週刊READING LIFE vol.124

サイレンススズカという圧倒的な現実を、「ウマ娘」はどう乗り越えていったのか?《週刊READING LIFE vol.124「〇〇と〇〇の違い」》

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2021/04/19/公開
記事:タカシクワハタ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「最近『ウマ娘』関係のフォロワーさんが増えたんだよね」
妹はそう呟いた。
「ウマ娘」、僕も最近その単語をよく聞くようになった。
「ウマ娘」とは少女に擬人化された競走馬たちが主役となった作品であり、
ここ近年、T Vアニメやスマホゲームに展開され、ちょっとしたブームになっている。
「でも、わたし頭固いから競走馬の擬人化とか好きじゃないのよね。自分の制作物とウマ娘が全く重ならないから、期待に応えられるか心配だな」
妹は30年近く趣味で競走馬のイラストを描いている。
趣味と言っても個展を開いたり、彼女のイラストが入った絵葉書やカレンダーを販売したりと、彼女のイラストの腕前はもはやセミプロといっても良いほどである。
それほどの腕前であるからだろうか、彼女はクリエイターとしてのプライドが高い。
したがって突如現れた「ウマ娘」という強力なライバルに複雑な想いを抱くのも無理はない。
僕も競馬を見るようになってから、早30年以上経過している。
それなりのキャリアを持った競馬ファンとしては、
やはりこのような競馬を題材としたアニメーションというものは気になってしまう。
しかも今回は競走馬を擬人化した少女が活躍する作品だ。
僕はアニメにはあまり詳しくないが、アニメそのものに偏見を持っているつもりはないし、一つのジャンルとしてリスペクトはしている。
ただ、その一方で自分の愛してきた競馬というものが、非常に雑にデフォルメされてしまってその魅力が毀損されてしまうのではないか。そのような懸念が僕の頭の片隅にはいつもあった。
しかし、作品を見ないで批判するというのも何か筋が通っていないように思えた。そこでここは一念発起して「ウマ娘」に対峙してみようと思った。僕や妹のような筋金入りの競馬ファンの心をざわつかせる「ウマ娘」というのはどんなものなのだろうか。僕は早速「ウマ娘1st season」を見てみることにした。
 
「ウマ娘1st season」はスペシャルウィークというウマ娘を中心に展開される青春ドラマであり、北海道から出てきたスペシャルウィークがトレセン学園に入学し、仲間たちと切磋琢磨し日本一のウマ娘になるまでの過程が描かれている。
この「ウマ娘1st season」ではスペシャルウィークとライバルとの関係性が大きなテーマとなっている。セイウンスカイ、エルコンドルパサー、グラスワンダーといったクラスメイトや先輩のサイレンススズカとの戦いを通じた友情がストーリーの軸になっている。
 
「なるほど、この作者はよく競馬を知っているな」
それが僕の「ウマ娘」に対する最初の感想だった。
現実の競馬では、1995年生まれのスペシャルウィークたちの世代は、「史上最強世代」とも呼ばれている。スペシャルウィークは天皇賞春秋連覇、日本ダービー、ジャパンカップなどの大レースで活躍した名馬であるし、その他にも二冠馬セイウンスカイ、グランプリ3連覇を成し遂げたグラスワンダー、日本馬初の凱旋門賞2着と海外で活躍したエルコンドルパサーなどの数多の名馬が揃っている世代だ。そして彼らの競い合ったレースはどれも名勝負と呼ばれ、20年以上たった今も語り草となっている。もし、僕がこの作品を制作することとなったならば、やはり真っ先に浮かぶのはこの世代である。この作者、ただものでは無いなというのが正直な感想であった。
しかし、その反面僕が製作者だったとしたら、この世代周辺を扱うのは非常に難しいかもしれないと思ったかもしれない。
その理由が一つあるのだ。
それが「サイレンススズカ」という馬の存在だ。
サイレンススズカという馬にスポットを当てるというのは非常に勇気がいる。
なぜなら、サイレンススズカが紡ぎ出してきた現実のストーリーは物語以上にドラマチックすぎるからだ。彼を題材にするというということはそのストーリーを超えなければならない。それは非常にハードルが高く、リスクも高い課題であることは明らかだったからだ。
 
