたくもなる。
しかし、最初に散々言ってきたように、教員はつぶしが聞かない職業である。少なくとも、私はそう思っている。
そのため、何か一歩踏み切れないものがあったのである。
叔父の選択は、つくづく思いきったものだったと感心してしまうのだ。
もはや思うことは、この職業は到底私には向いていない職業である。それが証拠に、未だに正規職員ではない(いわゆる契約社員みたいなものであり、1年更新である)。
ただ、こうも思う。
私には到底向かないまでも、この職業を“くたばるまで”は続けていくのだろう、と。
何かのテレビ番組で言っていた。「人は天職に就くのではなく、就いた職業が天職なのだ」と。
けだし名言である。
おそらく私が、少なくとも一般企業に転職したとして、やっていける見込みはないだろう。
だとしたら、唯一経験し、やっていけている……かどうかはともかく、クビにならずに続けていけているのは、この職業、教員というつぶしのきかいない職業しかない。
ならば、続けられる限り続けていくしかない。
健康を損なったら元も子もないが、私の場合、損なった時が潮時だと思っている。
それまでは、不安や劣等感に苛まれながらも、淡々とやっていくしかないと思っている。生徒には申し訳ないが……
思うに、職業とはそういうことかもしれない。
就いた職業が天職、かは別として、とにかくできるところまでやっていくしかない。
それが、よく言われる「3年間は続ける」ことかもしれないし、もう次の日にはやってられなくなる場合だってある。
とにかく自分が“ここまで”と思うところまでは、ひたすらやっていくしかないのだ。
いうならば、転職を考えるのは、職がなくなってからでよい。当たり前かもしれないが。
そんなわけで、私はこれからも淡々と、しかし苦悩し、喜び、迷いながらも、この職業をこなしていく。
私には向かない職業と思いながらも、ただひたすらに。
□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。
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