週刊READING LIFE vol.124

スラッガーの条件《週刊READING LIFE vol.124「〇〇と〇〇の違い」》


2021/04/19/公開
記事:本山 亮音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
野球中継を見ていると実況のアナウンサーや解説者が「スラッガー」という言葉をよく使う。この言葉は「打球を遠くへ飛ばす能力がある長距離打者・強打者のこと」を表す。
 
野球で打球を遠くに飛ばすというのはホームランのことを指す場合が多い。つまり、ホームランをよく打つバッターを「スラッガー」という言葉で表しているのだ。
 
因みに「スラッガー」は英語で「Slugger」と書く。「Slug」は「ナメクジ」という意味で、他動詞では「強打する」や「遠くを飛ばす」という意味もあるから「スラッガー」は打球を遠くに飛ばす「ホームランバッター」の代わりとなったのだろう。
 
日本の野球界で最高のスラッガーといえば、言うまでもなく王貞治だ。歴代ホームラン数868本。世界で一番多くのホームランを打った選手として知られている。メジャーリーグで一番ホームランを打ったのがハンク・アーロンの755本なのだから王の記録がいかに凄いのかがわかると思う。
 
現役のプロ野球選手だと埼玉西武ライオンズの中村剛也が2003年から2020年まで426本が一番多いホームラン数になる。それでも王の半分に及ばない。何せ王は19年連続30本以上のホームランという歴代最高の記録を持っている。しかもその内13年は40本以上。2013年にバレンディン(当時ヤクルト)に破られるまで1シーズン本塁打数55本の記録を持っている。
 
1シーズンに50本以上ホームランを打ったことある打者は王の他に、ローズ(近鉄・巨人・オリックス)、カブレラ(西武・ソフトバンク)、バース(阪神)、野村克也(南海・ロッテ・西武)、小鶴誠(中日・大映・松竹・広島)、松井秀喜(巨人)、落合博満(ロッテ・中日・巨人・日本ハム)だけである。2回以上50本打ったことがあるのは、王、落合、カブレラ、ローズだけだ。
 
それだけ王の記録は偉大だ。王も受賞している国民栄誉賞は、王がハンク・アーロンのホームラン数を破った時に国が称えるために作られた賞である。つまり、王のために作られたと言ってもいい。それほど王の記録は当時、夢を与えてくれたのだ。
 
王がそこまでホームランを打てるようになったのは並大抵の努力では生まれなかった。高校時代は投手で甲子園を優勝した王は、巨人軍へ入団。投手としては大成しないだろうと打者へ転向することになった。
 
打者としては当時の首脳陣や主力選手も目を見張るほどの才能の片りんを見せており、後に監督として王を指導する川上哲治も「王の打者として新人とは思えないほどだった」と語るほど。当時、1塁を守っていた選手が外野転向の提案をされても「彼が1塁へいくなら」とあっさり受け入れるほど王の打者としての才能は周りから評価されていた。
 
しかし、すぐに結果を残せるほどプロは甘くない。1年目は打率.161・本塁打7本を寂しい限り。翌年の成績は、打率.270・本塁打17本と飛躍を遂げ、初めてオールスター戦に出場を果たした。ところが、翌年になると成績は下がり、主軸として期待していた川上哲治監督も阪急ブレーブスの米田哲也とのトレードも考えるほど、期待外れと言わざるを得ない結果しか残せなかった。
 
崖っぷちに立った王の元に新たに打撃コーチとして荒川博がやってくる。荒川は王を一人前の打者として育てることを使命としており、徹底的に王の打撃練習に付き合った。荒川が川上からいわれたことは王の意識革命である。実は王と荒川は旧知の仲である。王が中学生の頃に現役のプロ野球選手だった荒川が、右打席打つ王を見て「左で打ってみなさい」と左打席へ転向をすすめたことがある。その荒川が王の育てる役目を担うことになった。
 
