週刊READING LIFE vol,111

大っ嫌いな鏡の向こう側と握手を《週刊 READING LIFE「世界で一番嫌いな人」》


2021/01/18/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
2020年も、残りわずかとなったある日。私は、ぼんやりとテレビを見ていた。持ち帰りの仕事もなんとか終えることができ、残る仕事は家の大掃除。通年は、我が家に集まる親族たちのため、重箱からあふれるほどのお節を作る母の、サポートをしていた。大晦日から元旦までが忙しさのピーク。
だが、今年は様子が違う。大人数で密室に密集することが良しとされない世情となった。ついでに、雪まで降り積もった。山岳地帯にある我が家には、みんなが集まることは叶わない。
黒豆や雑煮などの、最小限の正月の準備をし、比較的にのんびり過ごすことができた。料理や配膳などに気を使いすぎて、ピリピリする母を見なくて済んで、精神的にも健やかな、はじめての年末だった。
年末のメディアも同じようだ。テレビは、再放送のドラマや、出演者の少ない特別番組ばかり流している。
ふと、テレビ画面の向こう側が、ざわついた。
特別ゲストとして、女優のAさんが華やかに登場した。スラリとした肢体、きりりと上がった勝ち気な瞳、ふわりとウェーブのかかったボブヘア。威風堂々としたその立ち姿は、まさに女優! と感じる華やかさがあった。
楽しげに、番組レギューラー陣とゲームで対決する彼女をぼんやりと見つめる。
久しぶりに見たAさんは美しい。
彼女は人気女優で、彼女が主役のドラマや舞台は多くある。仕事などで、テレビを長時間見る余裕のなかった私には、彼女を見る機会が少なかった。というのは、理由の2割ほど。
8割本音は、彼女を意識的に避けてきた、が正しい。
私は、彼女が大っ嫌いだった。
テレビに彼女の姿が映し出されると、チャンネルをすぐ変えた。
彼女主演のドラマや映画などもほぼ真剣に、長時間見たことがない。
なるべく、その姿も声も聞きたくなかった。
友人との雑談でも、「嫌いな芸能人」という話題が出ると、真っ先に彼女の名前をあげた。そして、まるで何かの被害者か、彼女に手ひどく振られた未練がましい元彼氏のように、鼻息荒く彼女の悪口を言っていた。あいつは、嫌な女だ、もう二度と会いたくないのだ、とでも言うように。
彼女の姿を見るとイラッ、とするのだ。
クールな印象を受けるAさんは、そのまま、気高い、傲慢な役どころが多い。あれは、真実の彼女ではない、とわかりつつも、嫌な気持ちになった。
嫌な女を演じる女優さんの本質まで疑ってしまう、ということは、彼女の演技が真に迫っているからだろう。
だが、もっとこう、言葉で言い表せられない根深い気持ちがあった。頭でモヤモヤ、心の中でグラグラ煮えたぎるような。そんな思いを彼女に思い描いてきた。
 
会ったこともない人を毛嫌いするなんて、私の方がおかしいのではないか?
よし、これは、じっくり掘り下げてみよう。
 
暇を持て余している私は、脳の空き容量をフル回転してみることにした。しばらくして、ある女性の姿を、ポンッ、と私の脳内の検索エンジンが見つけ出した。
 
そうか、彼女は、同級生のBに似ている。
 
ざっくばらんな性格も、大きく口を開けて笑ってはしゃぐその姿も、Bを彷彿とさせた。
Bは、学生時代の同級生だった。
外見は似ていないものの、女優のAさんと通じる所がある。Bは、共通の友人もいて、複数の講義での研究グループでは同席になることが多かった。本来なら友人になっていてもおかしくなかったはずだ。
だが、ならなかった。
会話をした記憶はほとんどない。大喧嘩したことももちろんない。
それは、私がBを避けていたからだ。
なのに、私はBが苦手、というより嫌いだった。
それがなぜか、これは突き詰めていく必要がある。
うん十年の歳月を経て、固く閉じていた、心の蔵の扉を開いてみた。
 
Bは、ハツラツとした女性だった。明るくて、いつも友人に囲まれている裏表のなさそうな人。彼女のことを思い出すと、真っ先に描くのは、口を豪快に開けて声を出して笑っている姿。良く言えばにぎやかで、悪く言えばかしましい人。
その当時の私は、というと、真逆に近いものがあった。
まず、ファッションがもさっとしていた、ような気がする。化粧はかろうじてしていただろうか。それよりも、自分の生活を保つことに必死だった。奨学金を借りているものの、親の負担になりたくなくて、週4日のペースでアルバイトをしていた。教科書代も、学校までの交通費もすべて自分で支払った。土日、夏休みなどの長期休暇の多くを費やした。学校での学び、部活動、アルバイト、の大まかに分けて3つの要素を完璧に回そうと必死だった。
良く言えば真面目、悪く言えば完璧主義で余裕のない。自分にも他人にも厳しい人間だった。そんなキリキリ舞の、少し精神が屈折している私にも幸いなことに友人がいた。大人数ではないけれど、少数精鋭。今でも女子会をしてくれるかけがえのない友人に恵まれた。
十代の私の脳の容量はいっぱいだった。勉強も、アルバイトも、せっかく手に入れた友人も、どれ一つ零してはいけない。何でも完璧にこなして、失望されないように、望まれるように振る舞わないと。みんなに愛される人間でなくては。そうしないと、私の、アイデンティティーは崩壊する。
その、切迫している私の目の前にいるのがBだ。
 
