週刊READING LIFE vol.121

タイ人流、枯れ木のように、死ぬには?《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》

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2021/03/29/公開
記事:古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「不治の病になったとしたら、生きるのを諦める?」
と問われたら、わたしはこう答える。
「口から食べれなくなったときに、諦める」
このように答えた訳は、
口で食べれるかどうかが、穏やかな死の迎え方に重要なことを、日本とタイで経験したからだ。
 
「焼き鳥、食べたい」
これは、わたしが勤めていた介護施設の入居者であるBさんの言葉だ。
口から食べる事ができなくなった彼は、胃ろうと呼ばれるお腹に小さなチューブを通し、そこから食物を送り込む手術を受けた。
それは、手術直後に迎えたお正月、おせちを食べていた時だった。
わたしは、Bさんに、ミキサーで潰したお節料理をチューブで流し込んでいた。
そんな時、他の人の重箱の中に焼き鳥をみたBさんが、思わず言ったのが、上の言葉だ。
周りが、豪華な料理で歓声をあげているなか、わたしは、Bさんに何を話せば良いのか?わからなかった。
 
かまぼこ、
栗きんとん、
紅白なます、
えび、
鯛の塩焼き、
きんぴらごぼう、
かずのこ、
里芋、
クワイ、
などなど、
 
これらをみんな、ミキサーにかけて食べるのだ。
わたしは、一品一品、別々にミキサーにかけた。
しかし、他の胃ろうの患者さんのケアをしている同僚を見ると、全てを一緒くたに混ぜて、ミキサーしている。
それを、そのままチューブに流すつもりだ。
自分は、声をあげそうになったが、なんとか我慢した。
 
Bさんは、末期のガンだ。
回復する見込みがない事がわかると、家族と本人、そして医療者が、これからどのように過ごしたいのかを話し合うことになった。
Bさんは、食べる量が減り、眠っている時間が増えてきた。だから、自分が死ぬことは覚悟できていたようだ。
また、Bさんの子どもたちも、それは同じだったようだ。
それでも、死が近いことを知ると、彼らは混乱していた。
結局、子どもたちが出した結論は、
「延命してください。そのために胃ろうをしてください」だった。
Bさんは、ただ黙って受け入れた。
 
Bさんは、亡くなる数日前から、ほとんど意識がなかった。
それでも、チューブからは栄養が送られるのだ。
彼の手足は浮腫ができていた。
過剰な栄養補給で、腹水が溜まり、呼吸がしにくいのだろうか。
意識がなくなっても、時折、呼吸のたびに顔をわずかにしかめていた。
子どもたちもそれがわかるのだろうか、辛そうだった。
 
そのBさんが、亡くなった。
好きな食べ物は「焼き鳥」そして「きんつば」だというBさん。
まだ元気だった彼がわたしに、「難波の〇〇の「きんつば」がうまいから、今度、買ってきたるわ。よく、子どもへの土産で買ってきたわ」
最後に、これらを口から食べたのはいつだったのだろうか。
 
わたしは、Bさんの顔を思い出せないのだが、それでも覚えているのは、Bさんの亡骸がとても重かったことだ。わたしは、亡くなったBさんの足を拭くために、腫れあがった足首の足を持ち上げたのだが、その重さを、今でも忘れられない。
Bさんは、しんどさに耐えていたと思う。
だから、Bさんの子どもたちは、「あれでよかったのか?」と泣いていた。
一方で、タイでは、わたしは逆の体験をした。

 

 

 

当時、わたしはタイ東北部の農村の孤児院でボランティアをしていた。
村のおばあさんが亡くなり、棺桶に亡骸を移すのを手伝ったのだが、おばあさんは、とても軽かったのだ。
そのおばあさんは、亡くなる1ヶ月ほど前から、意識がある時間が少なくなっていった。口からの食事もできなくなり、それからは、わずかな水を飲むだけだった。
火葬の時、火の番をしているおじさんの言葉が忘れられない。
タイでは、薪を使い、一晩かけて、遺体を火葬する。そして、翌日、おばあさんのお骨を集めながら、そのおじさんがボソリと呟いた。
「こんなに軽くなって。枯れ木のように。きっと楽に、死んでいったんだな」
長年、火葬に従事している彼は、いくつも亡骸を見てきたのだろう。だからこその勘なのだろうか。
確かに、火の番のおじさんが言うように、おばあさんの手足はカサカサに乾き、それはまさに“枯れ木のよう”だった。
枯れ木というのは、命に当てはめると、マイナスのイメージがある。
でも、おばあさんの顔は、確かに穏やかだった。だからこそ、日本でのBさんの苦しい表情や亡骸の重さに、違和感を覚えたのかもしれない。
 
