週刊READING LIFE vol.124

妄想旅行を大切に《週刊READING LIFE vol.124「〇〇と〇〇の違い」》


2021/04/19/公開
記事:白銀肇(週間READING LIFEライターズ倶楽部)
 
 
外出するとき、その目的地に行く手段を調べることが本当に便利になった。
携帯でマップや、交通手段の検索アプリを使えば、手元で簡単に目的地への経路や、交通手段の内容、それにかかる時間といった詳しい情報を、瞬時に確認することができる。
 
とくに、目的地へ行く時間が決まっているときは、これはとても便利だ。
到着時間から逆算して、その経路とかかる時間を調べ、自分が動き出さなくてはならない時刻を確認することができるというのは、とても効率がいい。
前に勤めていた会社では、出張が多かったので、交通手段の検索アプリは本当にお世話になった。
 
ただ、目的地へ的確に行くことより、目的地へ行くまでの過程にどのようなパターンがあるのだろう、とか、その過程でちょっと変化させたいな、と思ったとき、私は「時刻表」のほうが便利であるように感じてしまう。
 
検索アプリは、確かに最も効率のよい旅程パターンを示してくれる。
しかし、例えばだが、旅程の途中のある駅で、食事をしたいから乗換え時間に1時間ほど余裕を見たい、といったような固有の変化をプラスしようとする。
そうすると、なかなか一発で検索はできない。
出発駅からその途中駅まで、次に、その途中駅から目的地まで、と検索を分けないと調べきれない。
時刻表だと、それが一発で調べることができるので、そちらの方が便利だ、とつい思ってしまう。
ただし、このような思いを抱くのは、限られた者かもしれないが。

 

 

 

時刻表とは、日本全国に張り巡らせているJ R全路線や私鉄の路線図と、その路線を走る全列車と全駅の時刻が記載されている本だ。
時刻表を見れば、どの路線で、どんな列車が、いつどのように走っているか、というのが全てわかる。
いささかマニアックな部類の本になろうかと思う。
おそらくは、鉄道好き以外でなければ、興味がない書物かもしれない。
 
かくいう、私も子供の頃は鉄道が大好きだった。
「鉄道命」というぐらい、自分の時間を鉄道書物の読みふけることに捧げていた。
当時は、もちろん今のようなネットや動画などはなく、鉄道のことを知るメディアは図鑑や雑誌のみだ。
おそらく、当時の自分が、いまのYouTubeを見たら、目を爛々とさせ、寝る間も惜しんで鉄道動画を見まくっていたであろう。
 
そんな雑誌や本の中でも、とくに好きだったのが時刻表だった。
時刻表には、華やいだ車両の写真や、トピック記事などは記載されていない。
巻頭に路線図があって、それ以外は、駅名ごとに時刻を示す数字がただ並んでいるだけだ。
果たして、そんな書物のどこが面白いのか?
実は、それが面白かったのだ。
なぜならば、鉄道がより「リアル」に感じられたからだ。
 
例えば、時刻表を見ているその時刻に、見知らぬところで、列車は走っている。
雑誌や図鑑で見た車両が、今このあたりを走っているのだな、という思いになるのだ。
「このあたり」と思う土地は、行ったことも見たこともないけども、いまあの列車は走っているんだ、と思うと、その列車に親しみというか身近に感じていた。
 
いわゆる「妄想」だ。
 
この時刻表で、私はいつもこの妄想を膨らませていた。
そして、この妄想でいつも旅行もした。
憧れの特急や急行列車を乗り継ぐ旅行プランや、雑誌を見て憧れた景色の土地までの旅行プランを組み立てたり、一筆書きでどれだけ旅行できるのか、といったことを思いめぐらせては、時刻表の巻頭にある路線図や路線時刻のページを行ったりきたりするのだ。
 
ちなみに、この妄想旅行、侮るなかれ、だ。
このおかげで、日本の地理と漢字は滅法に強くなった。
地理は時刻表の巻頭にある路線図と路線名、漢字は駅名、だ。
それこそ昔の特急や急行列車の列車名なんかも、その列車が走る土地の昔の地名だったり、その他にも山や川の名前だったりするから、列車の名前を覚えることで、地理やちょっとした歴史の知識につながっていった。
 
