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週刊READING LIFE vol,111

人生の「欲しいものリスト」《週刊READING LIFE vol.111「世界で一番嫌いな人」》


2021/01/18/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「私、Aちゃんが嫌いなんだよね」
子供のころ、学校からの帰り道、仲の良い友達とそんな話をしながら帰ってきたことはないだろうか。
 
「私もー!」
と共感されると嬉しくて、嫌いな理由をお互いに上げながら、楽しげに歩いていたような気がする。
理由を並べていると、なぜだかだんだん盛り上がってきて、いつの間にか「嫌い」じゃなくて「大嫌い」と変化していく。
理由を確認することによって、自分のその気持ちがますます正当性のあるものに感じられるからだろうか。
「嫌い」は並べられた理由によって成長するのだ。でも、その理由は大したものではない。女の子特有の、身勝手な、自分勝手な言い分なのだ。
 
小学生から中学生にかけて、私が「嫌い」と思う子はクラスの中でも目立つ女の子だった。勉強も運動も飛び抜けているわけではないけれど、それなりに、いや、かなりできる。そして、何より可愛い。もしくは、ちょっとリーダーっぽい子で、何となく目立つ。要するに、華のある子だった。当然と言えば、当然だが、そういう子は男の子にもモテる。
今思えば、モテる女の子のよくあるパターンである。
 
その子を「嫌い」と思う時、私はその子に激しくいじめられていたわけではない。しかし、なんとなく、体つきも小さかった私は、その子に威張られているように感じてしまう。目立つ子にありがちな態度が、目立たない私には辛かったのだろう。正直言えば、勝手にそう思い、勝手に嫌いになっていたわけだ。
 
その上、大抵の場合、私がいいなと思う男の子は、そういうクラスで目立つ女の子が好きなことが多い。その事実を知ると「また、Aちゃんのことが好きなんだ……」と一人落胆して、ため息をつく。そしてまた「嫌い」なる。
 
通っていた小学校も中学校も小さな学校で、クラス替えをしても半分はメンバーが変わらないような学校だった。そんな小さな世界の中で、クラスに嫌いな子がいることは相当なストレスを感じてもおかしくないのに、よく毎日、「大嫌い」だと思いながら学校に行っていたものだ。特にいじめられていたわけではないのだから、自分の中で勝手に作っているストレスである。そんな程度のものだったから、文句を言いながらも学校に行っていたのかもしれない。
そして、それは気がつけばストレスを感じるというよりは、むしろ学校に行く「張り合い」のようなものになっていた。
 
「嫌い」というネガティブな、マイナスの気持ちが、私を振るいたたせる。「大嫌い」なその子に負けたくない。だんだん、そう思うようになっていた。
何をもって、勝つか負けるかを決めるのかは難しいところだ。でも、何かによって、私が納得する形で決めていくしかない。負けないためには何かを頑張るしかない。
まるで、学校に仮想の敵を作って、戦いに行くような感じだ。
 
私は背が低く、体が小さい。そして、運度もあまり得意ではない。走ればいつも後ろから1番か2番かという順位。運動会は本当に苦痛だった。
一方、だいたい「嫌い」と思う女の子は背がスラッと高くて、走るのも早い。運動会ではリレーの選手をするなど、いつも目立つ存在の子だった。
 
運動では太刀打ちできない。他に何かないものだろうか……。
 
私はその子と自分を比較してみる。彼女は私より
背が高い、
走るのが早い、
字がきれい、
算数ができる、
漢字テストの成績がいい、
かわいい
……などなど。
 
書き出してみると、どう頑張っても、どうにもならないことがあることがわかる。
例えば、「背が高い」はどうにもならない。私の両親は二人ともとても小柄だし、今さら牛乳を沢山飲んだからって私が急に背が高くなることは考えられなかった。しかも、私は牛乳がそんなに好きではない。身長を伸ばすための努力は、きっと、やってみても無駄になる。
 
「足が早い」も難しそうだ。そもそも、運動では太刀打ちできないと諦めている。まだ、誰かが早く走る走り方を教えてくれるならともかく、誰もそれを教えてくれそうもなかったし、どうもそこには私はセンスを感じられなかった。
 
でも、勉強なら努力して頑張ればなんとかなるかもしれない。算数も漢字テストも、まだまだ努力しようがあるかも……。
 
そう思えた時、かなり希望が持てた。努力すれば、なんとかなることがある。
だから、一生懸命取り組んだ。
 
その子はまったく気づいていないだろう。私が勝手に負けるとか、負けたくないとか思って努力をしていたことを。
 
そんな、仮想の敵とも言える「嫌いな子」のおかげで、ちゃんと学校の勉強に取り組むことはできるようになった。
よく、男の子がモテたい一心で、スポーツを頑張ったり、勉強を頑張ったりという話を聞く。
まさに中学生までの私は、それと同じようなものである。ただ、「嫌いな子に負けたくない」という、そんな気持ち一心で、頑張ってしまったのだ。
 
子供の頃の勉強は努力すれば報われることも多く、いつの間にか、勉強そのものも楽しくなった。
そして、「嫌いな子」の存在は、私を努力のできる子に成長させた。

 

 

 

ある時、大人になって気がついた。
なんだか見ていてイライラしたり、話題に上るだけで自分の気分が悪くなる人がいるということを……。
要するに、私はその人のこと「嫌い」なんだ。
 