川上は「(王は)3割、25本塁打は十分打てる素質がある」と見込んでいた。成績が伸びない理由は、練習をちゃんとしないために結果が出ず、そのために自信を持てず、更に練習に身が入らない、という悪循環のためだと考えた。実際に当時の王は巨人の練習場である多摩川グランドに見学に来る女性ファンをナンパしていたことがあった。王が亡くなった前妻と知り合ったのもナンパだ。練習の見学に付き添いで来ていた妻を王が見初めて「ドドンパはお好きですか?」と声をかけたことがきっかけだった。
 
そこで、練習に身が入らない王を荒川はひと芝居打つ。練習場で王のスイングを見た荒川は「ひでえもんだ」「なんだ、こんなスイングではドッジボールでしか当たらんぞ」「遊びは上手くなったかもしれんが、野球は下手になったな」と言い放つ。悔しくても言い返せなかった王は荒川の指導に食らいついて必死に練習へ取り組むようになる。
 
王のバッティングを見た荒川は「バックスイング(ボールを打ちにいくときにバットを引く動作)に入る始動が遅いから、打つときにバットの出が遅れるんだ」と判断し、王の代名詞となる「一本足打法」を勧める。写真で見たことある人はわかるかもしれないが、一本足でバランスよく立つためには初めからバットをバックスイングの一番深い位置にしておかないとならない。バックスイングがないため振り遅れることはない。正に当時の王の弱点を埋める打法といえる。
 
しかし、特異の打法を習得するのは並大抵の練習では不可能だ。試合が終わっても夜な夜な王と荒川は一本足打法習得に向けてマンツーマンで練習に臨んだ。練習量を表すエピソードとして「練習に使った部屋の畳が擦れて減り、ささくれ立った」「練習の翌朝、顔を洗おうと、腕を動かそうとしたが動かなかった」という話がある。他にも有名なエピソードとして「天井から吊り下げた糸の先に付けた紙を、日本刀で切る」というのがあった。
 
これは一本足打法の弱点克服のためである。一本足打法は投手がタイミングをずらすと打てなくなる。試合でも金田正一(国鉄)が速球を投げるタイミングでスローボールを投げて王を打ち取っていた。そこで打撃へ集中させてタイミングをずらされても対応できるようにと考えたのだ。
 
他にも当時のチームメイトだった広岡達朗と藤田元司(故人)が練習を見学していたところ、あまりの凄さにいつの間にか二人とも正座をしていたという。野村克也(故人)も王と荒川の練習を見学したときのことを自身の著書に「王の素振りに比べれば私のそれなんて、遊びみたいなものだった」「あれだけ練習した王だから、世界記録を作っても不思議ではない」と残している。さらに「実績ある選手は周囲が意見できないことをいい事に、何かと言い訳をして手を抜きたがるものだが、王は一切妥協せず自分に厳しかった。中心選手はチームの鑑でなければならず、王はまさにそうだった」と評価をした。
 
その王とホームラン王争いをしていたのが阪神タイガースの田淵幸一である。田淵は、法政大学在学中に東京六大学野球のスターであった。長嶋茂雄(立大-巨人)の持つ通算8本塁打を大幅に更新する22本塁打を放ち、一躍ドラフトの超目玉になり、山本浩二、富田勝とともに「法大三羽ガラス」として注目を集めた。
 
熱烈な巨人志望であったが、ドラフトでは阪神が1位指名、迷った末の入団も(1968年)、タテジマのユニフォームに身を包んだ後は四番打者として、巨人にとって最大のライバルとして立ちはだかった。
 
その田淵の魅力は王と同様、ホームランである。力任せに、ただ遠くへ飛ばすのではなく、空中高く飛び出した打球がゆったりとレフトスタンドに舞い降りる。ホームランの打球が描く放物線を「アーチ」という言葉に置き換えることがあるが、田淵の打球は、滞空時間が長く、まさにその美しいアーチを描くようなホームランであった。
 
4年目の1972年には34本、翌73年の通算100号は長嶋茂雄の504試合、王貞治の563試合を大幅に上回る自身424試合目で達成するほどホームラン打者としての素質に恵まれていた。
 
