落合博満が上司の顔色を気にしないためにやったこと《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》
2021/03/29/公開
記事:篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
上司の目を見ながら仕事をして自分の力が最大限発揮できるだろうか?
特に、プロスポーツだと対戦相手を見ていないと試合にならない。でも、同じチームの監督を見ながら試合をする選手はどんな気持ちなのだろうか?
プロ野球球団の中日ドラゴンズは長らく対戦相手よりも自分のベンチを見ていてプレイをする選手ばかりだった。
その原因ははっきりしている。
中日ドラゴンズの選手として通算146勝をマークし、”燃える男”と例えられた星野仙一が監督になってからだ。最初に監督になったのは39歳。
ネーミング同様炎のように対戦相手に向かって燃える男は、選手にも容赦なく怒りをぶつけた。
試合で連打を浴びた自軍の投手を交代するときに怒気をはらんだ表情で審判に告げた後、降板した投手をベンチ裏で殴るのは日常茶飯事だった。特に星野が許せなかったのが相手から明らかに逃げたときだ。
闘志を剥き出しにして戦わないといけない相手に四球を連発した投手には、ベンチに戻ってきたら怒鳴り声でこう告げる。
「こっちこい!」
ベンチ裏に投手を呼び寄せる。すると、すぐにバッチーン、バッチーン、バッチーンと生々しい音が聞こえてきた。星野が選手へ何度も顔面をビンタしているのだ。時にはグーで殴ることもあった。
当時、正捕手だった中村武志は試合中に顔の形が変わるほど殴られ、まぶたが腫れたまま試合に出続けたこともあった。球界最年長の投手として名をはせた山本昌もひどく打ち込まれて降板すると、ベンチ裏に下がった時を見計らって無言でスーッと星野監督が近づいてきて、パンパンッと左右連打の平手を浴びせられたり、不甲斐ないピッチングでベンチに戻るや殴打の嵐を浴びて顔面を腫らし、『この状態で客前には出せぬ』と降板させらたりした経験がある。
ところが、星野は単に怒りを露わにして恐怖支配をしていただけではない。
殴った選手にはもう一度チャンスを与えて結果を出せば使い続けていた。決して一回で見限るような男ではない。他にも活躍した選手にはボーナスも弾んでやる気を出していた。
プロ野球には毎年球団からもらえる年俸の他にも監督賞という賞金がある。
試合ごとに活躍した選手に向けて監督がポケットマネーでご褒美を与えているのだ。星野は現役時代から名古屋の財界人とも知り合いがいて、多くのタニマチと呼ばれるスポンサーがいた。
スポンサーから渡されたマネーをすべて監督賞として選手に渡していたのだ。
通常1試合10万円~30万円なのだが、星野の場合は通常で50万円。大事な試合のときは1試合100万円にまで跳ね上がった。
年俸の他にもそんなニンジンをぶら下げられればやる気になるのは当然だ。監督賞を貰うべく大奮起をして多くの選手がやる気を見せていた。
また、星野は気配りの男とも言われていた。選手の奥さんの誕生日には必ず花束を自宅に送り届けていた。こんなことをする監督は星野しかいない。
よって、星野の暴力は「愛の鉄拳制裁」として評価を受けてきた。
しかし、中日ドラゴンズに星野が残したものは「上司の顔色をうかがう」選手ばかりになったことだ。
一つプレイをミスする度にびくついた顔でベンチを見る選手ばかり。対戦相手を見るよりもベンチの方を見て野球をやる選手だけになった。
サラリーマンの世界でも上司の顔色ばかり伺う部下だけになったらどうなるのか?
恐らくその組織は上司の気に入る結果を出すために何でもやるようになる。例えるならば、上司が望む数字を出すために改ざんくらい平気でするようになるだろう。上司が昇進するための権限を持っているならば尚更だ。
そんな上司の顔色だけをうかがう組織を改善したのは、2003年に中日ドラゴンズの監督に就任した落合博満だ。
落合は選手としても星野仙一の下でプレイをして星野のやり方を全て見てきて、反発を覚えていた男だった。
何せ筋金入りの暴力嫌い。高校時代は先輩からの暴力で野球部を7回退部したことがある。退部をしても大会近くになると「戻ってきてくれ」と頭を下げられる。「もう暴力はないな」と思って戻ると再び先輩からの暴力を受けて退部というのを繰り返していた。
高校卒業後は東洋大学に進学して野球部に入部するもここでも先輩からの暴力が原因で野球部を辞めてしまい大学も退学してしてしまった。
地元に戻った落合は、プロボウラーになろうとしたが運命の赤い糸が再び野球と結びつけた。地元企業に期間工として入社した落合は再び野球を始めて社会人野球で好成績を残してプロ野球のスカウトの目に止まり、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)にドラフト3位で入団。三度の三冠王(打率・ホームラン・打点のリーグトップを取ること)に輝いた実績を持つ。
中日ドラゴンズの監督になった落合が全て選手、コーチ、裏方スタッフに伝えたのは最初の一言だ。
「暴力はどんな理由であれ、一切禁止。何があっても、暴力をふるった時点でユニホームを脱がせる」
というのを全員の確認事項としたのだ。それでも最初は上手くはいかない。試合中もベンチの顔色を見てプレイする選手ばかりだった。
