週刊READING LIFE vol,112

真紅の翼を持つ少女が教えてくれた、発達障害の僕が自分の人生を切り開いていく方法とは?《週刊 READING LIFE vol.112「私が表現する理由」》

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2021/01/25/公開
記事:タカシクワハタ(READING LIFE公認ライター)
 
 
「いや、それってどうかと思うんですよね」
えっ、と僕は思った。
「A D H Dだからって配慮して欲しいってのは違うと思うんですよね」
思いがけない言葉に僕は声も出なかった。
信頼していた、優しい先輩だと思っていた。
だからA D H Dであることをカミングアウトしたのに。
「そういうわけじゃ……」
「それって甘えなんじゃないですか」
理解してもらえるなんて思った自分がバカだった。
「もういいです。すみませんでした」
先輩の言葉にかぶせるように僕はそう言い放ち、部屋を飛び出した。
終わった。
A D H Dのカミングアウトなんてするんじゃなかった。
 
僕がA D H Dと診断されたのは30代半ばになってからであった。
研究者から一般企業に就職した際に、僕はある事実に気づいていた。
僕の書いた文章にはタイプミスが多い。
自分でも注意して何回も見直したのにもかかわらず、
まるで寝ている間に誰かがファイルを書き換えたのかと思うぐらいに
タイプミスが存在していたのだ。
当時、仕事量も増えていることもあって、ストレスが溜まりミスが増えているのだろうと思い産業医に相談したところ、意外な返事が返ってきた。
「大人のA D H Dではないですかね」
 
A D H D(注意欠陥・多動性障害)は不注意や多動、衝動性などを特徴とした、発達障害の一種である。
もともとは小児の障害とされてきたが、近年になって大人でも悩む人が多い障害であることが明らかになってきた。
この障害については、大学院時代の研究の関係で知っていたが、まさか自分がその障害であるとは思いもしなかった。
 
僕はその後すぐに小児神経科を受診し、知能検査を受けることになった。
「いや、本当によく出来てますねえ」
見るからに優しそうな医師は僕の検査の結果を見てニコニコしながらそう言った。
「でも、やっぱり偏ってますよね、。A D H Dの傾向がありますね」
医師はニコニコした表情のまま、褒めているのか貶しているのかわからない返答をした。
確かに、そのような気はしていた。
知能検査の項目によって、あっという間にできるものと、やたら手こずるものの差が激しいなと自分でもわかっていた。
特に苦手なのは、聴覚に関する物であった。
聴覚で聴いた物を記憶する力が異常に弱かったのだ。
確かにこれまでもメモを取るのは苦手であった。
手書きでメモを取っていると、話に書く速さが追いつかず、
最終的には聴いたことを忘れてしまうことが多かった。
 
意外だったのは「A D H D」と診断されても落ち込まなかったことだ。
それどころか
今まで得体の知れなかったものの正体がようやくわかったことについての喜びの方が大きかった。
何も分からなかったものには対策ができないが、
正体がわかれば対策が可能である。
僕はその後、自分なりに工夫をしながら仕事に取り組んだ。
聴覚が弱いということから、一回聞いたことを複数回確認するようになった。
そして、メモを手書きではなく、パソコンで行うことにした。
タイピングであれば書くよりは速いので、聴いたことが消えてしまう前にメモが可能であるからだ。
こうして少しずつであるが、ミスを減らすことができ仕事も長期で続けられるようになった。
 
ただ、それでも克服できない弱点があった。
それは「疲労」であった。
A D H Dの患者は集中力にムラがある。
全く集中できずに作業が進まないことがある一方で、
一旦集中してしまうと何時間でも作業を続けてしまう「過集中」という状態になってしまう。
過集中になってしまうと、本人が知らない間に体力を消耗してしまい、仕事が終わって気が抜けるとぐったりとしてしまうことが多い。
集中できずに手が動かなかったり、やたら疲れているような状態は、外から見た印象があまり良くない。
「あの人トイレに行く回数多くないですか」
「何かさっきからずっと手が動いていないんですけど」
本人としてはそのつもりはないのに周りにはそう見えているのではないかと気が気ではなかった。
 
多少の工夫で仕事がうまく回ったとしても、他の人からの目を気にして気をすり減らしてしまう。これでは元も子もないではないか。
そこで僕はあることを思いついた。
「A D H Dをカミングアウトする」のだ。
A D H Dであることを職場に理解してもらい、患者本人が働きやすい環境にする。
そうすれば、仕事も円滑に回り、職場にも大きなメリットをもたらすこともできるかも知れない。
しかし、A D H Dをカミングアウトするというのは、諸刃の剣でもあった。
我が国では、このような発達障害への理解は不十分である。
「そんなのは甘えだ」
その一言で終わらせられる可能性も少なくなかった。
これは相談する相手や社風にかかっている、一種のギャンブルと言っても良かった。
 
そして僕はあえなくそのギャンブルに敗れた。
木っ端微塵の惨敗であった。
もはやA D H Dのことなどどうでもいい。
これからどうしたら良いのだろう。
お先真っ暗な気分のまま、僕は週末の休みに入って行った。
休みに入っても僕は起きる気がしなかった。
体に力が入らない。
本当に何もしたくない、という気分だった。
こういう時は何をしても仕方がない。
ベッドの中で動画でも見ていよう。
僕は完全に投げやりモードに入っていた。
 
