旅の始まりの日 コカ・コーラは命の水だ!《週刊READING LIFE vol.126「見事、復活!」》
2021/05/03/公開
記事:森 団平(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
例えば、山の中で遭難して、崖から滑り落ち足の骨も折れて動けない中、ヘリコプターで救急隊員が助けに来てくれたら、きっと恋に落ちない人はいないだろう。
これは、僕がそんな風にしてコカ・コーラに救われ、コカ・コーラを愛してしまった話だ。
僕の救世主 コカ・コーラ万歳!
小さい頃、僕はコカ・コーラを飲んだことがなかった。なぜかと言えば、親が厳しかったせいだ。
「コーラを飲むと、歯が溶けるよ」
「コーラを飲むと、太るよ」
「コーラを飲むと、血がドロドロになるよ」
今思うと、迷信にしか過ぎない言い方が多いように思うと、幼かった僕はそれを信じた。コーラ=悪い奴なイメージだ。
だから、僕は子供のころ、周りが「コカ・コーラ美味い!!」とか言って飲んでいてもポカリスエットとか爽健美茶とかを飲んでいた。
そんな僕は高校に入った時、一人旅を計画した。
「北海道を自転車で巡る一人旅」
当時の僕からすれば壮大な計画だった。
なぜ、一人旅を計画したのか、それは、狭い世界から飛び出したかったからだった。僕が暮らしていたのは、滋賀の片田舎。狭い世界、狭い人間関係、そんな場所から飛び出して知らない場所、知らない人達に逢ってみたかった。
思えば、なんと若いことだろう。書いていても背中がむずがゆくなる思いだが、本当にそう思っていたのだ。
旅に出ることを決めた僕は、まず資金稼ぎから開始した。
旅をするにしてもその資金を稼がないといけない、人気アニメの「ゆるキャン△」でも登場人物たちがバイトを頑張ってキャンプ資金を稼いでいるが、旅をするにはお金がいる。旅の間の宿泊費も食費もそうだし、移動にもお金がかかる。
なにより、僕が旅の手段に選んだのは「自転車」これを買うのにお金が必要だった。
若くて体力があるのだけが取り柄だった僕が選んだバイトは、土建のバイトだった。春休みの全部をバイトに費やした。毎日、親方の元で水道管を設置するために、スコップで穴を掘り、塩ビパイプに接着剤を塗り、汗だくになりながら働いた。それでも足らないので、夏休みの半分もバイトに捧げた。
夏の日差しは強く、人手の足らない現場は辛く、親方も厳しい人だったが、ともあれお盆も差し迫った8月10日遂に資金をため切ることが出来た。
そうして、僕の元に来た自転車は、「ランドナー」俗に、輪行車と呼ばれる、旅行用の自転車だ。ランドナーはドロップハンドルにタイヤがそれなりに太く、雨よけの付いているのが特徴の自転車だ。
イメージとしては、ママチャリとロードレーサー用の自転車の合わせたみたいな感じ。
最大の特徴は、自転車の分解が簡単で、それを輪行バックという専用のカバンに詰めて運ぶことが出来ることだ。
そうすることで全国どこでも自転車を持って旅をすることが出来る。
僕の元に来たピカピカの「ランドナー」を前に深夜まで僕はニマニマしながら過ごしていた。
相棒の到着に喜んだ僕は、さっそく友達と試走に出かけた、それが行けなかった。旅へ出かける前にやらかしてしまったのだ。
家から1時間の場所にある街まで出かけようぜと意気揚々と出かけた僕は、油断していた。友達とのおしゃべりに熱中していて、前をちゃんと見ていなかった。
気づいた時には遅かった。電柱が目の前にあったのだ。
避けようとして、そして避けきれず正面から激突する。