そのおばあさんの家に、わたしは生前に何回か訪れた。
おばあさんは93歳、糖尿病を患っているが、田んぼ仕事をしたり、庭の草を刈ったり、ご飯も自分で作ったりしていた。
でも家族の人は、いつ亡くなってもおかしくないと思っていたし、本人も、そのことをわかっていたようだ。
なぜなら、お坊さんとこんな会話をしていたからだ。
おばあさん「もう、お腹も空くことが無くなったよ。この頃は、眠くて仕方ないよ。このまま、眠るように、死ぬことはできないかな」
お坊さん「それは、わからないねぇ。3年前? 旦那さんが死んだのは」
おばあさん「お父さんも、食べれなくなって死んだからね。あの人が好きなのは、お酒だったよ。死ぬ前に、一杯呑めて、よかった。あっ、もっと飲んでたかな」
お坊さん「最後に食べたいものは?」
おばあさん「貝汁! 生まれたのは海の近くで、そこで父がとってきた貝を、母がスープにしてくれた」
わたしは、おばあさんの死後に、家族に貝汁のことを話した。
貝汁を食べたいというおばあさんのために、家族は、なかなか手に入らない海の貝をわざわざ買ってきたという。家族は、初めて貝汁を作ったという。おばあさんは一口だけスープをすすり、そして、「おなか、いっぱい」と言って、眠ってしまったそうだ。

 

 

 

最期に食べたいものを食べる。
同じような経験をタイ人の妻の母が亡くなった時も経験した。
母は、毎年、病院で検査をしていた。
しかし、病気だとわかった時には、もうすでに手遅れだったようだ。
ある日、わたしは、入院中の母に何を食べたいかを聞いてみた。
母は「カエルの丸焼きを食べたい」と答えた。
わたしは、全くの想定外の答えに驚いた。
もっと、普段食べているおかずを考えていたからだ。
さすがに“カエルの丸焼き”が病院食に出ることは、ない。
 
妻に“カエルの丸焼き”の理由を聞いてみた。
母は、教師であった夫の赴任先の田舎での生活が長かった。
当時は、鶏肉や豚肉などが自由に手に入らない場所に赴任していたそうだ。
そんな時の数少ないタンパク源は、田んぼでとれるカエルであったそうだ。
その時の味が、忘れられないのではないかという。
カエルは、雨の降った後の夜、田んぼに現れる。
その時は、村中総出で、頭にヘッドライトをつけて、カエルを捕まえに出かけるのだ。
どのようにして食べるかというと、バジル、唐辛子、醤油と炒めたり、レモングラスやなどのハーブをたっぷり入れたスープに入れたりするという。
しかし、母は、炭火でじっくり焼いたカエルを食べる事が大好きだという。妻たちが暮らすタイの東北地方では、他の地方とは異なり、隣国ラオスと同様にもち米が主食で、それをカゴに入れ、肩にかけて稲刈りや、田植えに出かけていたそうだ。
そして、その時のおかずは、田んぼで捕まえたカエルだったという。
醤油漬けにして、炙って、もち米にひっつけて食べるのを母は好んでいたのだ。
子ども時代は、カエルを食べていた妻も、大人になってからはカエルを食べた記憶がないという。今では、どんな田舎でも豚や鶏、そして牛肉まで売っている。
そしてケンタッキー・フライドチキンやマクドナルドを食べる事ができるのだ。だから、母も長年、食べることがなかったのだろう。
そんな母の望みを叶えるために、わたしは病院前の多数の屋台のなかから、カエルの丸焼き屋台を探した。
鳥や豚の焼いたのはたくさんあるが、カエルがなかなか見つからない。
やっと見つけて、買おうとすると、外国人のわたしがカエルを買うなんて珍しいのだろう。「えっ」という不思議そうな顔をした。
事情を話すと、笑いながら「そうだろう、そうだろう」とちょうど母ぐらいの年齢の人は、数本の竹串に挟まった焼きたてのカエルを渡してくれた。
 
