週刊READING LIFE vol,119

「不安や心配事は少ない方が幸せである。幸せは広告の裏面に隠れている」《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》

thumbnail


2021/03/15/公開
記事:久一 清志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は恐怖に怯えていた。
突然、2カ月後に開催されるマラソン大会への選考通知が届いたのである。
その大会は、私にとって特別なものであり、普通のマラソンとは違う超ウルトラマラソンであった。
42.195キロを超えるマラソンのことをウルトラマラソンと呼び、
100キロを超えるマラソンのことを超ウルトラマラソンと呼ばれている。
 
「2ヶ月前に言われても……」
 
本来は、半年も前に届くのが通常である。
私の場合は、補欠での合格であったために2ヶ月前となった。
ただのキャンセル待ちである。
最後の合格者であったのだろう。
選考に通ることなどは、はじめから考えてもいなかったため、すっかり忘れていた。
 
「一生に一度だけでいい」
 
生涯の目標にしてきたあこがれの大会である。
出場するからには絶対に完走したい。
辞退する選択肢はなかった。
しかし、本番までに2ヶ月の期間では短すぎる。
通知を受けた喜びは、緊張感を通り過ぎて恐怖感に変わっていた。
 
何か新しいことに挑戦しようとするとき、不安はつきものである。
 
失敗したらどうしよう……
 
不安を自信に変えるにはどうすれば良いのか?
今までもそんなことを考え続けてきた。
できる限りの準備をすることが最善の解決策であると思い込んでいた。
決して、間違いではなく、正解であった。
けれども、万全の準備をしたつもりであっても、不安が消えたことはなかった。
 
ここまでやったのだから、大丈夫。
ダメだったらしょうがない。
 
開き直ることで不安を和らげてきた。
また、できるという根拠のない思い込み持つことで補っていた。
しかし、大きな効果を感じることはなかった。
 
頭の中で考えて、行動に移す。そればかりを繰り返し行なってきた。
勉強を嫌い育った習慣は、机に座って考えるということを後回しにした。
例えば、論理的にものごとを考える。思考を整理する。
考え方や考える方法を知らずに無手勝流に行なっていただけである。
思いつきであったり、誰かの聞いた話であったり、本に書いてあることをそのまま真似たりした。
それはそれで、やらないよりはマシであった。
けれども、薄っぺらい解決策にすぎなかった。
 
不安は、期待の裏返し。
不安が大きいほど、期待が大きいということ。
期待感を楽しみにすることで、不安を消そうとも試みた。
成功した時のことを頭の中に浮かべて、脳を喜ばせる。
イメージトレーニングである。
それなりの効果を感じた。プレゼンテーションの発表やスポーツの大会などの場面には有効だった。
自己採点で平均点以上の点数が取れれば満足できた。
低ければ、次の不安につながっていった。
 
また上手くいかなかったらどうしよう……
 
2回目の挑戦であったとしても不安はついてくる。
1度目に自信を得られなければ、経験値だけで不安は相殺されなかった。
 
人に何かを伝える際に、論点がずれて上手く伝わらない。
スポーツにおいても、同じ失敗を何度も繰り返して、結果が出せなかった。
簡単なことでは、成功に結びつくこともあった。
けれども、成功の体験は全ての課題に通用するとは限らなかった。
相変わらず、無手勝流の考え方であった。
 
37歳の時にマラソンを始めた。職場の先輩に勧められたことが動機づけとなった。
私が大病をした時に、誰よりも早く見舞ってくれた親しい先輩である。
将来への健康不安と運動不足を解消したいという想いが挑戦する気持ちを奮い立たせた。
1日5分。自宅周辺を走ることからはじまった。子どもの頃から走ることが苦手であったため、続けることに力点をおいた。距離や時間や速さには関係はなく、毎日走るということを目標にした。
2年が経過した頃に、やっと普通のマラソンを完走できるようになった。
 
春の穏やかな朝、満開の桜を楽しみながら河川敷を走っている時、見知らぬランナーに声を掛けられた。
長身で帽子とサングラスが良く似合う紳士的な男性だった。
約20キロの距離をゆっくりと走りしながら、たくさんの話をした。
初心者の私は調子よく、多くの質問をした。
とても丁寧にわかりやすく的確に答えてくれた。
しかし、練習の方法だけは参考にならなかった。レベルが高すぎたのである。
別れ際、2週間後にある大会に参加するという話を聞いた。
その大会名は、さくら道国際ネイチャーラン。
通称、さくら道と呼ばれた。初めて知った大会だった。
帰宅後、インターネットにつなげて調べてみた。
さくら道には、小学校の国語の教科書に掲載され、映画やドラマにもなった有名なストーリーがあった。
けれども、初心者の私には意味がわからなかった。理解ができなかった。
 
何なのだ、この大会は!
 
