週刊READING LIFE vol.123

自分軸の見つけ方《週刊READING LIFE vol.123「怒り・嫉妬・承認欲求」》

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2021/04/12/公開
記事:Risa(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
自分軸を持とう。自己啓発本や心理学の読み物に書いていそうな言葉だ。そうすれば、他人に流されることもなく自分の人生を生きていける。たしかにそうだと思う。
 
私がはじめて軸のようなものがほしいと思ったのは、中学か高校の時だった。購読していた週刊の英字新聞の下部の小さい欄に詩の一節が載っていて、10代の私の心に共鳴した。

 

 

 

柱のような自分には
なんとゆったりよりかかれるのでしょう
騒ぎや極限のさなかに、
その確かさはなんと良きものでしょう (拙訳)
 
On a Columnar Self –
How ample to rely
In Tumult—or Extremity—
How good the Certainty
 
エミリー・ディキンソンというアメリカの詩人の詩の冒頭だ。その記事についていた写真は、なんだか海底のような薄暗い空間を映したものだったようなおぼろげな記憶がある。でも、私の抱いたイメージは今も変わらずはっきりしている。それは、深い海の底に自分がいて、上から太い網目のロープがぶら下がっているというもの。そのロープには、どれだけ強くつかまっても、よりかかっても、全体重をあずけても、大丈夫。
 
私はそんなロープがほしかった。自分の軸となって、自分を支えてくれるようなロープが。
がんばれば、いつかよりかかれるロープに出会えると信じていた。
 
きっと、どこかにあるロープを求めたのは、親に愛されているという実感がなかったからだ。両親は、いわば詰め込み教育の申し子だった。ゆとり教育と真逆の教科書が分厚かった時代に、学校の教育通りに真面目に勉強して学年順位の上位を維持するのを目標にしてきた。がんばりやで自分に厳しい。だから、自然と私にもどこか厳しくなる。そんなことくらいやって当然よという雰囲気や言動が家のなかの日常にあるのだ。
 
気づけば私も厳しくなっていた。私にとって、長らく他人の否定が自分の肯定だった。自分のありのままを認めることができないから、他人のあらを探して否定することで、他人を下げて、相対的に上にきた自分を肯定する。これが、私が自分の足場を保つ手段だった。つまり、自分も他人も認めていないことに他ならない。
 
両親は子供への愛情表現もはっきりしなかった。だから、私は親に愛されているという自覚が持てなかった。自ら愛を求めることもしなかったから、親の方もわかりやすく愛することが必要だと気づかなかった。
 
私は高校卒業後、厳しく寂しい親元を離れて東京に進学した。ロープ探しの旅に出たのだ。
 
でも、ロープを見つけられたかは疑わしい。なにしろ、ロープが何らかの目標だったとしても、自分の願望がすべて思い通りにかなうわけではない。人だったとしても、ありのままの自分をすべて受け入れて肯定してくれる人はいない。よりかかれそうなロープがあったとしても、私が全体重、いや自分の人生を預けようとすると、とたんにどこかに消えていく。
 
大学卒業後は大学院に進学した。選んだ研究テーマには自信があった。でも、自分を認めていないから、似ているテーマの研究者に会うと、「なんでそんなことをするの?」と思い、自分と違うマニアックなことをする人には、「そんなことしてどうなるの?」と思うのだ。じゃあなんならいいのさ、と冷静になるとつっこみたくなる。
 
研究とは、マラソンのようなもの。すぐに結果は出ないけど、待っているはずのゴールを見すえて、自分なりのペース配分をしながら進めていく。特に私が取り組んでいた外国語文献を多く扱う人文系の研究の場合、すぐに成果が出たりはしない。地道な積み重ねと本人の信念というか、執着とも言うくらいの思い入れと長期的な忍耐があってはじめて成果につながる。
 
