週刊READING LIFE vol,117

世界を居場所にするマイヒーロー、田中君《週刊READING LIFE vol.117「自分が脇役の話」》

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2021/03/01/公開
記事:みつしまひかる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
僕の人生に大きく影響を与えた人って誰だろうか?
 
先日、人生を振り返って記事を書いたときにそんなことをふと思った。
その際は結局、挫折という出来事を自力でどうやって乗り越えてきたかという観点で書いた。
でも、その背景には考え方なり行動なりが何人もいるはず。
今回のテーマで考えると、同時代を生きてきて、かつ力強く人生を切り拓いてきた人がいいな、と思った時、真っ先に一人が思い浮かんだ。
 
今回の主役は田中君。
どこにでもいる名字でありながら、激レアな人生を歩んでいる彼の話をしたい。
 
彼は僕の高校時代の友人で、1年生と2年生の時に同じクラスだった。
第一印象は真面目であまり目立つ感じではない。きりっとしたまゆ毛で細目、四角い黒ブチメガネをかけていた。特技は将棋。一見面白みのない風貌をしていたが、話しかけると軽口が達者で、よくマンガの話をしていた。
また、田中君は重度のB’zファンであった。当時の僕は重度のミスチルファンだった。B’zはうるさいだけと思っていた僕はラジオ番組のヒットチャートでB’zが出てくるとうざかった。でも、僕は彼の影響でどんどんB’zにハマっていき、高校卒業後には重度のB’zファンに変貌することになる。
 
田中君はザ・平凡な名字を非常に嫌っていた。
田中という名字は日本人4番目に多く、名前は漢字一文字。フルネームでみると曲線がほぼほぼない。
見た目がつまらない、面白みのない人生になりそう、と彼は言っていた。
僕の名字は珍しいので、とてもうらやましがられた。
 
さて高校時代の話だけれど、僕らは、2年生にあがった時にソフトテニスクラブに入ることにした。硬式テニスと違ってボールがかなりやわらかく、本気で球をしばかないとまともに打ち返せないテニスである。それまでは何にも所属していなかった。ダラダラと放課後遊ぶくらいでやることもないのはもったいないと感じていた。校庭に2つコートがあり、それぞれ硬式テニスとソフトテニスが使っていたのだが、帰宅途中に視界に入り、気になっていた。彼がこれやろうぜと言い出した。二人とも全くの初心者だし、そもそも1年遅れの入部は少々気が引ける。でも、当時「テニスの王子様」というマンガが流行っていて楽しく読んでいたことや、個人的にソフトテニス部には中学時代からの友人を介して知り合いがいたこともあり、見学の上、入部に至った。
 
ソフトテニスは硬式テニスとの大きな違いがもう一つある。
硬式テニスではシングルとダブルスの両方があるが、ソフトテニスはダブルスだけだ。したがって必然的にペアを組む必要があり、田中君と僕はペアになった。ダブルスを組む際は前衛と後衛の役割を決める。ラリーを後衛がつなげ、前衛がネット際のボレーで決めるのが基本スタイルだ。田中君は早々に決めに行きたいタイプで、僕はラリーが得意だったこともあり、それぞれ前衛と後衛になった。
 
前衛は彼に合っていた。動体視力と反射神経に優れていたからである。ネット際に立つ前衛は必然的に対戦相手との距離が近い。したがって彼らがボールを打つたびに自分の間合いに飛んでくるか否かの判断をしなければならない。いや、正確には反射的に守備範囲内のボールを処理しなければならないのだ。頭でのんびり判断するのではなく、瞬間的な反応が求められる。彼は得意だった。
 
基本的に前衛と後衛はコート内で対角線上にポジションをとる。前衛を避けてストロークを打つのが基本になる。対戦相手との距離が近いからこそ瞬時の反応が求められるのが前衛の難しさではあるが、相手からすると反応されてボレーが自陣に返ってくるとそのボールにこれまた瞬時に対応しないといけないわけで、それなりのリスクが伴う。だが仮に前衛をうまく抜くことができれば、後衛の守備範囲外に決めることが可能である。これで決められると最高に気持ちいいのだ。
 
ストロークが続いてくると両者ともに早く決めたい気分になってくる。緩急をつけて一撃をくらわせたい。
そんなときに前衛の彼をみるとどうだ。これがスキだらけに見えるのである。
 
前衛を回避した攻撃の応酬中、彼の動きは少ない。
ヤツの真横を抜ければ…… そんな企みが湧いてくる。
だがしかしそこに騙されてはいけない。先も言った通り彼は動体視力と反射神経に優れていた。
さぁ今だ、と狙う一撃、抜けたかと相手が希望をもった瞬間、彼はそのボールを跳ね返す!
ボールはコート中央に、あるいは端に刺さり、決まる。
 