名古屋城から金沢兼六園まで、国道156号線を北上し、愛知県、岐阜県、富山県、石川県の4つの県をまたぎ、250キロを走る大会だった。しかも平坦な道ではなく、山を越えていかなければならない。
しかも、制限時間は36時間。
国内最高峰と評される超ウルトラマラソンであった。
「自分も元気になって、いつかこんな大会に出られるようになれるといいなぁ」
そんなことをぼんやりと思った。しかし、他人ごとに過ぎなかった。
その2週間後、その男性は総合優勝を果たした。
 
あれから、5年の月日が過ぎた。ついにその日がやってきた。
私がその大会に出場することが決まった。厳しい選考を通過することができたのである。
素直には、喜べなかった。なぜなら、不安を通り越して恐怖に襲われたからである。
250キロの道のりを制限時間36時間以内で走らなければ完走できない。
定員120名で、日本人は100名。選ばれし者の集まりである。
一度、リタイアすると3年間は選考を受けることができない厳しいルールがある。
「やるしかない」
恐怖から逃れる方法は、練習すること以外には思い浮かばなかった。
練習さえしていれば、不安から逃れた。
得意な根性論で乗り越えることしか知恵がなかった。
止まるとまた恐怖に襲われた。
ここで、あの男性から聞いた練習方法は、極めて参考になった。
「絶対完走」
考えるより、身体を動かしている方が楽だった。
それは、現実逃避を意味して、開き直っていた。
強い気持ちはあるものの、自分と向き合うことからは逃げていた。
 
人間は生き物であり、疲労がたまる。
練習のやり過ぎは怪我を招く。休まなければ、長くは続けられない。
休むとまた、恐怖に襲われる。この繰り返しで1ヶ月が過ぎた。
この恐怖は、さらに私の練習に油を注ぎ、肉体を追い込んだ。
その結果、体力的にも精神的にも疲れ果てた。
長年培ってきた私の根性論も、今回ばかりは困難であることがわかっていた。
だからこそ、恐怖なのである。
 
「何が恐怖なのか。どうなれば、恐怖から逃れられるのだろうか?」
 
疲れ果てた身体は、立ち止まって冷静に考えるという次の行動に変わった。
いつになく、リビングのテーブルの前に座っていた。
恐怖に思えるものは、失敗することである。
マラソンでいうとリタイアすることであった。
リタイアをしなければいけなくなる要因は何なのか?
考えられるものを徹底的に洗い出すことにした。
想像することだけで、頭の中を整理できるほど賢くはない。
気がついたら、目の前にあった、広告の裏面に鉛筆で書いていた。
仕事でやらされるブレーンストーミングと同じように書きまくった。
書き方にルールはない。マニュアルもない。ここでも無手勝流は活きた。
大きなくくりでは、体調、気温、怪我、コース間違い、眠気などがあげられた。
足が痛み。胃の不調。体の発汗と冷え。足のけいれん。エネルギー不足。脱水。
言葉に書いていくと、頭の中で整理のつかなかった不安も目に見える形に変わった。
書き進めていくうちに、不安を招く材料が出揃っていった。
目に見えるかたちで、言葉にすると整理された。
けれども、まだ物足りなさを感じた。まだまだ不安が消えなかったからである。
紙に書いた言葉は、平面図を見ている感覚に似ていた。
 
到達する点により、危険を招く要因は変わっていく。時間の流れと高低差があるからである。
高低差を考慮する為には、立面図が必要であった。
横軸を距離。縦軸を高さにとって、もう1枚の紙に下手な高低図を描いてみた。
目に見えてわかりやすくなった。図に言葉で対策を追記していくと、よりわかりやすくなった。
こうしてチラシの裏に書き、描いた2枚のらくがきができあがった。
 
危険要因は、1つ1つ対応策を書いていくことで解決策になった。
体調は、前日までの睡眠と休養、食事をしっかりと整えて疲労をためない。
気温は、現地の予報を確認する以外にも、過去の大会における温度差を確認し服装を選ぶ。
怪我は、無理をしたときに生じやすいため、丁寧に走る。
コースを間違えると致命傷。ポイントを抑えて、難しい場所は地図を持つ。
回りのランナーを探して着いていく。
眠気はカフェインでしのぐ。大会10日前からはカフェインを断つ。
その他、胃薬や塩あめを常備し、経口補水液やエネルギージェルなども活用する。
寒さ対策は、ゴミ袋を活用する。首元と両腕が出せるようにできれば完成する。
不要ならば、処分できる。風雨を防ぐこともできる。それに軽くて暖かい。
書けば書くほどに、何でもアイデアは出てきた。
恐怖をしのぐ対策は、充実度を増して作戦に変わっていった。
 