ふと、ある動画に目がいった。
無観客でのアイドルフェスのライブ配信動画だった。
僕はそのライブ配信のチケットを買っていたのをうっかり忘れていた。
それほどまでに職場での出来事に打ちのめされていたのだ。
僕は重い頭を働かせながら動画配信を見始めた。
画面の中では次々と何組ものアイドルが華やかに歌い、踊っていた。
しかし、その日の僕の状態では、彼女たちのパフォーマンスが全く頭に入ってこなかった。
こんなに落ち込むことがあるのだと、自分でも少し驚くほどであった。
やはり今日は調子が悪いので、動画を一旦中断しようと
スマートフォンに手をかけたその時であった。
1組のアイドルグループのライブが始まろうとしていた。
オープニングのイントロが流れると、
真紅の衣装をまとった5人組が颯爽とステージに現れた。
ステージに姿を現した瞬間から、彼女たちは一糸乱れぬフォーメーションダンスを繰り広げた。
5人それぞれが、頭の先から爪先まで一つも弛緩したところのない動きを繰り出している。そしてその5人の動きを全体としてみると、まるで一体の赤い生物が何かの意志を持って動いているかのようであった。
なんだ、このグループは。こんなグループがどこに隠れていたのだろうか。
歌が始まるとさらに僕は驚いた。上手い。実に上手い。
切なくも芯のある歌声、そして5人の声がユニゾンとなって力強い響きとなる。
真紅の生命体はさらに輝きを増し、可憐に、妖艶に動いていく。
僕はすぐにこの子たちの名前を確認した。
九州女子翼、それが彼女たちのグループ名だった。
真紅の翼をはためかせ、青い大空をどこまでも飛んで行く。
彼女たちのパフォーマンスにぴったりのグループ名だ。
驚いた。こんな子たちが九州にいたのか。
僕の憂鬱な気持ちはいつの間にか晴れやかになっていた。
 
そして彼女たちのプロフィールに目を移した時であった。
「えっ?」
僕は目を疑った。
その子は鈴木瑠奈さんと言った。
彼女は発達障害を持っている。つまり僕と同じような境遇だ。
彼女は「アスペルガー症候群」という発達障害で、「空気が読めずコミュニケーションに支障を来たす」ことや、「例え話を本気に受け止めてしまう」ことで悩んできたそうだ。
そして、アイドル活動に支障が出てきそうなことから
鈴木さんは2019年3月の公演で自らの障害をカミングアウトすることに決めた。
「自分が活躍することで、発達障害への偏見を変えたい。そして同じ発達障害の人の力になれるようになりたい」
彼女はそう力強く語っていた。
その姿は、メンバーやファンの人の心を打ち、
彼女の障害は暖かく受け入れてもらえたというのだ。
 
僕は彼女と自分の違いに愕然とした。
カミングアウトを受け入れてもらえたかどうかの違いではない。
彼女と自分の姿勢の違いに愕然としたのだ。
「発達障害への偏見を変えたい。そして同じ発達障害の人の力になれるようになりたい」
彼女は自分の障害を周りに認めさせようとしていた。
そして同じ境遇の人にも勇気を与えようともしていた。
つまり彼女はアイドル活動という表現で自ら世界を変えようとしていた。
それに対し、僕は「周りに理解してもらう」ことしか考えていなかった。
あくまで受け身の姿勢で、自分の生き方を誰かに委ねようとしていた。
もしかすると、A D H Dのカミングアウトに失敗したのも、この後ろ向きな姿勢を見透かされていたからなのかも知れないと思えた。
僕はもう一度彼女たちのパフォーマンスを見てみることにした。
真紅の生命体の中で、彼女はしっかりと輝いていた。
それは発達障害であるとかないとか関係のない、プロとしての輝きであった。
彼女が言っていたように発達障害の見方を変える、そして僕らのような同じような境遇の人間にも力を与えるパフォーマンスだった。
 
「このパフォーマンスの素晴らしさを誰かに伝えなければならない」
僕はふと思いついた。
もともと聴覚情報からの記憶力が弱い僕は
時間が経つと彼女たちから受け取った感動すら
頭の中からなくなってしまう。
だから、書かなきゃいけない。
夢中になると強いA D H Dの特性を活かして、僕は今、彼女たちのパフォーマンスの印象を一生懸命文字にしている。
文字にしておけば、書いておきさえすれば、
彼女たちのパフォーマンスの素晴らしさも、
鈴木さんが戦う姿も、忘れないでいることができる。
そしてこの文章を誰かが読んでくれれば、発達障害の人にとっては生きづらいこの世の中が少しでも変わるのかもしれない。
僕も自分の表現で、少しずつ世界を動かしていくことができるのかもしれない。
そう思うと力が湧いてきた。
もう、数時間前のどん底の自分はいなくなっていた。
 
これからも鈴木さんは、アイドル活動を通して発達障害のことを発信し続けるのだろう。
そして九州女子翼と共に、真紅の翼でどこまでも旅を続けていくことになるだろう。
そして僕はその鈴木さんの姿を文章で残すことによって
少しずつでも能動的に世界を変えていきたい。
自分で自分の人生を切り開くために、表現をする。
そうしていけば、きっとA D H Dであっても楽しく人生を歩んでいける日が来る。
そう信じて、僕は書き続ける。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と野球・競馬観戦。

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2021-01-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol,112

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