漢字は、もっぱら駅名だ。
大型サイズの時刻表になると、誌面のスペースにゆとりがあり、開いたとき左側ページの左端の駅名は漢字表記に対し、右ページ右端にはひらがなで駅名が表記されていた。
だから、子供でも駅名漢字がすぐにわかるのだ。
地方に行くほどに珍しい読み方する駅名も多く、「この駅は、こんな読み方をするのか!」という驚きと、感動あればあるほど、印象として頭の中に強く残る。
驚きと感動があるから、興味もわく。
その駅名の由来を調べてみたり、読み方だけでなく漢字も書いてみたりする。
漢字ドリルや書取りの練習で必死になって覚えるより、はるかに効率がよかった。
 
話がそれてしまった。
さて、この妄想旅行。
 
とにかく、これは面白かった。
自分で、好きな時間を組み立てて、どこの場所でどのように泊まろうか、とか、どこに寄ろうか、とにかく自由だ。
好きなようにできる。
誰にも気兼ねのない、自分だけの世界だ。
妄想旅行の最大の楽しみは、その目的地にどのようにして行くかを考えること、だった。
 
興味を持った旅先を見つけたら、自転車で近所の本屋に行き、その土地のガイドブックを立ち読みする。
そこでの風景や、食べ物、名産、の写真を見ては妄想旅行をよりリアルに膨らませるのだ。
お小遣いに制限があるから、こうした情報収集はもっぱら本屋の立ち読みだ。
だから、本屋にもよく行った。
 
妄想旅行は、毎日していても飽きなかった。
いま思うと、これほどまでに自分の楽しみや好きなことに没頭していた時間はなかっただろう。
 
自分の時間に没頭していたことは、この妄想旅行だけではない。
この他にも、趣味と言えるものはあった。
それこそ中学のころは、ガンプラを筆頭にプラモデル作りに夢中になったし、高校ときはイラストをよく描いたりしていた。
学校の勉強そっちのけで、没頭した。
これも、何かを作り上げることや、出来上がりに満足することだけが目的ではなく、そこまでの過程、プロセスが楽しかった。
 
プロセスの中には、自分のちょっとした成長も感じるときもあった。
この間まで、上手く描けなかったのに、それがだんだん描くことができたりすると嬉しくなった。
昨日できていなかったことが、今日できるようになる。
「やるやん、自分」と自分を褒めたくなる。
 
だけど、いつの間にか、その自分の時間を楽しむ、プロセスを楽しむ、といったことを無意識に手離していった。

 

 

 

高校卒業し、大学へ進学し、そして会社に入り社会人となっていった。
いま思い返せば、このステップを踏んでいくごとに、こうした自分の時間を楽しむことを手離していったように思う。
極端な言い方になるかもしれないが、人との付き合いを優先して、自分のことを置き去りしていったというか、そんな感じも否めない。
 
会社に入ると、それが顕著になっていった。
組織の中に入り込むほどに、自分のことに使う時間の優先順位は、さらに下がっていく。
 
仕事の最大の命題は、少ない時間で、最大の成果、だ。
求められるものは、プロセスではなく結果の世界。
そのような環境下に長くいると、いつの間にか、そんな考えかたに染まっていった。
 
趣味に費やす時間があれば、ちょっとでも自己啓発の本を読んだほうが役に立つかもしれない、とか自分の成長のために何かをしなきゃ、みたいな感覚だ。
自分のなかで、楽しみを味わうといった感覚はない。
会社組織の中での自分をどのように成長させようか、という思いだけだ。
だけど、ちょっと実はそれが苦痛でもあった。
その当時は、あまり気づくことがなかったけど、いまになってよくわかる。
そのときの自分を否定して、違う自分になろうとしている「あがき」であったように思う。
 
「このままの自分では、とにかくダメだ、もっといろんな知識を身につけないと」
自分に知識がないから、とにかく身につける必要がある、という強迫観念めいた思い。
「こんな知識を吸収したい」という、自らが望む思いとはかけ離れていた。
それこそ、時刻表で楽しみながら知識を身につけていったときの感覚なんて、ひとつのかけらもない。
 
効率よく、最大の成果をどのようにして出すか。
このような考えかたが、とにかく自分の細部まで染みとおっていったのは間違いない。
 
出張ひとつにしても、そうだ。
時間と費用の効率を推し量って、最適な行程で出張先へ行く。
これを意識することで経費削減となり、それが会社の利益になる。
 
以前の会社をやめるまでの十数年は、製造工場の管理部門に在籍していたから、こうした効率の追求は最たるものだった。
工場が追及する成果は、生産工程のなかで、少ない人員で、いかに不良品の発生を少なくして、短い時間で多くの数量を生産する、ことだ。
 