さっそく、母に買ってきたカエルの丸焼きを差し出した。
病室に、炊き立てのもち米、そして、カエルの丸焼きの香ばしいかおりが充満していた。
母は、器用に指先で一口分のもち米を摘むと、それをちぎったカエルの肉片の一つにひっつけてから口に入れて、しばらく噛んで、飲み込んだ。
そのあとは、何も言わずに、すぐに眠ってしまった。
それからは、母は食事をほとんどせずに、水や豆乳などをわずかにとるだけになった。
数日して、医者が「そろそろ家に帰りましょうか?」と言う。
つまり、もう治らないから、あとは自宅で過ごすことを伝えたのだ。
しかし、妻はすでに家に帰る覚悟は決めたようだ。
タイではいまだに「最期は家で」が圧倒的に多い。
まだ60代の母は、化学療法や手術などに耐える事ができる年齢だと考えて、手を尽くしたが、母のしんどそうな様子を見るのが、妻は辛くなったのだ。
 
化学療法をやめてからは、母にも余裕ができて、みんなとのおしゃべりを楽しめるようになった。しかし、段々と眠る時間が長くなっていた。
そして、点滴などをしないので、もう口から食べる事ができない母は、どんどん痩せていった。
健康な時はガッチリしていたので、痩せ方が余計に目立った。
特に、細くなってゆく足のふくらはぎは、枯れ木のようだった。
いっぽうで、顔は、どんどん穏やかになってゆく。
目を閉じている母の横で、妻やお父さんが話しかけると、特に穏やかな顔になった。
兄夫婦が営む実家の雑貨屋の一部を空けて母の寝室になっていたのだけれど、その横で、わたしたちは、ご飯を食べたり、話したりする。
近所の母の知り合いも、買い物がてら、やってきては母に話しかけてくれた。
母が慣れ親しんだごはんの香りや家族の声に囲まれながら、母は過ごしていたのだ。
ある日の晩、手足のマッサージを終えると、呼吸が止まっている。
わたしは、脈をとってみた。わずかに指先に触れる脈が、どんどん弱くなってゆくのがわかる。
まさに、母は、今、死のうとしているのだ。
妻が横に来て、母の耳元で、「ありがとう」と言う。
家族が集まって、一人ずつ話しかける。
最後にわたしが話し終わった、そのときを臨終の時間としてメモをした。
3:35だった。
みんなは、微笑んで、母の遺体のそばで写真を撮っていた。
少し悲しいけれど、それは、とても穏やかなひとときだった。
 
「いつ生を手放すのか?」
タイ人は、それがいつなのかをよくわかっている。
それは、口で食べる事ができなくなった時だ。
自分の両親だけでなく、祖父母などを、そのようにして自宅で見送ってきたのだ。
いっぽうで、“死ぬ前に、何か食べたいものがある”というのは、国にかかわらず共通なのだろう。
Bさん、おばあさん、そして妻の母も、「死ぬ前に、何か食べたいものがある」ことにこだわっていた。
しかし、Bさんは、口で食べる事ができなかった。
いっぽうで、タイの2人は最期まで、自分の好きなものを口で食べた。
そして、眠り、その後は、枯れ木のようになって、死んでいった。
そして、タイの2人は穏やかな死に顔だった。
 
わたしも、枯れ木のように、穏やかに死にたい。
だから、おばあさんや母のように口で食べれなくなったら、生きることをあきらめる。
でも、まだ死ぬ前に、食べたいものは決まっていない。
おいしいだけでなく、心に残る食べ物に、これから出会えるだろうか?
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

タイ東北部ウドンタニ県在住。
同志社大学法学部卒業後、出版企画に勤務。1999年から、タイで暮らす。タイのコンケン大学看護学部在学中に、タイ人の在宅での看取りを経験する。その経験から、トヨタ財団から助成を受けて「こころ豊かな「死」を迎える看取りの場づくり–日本国西宮市・尼崎市とタイ国コンケン県ウボンラット郡の介護実践の学び合い」を行う。義母そして両親をメコン河に散骨する。青年海外協力隊(ベネズエラ)とNGO(ラオス)で、保健衛生や職業訓練教育に携わる。
著書に『東南アジアにおけるケアの潜在能力』京都大学学術出版会。
http://isanikikata.com 逝き方から生き方を創る東北タイの旅。

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2021-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.121

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