週刊READING LIFE vol,120

小さな天使が残した忘れられない足跡《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》


2021/03/22/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
その日のことを、私は生涯忘れることはないだろう。
寒い冬のある日、麻酔で眠る直前まで諦められなかったことがあった。
眠ってしまうギリギリまで、私は、何度もあり得ない質問を看護師さんへ繰り返した。
「やっぱり、この子は助からないんですか?」と。
 
その時、私は妊娠3か月だった。長い不妊治療の末に、ようやく授かった第2子だった。
しかもその時、私は44歳。超高齢妊婦だった。
 
私には、娘が一人いる。
娘は、幼い頃から赤ちゃんが大好きだった。
大きくなるにつれ、娘の友達にも兄弟が増えた。
「どうして、うちには赤ちゃんが来ないの?」
そう言われるたびに、何だか娘に顔向けできないような気分になった。
何故なら、私は結婚前に卵巣を手術したことがあり、娘が4歳のときには、子宮の手術もしていたからだ。
娘が生まれてくれたことは、私にとっては限りなく奇跡に近い。
娘にそう問われるたびに、胸の奥がツンとした。
 
子宮の手術をした後、30代も後半になって、ようやく不妊治療に踏み切った。
医師の「不可能ではない」という言葉に、賭けたのだ。
 
それからの私は、実にストイックな生活を送ることになった。
妊婦の体に良いと言われる食品、サプリメントなど、手当たり次第に試してみた。
もし妊娠したときに備えて、具合が悪くても一切薬は飲まなかった。
医師の指示通りに体調管理をし、ただただ妊娠することのみを目標に、超真面目な妊活に邁進していた。
 
私の友人たちは、何も特別なことはしなくとも子供が2人か3人いた。もちろん、欲しくても授からない人からすれば、贅沢な悩みなのは分かっていた。
それでも、まるで修行僧のように自分に厳しい生活を強いていた私にとっては、隣の芝生は青々として見えた。
 
不妊治療は、肉体的にも精神的にも厳しいことが多い。
毎月生理が来てしまうと、努力が水の泡になったようで辛かった。
何とも言えない無力感に苛まれた。
こんなに努力しているのに、叶わない。欲しくてたまらないのに、どうして神様は私に赤ちゃんを授けてはくれないのだろうか?
テレビで子どもの虐待のニュースが流れると、うちに生まれて来てくれれば良かったのに本気で腹が立った。
喉が渇いても、一滴の水も与えられないような激しい渇望感に毎度突き落とされた。
 
体外受精にステージが進むと、それは一層顕著になった。更に努力が必要となったからだ。
私が最後に通っていた病院は自宅からは遠かったため、自己注射が必要だった。
ホルモン注射を毎日自分で打つのだ。筋肉注射だったため結構痛みを伴い、打つときは毎回冷や汗をかいた。
次第に私の足には多数の青あざができ、黄疸のような色になっていた。
 
40代に入ると、妊娠率は格段に下がる。
医師によると、10%にも満たないそうだ。それに妊娠できたとしても、出産まで漕ぎつける可能性はさらに低くなる。
けれど妊娠することしか頭になかった私は、その僅かな可能性に賭けていた。
採卵できた卵子の状態も、年齢の割には良好だと言ってもらえた。それならば、可能性はゼロじゃない。
この時点で、いっそのこと卵子の状態が悪いとか、無理だと言われていたならば諦めもついたのかもしれない。
そうではなかったから、針の穴ほどの確率に、私はしゃにむに縋りついていた。
 
いつの間にか、治療を始めて7年が経っていた。
44歳で、これが最後のチャレンジと思って臨んだ体外受精で、何と私は妊娠することができた。
ミラクルが起こったのだ。私は有頂天になった。信じられないけれど、願いが叶ったのだ。
医師に妊娠を告げられて帰宅するまでの間、フワフワと雲の上を歩くように夢見心地で電車に乗っていたことを、ついこの間のように思い出す。
家に帰って夫と娘に伝えると、みんなで涙を流して喜んだ。
これで、ようやく娘にきょうだいを作ってあげられる。
安堵と、今までの苦労が報われた気がして、一気に肩の荷が下りた気がした。
 
実は妊娠が分かる前に、友人の出産祝いを買いにベビー用品を見に行ったことがあった。
出産祝いを購入した後、何となく売り場を物色していた私は、あるベビー服にとても惹かれた。
「かわいいな」
思わず、まだ来ぬ自分の赤ちゃんが着ている姿を思い浮かべて微笑んだ。
見れば見るほど、何故かそのベビー服に執着が湧いた。
ひょっとしたら、今度こそ赤ちゃんを授かるかもしれないし。
こっそり、そのベビー服を買ってしまった。気が早すぎて家族にも言えなかったから、すぐにクローゼットに仕舞ったけれど。
何だか願掛けのようになったベビー服だったが、やっと出番がきたのだ。
私は嬉しくなって、ようやく夫と娘にベビー服をお披露目した。
 
しばらくして、母子手帳も受け取り、職場にも報告した。
季節は冬に向かっていたから、とにかく冷えないようにと体調にも更に気を配った。
妊娠4か月目に入ると、流産のリスクはグッと低くなると聞いていたから、それまでは何とか乗り越えねばと気を張っていた。
 
