週刊READING LIFE vol,120

着ぐるみからの卒業《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》


2021/03/22/公開
記事:山﨑陽子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
鍋の中でおいしそうなビーフシチューがグツグツと音を立てていた。今日のビーフシチューはいつもより手が込んでいておいしそうに出来たと自分でも自画自賛していた。
その鍋を火からおろして食卓に移動するときに私は手を滑らせてしまった。毛足の長い白いじゅうたんの上に鮮やかな色をしたビーフシチューが派手に飛び散った。ほんの一瞬の出来事に私は呆然とした。が、すぐに恐怖心が勝った。あたりに飛び散った熱々のジャガイモやニンジンを素手で拾い上げて布巾を持ってきて辺りを掃除する。
時計を見ると6時45分。この状況をなんとか、何もなったようにすることに必死だった。毛足の長いじゅうたんの中に細かく入り込んだルゥーを拭きとる。においも辺りに充満している。窓を開けて、換気扇も回す。
なんとかビーフシチューは夫と子供の分はありそうだ。大丈夫。お皿に盛りつけて食卓に並べる。最初からこうすればよかったのに……と自分を責めた。
6時55分。間に合ったと思ったら壁にもルゥーが飛び散っているのが見えた。慌ててふき取り、窓を閉めて換気扇も止めた。
7時を少し過ぎたところ。夫の部屋をノックする。
開けて急いでいつもの決まり文句をいう。「ご飯できました」
すると開けたドアの向こう側には夫が立っていて私の顔を見下ろして冷たい目で見ていた。
「チッ」と舌打ちをして私を置いて行ってしまった。
 
怖い夢だった。大きくため息をつきながら目覚まし時計を見る。朝の7時だった。
呼吸が荒い。まだこんな夢を見るのかと日曜日の朝から落ち込んでしまう。
耳元で鮮明に聞こえてくるあの舌打ちがとっても嫌だ。起き上がってカーテンを開けるとシトシトと雨が降っている。こんな朝はすっきりと晴れていてほしかった。

 

 

 

晩御飯は夜7時。
結婚した時になんとなくこの家には暗黙のルールで晩御飯は7時に出来上がって「晩御飯できました」と言わなければいけない雰囲気があった。
大きな家の二世帯住宅の二階に住む私は下に住む夫の父と母がやっているように、同じような生活リズムで生活するものだと思いこんでいた。
だから私も義理の母のように夜7時には「ご飯できました」というように染みついていた。

 

 

 

夫は気に入らないことがあると大きな声で怒鳴るか、突然無視をする。
何がきっかけで、何が気に障ったのか、一緒に居ても全くわからない。
夫婦なんて一緒にいれば阿吽の呼吸で言葉なんか交わさなくてもわかるようになるなんて誰が言ったのだ? 教えて欲しい。言わなくても分かる方法ってやつを。
そんな魔法みたいなことあるのか??? 世の中の奥さんはみんなそんな魔法を使って結婚生活をしているのか? その魔法は誰に教わった? どうやって使いこなすの? 私はそんな魔法を知らなかった。周りのママ友はみんなうまく魔法を使って旦那さんをご機嫌にしているのだと思っていた。そんな魔法が使えない私は「落ちこぼれ」とういレッテルを自分で自分に張り付けた。
 
私たち夫婦はいわゆる年の差婚と言われる夫婦だった。夫は会社でもたくさんの部下を従えて仕事をする人だった。その姿を部下の一人として見ていた私は『仕事のできる上司』として尊敬していた。尊敬が憧れになってお付き合いが始まった。
今思うと、周りの人たちは冷ややかに私たちのことを見ていたと思う。
「あいつはやめとけ」とストレートには言ってこないけど、やんわりとオブラートに包まれた言葉で言われていたと今なら思う。若い私はそんな言葉は耳に入ってくることもなく恋の熱に侵されていた。恋は盲目なんて言葉があるのだから、世の中には私みたいな人がたくさんいると思う。
今の私があの時の私を見たら周りの人たちと同じような言葉をかけていたと思う。
 