それでも落合は諦めずに選手に「お前さんが意識の向けるのはこっち(ベンチ)じゃないよ。向こう(対戦相手)だよ」と意識付けするようにした。
サラリーマンの世界でいうならば、上司の顔色なんか気にせずに達成するべき目標に目を向けなさいと言っているのである。
そうは言っても上司の顔色をうかがってしまうのは仕方ない。特に当時の中日ドラゴンズのように上司が強烈なキャラクターの持ち主であれば、余計に上の顔色を気にしてしまう。
そこで落合は一つの手を打った。
星野仙一の真逆を始めたのである。
星野はベンチでも喜怒哀楽を選手の前で見せていた。ひどいプレイをすればベンチ内で怒鳴り声を出すし、良いプレイをすれば誰よりも大きな拍手で喜びを表した。
落合も監督就任1年目はベンチで喜怒哀楽を見せていた。勝てば笑顔だし、負ければ悔しい顔を見せていた。
ところが、ある日を境に落合の表情がベンチから消えたのである。
選手がミスをしても口を真一文字にして顔色一つ変えない。勝っても表情一つ変えずに握手をするだけ。
これは選手へのメッセージでもあった。
「選手は監督の顔をよく見てる。どんな時でも俺の表情が変わらなかったら選手も安心するだろ。
ウチの選手、俺の本性知ったら野球になんないよ。闘う相手を間違えてはいけない。ただでさえドラゴンズはそういう野球をやってきた、過去の政権で。
お前らが何しでかしたって怒りゃせんから、安心してプレーしなさいって事。」
つまり、選手にベンチなんか気にするなという伝えたかったのだ。怒ることで選手は萎縮する。思い切ったプレーができなくなる。
自分が感情を殺した方が、選手はいい精神状態を保てると考えからだ。
そして試合後にコメントを求められても決して選手を悪く言わなかった。その事について監督退任後にこう語っている。
「これは8年間、守った。オレが選手の時、外にいろいろ書かれて嫌な思いをしたからな。これは選手との約束。周りは不思議でしようがないみたいだけどな」
つまり、選手との信頼関係を守るために約束は必ずに守ったのだ。ミスをしても怒られないならば思い切ってプレイができる。そうやってベンチからの目を気にしなくなった選手は、落合の予想を上回る結果を出した。
中日ドラゴンズ史上初のセリーグ連覇である。
しかも落合博満が監督最後の年に達成された。8年目の落合はマスコミ対応の悪さ、ファンサービスの悪さなどで観客動員が落ち込んでいることを指摘され、フロントと対立していた。しかも成績は低迷中で昨年優勝したとは思えないくらい負けが込んでいた。
そうした事情が重なって過去に2回のリーグ優勝・1回の日本一と、中日ドラゴンズの歴代監督でもトップクラスの成績を残したにも関わらず来期以降の契約はないと宣告されたのだ。
しかも発表されたのは、優勝争いをしているシーズン真っ只中だ。
フロントのやり方に反発した選手は落合の予想を超えて快進撃を始める。8月2日に首位・東京ヤクルトスワローズと10ゲーム差を付けられ、逆転優勝は難しい位置にいたが解任発表後に勝ちを積み重ねて行く。8月に13勝8敗と勝ち越していたが、落合解任が明らかになった9月は快進撃を始め、15勝6敗と勝率が7割を超えるハイペースでヤクルトを追いかけた。
これには落合も驚きを隠させなかった。嬉しさのあまり9月24日のヤクルト戦でサヨナラ打を放った谷繁元信捕手の頭をなでなでしてしまうほど。あれだけ人前で表情を崩さなかった男が喜怒哀楽を露わにした瞬間だった。
そして、中日ドラゴンズの選手がベンチを見ずに野球をするようになったのだ。
その結果の一つが二年連続セリーグ連覇を達成だ。日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスに敗れたが、中日の悪しき伝統を打ち破ったのだ。
落合がもう一つ達成したかった「暴力根絶」も5年かかってチームに浸透。今では殴っていうことをきかせるようなコーチはいなくなった。
サラリーマンも上司の顔色だけをうかがわずに自分の仕事に集中できたら結果を出せる人は多いのではないのだろうか? そんなことを想像しながら落合ドラゴンズの軌跡を思い出してみた。
因みに余談になるが、落合は元々喜怒哀楽の激しい性格。監督時代にベンチで表情を変えずにいられたのはイニングごとにベンチ裏にある監督室で表情を変えているからだ。一人でお茶を飲みながら「一人でボソボソ文句いいながら、“あの馬鹿野郎、あんなところで、あの球打ちやがってとか独り言を言ったり。そこで頭切り替えて、ベンチ行って座っていると。この繰り返しですよ」と明かしている。
やはりただ者ではなかった。そんなマネを8年間できる男はそうはいない。
□ライターズプロフィール
篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
現在、天狼院書店・WEB READING LIFEで「文豪の心は鎌倉にあり」を連載中。http://tenro-in.com/bungo_in_kamakura
初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって打ち合わせに行くほどのファンで愛読書は鈴木みのるの「ギラギラ幸福論」。現在は、天狼院書店のライダーズ俱楽部でライティング学びつつフリーのWEBライターとして日々を過ごす。
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