調理実習の時は、ホワイトボードに書かれていない順番で調理し、友人にたしなめられているのをよく見かけた。だが、彼女は、悪びれもせず、「やっちゃった、ごめん!」と笑って流していた。
科学の実験の時も同じ。
その失敗を、みんなが苦笑いしながら、サポートしてあげていた。
講義の時は、彼女の騒がしい声が際立って聞こえた。彼女のアルトの、少し特徴のある声音は、小声の雑談だったとしても、静かな教室に響く。悪いことに、耳が良くて神経質な私は、それを勝手に拾ってしまう。
失敗しても、良いことがあっても、何にも理由がなくても、声を出して笑うB。
私は、一人でイライラした。
不真面目そうに見えるその言動のすべてが、私の癇に障った。
自分に向けられていないまったく支障のないことでも。ただ、彼女と同じ空間にいるだけで、どうしようもなく、頭を掻きむしりたくなるような思いに駆られた。
 
私は、こんなに真面目なのに。生活を守ろうと、みんなに好かれようと必死なのに。
何もしていないのに、みんなに許されて、愛されて。
ありのままに振る舞えるなんて。
嫌いだ、あんたが心底嫌いだ!
 
そこで、私はやっと気がついた。
私はBがうらやましかったのだ、と。
がんじがらめで、必死にもがく私とはあまりにも違う。
自由奔放で、学生時代のかけがえのない時間を心から楽しんでいる彼女。
小さな失敗も笑って、自分にも他人にも許してもらえる。
何でもないことでも、楽しいことや悲しいことも友達と共有できる。
年相応に、声を上げて笑って、喜怒哀楽を発散させて。
うれしい、と全身で言えるその姿。
 
当時の私に欠けているものばかりだった。
喉から手が出るほど、欲しかったものを彼女は持っていた。
私は、不安でパンパンの頭を抱え、心を掻きむしるような飢えを抱いていたのに。
大丈夫だよ、って言って。
がんばってるね、って認めて。
すてきな人だねって、抱きしめて。
こんな私でも好きでいて、手を離さないで。
冗談まじりにでも、声に出してみたらよかったのだ。助けて、私の話を聞いてと、吐き出してしまえばよかった。きっと、誰も離れていかず、傍に居てくれたはずだ。
真逆の世界にいるBに聞いてみたら良かったと今更ながら、後悔している。
「どうしたら、甘え上手になれるの?」と。
もしかしたら、友達になれたかもしれないのに。
 
改めて、女優のAさんを見つめる。
テレビ番組が用意したゲームを無邪気に楽しんでいる。自分が負けてしまうと、大人気ないくらいに、悔しがっている。
だが、その姿にはまったく嫌味がない。
その愛らしい姿に、出演者の全員の顔から笑顔がこぼれる。
清々しさすら感じる朗らかさだ。
ドラマや映画の中の彼女は、時に冷酷無比に、時にプライドが高く傲慢に、時にはハツラツとした姿で物語を引っ張っていく。
私達にさまざま物語と、華麗な姿を魅せてくれる。
国内外で評価の高い、日本を代表する女優の一人である彼女。
その、目まぐるしく、過酷な世界に居てもなお、あせないその姿。
無邪気に笑うその本質はぶれない。
それだけ、芯のある女性なのだと思う。自分を認め、大切な人たちに愛され、愛を返す、太陽のような人。彼女に会ったことはないけれど、きっとすてきな女性なのだろう。
 
その姿を静観している自分に少し驚いている。
私はあれから歳と経験を重ねた。さまざまな事物と、出会った人々がたくさんのことを教えてくれた。飛び上がるようなうれしいことも、うずくまって動けなくなるような苦しい、やるせないこともあった。
それでも、前を向ける強さと、しなやかさを手に入れた。
経済的にも精神的にも少し余裕ができた。
大切な人たちを支えることもできる。まだ、びくびくしているが、甘えることもできる。
女優のAさんと、思い出の中のBの姿を通して、私はやっと未熟だった自分を見つめ直すことができた。
他人は鏡だ。
自分の気がついていなかったこと、見たくなかったことも、時には映し出す。
そこには、自分の姿と他人の姿の両方がありありと見える。
写った姿を、目をそらさず、受け止めること。
自分と相手の優れていることを認め、欠けていることを補って、尊重すること。
それは、互いを成長させて、世界をさらに豊かなものにしてくれる。
 
今度は、どんな人に巡り会えるだろうか。
臆せず、鏡の向こうに手を伸ばして、次こそは握手できますように。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。学生時代のアルバイトを含め、和菓子屋、巫女、CADオペレーターなどさまざまな職業を経てフォトライターに至る。カメラ、占い、ドイツ語、茶道、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を持つ、自称「よろず屋フォトライター」。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-01-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol,111

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