転げ落ちた僕は、擦り傷程度で大きな怪我などなかったが、ランドナーは違った。正面衝突の衝撃をまともに受けて、フレームがぐにゃりと曲がってしまったのだ。これでは、まともに走ることもままならない。もちろん数日後に迫った旅への出発など出来るはずがない。半年もかけて準備してきたのに僕の計画はここで頓挫してしまうのだ。情けない気持ちでいっぱいだった。
しかし、絶望に暮れる僕を助けてくれたのは父だった。
父は知り合いの鉄工所に片っ端から声をかけて超特急で直してくれるところを見つけてくれたのだ。代わりのフレームを購入するのではなく、フレームを溶接で直すなんてだれが考え付くだろう。
しかも、アルミ製のフレームを溶接できる鉄工所なんて多いはずはないのに、息子のために頑張ってくれた父には感謝しかない。
そうして、壊してから3日後、ランドナーは僕の手元に帰ってきた。
ピカピカの青いフレームの折れた部分には無骨にアルミがまかれて満身創痍な感じだが、それでも走ることが出来る。
不格好でも乗り心地には全く問題がなかった。
8月13日深夜
父に見送られ僕は、出発した。
輪行バックにランドナーを収納し、カバンに着替えや道具を詰め込み、大垣発「夜行快速ムーンライトながら」に乗り込む。
昨年、この歴史ある夜行快速も引退してしまったのは思い出が消えてしまうようで残念でならない。夜は床に新聞紙を引いて寝た。周りもそんな人たちがたくさんいたものだ。もう今はできない懐かしい旅行スタイル。
翌早朝、東京駅に到着し、普通電車を乗り継いで青森を目指す。
青春18きっぷを使用した、格安旅行の知恵だ。
そして青森からは最終の青函フェリーに乗り込んだ。
8月15日早朝
僕は、遂に函館港に降り立った。
家を出てから約30時間、ひたすらに移動し続けた時間だった。
そして、ここからも移動の連続が始まる。
フェリーから降りて、さっそくランドナーを組み立てる。長い移動にも関わらず、どこも壊れていない。組み上げたランドナーの後輪にサイドバックを取り付ける、ハンドルの間にもフロントバックを取り付けた。
中には、着替え、親から借りたカメラ、コンロなどの簡単な野営道具、パンクなどに備えた修理道具などが詰め込まれている。重量は20キロを超えていた。
記念すべき、旅の第一歩。ペダルをグッと踏み込む。
重量を増したランドナーはそれでも軽やかな滑り出しを見せた。
早朝の函館の真夏にもかかわらず空気は乾いていてとても気持ちがいい。
途中で朝市によって、海鮮丼を食べる。
イカがぷりぷりしていてとても美味しい。なんだか旅が始まったという実感がふつふつと湧いてくる。これからの旅路ではどんな出来事が、どんな出会いが待っているんだろうと期待が高まってくるのを感じる。
最高に楽しい気分だった。
ここからの行程は、一日100キロ強を走りながら、太平洋岸を走って、ひたすらに東へ向かう、途中苫小牧、えりも岬、富良野に寄ったりしながら、最東端の納沙布岬を回って最終目的地は屈斜路湖・摩周湖の予定だ。知り合いの宿があるのでそこを目指して旅をする。
北海道を旅した人はいるだろうか? そこは、本州とは全く違う世界。ひたすらに、まっすぐと続く道、広い空と地平線。
そんな場所を、ランドナーと共に行く。一人旅だが、きっとこれから向かう先では、いろんな他の旅人とも会えるかもしれない。
快調にまっすぐに続く道を眺めながらペダルを漕ぐ。
時折、通り過ぎるライダー=バイクでツーリングをしている人達が、挨拶をくれる。左手を人差し指と中指を延ばしてヘルメットに当ててからピュッと振る。
ライダー流の挨拶だ。
僕も、同じように挨拶を返す。言葉を交わさなくても、それだけで同じ旅人として認められているようで楽しかった。
休憩していたコンビニで、ライダーの人達と言葉を交わした。
