週刊READING LIFE vol,119

自分の可能性を最大限に引き出すための「思考方法」《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》


2021/03/15/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は高校を卒業したとき、偏差値が24しかなかった。
 
よくその学力で大学に行こうと思ったなと自分でも思うが、しかしその時の自分にはどうしても大学に行かなければいけない理由があった。
 
私は静岡県の浜松市という街で産まれた。
今は人口が100万人を超え政令指定都市になっているが、私が子供のころは浜松駅周辺は栄えていたが、そこから少し外れれば、どこにでもある田舎町が広がっていた。
傍から見れば名産や名所と言われる、その場所ならではのオリジナリティもあるのだろうが、地元に住んでいる人にとってはごく普通の風景になっていて、それに価値を感じている人は殆どいないだろう。
 
私もその環境に何の違和感も持たずに幼少期から高校生の時まで過ごしていた。
ところが高校3年生の時に、地元のお祭りに出たときに自分の中で大きな気づきが芽生えた。
 
「このままここにいたら俺の人生終わってしまう」
 
その時通っていた高校は進学とは無縁の田舎の学校だった。もともと商業科だけの女子高だったのが、私が入学する数年前に共学になり普通科が出来た。そのような経緯もあり高校の8割の生徒が女性で、多くの学生は卒業するとそのまま地元の企業に就職していった。ごく一部の学生だけが進学していたが、それでも専門学校か短大、良くて地方の四年生大学に進学をするくらいで、名のある大学に進学している人など一学年に数名いるかどうかという高校だった。
 
当然私も勉強は大嫌いで、学校の授業なんてほとんど聞いていなかった。
学校が終われば友達の家に入りびたり、ゲームや麻雀をして遊び、家に帰っても特に何をするわけでもなくテレビを見て寝てしまった。
 
その生活がおかしなことだとも思っていなかった。高校の友達は多かれ少なかれ同じような生活をしていた。卒業後の進路なんて、就職するか専門学校くらいには行こうかなと漠然と考えていたくらいで、真剣に探すこともしていなかった。先輩たちの進路を聞いていれば、この高校から行けるところはだいたい分かる。その選択肢の中から可能性の高そうな進路を選ぶのが当たり前の考えだった。
 
ところが高校3年生の5月に地元の祭りに参加したときに、違う高校に通っている幼なじみと話していると彼から「卒業後は東京の大学に行くつもりだ」と聞かされた。
彼は中堅クラスの進学校に通っていたが、予備校にも通い受験勉強をしているというのだ。
 
その話しを聞くまで自分の頭の中に「東京の大学」も「受験勉強」という言葉も全く入っていなかった。今の高校からそんなところに行く人なんてほぼいなかったし、自分の学力からして、選択肢に入れることすらせず消去していたのだ。
 
しかし、その言葉を聞いたとたんに私のものの見え方が変わった。
あたりを見渡すと子供のころから変わらない景色が広がっていた。近所の友達のお父さんたちがお酒を飲み、毎年変わらないような会話をしていた。多少歳を取ったがいつも見る顔ぶれの人たちがそこにいた。
そしておそらく来年も再来年もこれは続いていくのだろうと思った。
 
そう感じた瞬間に私は急に恐ろしくなった。
 
「ここにいる人たちは自分の10年後、20年後の姿だ」
 
自分もこのまま高校を卒業し専門学校に行き、地元の会社に就職し、結婚して子供が出来たら、この街から出ることはおそらく一生ないだろう。
そして毎年この祭りに参加し「お前も大きくなったなあ」なんてことを今度は自分が近所の子供たちに声をかける側に回るに違いない。
 
そう考えたときに急に自分の将来が既に決まってしまっているような感覚になった。
 
「18歳で自分の将来が決まるなんて絶対に嫌だ」
「自分もこの街を出たい」
 
初めて生れ育ったこの街から出たいという衝動が生まれた。
そして自分も大学に行こうと考えるようになった。
自分が将来何をしたい、何を勉強したいなんてことを考えたわけではなかった。とにかくこの街からでなければ、自分の人生は18歳で全て決まってしまうという恐怖から逃げ出したいという、ただそれだけだった。
 