このようにして挑んだ、初めての「さくら道」。
結果は35時間10分。無事に完走をすることができた。
ゴールの後、5年前に河川敷で出会った男性と再会した。私の完走を心から喜んでくれた。
この男性との出会いは、私の人生を変えた。
書くことによる作戦は、生涯に一度と夢みていた「さくら道」を5回の連続出場と、すべての完走という記録に結びつけることにつながった。
 
人生において、何かと節目というものがある。
節目を迎えると、環境が大きく変わる。
何かが終わり、何かが始まる。
喜びもあり、寂しさもある。
あきらめもあるかもしれない。
節目は、好むと好まざるとに関わらず訪れる。
突然、寸断されて向えることだってある。
何かを止める時の節目は、自分の決断でもあり、新しい出発でもある。
今まで築き上げてきたものを辞めるときや失うとき。
自分がフォーマットされる。
 
私は人生において、2度フォーマットした。
人生のフォーマットとは、価値観の変化による人生のやり直し。
過去の全てを跡形もなく消去する。
全てを捨てる。生まれ変わる。丸裸になることを意味した。
 
「2度死んだ!」
 
2度の大病をした。
今、生かされていてわかったこと。
 
「人生最大の節目は、死期を迎えることである」
 
はじまりも終わりもない。人生最大の恐怖を感じることになるだろう。
「死ぬことなんて怖くも何ともない!」という人がいる。
そんなのは、嘘である。恐怖への裏返しに過ぎない。
 
この恐怖にどう立ち向かうかを考えることの方が前向きで有意義である。
誰もが避けて通れないテーマである。
だからこそ、考えて欲しい。
 
その方法として、らくがきすることをお勧めする。
私の2度の経験に、らくがきはなかった。
だからこそ、らくがきをして欲しいのである。
 
どういう死期を迎えるのか!
 
この答えを持っているのと持っていないのとでは、これからの生き方が変わる。
その答えをらくがきするのである。
また、その考えも日々変わる。人生観だからである。
人に見せる必要はない。残しておく必要もない。
不要であるならば、描き終えた後に、自分の中にとどめて捨てればいい。
 
自分の考えを整理するとき、何かの節目を迎えたときに
何度も何度も、らくがきをするのである。
死に向かって生きている中で、人生観を確認することは、生きがいにつながる。
自分の生きている意味を確認することができる。
自分を大切にして、無駄な生き方をしなくなる。無駄な時間を過ごさなくなる。
 
私が言っているらくがきは、人生を後悔しないための準備であり、
死ぬまでの間に、やりたいこと、やらなければならないこと。
また、それらを見つけるために書くことを意味する。
死への恐怖を和らげることを目的にするものではないため、その効果は薄いと類推する。
けれども、やらないよりは絶対にやった方がいい。
 
余命を宣告されると終活ノートという雛形にそって書く人も居る。
私にその経験はない。
終活ノートは、死を迎えるための最期の準備だ。
私も余命が決まれば、終活ノートに浮気をするだろう。
 
「いい人生だった」と思えるためには、余命が決まってからでは遅すぎる。
後悔することは、リスクであり恐怖なのである。
本当の恐怖は、死ぬことではなく、病気や老化と闘うことなのである。
そうであるならば、病気にならないための対策、老化と闘うためのらくがきしなければならない。
どんなときでも、らくがきは、考え方を整理して、自分を前向きにさせることに有効である。
 
できごとのすべてを想定内におさめること。想定外をつくらないこと。
考えてもどうにもならないことは考えない。
リスクを最小限抑えること。
100点を取ろうとはせずに、70点を確実にとる。0点にはならないこと。
視覚化することで、イメージがより鮮明になる。
瞑想にもつながる。言葉にすることで自分の中に入ってくる。
 
あらためて思う。書くことの力。描くことの力。目に見えるものの力。
らくがきするときの紙面は、罫線や升目はないほうがいい。
色はあってもいい。私は色があるほうを好む。
鉛筆で書くほうがいい。消しゴムもあるほうがいい。
書く、描くだけに留まらず、シールや写真を貼るのも面白い。
型にはまらずに、自由度が増すからである。
 
人生は、不安や心配事が少ないほうが幸せである。
その要因は、お金と健康と人間関係の3つのみである。
私のらくがきという言葉のイメージは、落がきではない。
楽描きである。
楽しく前向きで豊かな人生を描いて欲しい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
久一清志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ。2020年11月ライティング・ゼミ「秋の集中コース」を受講。
継続してREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部での受講を決意し勉強中。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2021-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,119

関連記事