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週刊READING LIFE vol.125

盲腸炎で、死にかけた。《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》


2021/04/26/公開
記事:白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「血液検査かぁ。注射されるの、嫌だなぁ」
近所にある市立病院の外科診療診察室で、診察を受けた長女が、目の前でガックリうなだれている。
おいおい、君、歳はいくつだい? と、思わず吹き出しそうになりながら、今月で25歳になろうとする娘をみた。
 
先週、長女の外科診療に付き添ったときのことだ。

 

 

 

診察を受けたこの前日、仕事の出がけ前に、どうもおなかの調子が悪い、と長女が言い出した。
毎月のものでもないし、もちろんトイレにいくような腹痛でもなく、おなかの真ん中から右脇腹にかけて痛みが走る、という。
 
痛む場所を聞いて、すぐに気になった。
その箇所の痛みは、盲腸炎の疑いが考えられるからだ。
31年前、自分に起こった「できごと」を思い出す。
その経験から、「痛みが長引くようであれば、一度病院でしっかり診てもらった方がいい」、と長女に言った。
 
その日、長女は、痛みをこらえてそのまま仕事に行ったが、結局、途中で帰ってきた。
不慣れな痛みで、どうにも仕事に集中できないから、早めに上がらせてもらった、という。
その話を聞いて、やはり病院でしっかりと診てもらったほうがいい、と彼女にもう一度アドバイスをした。
おなかの痛みで、ちょっと曇った表情を見せながらも、あまり気乗りしないような反応だった。
「痛む場所がどうにも気なる。盲腸の可能性もあると思う。とにかく、次の日の朝、まだ痛みが続いているようであれば病院へ行こう」と、長女に言い、その日は休ませた。
 
次の日の朝。
残念ながら、おなかの痛みは続いていた。

 

 

 

まず、内科診療から受けた。
触診で痛む箇所を確認する。
診察の結果、盲腸炎の可能性が極めて高い、ということだった。
もし、盲腸炎であれば外科診療も必要だ、ということで、そのまま外科診療の受診することになった。
 
内科の診療を終え、外科診療のフロアへ行き受診手続きを済ませる。
外科では、内科よりもさらに詳しく触診した。
その結果は、内科と同じだった。
しかし、盲腸炎の兆候である、吐き気や食欲不振、といった症状がまったくない(むしろ、食欲は旺盛)、ということが、外科先生を悩ませた。
 
「盲腸炎であれば、吐き気や食欲がなくなるのだけどなぁ」
外科先生が、ちょっと考え込んだ。
 
そうだ、確かにそうだ。
31年前、吐き気がしたり、食欲もわかなかった。
当時の記憶が、蘇ってくる。
 
「さらに詳しく検査しましょう。C Tと点滴、血液検査をいまから準備しますので、受けてください。その結果を診て、処置の判断をしていきましょう」
と、言い、外科先生は看護師にテキパキと準備の指示をしだした。
 
血液検査と聞いて「注射やだな」と小さい子供のようにガックリきている長女に、それで結果がわかって、早いうちから対処できるならお安いものだよと、自らの過去の体験を重ねながら、そうなだめた。

 

 

 

「C Tを見ると、やはり盲腸が腫れていますね。それと、その付近の回腸が、炎症をおこしています」
C T画像を見ながら、外科先生が説明する。
ちょっとドキッとして、長女と顔を見合わせる。
やはり、盲腸炎か。
 
「ただ、盲腸の腫れはかなり小さいのですよね。大体6ミリぐらいです。回腸の炎症も軽そうです」
 
C T画像を見せてもらうと、小さな臓器である盲腸がしっかりと映っている。
炎症を起こしているところも、画像で説明してもらった。
 
盲腸炎というのは、腫れが1センチを超えてくると、外科処置、つまり手術での切除も検討しなくてはならない、という説明だった。
今回の場合は、そこまでではない。
血液検査の結果でも、激しく炎症が起こっている、というような数値も出ていない。
逆にいえば、盲腸炎ではあるけども手術するほどのものではない、ということになる。
 
この日の診断は、ひとまず薬で様子を見ましょう、という結果になった。
薬で治ればそれでよし、逆に痛みがひどくなるようであれば、外科処置の検討、ということで、5日後に再度診察となった。
 
飲み薬での処置と聞いて、長女はホッとしていた。
その思いは、こちらも同じだ。
 
同時に、また31年前のことを、ふと思い起こす。
 
あのときは、ここまで丁寧な診察ではなかったな、と。
あの当時、C T検査が一般的だったかどうかはよくわからないけど、今回のように内科から外科、そこから血液検査と、何かしら複数の検査があったら、あのような事態にならなかったのではないだろうか、と思った。
 
長女の年齢、盲腸炎、春という季節、そんなシチュエーションが、あのときの記憶を、より印象深く掘り起こしていく。

 