大学を卒業すると、当然のことながら関わる世界が広がる。
私は大学院に進学していた。しかし、その大学院は浪人してなんとかギギリ入学できたような、そんな場所だった。私としては、かなり無理をして入った場所だ。
同じ研究室の先輩方は何歩も先を行くような存在で、話についていけているのかといえば、全然ついていけていない。同級生も自分よりもずっと優秀に見えた。
 
同級生の男の子が研究室に他大学の女子学生を連れてきた。外のプロジェクトをその女の子と進めているというのだ。
「彼女、優秀だよね。最近、コンペでも入賞しているよ」と彼は彼女を褒めていた。
 
彼も様々なコンペに参加していて、賞を獲るような人だった。そんな彼に褒められる彼女って、どんな人だろう……そう思うだけで、なんとなくイライラした。
当時の私は何も結果を出していない、ただの学生だった。
 
それから、頻繁にその彼女は研究室に顔を出した。そのたびに、「またか」、とイライラする。
私は彼女のこと、あまり好きではないんだ、いやむしろ嫌いなのかも……。
 
別に彼女に嫌なことをされたわけでもない。むしろ、彼女はとても控えめに、遠慮がちに振舞っていた。彼女もきっと周りの人と交流することで学びたいと思っていたのだろうし、誰に対してもきちんとした態度で接しているのは間違いなかった。
 
そう、この時、私が彼女を嫌いだと思った理由は、単純に言えば「嫉妬」だ。
 
私が「嫌いな人」は、私に備わっていないものを持っている人だ。
そして、私は、「嫌いな人」と自分を比較しながら、自分にないものを見つけている。
仮に自分にないものが相手に備わっていたとしても、それが自分の欲しいものでなければなにも感じることがないだろう。
 
私が「嫌いな人」は私が欲しいと思っているものを、備え持っている人だ。
自分が欲しいものを持っているからこそ、羨ましさを感じ、嫉妬し、それが「嫌い」という感情に変わっていっていることに気づいた。
 
「嫌いな人」に出会う時、私は自分の欲しいものをその人の中に確認していたのだ。
 
自分が感じる世界は、すべて自分が作り出している。自分の行動の範囲や意識の範囲でしか世界は存在しない。
その世界の中で、「嫌い」と思うということは、もしかしたら、自分が作り出している世界が、実は自分からずれているのかもしれない。
 
それは言い換えれば、自分が思い描く世界に、自分がまだ追いついていないということ。そして、その追いつけない部分を「嫌い」という形で、誰かの中に見つけるのかもしれない。
 
子供の頃、嫌いな子と自分を比較して挙げた項目は、「欲しいものリスト」のようだった。
 
背が高くなりたい、
早く走れるようになりたい、
字がきれいになりたい、
算数ができるようになりたい、
漢字テストの成績をよくしたい、
かわいくなりたい、……。
 
自分には足りなくて、でも欲しいもの。
それがあのリストになる。
 
「嫌い」を感じた時、私は「欲しいものリスト」を更新しているのだろう。
 
この「欲しいものリスト」は、アマゾンで「とりあえず」追加して更新される、「ほしい物リスト」のような気軽なものではない。
マイナスの感情が原動力となる、かなり重たいリストだ。
 
20代から30代中盤までの私は、この重たいリストを見ながら、日々努力するしか術を知らなかった。
 
マイナスの感情は、実は相当なネルギーを使う。
そして、当然、マイナスの感情はプラスの感情よりもエネルギーを消耗する。
「笑う」と疲れないけれど、「怒る」と疲れるのは、それがマイナスの感情だからだ。
 
子どのもの頃はエネルギーが余っていたのか、ぶつけるところがなかったのか、相当なネルギーを使い、様々な面で「嫌い」を連発していた。
 
一方、大人になると、よく「大きな声を出したくなくなる」とか、「怒りたくなくなる」、ということを耳にする。こういう状況は、「人間が丸くなった」と言えるのだろう。しかし、マイナスの感情を発するだけのエネルギーがなくなってきたとも、言えるのではないだろうか。
もしくは、大人になって無駄なエネルギーを使うことをやめることを学んだのかもしれない。
 
私もすっかり、大きな声で怒っている人を見ると「エネルギーあるな」と思ってしまうような、大人になった。
だから今は、「嫌いな人」が見当たらない。大人になって省エネモードを学んだのか、マイナスの感情を発動させることが少なくなった。
 
だからといって、人生の「欲しいものリスト」を作らなくなったわけではない。
自分が創る世界の中おいて、「もっとこうなりたい」というポジティブな発想で、今までのリストに書き加える。
「嫌いな人」によって欲しいものに気づくというやり方ではなく、「好きな人」から、「欲しいものリスト」に加える項目を見つけるようになった。
大人になり、私が「嫌いな人」はいつしか「好きな人」に変わっていった。
 
人はずっと、「欲しいものリスト」を更新するのだと思う。
でも、そのやり方はその人の人生の中で変化していくのでなないだろうか。
 
「欲しいものリスト」にかき加えたら、手に入れる努力をする。
そして、自分のものにしていく。
 
そうやっていくと、年を重ねるごとに、いつしか「欲しいものリスト」の更新のやり方も変わってくるのかもしれない。
 
私の「嫌いな人」が、「好きな人」に変わっていったように……。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-01-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol,111

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