自分も他人も肯定できない私には、そんな修行僧じみたことをする勇気がなかった。
 
自分で満足できないとなると、向かうのは他者である。誰かに、自分の不満を聞いてもらって共感してもらおうとするのだ。ついでに肯定も。
 
私は女友だちの一人に不満をぶちまけた。時には彼女のバイト先の小さい飲食店にまで行って、研究の不満を吐露した。同僚や教授への愚痴にはじまり、自分の研究がうまくいかないのは彼らを含めた環境のせいだ、と言ったように思う。
 
はじめのうちこそ、それは大変だねぇと聞いてくれていた彼女も、次第に同意してくれなくなっていった。それだけならいいのだけど、なんと私の実家に遊びにきた時に、私の親に私の行状を報告したのだ。お酒も入った状態で、私の親のもてなしを受けながら。「なんでそんなことを親の前で話すのよ!!」と私は内心怒った。
 
この友人の怒りを伴う実家訪問は、私にいろんなことを教える装置だった。まず、この人も私のロープじゃないんだ、と実感できた。私のすべてを受け入れて守ってくれたりはしない。
 
しかも、彼女は親にもてなされて注目を一身に受けているではないか。私は嫉妬した。
 
たしかに嫉妬はしたのだけれど、これは普段は親の関心が私に向いていたことの証では、ともどこかで思っていた。一人っ子の私は、良くも悪くも親の視線をひとり占めして育った。それを厳しく重たく感じていたから、東京に逃げ出したのだけど、実は私に向かっていたネガティブさ(のように感じていたもの)の根底には私への関心、ひいては愛情があったのではないだろうか。
 
怒り・嫉妬は、普段見過ごしていることに目を向けるチャンスだった。
 
親の愛に長らく気づかないで育ったのは、私に想像力がないからなのか、承認欲求が強すぎるからなのか、はたまた国語力が足りないからか。小学校から高校卒業まで、国語だけが他の教科より一回りも何回りも得点が低かった。きっと私は文章を読むのも、人間の言動の文脈を読むのもあんまり得意ではないのだろう。人の愛情を実感することも。
 
友人という起爆装置が実家に投げ込まれたおかげで、私は親の愛に気づきかけた。休暇を終えて実家から東京に戻り、大学院でもう何年か粘ってから、踏ん切りをつけて大学院をやめ、実家に戻って一年居候した。
 
私は少し大人になり、親も年をとって丸くなった。私は少しずつほのかな愛に気づくようになっていた。思い返すと、うちの両親は、愛情表現こそ乏しいけど、行動の1つ1つは愛そのものだった。父はずっと忙しく働いていたけど、私が学校に通っていた頃は毎朝彩り豊かなお弁当を作ってくれていた。夜行バスに乗ることも禁止されていた。ある時、今度は夜行バスで帰省しようかなと言ったら、しばらくしてから私の部屋にやってきて、「たった一人の娘なんだから、安全な方法を選んでほしい」と告げられたのだ。これをいいことに、以降父の財布から私の飛行機代が出ていることは秘密である。母だって、栄養たっぷりのごはんを仕事の合間に作ってくれていた。
 
居候の少し前にネコが家族に加わっていて、両親ともに溺愛していた。父にネコのことをどれくらい好きか聞くと、「これくらい」と父は手を開いて好きな度合いを示して見せた。それで終わらず、「R(私)のことはこれくらい」ともっと大きく開いて見せてくれた。年をとった父の愛情表現だった。私も素直になっていたから、ありがたく真に受けることにした。
 
居候していた間は、東京で学生をしていた頃みたいな、不安定な自分を救いあげてくれるようなロープ探しもしていなかったはずだ。きっと、親という存在が近くにあったから。ちゃんと愛を感じるようにもなっていたから。
 
でも、愛を受けるだけで生きていくには、私は大きくなりすぎていた。ずっと親元にいるわけにはいかない。親は年をとっていく。私も年をとっていく。このままの状況がいつまでも続くことはない。愛されていることを知って、自分を受け入れて、精神的に一歩前進した。
 