サイレンススズカ。1994年生まれの栗毛の牡馬である。
生涯で勝った大レースは宝塚記念というG1レースひとつだけだ。
それにも関わらず彼を「史上最強馬」と呼ぶ競馬関係者や競馬ファンは多い。
実はこの僕もそのように思う一人である。
30年間競馬を見てきた中で、5本の指に入るくらい強い馬であったと確信している。
彼を一言で表すならば「神が創造した競走馬の最高傑作」である。
一度ゲートを飛び出すと、そのままぐんぐんと他の馬を置き去りにしていき、
ゴールする頃には馬群に大差をつけ、レコードタイムで勝ってしまう。
まるで彼だけが全く別の生き物で、一人だけ別のレースを走っている。
彼を見た人々は、誰もがそんな印象を受けていた。
彼の圧倒的なパフォーマンスは、実績とか数字を示すまでもなく、
その走りだけで「強い」と思わせる説得力があったのだ。
そんな彼ではあったが、3歳時にはその能力を明らかに持て余していた。
例えばデビュー2戦目の弥生賞。このレースを勝つと皐月賞という大レースへの切符が手に入る重要なレースだった。
デビュー戦で圧勝したサイレンススズカは、キャリア1戦にも関わらず1番人気となっていた。この頃から彼が只者ではないことに誰もが気づいていた。
しかし、このレースで彼はとんでもないことをしてしまう。
レースが始まる前に、競走馬は「ゲート」と呼ばれる柵に入らなければならない。
これは陸上競技のスタートラインにあたるもので、ゲートの前にある自動ドアが開くとスタートとなる仕組みだ。弥生賞のスタート前、サイレンススズカもこのゲートに入り、あとはゲートが開くのを待つだけの状態になっていた。
その時。
何を思ったかサイレンススズカはゲートのドアを下からくぐり、飛び出してしまったのだ。
陸上競技でいえばフライング。もちろんスタートのやり直しになる。
しかし、サイレンススズカはそのまま加速してしまい、なかなか止まらない。
スタート前に大きな体力のロスをしてしまったのだ。
こうなってしまっては流石に勝負にならない。
スタートのやり直しをしたところ、彼は大きく出遅れてしまい、
そのまま何かやる気がなさそうにコースを一周し8着と惨敗を喫してしまった。
このように3歳の頃は、陣営もサイレンススズカの扱いに苦労しており、なんとかして彼の能力を発揮させようと試行錯誤を繰り返した。
例えばある時はゲートの中でテンションが上がらないようにメンコ(仮面のようなもの)を着用した。またある時はレースの前半で体力を温存してラストスパートをかけるような戦法を試みた。しかし、そのような関係者の努力も残念ながら結果に結びつくことはなかった。
そんなサイレンススズカに転機が訪れる。ある一人の男との出会いであった。
武豊。誰もが知っている天才ジョッキーである。
彼は、3歳最後のレースでサイレンススズカに乗ることになった。このレースで武豊には
ある考えが浮かんだとのことである。
「この馬の走りたいように走らせる」
確かに今まではサイレンススズカは単なる「気が荒い馬」と思われていた節がある。
そのために、人間が色々とその気性を矯正しようと苦労してきた。
しかし、そもそもこの馬が「天才」であったとしたならばどうだろう。
天才にとって戦術や馬具のようなものはただの狭い枠組みにしか過ぎない。
むしろそれはサイレンススズカにストレスを与えるだけのものではなかっただろうか。
もちろん、陣営の努力や苦労は尊いものだ。しかしやることはもう全てやったのだ、あとは彼の可能性にかけてみるのも良いのではないか。おそらく武豊はそのような「人智を超えた能力」をサイレンススズカに感じていたのかもしれない。
その武豊の感触は正しかったことがすぐに証明された。
年が明け、4歳になったサイレンススズカは馬が変わったように連勝街道を突き進んだ。
スタートからアクセル全開になったサイレンススズカは自由を謳歌するように伸び伸びと走り出し、涼しい顔で馬群を置き去りにしながらコースを一周してくる。そのようなあっ衝撃を繰り返していったのだ。
圧巻はその年の秋、毎日王冠という天皇賞の前哨戦であった。
このレースには、先述の最強世代から、エルコンドルパサーとグラスワンダーがエントリーし、戦前からどの馬が勝つのか注目を浴びていた。
しかし、蓋を開けてみるとサイレンススズカはいつものようにスタートから高速ペースで逃げると、直線に入る頃には西日を受けた黄金の馬体が一頭だけぽつんと抜け出し、後方の馬群を置き去りにしていた。ようやくゴール前になって後方の馬群から懸命にエルコンドルパサーが追いかけてくるが、時すでに遅し。サイレンススズカの強さばかりが目立つ結果となった。
この馬はどこまで強いのか。
きっと今まで一つしか勝てなかったG1タイトルをこれからどんどん増やしてくことだろう。おそらくこのレースを見た誰もがそう思っていた。
しかし、そのG1タイトルは増えることはなかった。
次のレースの天皇賞、圧倒的な一番人気で迎えたサイレンススズカはいつものように自由に伸び伸びと走っていた。2000メートルの天皇賞の前半1000メートル、サイレンススズカは56秒台で通過していた。これは普通の馬なら暴走の部類に入るオーバーペースだ。しかし、サイレンススズカはそうではない。いつものペースだ。いったいこれはどれくらいの勝ちタイムを叩き出すのだろうか。誰もがそう思ったその瞬間だった。
がくん。
サイレンススズカのバランスがわずかに崩れた。そして彼のスピードがどんどん落ちていく。後続の馬が続々と彼をかわしていき、気づけばサイレンススズカだけがその場に取り残されていた。
東京競馬場のスタンドは観客の悲鳴のような歓声で覆われていた。
骨折。競走中止。予後不良。僕の頭の中にはそんな単語がぐるぐると回っていた。
サイレンススズカはその走りのようにあっという間に天に向かって駆けていってしまったのだ。
このように、サイレンススズカの生涯はあまりにも波乱万丈で、劇的で、悲しすぎた。
彼の生涯を題材にしてしまうと、現実の出来事があまりに衝撃的すぎるため
安っぽいお涙頂戴のドラマになってしまいかねない。
彼を題材にしたフィクションを作ってしまって本当に大丈夫なのだろうか。
僕はそのような懸念を「ウマ娘」に抱いていた。
そして、僕は「ウマ娘1st season」を見進めていくことにした。
 