元々、上司と部下の関係性で始まった私たち。付き合っていたころ、一番仲が良かったのかもしれない。運転が好きな夫は私が行きたいというところには、必ず連れて行ってくれた。年の離れた男性ということで私は頼り切って甘えていた。いろんなことを話していろんなことを聞いた。そんな時間はとっても楽しかった。
 
そんな関係が結婚して時間が経て、現実となると一気に崩れていった。
家庭でも上司と部下のような関係に戻ってしまったのだ。
大きな家の二世帯住宅。夫の両親は良い人だったが、理解はできなかった。
今まで育ってきた環境が違いすぎて、夫の両親とも私はぶつかった。
若くて血気盛んな私は遠慮なく言いたいこと言っていた。でも若い私が言うことなんか聞き入れてくれることもなかった。
夫ともぶつかるたびに「おまえが悪い」「俺に謝れ、謝るまで許さない」と言う。
それに応戦していた若い私もだんだんと「この場が収まるなら……」と意味も分からず謝った。
その時は「『ごめんなさい、と言えば気が済むなら言ったほうが早いな』という感覚だった。
 
結婚して数年が経った時。いつもは簡単に、作業的に「ごめんなさい」と言っていた私がどうしても許せないことを言われて大きな声でけんかして言い合いになった。すると下から義母が上がってきてけんかを止めた。「あんたたちやめなさい」といって取っ組み合う私たちを離れさせてこう言った。
 
「あんたが悪いのだから謝りなさい」
 
明らかに義母は私の顔を見て言っている。最初、何を言っているのかわからなかった。でも、義母はこの状況を収めようと言っているのはわかった。「でも……」と私が言う言葉を遮って義母は夫に言ったのだ。「ごめんな。この子が悪いから許してあげて」と言って私にも頭を下げるように促した。
私は唇を噛みしめて、涙を流しながら訳も分からずあっけにとられて頭を下げた。
その瞬間けんかは収束したが、私の中の私が死んだ。
 
その頃から私は「ニセモノの私」という着ぐるみを着るようになった。出かけて友達に会ったりするときはその着ぐるみを脱いで「ホントウの私」として笑った。でも帰ってきて車を止めて、家に入る前にはちゃんとその着ぐるみを着てファスナーを閉める。
そうやって自分で自分を使い分けないと夫婦としてやっていけなくなった。重い、重い着ぐるみを着ることにだんだんと慣れてきたら何の抵抗も持たなくなってしまった。
それが洗脳時代の始まりだった。
 
洗脳時代はとにかく夫が怒らないように気を付けた。先回りをして怒りそうなポイントの芽をつんだ。それは子どもたちにも強要した。「これをしたらお父さんが怒るからやめよう」と子供の可能性までもつんでしまったようなこともあったかもしれない。
時として、その怒りそうなポイントの的が外れることもあった。そんな時はとにかく謝った。
義母から謝ることを促されて以来、誤ることに何の感情を持たなくなった。
それはまるでコンピューターにインプットされた作業な様だったと今なら思う。
でもあのころの私は必死だった。
 
そんな洗脳時代から抜けるきっかけがあった。
子どもがサッカーを習うようになってたくさんのお父さん、お母さんと出会った。
そう、一気にたくさんの「夫婦」と出会ったのだ。
うちとは逆のお母さんが強い夫婦。お友達のような夫婦。学生のころから付き合って結婚した夫婦。結婚していたけど離婚したシングルマザーもいた。いろんな夫婦の形を見た。その中でだんだんと自分の夫婦の形がいびつな形をしている気がしてきた。
「隣の芝生は青い」という言葉があるが、それを差し引いてもやっぱりおかしいと思ったのだ。
いや、おかしいと思いながらも重い着ぐるみを着て過ごしていた私は誤魔化しながら自分を正当化していたと思う。
「このままこんな着ぐるみを着て夫婦をしていてもいいのだろうか?」
という自分の声が聞こえた。でも聞こえないふりもしていた。
その頃、義母が突然亡くなった。
もう私たちのけんかを止める人はいなくなった。
 