 

 

31年前、3月の半ば、私はゼミの友人と、数日後に行われる卒業式や謝恩会の打ち合わせをしていた。
友人が下宿していたファミレスで、食事兼ねて打ち合わせ後、そのまま彼の下宿で飲み明かす予定だった。
卒業はもちろんのこと、ゼミの仲間もみな就職先が決まり、人生のなかで、一番ゆったりとした時間を過ごしていた。
 
打ち合わせをしながら、ほんのかすかだけど、おなかに違和感を覚えた。
ちょうどみぞおちのあたりだ。
ちょっと気分が悪いような、ムカつくような感覚がした。
やがて、食欲も進まなくなってきた。
目の前に出されたものは、嫌いなもの以外は全て食べきる信条だが、このときばかりはどうにも無理そうだった。
 
時間が経つにつれて、その違和感は大きくなっていく。
どうしても、おなかに意識がいってしまう。
もどす、というところまではいかないけど、ムカつくような感覚が、さらに広がっているのがわかる。
 
「ごめん、ちょっと身体の様子がおかしい。今日は泊まるのをやめて、家に帰るわ」
話の区切りがついたところで、友人にそう言った。
時間は、日をまたごうとする前あたりだったが、車で来ていたので、自分で運転して帰った。
 
運転しながらも、違和感は止まらなかった。
今日は、車で本当によかった、と思った。
そして運転しながら、さらに2年前のことを思い出していた。
 
この2年前である大学2回生のとき、おなかの調子でえらい目にあった。
原因不明の激しい腹痛に襲われたのだ。
 
大学の食堂で昼食を取ったあと、次の講義まで時間があったので、休憩しようとサークルの部室に行こうとしたとき、その腹痛は襲ってきた。
 
あわててトイレに駆け込む、が出ない。
もどす感じもない。
 
このまま講義を受けるのは無理だな、と思いそのまま家に帰ることにした。
 
大学には、いつも電車とバスを乗り継いで通っていた。
身体の力が、抜けていく感じがしながらも、なんとかバスに乗った。
しかし、電車に乗り継ぐ駅に着いて、バスを降りた途端、力が尽きた。
 
腹痛と、気分の悪さが激しさを増し、自力で立つのが精一杯という状態だった。
電車で帰ることは、とても無理だと判断し、その駅からはタクシーで帰宅した。
タクシーの中では、運転手さんに事情を説明し、後ろ座席で横にならせてもらった。
もうぐったりだった。
 
帰宅した途端に、トイレに駆け込んだ。
安堵したのか、強い吐き気が、いきなり襲ってきたのだ。
 
しばらく、もどしていたが、それが済むと、激しい痛みが和らいでいくのがわかった。
布団を敷き、とりあえずそのまま休むことにした。
痛みと緊張からの解放感と、家にいる安心感で、横になったとたん深い眠りについた。
 
目が覚めたら、体調はすっかり戻っていた。
一体あれはなんだったのだろう? と思うぐらい、なんともなかった。
 
結局のところ、自然に治ってしまったので、このときは病院にもいかなかった。
だから、この痛みの原因が何なのか、いまだにはっきりわからない。
もどしたとき、大学の食堂で食べたものが出てきたので、食あたりかなにかだったのだろう、という憶測でしかない。

 

 

 

運転しながら、2年前の痛みとか、気持ちの悪さとかの記憶をなぞる。
おなかの違和感は、なんとなく2年前の症状に似ているけど、力尽きるほどまでの激しい痛みや不快感、といったものは、このときなかった。
同じような違和感が、ずっと続いているだけだった。
そこが2年前とは大きく違っていた。
この状態は、一体なんなのだろう、と疑問に思いながら運転していた。
 
帰宅してから、すぐ横になったが、眠れなかった。
おなかの違和感も、真ん中あたりだったのが、だんだん範囲が広がり、身体の右側でも感じるようになった。
まったく体験したことがない症状だけに、非常に気になった。
やはり、これはただごとではない、と思い、寝ている親を起こし、夜間の救急診療のある地元でも大きい病院に連れて行ってもらった。
 
「腸炎のような症状に思えます。ですが、救急診療は確定できないので、内科の一般外来で、もう一度診てもらえますか」
救急診療での診断は、そこまでだった。
それらしい薬を受け取って、家に帰る。
でも、薬があれば、大きくなってくる違和感が鎮まるのなら、それでいい。
なぜなら、眠ることができる。
しかし、その思いは虚しく、薬を飲んでも違和感は、まったく静まることなく、浅く眠ったり起きたりの繰り返しだった。

 

 

 

翌日、いわれた通り、一般外来の内科診療を受けた。
しかし、そこで診断されたのも、夜間救急と同じ「腸炎」だった。
 
ただ、なんとなくだけど、このときの先生の言い方がちょっと気になった。
断定的ではなく、「腸炎かなぁ」と、自信なさげだったからだ。
救急診療と同じ結果であったこと、薬を飲んでも症状が改善していないことを伝えたが、「もう少し様子をみましょう」で終わった。
 