そして彼は雄叫びを上げる。「よしゃあぁあああ!」
力強くガッツポーズを相手に見せつけながら。
これが非常に腹立たしい(笑)。
ソフトテニス部には中学からの経験者も多かったが、彼らも田中君にこれをやられていた。
苦笑しながらもなんだかイラッとした感じをもたずにはいられない、でも憎めない、そういう面白キャラであった。
 
高校を卒業してお互い別の大学に進学してから何回か、一緒にB’zのライブに行ったりテニスをしたりした。
そのとき、彼は言った。改名すると。
実は、通称として永年使用し、その証拠を集めて家庭裁判所に提示して認められると改名できるらしい。
改名は、名前に漢字1文字を元の名前に付け加えるだけ。
B’zのボーカル稲葉浩志から「志」の一文字をいただくことにすると。ひらがなにすると同じよみのままではあるのだが、「志」によって彼の漢字表記には印象的な曲線が加わることになる。ちなみに、永年使用の証拠として、家族に7年間ほど自分あての手紙などに改名したい名前を書いてもらっていたと聞いている。
僕自身、この改名によって字面がとてもかっこよくなったように思う。
 
彼は教育大学に進んでいた。両親はともに教師である。
改名までする割には、なんだかんだ言ってもお堅いところにいくんやな、と思いきや、旅行に行ったインドでの経験をきっかけに、彼の人生は劇的に変わることになる。
 
最初のインド旅行では、空港に着くなりユアフレンド、ユアフレンドと人が近づいてきてモノを売りつけられたり、自称「政府公認」の人が近づいてきて、何か色々案内をしてくれるというので着いていったらやっぱり置物を売りつけられたりして、インド到着半日後にはすっかり嫌気がさしてしまったらしい。でも我慢して予定通り2週間いる間に、あまりの無法地帯ぶりに解放感を感じたようだった。
 
2週間の滞在を経て帰ってきたときに、めっちゃ面白かった!と言っていた。
あぁいい経験できて良かったんやな、とみやげ話を楽しく聞きながらそう思った。
でもハマり具合は僕の予想を超えていた。
ある日来たメールにはこう書かれてきた。
「誠に残念だよ。大学辞めた。寿司屋で働く」
彼は大学4回生だった。
 
その前までのメールのやり取りでは大学おもんない、教師になりたくないと言っていた。
対して現実路線の僕は、いやちゃんと卒業だけはしといたほうがいいと全力で説得した。
最後はわかった、って言ってたのに。
しかもなんで寿司屋なのかよくわからんし。大学に退学届けをして帰ってくる途中に募集を見つけたらしい。
 
とにかく彼は大学を辞めて寿司屋で働き始めた。修業は厳しいらしく、よく怒られると言っていた。
でも意欲はあった。忙しい、忙しい、でもこの忙しさは好きよ、と。
一人前のすし職人に俺はなる、と言っていた。
 
なのに。
半年後、彼は寿司屋を辞めた。
いや辞めたというか何の連絡もなく行くのをやめたらしい。
おい社会人……
一応説教はしてみたものの、もう”辞めた”ので真面目に寿司屋になるルートは消滅したようだ。
これからどうするんだろうかとハラハラしていたら、インドの大学に留学すると言い出した。
マジっすか。
 
心配はしたが彼の人生なので止めようもあまりなく、彼はインドに行った。2007年のことだった。
 
行った先からメールを定期的にくれて安否は確認できた。
でもそのうち妙な展開になっていた。
女の子と恋に落ち、本格的な交際に入ろうかというときに、その女の子からマフィアに求婚されていると告げられショックを受けた、本人はマフィアとの結婚は望んでおらず、連れて逃げてほしいと言っている。でもそうすると俺の命も危なそうなど、月単位で劇的な展開を迎えていた。
 
友人の僕としては彼に死んでほしくないので、手は出さず身を引いてくれ頼むから、と必死に説得して、その恋は終わった。彼は無事だった。良かった。
しかしYouは何しにインドへ?との思いも浮かんでくるけれど。
恋は落ちるものなので仕方ないのかもしれない。
そしてこれがインド、生と死の感覚がリアルな国だからなおさらかもしれない。
 
さて彼はなんと2008年に結婚する。
相手は上述の女の子ではなく、留学しにインドにきていたポーランド人だった。
 
え、じゃあ仕事すんの? 何の仕事?と思いきや、彼はポーランドに移住し、寿司屋で働くことになった。
寿司屋? 半年でドロップアウトしたのに?
 