「やっぱりバイクは良いですね。早くてかっこいいです、ライダーさんが羨ましい」とバイクを見せてもらっていると、ライダーのお兄さんも愛想よく応じてくれる。
「君のランドナーもかっこいいね。自転車は大変だろうけど頑張って!」と励ましてくれた。
「僕はライダーだけど、君はチャリンコに乗ってるから『チャリダー』だね。仲間だ」
チャリダー! そっかぁ、『チャリダー』なんか響きがかっこいい。
ライダーの仲間だなんて嬉しい。
そこから、ライダーの人達と挨拶を交わすのがより楽しくなった。
日も完全に上がって、どんどんと気温が上がってくる。
汗が流れてきた。時折休みながらポカリスエットを飲み、距離を稼いでいく。
昼前に、森駅で人気の駅弁「いかめし」を買って食べる。2匹のぷっくりとしたイカにたっぷりのごはんが詰め込まれている。味が染みてメッチャうまい。
瞬く間に食べ終わってしまった
それから、また走り始める。
50キロを超えたころ、お尻がチクチクとしてきた。
ひたすらに漕ぎ続けた結果、お尻の皮が剝けてきていたのだ。そんな風になるなんて思ってもみなかった。
よく考えたら僕は、満足に試走もせずに出かけてきたのだ。
本当なら琵琶湖一周の試走もしようと思っていたのに。
お尻はどんどん痛くなる。もう、サドルに座っていられないくらい痛い。
仕方がないので立ち漕ぎで走り続ける。
お尻の痛みのせいで距離が思うように稼げない。対処療法としてサドルにタオルを巻いてみたが、それでも痛みはさほど和らがなかった。
長万部の町を通り過ぎる。そこから先は峠越えだ。
「静狩峠」と「礼文華峠」の二つを越えることになる。
今から思えば、僕は考えるべきだった、自分の体調、旅のペース、自分が初めて一人旅をするということ。考えて立ち止まるべきだったのだ。
しかし、その時は何も考えずに僕は走り続けた。
頭の中にあったのはスケジュールの遅れ、何とか今日の予約してある宿までたどり着かないといけないということ。
それだけだった。
それまでの道は、ひたすらにまっすぐで、平らな道だった。
しかし、もちろん峠道に入れば坂がある。峠に至る登り坂だ。
それまでは、平らな道で荷物が重くてもそれを加速に変えて走ることが出来た。
それが登り坂になれば、「重り」以外の何物でもない。
ギアを切り替えて軽くするが、一向に前に進めない。重さは確実にのしかかってきていた。そうして僕は遂に立ち止まった。
降り注ぐ日差しにやられ汗が滝のように流れている。水を飲もうと思ったが、ホルダーに入った水筒には既にポカリスエットは入っていなかった。
一旦休憩し、再度漕ぎ始める。
一時間後、静狩峠の頂にたどり着いた時、僕の体力は殆ど底をついていた。
気合で自転車に乗り坂を下る。
しかし、僕を待っていたのは、更なる登り坂だった。
向かう先は「礼文華峠」
普段ならさほど問題なかった峠だろう。
標高差だって大したことはない。ただ、僕のコンディションは最悪だった。
思いかえせば、二日間はまともにベットで寝られていない。
そうして、登り初めて程なく、僕は力尽きた。
もう一歩も漕ぐことが出来ない。
ランドナーを道端に倒して草むらに座り込む。
お尻が痛いが気にしていられないほど、疲弊していた。
立ち上がることもかなわない。
思えば昼にいかめしを食べてから何も食べていない。夕ご飯は豪華にしようと考えていたから我慢したのだ。なにか栄養を補給しなければカバンを漁るが何も入っていなかった。現地で補給すればいいと思っていたから何も入れていなかったせいだ。
飲み物。それはだいぶ前に尽きた。
僕は舐めていたのだ。土建でバイトをして体力はあるから、自転車旅なんていくらでもできると。