ところがこれまで勉強をしてこなかった影響は予想以上だった。
高校を卒業して予備校に通い始めたときに初めて受けた全国総合模試は総合得点34点(500点満点中)、偏差値24という結果だった。
しかしショックだったかというと、そうでもない。というよりその結果がどれほどヤバいレベルなのかを当時の自分は判断することすらできなかった。なぜなら自分の成績を偏差値で測られたのはその時が初めてだったからだ。
 
それから勉強を開始してようやく自分のレベルに気がつき、そこからは猛勉強をした。しかし大学に入るまでに結局3年かかり、21歳の時にようやく東京の私立大学に受かり上京を果たした。
 
普通に大学受験して受かった人からすれば、大学に受かったくらいどうという話しでもないと思うが、高校3年生の祭り前までの自分からは全く予想すらすることができない結果だった。
 
今思えば高校3年生の「祭り」が人生の転換点になったと言っても過言ではないかもしれない。そして今プロのコーチという仕事をしている自分からすると、あの時が「過去思考」から「未来思考」変わった瞬間だったということがよくわかる。
 
祭りの前までの自分は完全に「過去思考」の人間だった。
自分のこれまでのテストの成績や、通っている高校のランク、そして自分の周りにいる友達や、高校の先輩と言った、過去の自分と関係の深い要素から自分の将来を決めていた。
「この高校に通っている自分が大学に行くなんてあるわけない」
と無意識のうちに過去の実績から自分の将来を見ていたのである。
 
ところが祭りに参加した時に、幼なじみが「東京の大学に行く」と言った瞬間に自分中の選択肢に「東京」「大学」というキーワードが入り、新しい価値観が構築された。
過去の実績から出来そうな未来を予測するのではなく、過去の実績を度外視して未来のゴールを想像して、行動を起こすという発想に切り替わったのだ。
 
この過去の実績から可能性の高い未来を選択することを「過去思考」、過去の実績を考えずに自分の成し遂げたい未来を想像し行動することを「未来思考」という。
しかし人は放っておくと「過去思考」に変わってしまうという特徴があり、とても厄介なのだ。
 
例えば今の仕事が安定していて、それなりのポジションで収入が稼げていたら人はリスクを冒してまで新しいことにチャレンジしようとは思わない。人は基本的にリスクを冒して危険な状態になることを本能的に避けるように出来ている。
だから長い間会社の中にいると、自分の会社での過去の実績から判断して将来を予想するようになる。
 
「今のまま行ったら、あと〇年で部長になれるな」
「この会社では40代になったらだいたい年収〇百万くらいだな」
 
など、過去の実績元に将来の自分を予測するという考え方は、殆どの人が当たり前に行う思考なのである。
 
そしてコーチングをしていると殆どの人が「過去思考」で物事を考えていることが良くわかる。多くの人が本当は「何かしたい」という気持ちはあるのだが「現状から考えると難しいかもしれないから止めておこう。でもな~」という具合に悩んでいるのである。
 
例えば、学歴がない、知識がない、資格がない、家族がいる、年齢的に、過去に成功したことがない、などあらゆる過去の実績と照らし合わせて物事を考えている。
そして自分のやりたいことと、これまでの実績とのギャップに悩んでいるのだ。
 
しかし実際には「過去の実績がないからできない」というのは単なる思い込みであることが殆どだ。思い込んでいるから、目の前にある情報の中でも「できない理由」ばかりが目につき「やはり自分には無理だよな」と考えてしまうのだ。
 
そうではなく、自分が何かしたいことがあるのでれば、いったん過去のしがらみは捨てて、自由な視点で未来を見ていく「未来思考」が必要なのだ。
 
例えば皆さんもご存じの「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」の創業者であるカーネル・サンダースは65歳でKFCを立ち上げて世界的なチェーン店にまで成功させたのは有名な話しである。
 
ちなみにカーネル・サンダースの本名はハーランド・サンダースという。
「カーネル」はアメリカのケンタッキー州で名誉市民に与えられる称号で、陸軍の大佐という意味の「カーネル」とは関係がない。
 
つまり「ケンタッキー・フライド・チキン」は「ケンタッキー州の揚げ鶏」で、「カーネル・サンダース」は「ケンタッキー州の名誉市民のサンダース叔父さん」という意味なのだ。
 
話しはそのカーネル叔父さんに戻る。
彼は完璧な「未来思考型」の人間だ。KFCを立ち上げるまでに彼は40回以上の転職をしている。まともに定職に就いたのは40歳を超えてからだ。
 