止める人がいなくなって私たちは「けんかの終わらせ方」がわからなくなった。
目も合わさず、会話もなくなった。
ただ私が言うことは夜の7時になったら夫の部屋のドアを開けて「ご飯できました」と言うだけになった。返事はなく黙って部屋から出てきて、ご飯を食べてまた部屋に戻る夫を見ると「この冷戦状態でもいいかもしれない」と思ったが、子供たちの顔を見るとなんだか申し訳なく思えて胸が苦しかった。
 
もう洗脳時代は終わっていた。一度聞いた自分の本当の気持ちがフツフツと地面の下でマグマのように息を潜めていた。夫は一向に謝って来ない私に業を煮やして自分の気持ちを丁寧にパソコンに打ってプリントアウトして机の上に置いてあった。
丁寧にパソコンで打っているところが夫らしかったが、書いてある内容はとても乱暴に書きなぐっていた。「改行ぐらいしてよ」と、どこか冷静に読む私は怒りも悲しみもなく「あー、疲れた……」という気持ちに初めてなった。
そのパソコン打ちの文面を引き金に、私は夫婦を辞める覚悟を決めた。

 

 

 

パソコン打ちの文面を読んだあの日から約二年後。
私は着ぐるみを脱いだ。
世の中、いろんなことが変わり始めるタイミングで私の身の回りもガラリと変わった。
そのタイミングでいろんなものを手放した。今まで持っていたものを手放して身軽にならないと前には進めなかった。手放すことに覚悟は必要だったけど、意外となくても大丈夫なものが多かった。
 
夫が最後に私に言った。
「おまえは逃げるんだろ」
確かに逃げたのかもしれない。
でももうこれ以上は夫婦を続けるのはしんどかった。
世の中、いろんな夫婦がいて、いろんな形があって、いろんな我慢をしている夫婦がいる。
 
たぶん、夫の思う夫婦の形と私が思う夫婦の形がハマらなかったのだと思う。
夫は自分の形を崩したくなかった。
だから私は着ぐるみを着てまでもその形にハマろうとしたのだと思う。
若い時はそれができた。勢いもあって体力でカバーできた。
 
でも人生の後半戦を迎えた今。
もう若くないし体力で何とかなることにも無理がある。
着ぐるみを脱ぐならもうこのタイミングを逃したらずっと着たまま人生が終わる。
でも、あのまま着ぐるみを着て人生が終わったとしたら、きっと棺桶の中で私は後悔したはずだ。
「私、夫の機嫌ばかり気にして自分のこと大切にしてこなかった」と。

 

 

 

逃げたのではない。気が付いた。それだけ。

 

 

 

今でもあんな夢を見てしまうのは、夫が私に対して怒っているのだと思う。
夢の中でも舌打ちされる私は相当恨まれているんだろうな。
 
『確かに嫁として、母親として、至らないところがあったな』と自分でも反省点は山ほどある。寝坊したり、言われたことができてなかったり、多々ある。
そこに甘えがあったと自分でも思う。
『夫ばかり悪くて私は悪くない』なんて、とても言えない。
 
何を反省して、何を次に生かすのか。
それが後悔しないこれからの人生の歩み方だと思う。
 
一つ言えることは
もう私は着ぐるみを着ないということ。
 
私は私で生きていくと決めた。
そう言えることは、後悔は何もしてない証なのだと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山﨑陽子〈READINGLIFE編集部ライターズ倶楽部〉

徳島県出身。滋賀県在住。
日々、子どもの食を通して体にいいものとはなにかと考える。いいものを食べるだけでは元気になれないことを感じ心の健康についても考える。これからは食と心の健康を発信できるようになりたいと思っている。

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2021-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,120

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