僕は舐めていたのだ。北海道は平らだから走りやすくて気持ちいいとネットで読んだことをそのまま信じて。実際は、峠もあるし……。
何よりも、なにもない場所が異様に長い。
長万部の街を越えてから、食べ物屋さんも、コンビニも、そして自販機の一台も見かけなかった。家の近くならどれだけ走っても5キロもいけば何かあるのに。
草むらに座り込んだまま僕は途方に暮れていた。
あー僕はこのままここで一歩も動けずに、夜を越えることになるのかなぁ。
北海道の夜は寒いと聞いたけど僕は夜を越えることが出来るのだろうか。
もう、帰りたい。そんなことをボツボツと考えていた。
そして、自分のうかつさを罵った。
バカやなぁ。なんで携帯食とかせめてパンとか買わなかったんだろう。
しかし、途方に暮れるだけの僕を状況は許してくれなかった。
長く座り込んでいたせいで、日が落ちてきて汗が引いた代わりに濡れた服が体温を奪う。空腹な身体は新たな体温を生み出してくれない。
ダメだ! このままここにいたらマジで凍死しかねない。せっかく旅に出たばかりなのに。
恐怖に襲われて、僕はランドナーを押し始めた。
乗って漕ぐだけの体力はない。しかし押すだけなら気力でなんとか足が動いた。
それから更に一時間、もう本当にダメだと思った時、僕は礼文華峠の上にたどり着いた。周りは既に暗い。ライトをつけて下り道を走り始める。
急な下り坂が終わりを見せようとしたとき僕は見つけた。一つの明り。
営業していないガソリンスタンドの横に佇む一つの自動販売機だった。
飲み物が飲める。自転車を止め、駆け寄る。
空腹、カラカラの身体にはそのすべてが光り輝いて見えたが、その中でもひときわ輝いていたのが、赤いパッケージに白い文字がまぶしい500mlのコカ・コーラ缶だった。
一瞬親の顔が浮かんで躊躇したが、110円を取り出し自販機に投入、「ガラン」と重い音と共に出てきた缶を手に取りプルトップを開けて、ゴクゴクと喉に流し込んだ。
美味い!!
勢いよく飲み過ぎて、ゲホッむせる。それでももう一度、大きく口を開けて食べる。飲み物のはずだが、僕には食べ物のようにしっかりとした食感が感じられた。「ゴックン」30秒で一缶を飲み干した。
そして、もう一度110円を取り出した僕は、コカ・コーラのボタンを押した。
お腹が空いていたのだ。
今度は座りこんで、ゆっくりと味わうように飲む。
シュワシュワとした炭酸が、身体の中にいきわたっていくのを感じる。脳だけでなく、筋繊維の一つ一つに至るまで糖分が、そして酸素が補給されて回復していく。
コカ・コーラに命を救われた瞬間だった。
2本目のコーラを飲み干したとき、僕の元気は完全回復していた。
大丈夫、今ならどこまでだって走れる気がする。
先ほどまではあんなに重かった自転車を、軽々と押し飛び乗る、ペダルを踏む足には、ググっとトルクがかかるのを感じる。
「おっしゃあ~~!」
だれもいない道、ランドナーを勢いよく加速させながら僕は叫んだ。
さぁ行こう。完全復活、再出発だ。
初日の宿にたどり着いたのはそれから2時間後のことだった。
あの日以来、僕が頼るのはいつもコカ・コーラだ。
いつもは飲まない。でも疲れ果てたとき、元気が欲しいとき。コカ・コーラを飲む。そうすると不思議なことに元気が湧いてくるのだ。
そう、僕の相棒だ。
誰しもにとってそうであるとは限らない。僕にとっての相棒。
今日も、僕はコカ・コーラ片手に戦い続ける。
□ライターズプロフィール
森 団平(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
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