1920年代にガソリンスタンドの事業を開始し、時流にも乗って順調に業績を伸ばすことができた。しかしその後1929年の世界恐慌で事業は倒産。そしてもう一度再起を図ってガソリンスタンド事業を始めたときにレストランを併設し、そこで自家製のフライドチキンを売り出したのがケンタッキー・フライドチキンの始まりである。
 
ところがお店の目の前の国道に突然迂回路ができ、車の流れが一気に変わってしまい、レストランもガソリンスタンドも再び倒産するという災難に見舞われた。
 
この時カーネル叔父さんは65歳。もう引退してもいい年齢だったが年金だけではとても暮らしていくことができず、再び事業を興そうと試みたのだ。
そして今度はオリジナルチキンのレシピを売ることを思いつき、アメリカ中のレストランに売り込み始めた。一説にはその数は1000を超えたらしい。
 
言っては何だが65歳で財産を全て失った男性が1,000店舗の飛び込み営業を行うなんて普通に考えたらありえない話だろう。彼はその間ワゴン車一台で車の中で寝泊まりしながらレシピを売り続けたのである。
 
しかし彼のレシピは少しずつ評判を呼び、フランチャイズの基礎が出来上がり始めた。そして74歳でフランチャイズ権を売却した時には600店を超えるまでになっていた。
その後も90歳で亡くなるまで世界中を飛び回りKFCの普及に努めたのだった。
 
恐らく彼が少しでも「過去思考」で発想していたら、KFCの成功はあり得なかったはずである。40回も転職すること自体、彼が「未来思考」であることを物語っている。
「過去思考」で考えたら40歳のころには、もう自分と家族の食い扶持を稼げる安定した仕事に就ければ何でもいいとなりそうだが、彼は40歳を過ぎてからガソリンスタンド事業、モーテル事業、レストラン事業、KFCのフランチャイズ事業と新しいことに次々と挑戦している。
 
これは彼が自分の将来を過去の実績ではなく、自分が叶えたい未来の姿を想像して行動していたからに違いない。
残念ながら彼が本当に成し遂げたかったゴールが何なのかは分からない。しかし、少なくともKFC事業が軌道に乗り始めてからは「世界中にKFCを広め、自分のレシピで調理されたチキンを食べて喜んでいる人たちを増やす」と言ったゴールイメージを持っていたのではないかと思う。
 
人は実際には大きな可能性を秘めているが、それを「過去思考」のままだと発揮することは難しい。「未来思考」で物事を考え行動していかない限り、自分の将来は自分のこれまでの実績の延長線上のものしか手にすることができない。
 
ではそのために何をすればいいのか?
それは「現状の延長線上にはない『自分がどうしても叶えたいゴール』」を設定することである。
 
そうすると脳はその達成方法を考え出すために情報を集め始める。今まではなら気づかなかった方法に気づくことができるようになるのだ。
それはフラっと立ち寄った本屋で手にした本に書かれているかもしれないし、人と話しているときに突然ひらめくかもしれない。
 
しかしいきなり現状の延長線上にないゴールを設定するのは難しいかもしれない。
その場合は、いま自分の考えられる中で最も現状の外にあるゴールを設定するでも構わない。とにかく今までの自分では成し遂げられないが、どうしても叶えたいゴールを探すのである。
 
人は自分が叶えたいゴールを設定することで、今までとは違ったアイデアが思い浮かぶようになる。そしてこれは何歳であっても、いまどんな仕事をしていようと関係がない。
「未来思考」になるのに過去の実績は関係がないのだ。
 
カーネル・サンダースが65歳からKFCを世界的なチェーンにしたように、私たちも自分のポテンシャルを信じて「無地のノート」に自由に自分の叶えたい未来を描いてみてほしい。
 
きっと数年後には今からでは想像できない未来が待っているはずだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
大手人材ビジネス会社でマネジメントの仕事に就いた後、独立起業。しかし大失敗し無一文に。その後友人から誘われた障害者支援の仕事をする中で、今の社会にある不平等さに疑問を持ち、自ら「日本の障害者雇用の成功モデルを作る」ために特例子会社に転職。350名以上の障害者の雇用を創出する中でマネジメント手法の開発やテクノロジーを使った仕事の創出を行う。現在は企業に対して障害者雇用のコンサルティングや講演を行いながらコーチとして個人の自己変革のためにコーチングを行っている。

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2021-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,119

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