妊婦健診に行くのが、楽しみになった。不妊治療の病院から、地元の産婦人科へ転院して診てもらうことになった。娘を出産した病院だから、先生も馴染みで安心感があった。
エコーに映される、まだまだ小さな姿。けれど、小さくとも心拍が分かると愛おしさが増した。
まだ人の姿には見えないけれど、確実に私のお腹に赤ちゃんが宿っているのだ。
写真をもらうと、嬉しくて何度も何度も見返していた。
今まで治療のために病院に通っていたときとは、天と地ほどの差があった。
 
次の健診の日、今度はどの位赤ちゃんが育っているのかワクワクしながら病院へと向かった。
しかし、先生から告げられた言葉を、私はにわかには信じられなかった。
 
「赤ちゃんの心拍が見えません」
そんなはずはない。前回までは、元気に心拍を刻んでいる姿をエコーで確認できたではないか。
エコーの角度で見えないだけではないのか? たまたま分からなかっただけに違いない。
私は、先生に縋りついた。
「そんなはず、ありません。この間まで元気に動いてるって言ったじゃないですか!」
目の前が真っ暗になった。この最後のチャンスを失うわけにはいかないのだ。
 
「もう一回見てください。お願いします!」
先生は、気の毒そうな顔で私を見つめた。何を言っても受け入れられない状態の私に、先生は近いうちに不妊治療の病院へ再度受診することを勧めた。
 
どうやって、家に帰りついたのか覚えていない
ただ分かっていることは、お腹の赤ちゃんの心拍が止まってしまったということだけだ。
きっと悪い夢を見ているのだと思った。
夢から醒めれば、相変わらず赤ちゃんは私のお腹で育っていて、順調に出産できるはずなのだ。
 
一縷の望みを託して、不妊治療の病院へ向かった。
愚かにも、私はまだ赤ちゃんが無事であると信じたかったのだ。
息を吹き返し、何事もなかったかのように心拍を刻んでいる赤ちゃんをきっと確認できるはず。
祈りにも似た気持ちで、診察の順番を待った。
 
結果は、変わらなかった。
ここでも、心拍停止だと言われた。稽留流産といって、早期流産になると言う。
赤ちゃんがお腹に留まったままだから、流産の手術をしてお腹から出さなければならないと告げられた。
もう何にも頭に入ってこなかった。
ただ、手術の日程だけを選ばねばならなかった。
 
何が、いけなかったんだろう?
知らず知らずのうちに溢れ出していた涙と共に、激しい後悔が襲ってきた。
超高齢妊婦ということもあって、かなり用心して生活していたつもりだった。
重い物だって持たなかったし、走ったりもしていない。
食べ物だって気を付けたし、それから、それから……。
自分の行動を振り返ってみても、流産の原因が思いつかなかった。
よろよろと診察室を出た私を、看護師さんが温かく励ましてくれた。
「お母さんのせいじゃありません」
そう言われても、全く気持ちは軽くならず、自分を責めることしかできない。
何か原因を見つけ出さなくては、こんな結果を受け入れられなかったのだ。
 
そして、迎えた手術当日。
この期に及んでも、私は赤ちゃんをお腹から取り出すことを渋っていた。
頭では分かっていても、感情が追いついていなかった。
まだ、夢を見ているのだと思いたかった。
すでに心拍停止している我が子を認めることができず、お腹に留めていれば奇跡が起きるのではないかとどこかで期待したかったのだ。
麻酔で眠るその時まで、私は泣きながら看護師さんにうわごとのように訴えていたそうだ。
「まだ、この子と離れたくないんです」と。
 
それからしばらく、失意の日々が続いた。
憑き物が落ちたように、私は空っぽになった気がした。
自分では気づいていなかったが、顔色は青白く生気がないと周りから心配された。
 
あのベビー服を見ると、すぐに涙が零れた。
後悔してもしきれない。一体どうすれば、あなたと逢うことができたのだろう?
ベビー服を抱きしめて、自分を納得できる理由探しを続けた。
 
夫と娘は、私の落胆ぶりに心を痛めていた。
娘に至っては、兄弟が欲しいと言ったばっかりに、お母さんに辛い想いをさせたと自分を責めていた。
 
そうじゃない。娘のせいではない。
私が、娘と赤ちゃんが仲睦まじくしている姿を見たかったのだ。
 
私がいつまでも落ち込んでいては、娘に罪悪感を植え付けてしまう。
後悔してはいけないわけではないけれど、後悔ばかりだと起きてしまった過去から抜け出せないし、事実がひっくり返るわけでもないのだ。
いくら悲しんでも、赤ちゃんは戻ってこない。逆に、空の上から心配をさせてしまうかもしれない。
 
そう思ったとき、私は自分の気持ちに折り合いをつけなければならないと反省した。
失ったものは大きいけれど、奇跡的に妊娠できた喜びを味わうことができたじゃないか。
それに何より、私には娘がいるではないか。娘に心配をかけてはならない。
私が元気に過ごしていることを見せることが、空へ還ったあの子にできる供養にもなるのではないか?
独りよがりな思い込みだが、案外それが私には効いた。
 
何にせよ、過ぎた出来事から学ぶことはある。
辛くとも、乗り越えるために。後悔だけでなく、未来を見つめるための糧として。
立ち止まってばかりではいられない。
 
たまに、あのベビー服をクローゼットの奥から取り出してみる。
「お母さんは元気で暮らしているからね」
そう、あの子に報告するために。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

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2021-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,120

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