診察室から出て、付き添ってくれていた、父親にその話をしたら、
「それ、おかしくないか? 盲腸とかではないのか?」と、かなり訝しがっていた。
 
また、同じような薬をもらって、家に帰り、横になる。
昨晩まったく寝てないから、違和感より睡魔が勝り、このときんばかりは眠れた。
2年前のように、目が覚めたら、すっきり治っていた、ということを期待しながら眠った。
 
しかし、残念なことに、目が覚めたきっかけは、吐き気だった。
食欲がわくことなく、家に帰ってきてから、何も口にしていなかったのにもかかわらず、吐き気がした。
トイレでもどすが、何も食べていないから、胃液しか出てこない。
 
このあたりから、おなかの張りが強くなってくるような感じがしだした。
ガスが溜まったような感覚だ。
ガスを出して、張った感覚が無くなったらありがたい、と思うのだが、残念なことに、まったく何も出ない。
 
そして、翌日の早朝だった。
このおなかの張りが、激痛に一変した。
突然のことだった。
 
朝、おなかの強い張りで、目が覚めた。
おなかの中にあるものが、内側から外に向けて押し出しているような感覚を受け、トイレに行った。
「何かしら出て、すっきりしてくれないだろうか」と、期待した。
しかし、いままでと同じように、まったく何も出てこない。
 
変わらないおなかの張りと、残念な思いを抱えつつ、トレイに出た、その瞬間だった。
体を動かそうとすると、おなかから全身にかけて激しい痛みが起こった。
一歩踏み出して、その足がそっと地についただけの衝撃で、おなかから全身にかけて激しい痛みが走るのだ。
 
そのまま、崩れるようにして倒れ込んだ。
立っているだけでも、痛いからだ。
体をくねらせても痛い。
何しても、痛い。
身動きが取れなくなった。
 
身体は、痛くて動かせず固まっているけど、頭のなかは、痛い思いをしながらも、いろんなことがグルグル回っていた。
 
いったい自分の身体はどうなったのだ?
体験したことのない、痛み、我が身の変貌ぶり。
生まれて初めて、こんな事態に陥ったことへの驚き。
そして、「死」。
 
まったく未知の身体の痛み、状態から、このまま死ぬのではないか、と本当に思った。
こんな痛みが治るのだろうか? と本当に思った。
このまま意識が途切れるようだったら、そのときがもう最期なのかもしれない、と思えた。
意識は薄れながらも、完全に途切れることが、幸いにも思えた。
 
薄れた意識のなかで、両親が救急車を呼んだり、こちらに声をかけているのがわかる。
だけど、こちらはもう声すら出せない。
声を出すだけでも、全身に痛みが走るからだ。

 

 

 

同じ病院に、今度は救急車で運ばれた。
 
一度目は、夜間の救急診療。
二度目は、昼間の一般外来。
そして、三度目は、救急車による緊急搬送だ。
とんでもない、三度目の正直、だ。
 
そして、ここでまったく予期しなかった偶然があった。
救急診療の当直医が、その前日の昼間診療で、「薬で様子をみましょう」と診断した内科医だったのだ。
痛みで薄れながらも、担当医の顔は見て取れた。
前日、自分が診断した患者が、今度は救急車で運ばれてきたのをみて、かなりうろたえていた様子だった。
 
その内科医が、聴診器、触診、いろいろと探るが、原因がわからず悩んでいる様子が感じ取れた。
あれこれと、何度も、触診する。
触られるたびに身体に痛みが走る。
「もういい加減にしてくれ!」
そう叫びたいが、声にならない。
 
そうこうしているうちに時間がたち、その病院に勤めている先生がたの出勤時刻になっていた。
「外科の先生が、どなたか出てこられてきていないか、至急確認してくれますか」
その内科医が、近くの看護師さんに声をかけた。
 
しばらくしたら、初老だけど、屈強な感じの先生が、診察室に足早に入ってきた。
外科の先生だった。
内科医が、その先生に状況の説明をする。
その様子から、どうやら外科部長の先生みたいだった。
 
状況の説明を聞きながら、その外科部長先生が触診を始めた。
「ここは痛む? ここはどう?」
痛む箇所が、手に取るようにわかるのか、ポイントをついたかのように触診する。
3、4箇所触ったあたりだっただろうか、外科部長先生が叫んだ。
 
「こらあかん、腹膜炎おこしとる! 緊急手術や! いまから手術室は使えるか?」
 
驚きだ。
前々日、前日の診察では、原因わからず、なんとなく「腸炎」っぽい、みたいな診断だった。
ところが、外科部長先生は、ものの数分で診断を下した。
しかも、その結果が、緊急手術ときた。
 