打球の行方を見詰める間、ファンの声援はいったんやみ、そしてスタンドに届いた瞬間、その静寂はその反動で、さらに大きな声援となって球場を沸かせた。狙って打てるホームランではない。田淵が「ホームランアーチスト」と称されたのは、こんな美しいホームランを打つことができたからである。
 
捕手としても強肩が武器で4度のシーズン盗塁阻止率5割越えをマークしたことある。1972年オールスター戦では、通算1065盗塁とシーズン106盗塁を記録した福本豊を3度刺したこともあるほどだ。
 
そして1975年に王を破り、自身初のホームラン王のタイトルを手に入れた。その秘訣の一つが本拠地甲子園球場特有の「浜風」を克服する打法であった。甲子園球場は好天の日、ライトからレフト方面に向けて浜風といわれる風が吹き、レフトポール際の打球がファウルになることが多いが、その克服のため、田淵本人によると「“振る”のではなく、“押す”打法」を研究、OBの山内一弘からのヒントもあって見につけ、ホームランの量産につなげた。
 
その田淵をスラッガーかと言われると「違う」という男がいる。三度の三冠王(ホームラン、打点、打率をすべてシーズンでリーグ1位になること)を獲得した落合博満だ。
 
落合は、私見と前置きした上で「日本の選手で天性のホームランバッターと言えるのは、田淵幸一さん(阪神-西武)と秋山幸二(西武-福岡ダイエー)だけだと思う。体格に恵まれていて、ボールをとらえて遠くへ飛ばすというセンスが備わっているからね」と述べている。
 
その理由として「彼らがホームランを打った時の弾道って、実に美しいでしょう。まさに「アーチを描く」という形容がぴったりの打球。生まれついてのアーチストなんだな」とのこと。つまり、田淵の代名詞であった弧を描く美しいホームランは、一握りの才能を持ちえたものしか放てないといったのだ。
 
一方、王や自分のことを「スラッガー」に入るという。それは「体格的には並みだから、ひたすらバットを振り抜くことで打球を外野スタンドまで運ぶ力をつけた。才能ではなく、鍛錬によって“作られたホームランバッター”なんだ」だからだそうだ。
 
そして落合は作られたホームラン打者である「スラッガー」の共通項として「全打席でホームランを狙っていただろうということ」だと語る。自分自身もそうだったし、王についても「本当に狙っていないのなら、野手が全員右へ寄ってしまう『王シフト』を敷かれながら、「その上を越えてしまえば関係ない」なんてライトスタンドへ打ち込まないもの」と根拠を述べていた。
 
そういえば、田淵と並んで落合が天性のホームラン打者として名前を挙げた秋山幸二は王に次ぐ9年連続30本のホームランを放った記録を持っている。186㎝の長身でありながら足も早く、盗塁王にも輝いたほど。メジャーリーグで10年活躍していたウォーレン・クロマティ筆頭にメジャー関係者が本気で秋山のスカウトをしていたくらい天性の才能が認められていた。
 
現在のプロ野球選手のほとんどは練習で作り上げた「スラッガー」が目立つ。福岡ソフトバンクホークスの柳田、東北楽天ゴールデンイーグルスの浅村、東京ヤクルトスワローズの村上、読売ジャイアンツの岡本と名だたるホームラン打者はいるが、みんな過酷な練習で作り上げてきたホームラン打者だ。彼らの活躍がチームの成績を左右するといっても過言ではない。
 
新たなホームランバッターが出てくるのを楽しみにしながらスラッガーのホームランを楽しむシーズンがスタートしたばかり。球場へは中々足を運べないから生中継を楽しみにしよう。
 
 
 

□ライターズプロフィール
篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

現在、天狼院書店・WEB READING LIFEで「文豪の心は鎌倉にあり」を連載中。

http://tenro-in.com/bungo_in_kamakura

初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって打ち合わせに行くほどのファンで愛読書は鈴木みのるの「ギラギラ幸福論」。現在は、天狼院書店のライダーズ俱楽部でライティング学びつつフリーのWEBライターとして日々を過ごす。

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2021-04-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.124

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