顔がヒリヒリと痛い。
全てのエピソードをみた僕の頬は涙でカサカサになっていた。
名作であった。
細かいことはネタバレになってしまうので明かせないのだが、非常に完成度の高い作品であった。
この作品で描かれていることは、事実とは大きく異なる点がいくつもある。
しかし、そこから得られる感動は現実の競馬と全く変わることがない、リアリティのあるものであった。
現実では、サイレンススズカの死から一年後の天皇賞で、武豊を背にしたスペシャルウィークが優勝する。その時の武豊の勝利ジョッキーインタビューで彼はこう言っていた。
「最後はサイレンススズカが後押ししてくれました」
当たり前ではあるが、馬は言葉を話せない。しかし、その馬に関わっている関係者やファンの思いは言葉にすることができる。競馬とはただ馬が走ってその結果が残るだけのものではなく、馬の数、人の数だけのたくさんの思いが詰まっているものなのだ。
「ウマ娘」はそのたくさんの想いがウマ娘の言葉や行動として表現されている。つまり、現実そのものとは表現方法は異なるけれども、そのものの持つ意味合いそのものについては何も変わっていない。非常にその辺りのバランスがうまい、「現実よりもリアル」な作品なのだ。
 
かつてある漫画の一場面でこんなシーンがあった。
「お父さん、ジャンヌ・ダルクの火刑を描くとしたら、モデルさんに火をつけたら良い作品ができると思う?」
「馬鹿なこと言うな。絵画は自分の想像力をフル回転して表現するから良い作品ができるんだよ」
現実をよく見て、想像力を膨らませて、作品として「リアル」を表現する。
それが良い作品だとこの会話では言っている。
そして、それが良い作品だと言うのならば、間違いなく「ウマ娘」は良い作品だ。
サイレンススズカという圧倒的な現実から、作者は想像力を膨らませ、
現実と同様のリアリティを持って、サイレンススズカを蘇らせたのだ。
さて、ここまで読んで、やはり「ウマ娘」が気になってきた方もいらっしゃるだろう。
サイレンススズカは、スペシャルウィークはどうなっていくのか。
その続きはご自身の目で確かめてみて欲しい。
そして一人でも多くの人の記憶の中で、サイレンススズカという馬が自由気ままに走り続けることを心から祈っている。
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と野球・競馬観戦。

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2021-04-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.124

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