今までの経緯を聞いている限り、僕は彼がそもそも働くことに向いているとは全く思えなかったし、半年という技術でやっていけるとも思えないし、結婚して家族を養っていけるとも思わなかった。
すぐ離婚して、寿司屋も急に行かなくなって、日本に戻ってくると、そう確信していた。もう疑いようなく。
 
でも今回は違った。彼はちゃんとやってきたのだ。この、12年間。
 
彼は結局インド数年、ポーランド数年、デンマーク半年、ノルウェー8年、寿司屋として働いてきた。
正直なところ日本で半年しか修行せず、その後12年以上北欧で仕事してきても、そこまでの技術は身についていないだろう。確かな技術を伝えられる師匠がいないのだから。
それでも彼は投げ出さずにやってきた。離婚もせず、2人の子どもを育てながら。
しかも異国、日本人は圧倒的に少ないであろう国々で、移民として。
 
これには僕は非常に大きなショックを受けた。
 
インドに留学に行くまでの彼を見ていると見どころが何もなかった。
大切な友人ではあるけれど、責任感も一貫性も意志力も全然ダメだと思っていた。
そんな彼が一念発起してインドに行き、恋に落ち、結婚し、異国で寿司屋になって妻も子供も養っている。
 
僕にこれができるだろうか。
答えはNOだ。
 
寿司屋という職業で何の後ろ盾もなく半年というごくわずかな修行の期間でやっていけるなんて、頭でっかちな僕には思いつかない。そんなアイデアが出てきても一蹴する。できるわけないやろ、そんなんで人生賭けたないわと。安全策をいくつも用意するはずだ。
でも彼はそれをやってのけたのだ。何の安全策もなく。
もちろんこれから先もやっていけるとは限らないのだけれど、それを何とかしそうな実行力が今の彼には十二分に備わっている。
 
彼の強さは、思い切りの良さだろう。大学を辞め、寿司屋もやめ、日本を出て行き、結婚した。
でももしかしたらこうも言えるかもしれない。それしかなかった、そうするしかなかったんだと。
 
インド滞在中、彼は言っていた。日本のビジーライフは嫌いよ、と。
それは日本の精神的ゆとりのなさを示していた。
社会全体を覆う閉塞感、希望の光が差さない暗澹たる雰囲気を。
彼は酸欠状態に陥っていた。
だからこそ、自分が生きられそうな異国へ飛び出し、幸いにして、居場所を見出したのだ。
 
動物的な本能で精神的な豊かさを求めた彼は、今も楽しそうだ。
 
実は昨年7月から、またポーランドに戻ったらしい。これまでは寿司屋で働いてきたが、一旦はお休みする。
これからは嫁に食わしてもらうんや、と。
奥さんはタトゥーアーティストになったらしい、写真で見させてもらったが見事に仕事として成り立つレベルに思えた。
 
精神的な豊かさ、それは日本で、あるいは世界中で切実に求められていることだろう。
僕もコロナ疲れもあいまって、日本の閉塞感に暗い気持ちになる時が正直多い。
こんな仕事をしていて何になるのか、世の中のためになるのか、とここ半年くらいは毎日悶々としている。
 
でも彼を見ていると思うのだ。
本当は可能性はあり、それをちゃんと見つけられてないだけなんじゃないかと。
国内だけでなく、国外でも、もちろんいい。
 
人生に一番大事なのは、きっと、自分の居場所をつくること。
田中君には、日本は合わなかったようだ。
でも、彼は居場所を探すことをあきらめなかった。そして幸い水の合う場所を見つけることができた。インドだ。
そこで覚醒した彼には、もうインドだけではなくなった。
伴侶を得て、子供を得て、彼の居場所は物理的な場所に留まらなくなった。
家族がいっしょであれば、そこが彼の居場所だ。
 
自分を大切にする、自分の家族を大切にする「志」。
一文字の追加も、きっとつながっている。
 
田中は日本中にいる。
昔、日本経済新聞の電子版である、日経電子版のcmに非常に面白いものがあった。
「田中に告ぐ」「田中がもたらず経済効果 5.49兆円」と。
名指しでこんな広告のアプローチがあるのかと感嘆した。がんばれ田中!と思う。
 
翻って、僕の田中君は一味違う。
正直言って、経済効果への寄与は彼単体では非常に少なく、すべての「田中」の平均値以下かもしれない。
 
でも、彼は類まれなるバイタリティーをもって、世界を開拓し、居場所をつくった。
生存本能によるものだろう。
今、僕らに足りないのはこの生存本能かもしれない。鈍らせてしまった大切な本能に、ちゃんと向き合って、開花させられたら。彼と同じことはできないだろうが、違う方向でエネルギーを発揮させ、満足できる人生にできれば。
彼を見ていると、もっと世界は広いんだ、だったら合う場所を見つけて、精一杯楽しもうぜ、と励まされている気分になる。
 
本人に、言ったことはこれまでもないし、恐らくはこれからもないけれど。
まぎれもなく、田中君は僕のヒーローである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
みつしまひかる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪府出身、在住。大阪大学卒、大阪大学大学院卒(生物系修士)。
2020年7月開講の天狼院書店のライティング・ゼミ受講。2020年12月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
ちょっとだけでも読んだ人の心が満たされるようなものを、そして書いた自分も大好きになれるようなものを書きたいと願っています。

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2021-03-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol,117

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