次は経済的な自立だ!
そのためには就職を!
それも自分の好きな分野で! と意気込んだ。
 
長らく大学院に行ったため、就職先はないと思いこんでいたけれど、始めたら案外あっけなく決まってしまった。それも、希望していた出版界隈で。
 
また東京で住むことになった。入社を前に、引っ越し先を決めるため一人で上京した。何軒か回ってから晩御飯を食べて、その日の宿へと向かう道すがら、心細くて泣きそうになった。学生の間は、なんやかんやで親に物心面で甘えて生きていた。でもこれからは同じ東京で、自分の稼ぎで暮らしていくのだ。そんなことが本当に自分にできるのだろうか。
 
夜道を歩きながら、ふと、いつも唱えているラテン語の詩を心の中で思い出してみる。
 
自然と心が落ち着いた。なんだか、自分の中に、確固とした礎があるような感じがした。ちょうど肋骨と脊椎の間の部分に一本線のようなものが通っていて、軸として私を支えているような感覚だ。大学院はやめたものの、学部の頃からずっと読んでいたラテン語は続けていた。できるだけ時間を取ってバイトの合間に読んだり、忙しい時は音読だけして暗唱を試みたりしていた。私の記憶の一部と化していたラテン語の詩は、その時の私のたしかな軸となっていた。
 
これがもしかして探していたロープ?
私が求めていた、あの深海でいくらよりかかってもびくともしないロープなの?
 
外に求めていたロープって自分の中にあった!
自分軸って自分の軸ではなく、自分自身だったの!
 
思えば、大学院でやってきたことだって、その時はたいしたことないと卑下していたけれど、案外的外れではなかったのかもしれない。少しは身になっているのではないだろか。第一、曲がりなりにもラテン語を暗唱できるのは、あの日々の積みかさねがあったからだろう。悩みながらも、なんとか自分の道を見つけ、築こうとしてきたこと自体が、そんな日々の積み重ねが自分の軸になっているのではないだろうか。それを実感するかしないかだけで。
 
エミリー・ディキンソンの詩だって、columnar self「柱のような自分」と言っているではないか。「柱」ではなく、柱のような「自分」だと。

 

 

 

柱のような自分には
なんとゆったりよりかかれるのでしょう
 
私は勘違いをしていたらしい。自分軸とは、自分がよりかかれるロープとは、どこかに探すものではないし、もちろん自分がいくらよりかかってもちぎれたり外れたりしないロープでもない。それは、自分の中にある自分自身だったのだ。国語力の乏しさがまたもや露呈するようでなんだか恥ずかしい。
 
毎日の積み重ね、日々の喜びや、どうにもならない悲しみを生きてきた自分。その自分自身が、自分自身を受け入れている自分にとっての軸であって、ロープなのだ。
 
もし、自分軸を探している人がいたら、まず手はじめに何か好きなことを日々無理なくできる範囲で続けてみるのはどうだろうか。積み上がりを実感できた時に、自分の中に蓄積された何かが、その日々の思い出とともに軸となっているだろう。
 
親の愛と自分軸の在りかに気づいた私は、これからどこに行くのだろうか。自分の中にこれからも何かを積み上げていくのだろうか。遅れて育ちはじめた国語力をこれからも鍛えながら、他人からの愛情にもどんどん気づけるようになりたいし、自分軸を自分の中にもっともっと蓄えていきたい。
 
それをたくさん築くことができたら、今度は外にも何かを積み上げて、他人と共有していくのもいいだろう。私の場合は、大学院での学びを一般向けに書いていくことだろうか。そんなことを夢見ながら、今日も何かを積み上げて自分の中の軸を補強していきたい。その過程でのワクワク、ドキドキ、悩み、苦しみも自分の軸になっていくだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Risa(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神戸生まれ西宮育ち、今は東京で働く。ラテン語への愛と執着を持て余しており、社会に還元する方法を模索している。

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2021-04-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.123

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