人事考課も成果が中心だ。
半年ごとに部下の考課を行っていたが、評価のポイントは、プロセスよりもまず成果。
それでも管理職となった十数年前、人事考課を体験し始めたときは、まだプロセスを評価するポイントがあったように思う。
しかし、考課の方法や基準は、年々変わっていく。
その変化の方向性は、プロセスを評価するポイントをなくし、より成果にウエイトを置いていく、というものだった。
そして、自分も上役から、そのように考課をされるのだ。
管理職ともなれば、その考課の内容は一般社員よりも厳しいものだ。
まぁ、当然といえば当然なのだが。
 
このようなことの繰り返しとともに、プロセスを楽しむという意識が、さらに薄くなっていったと思う。
何も生み出さない、ぶっちゃけていえば「お金にならない」趣味に時間を費やす、ということがいつの間にかできなくなっていた。
 
たまにはイラストを描いてみようか、と思ったりしたことは幾度かあった。
しかし、いざやろうとすると、絵を描いたところで何が得られるの? とか、そんな何にもならないことに費やす時間がもったいないだろう、といった声が自分の中でささやく。
プロセスを楽しむこと、そこに時間を割くことに、罪悪感すら覚えるようになる。
こうして自分の趣味というものは、完全に影をひそんでいった。

 

 

 

45歳を過ぎたあたりだ。
入社してからの年月よりも、会社に在籍できる年月のほうが短くなったことを、強く感じたとき、会社以外のことで自分に何があるの? と問うたとき、自分には何もないことに気がついた。
 
会社の中では、組織の一員としての立ち位置があるが、その枠組みから外れたら、自分には何もない。
趣味にしても、得意技にしても、「自分にはこれがある」と胸を張れるものが一切なかった。
この事実に気がついたとき、とてもショックだった。
 
いま、長年手離してしまっていた、このプロセスを楽しむ感覚を、徐々にだけど、取り戻そうとリハビリ中だ。
人からの評価だけを気にして、自分あらずで、時間効率と結果だけを追い求める考えを薄めようとしている、と言ってもいい。
いずれにしても、自分あらずの結果追及は、結局のところ自分に何も残していないわけだから。
それが、29年間勤めた会社生活に、一旦区切りをつける方向の舵を切った理由のひとつにもなっている。
 
だから、これからは、刻まれるその瞬間瞬間を大切にしようと思っている。
その瞬間に感じた自分自身の思いを、まず素直に大切にする。
そして、その瞬間を重ね合わせていくプロセスを楽しむ時間を大切にする。

 

 

 

先日、本屋に行った。
このとき、ひさびさに時刻表を手にした。
春のダイヤ改正の時季だからだろうか、時刻表がドンと山積みになっていたのを目にしたとき、ふと時刻表に意識がいった。
それを見て、ちょっと懐かしい感覚がよみがえった。
「いまの時刻表でも、妄想旅行はできるだろうか」
そんなことを思った。
 
パラパラと立ち読みする。
読み耽っていた頃と比べて、さすがにだいぶ変わっている。
かつての華やかな特急や急行列車の姿はすっかり影をひそめ、各駅停車や快速といった一般列車の停車時刻ばかりが刻まれている。
昔のように華やいだ旅にはなりそうもない。
各駅停車ばかりの旅になりそうだ。
でも、それもまた一興だ。
 
時刻とは、ことばのとおり、時の刻み。
時間の流れのある瞬間のこと。
そして、その瞬間瞬間に刻まれた時の積み重ねが時間だ。
時刻と時間の違い。
時間の効率とか、結果ばかりを追いかけていないで、その瞬間の時の刻みを意識しよう。
子供のときみたいに、もっと自分の時間を楽しんだっていいじゃないか。
時刻表をみながら、そんなことを思った。
 
ゆっくりと、一駅一駅の景色を立ち止まりながらゆっくり味わう旅というのも、また贅沢なことだ。
それに、その瞬間ごとの景色のなかに、自分にとって最高の景色が見つけられるかもしれない。
その瞬間の自分の思いをしっかりと味わってみよう。
焦る必要はない。
人は人、自分は自分だ。
 
そんなことを、いつでも思い返すことができるようにと、手にした時刻表をレジに持っていった。
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

京都府在住。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、次の生き方を探っている。
ひとつ分かったことは、それまでの反動からか、ただ生活のためだけにどこかの会社に再度勤めようという気持ちにはなれないこと。次を生きるなら、本当に自分のやりがいを感じるもので生きていきたい、と夢みて、自らの天命を知ろうと模索している50代男子。

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2021-04-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.124

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