いままで、一体なんだったのだ!
痛みで苦しみながら、心の中でそう叫んでいた。
それと同時に、ものすごい安堵感がやってきた。
「助かるのだ。手術をすれば、この苦しみから解放されるのだ」
それであれば、「善は急げ」で、すぐにでもこの腹を切ってくれ! と思った。
 
外科部長先生が、声をかけてくれた。
「かなりひどい状態だけど、悪いところをとったら治るだけだから。もう大丈夫やで」
これほど心強く、救われたことばはなかった。
 
そのまま外科部長先生は、心配している両親のところに行き、症状について、そして手術が必要なことを説明しているのを、かすかに見て取れた。

 

 

 

腹膜炎の根本原因は、やはり盲腸炎だった。
盲腸炎の発見が遅れたため、盲腸が腫れ続け、破裂し、そこから腸の中身が腹膜全域にちらばり、炎症が起こった、ということだった。
早朝のトイレで、急に動けなくなったときが、まさに盲腸が破けた瞬間だったのだろうか。
それとも、張ったような感覚を覚え始めた時が、そうだったのだろうか。
そこまでは、わからない。
 
腹膜炎というのも、かなり危ない病気らしく、放っておけば死にいたる、というものだった。
現に、この私もそうだったらしい。
だから、即座に緊急手術となった。
激しい痛みに襲われ、死を予感したことは、思いのほか、的確な予感だったのかもしれない。
 
後で聞いた話だが、両親が説明受けた手術の内容は、結構大掛かりなもののだったらしい。
おなかを2箇所、胸を1箇所切り、おなかのなか全体を清掃するというもので、手術の時間も7〜8時間近くはかかるだろう、ということだった。
 
その説明を受けて、父親は相当な剣幕で詰め寄ったらしい。
「内科の誤診で、息子がこんなことになったのだろう! これで何かあったら絶対訴える!」と。
一人息子でもあり、無事大学を卒業して、いよいよ社会人、というタイミングで、この事態。
息巻いて詰め寄るのも、どうかと思いつつも、それだけ深く思ってくれているのだな、とありがたく思ったことを覚えている。
 
フタを開けてみたら、おかげさまで手術はそこまで大掛かりではなく、切ったのは1箇所だけで済んだ。
そのかわり、おなかの中の汚れを出すために、二週間ほどおなかから管を出していた。
 
結局のところ、三週間ほど入院した。
大学の卒業式も、会社の入社式も全て欠席だ。
普通の盲腸であれば、大学の卒業式や謝恩会は出られただろうに、と思うと、とても悔しかった。
大学の卒業式に出られなかったことが、学生生活の最後をきっちりと締め括れなかったような気がしてならなかった。
その残念な思いは、しばらくのあいだ深く残った。

 

 

 

あまりにもの、突然のできごと。
腹部の激痛、救急車搬送、全身麻酔の手術、入院、これら全て、まったくの初体験。
ちょっとしたおなかの違和感は、わずか二日間で「死ぬかもしれない」という事態にまで、いたらしめた。
盲腸炎といえば、手術が必要といわれつつも、入院日数も少ないことから、重たい病気とは思われない。
だけど、その盲腸炎で、死にかけた。
 
当時は、大学の卒業式を迎えることができず、本当に落胆した。
それこそ卒業式の日、悔しさと、残念な思いで悶々として病室のベッドに横たわっていた。
しかし、この体験のおかげで、身体の感覚には敏感になった。
かすかでも、身体の感覚というものをないがしろにしてはいけない、と思えるようになった。
その感覚が、31年という長い年月を経たいま、当時の自分とほぼ同じ年齢だった娘の腹痛を、敏感に受け止めたことにつながっている。
その結果、早い段階で症状に気づき、軽いうちから治療することができたのだ。
死ぬ思いした体験が、こうしてちゃんと報われている。
とてもありがたいことだ。
 
「薬で様子を見ましょう」といわれてから娘は、毎日毎食後にきっちりと薬を飲んでいた。
日を追うごとに、痛みも消えていき、元の体調に戻った。
もちろん、5日後の再診察の結果は「問題なし」、だった。
娘は、いま、元気に仕事へ行っている。
 
よく考えたら、いまの私の年齢は、私が盲腸炎で倒れ込んだときの父親と同じだ。
私の場合は、「誤診だ!」と、詰め寄るような事にならず、ことが穏やかに済んで、本当に何よりだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

京都府在住。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、次の生き方を探っている。
ひとつ分かったことは、それまでの反動からか、ただ生活のためだけにどこかの会社に再度勤めようという気持ちにはなれないこと。次を生きるなら、本当に自分のやりがいを感じるもので生きていきたい、と夢みて、自らの天命を知ろうと模索している50代男子。

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2021-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.125

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