便器にスマートフォンを落として学んだ、茶の湯の心《週刊READING LIFE vol.126「見事、復活!」》
2021/05/03/公開
記事:清田智代(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
これは今から8年前の、秋も深まる2013年11月に、私は自分の「不注意」から、「運」をつかんでしまった話である。
もしかしたら汚く感じる部分もあるかもしれないけれど、それ以上に美しい精神についても紹介したいと思っている。だから少々我慢しつつ、読んでいただけたら幸いだ。
私は高校生の頃は茶道部に所属していた。そして高校卒業後、いく度かブランクがあったものの、もう10年以上、茶の湯を学んでいる。こんなにひとつのことを長く継続できているのは、単にお茶が好きだということもあるが、それ以上に、茶道を教えてくれる先生の人間性によるものが大きいと今では思う。もし先生との相性がよくなかったら、今ごろ茶の湯とは無縁の生活を送っていただろうし、何しろこんなに「度胸」も身についていないと思う――そう、私のお茶の先生は、この10年来、私に茶道の魅力だけでなく、人生とは何かを身をもって教えてくれる、稀有な存在なのだ。
「お茶の先生」というと和服が似合う、しっとりと落ち着いた女性をイメージする方もいるかもしれない。しかし私の先生は、その印象とは少し、いやだいぶ異なる。確かに着物は似合うけれど、一言でいえば、大胆な女性だ。もう一言付け加えれば、大胆で元気な女性だ。若い頃は5人の年子の子供を育てる傍ら、茶道のほかにも懐石料理やパン作り、裁縫などを学び、人に教えられるレベルまでに腕を磨き上げてきた。それだけではなく、今でも旦那さんと2人3脚で会社を営んでいる。それは単に社長夫人としてではなく、重い資材を肩に担ぐような肉体労働もいとわない。また、考え方には筋が通っていて、誰に対しても忌憚なく発言する。そして私のように根無し草で考えがふわふわした人間には一層厳しく、私は大分精神的に鍛えられてきたものだ。茶の湯に関しては長年教えを受けているにもかかわらず、万年初心者であることはここだけの話だが。
さて、そんな先生のことを私は心から尊敬しているし、先生のおっしゃることはまずは全て受入れ、実践しようと心がけてきた。しかしひとつだけ、どうしても受け入れられないものがある。
それは、先生の家の「トイレ」だ。
お茶のお稽古は普段、先生の家にある茶室で行われる。先生の家は築何年になるのか想像もつかないが、少なくとも昭和時代まで遡るのは間違いないだろう。そして先生の家のトイレは、かつて「ボットン便所」と呼ばれていた類の、和式の汲み取り式便所だ。もしかしたら見たことも、使ったこともない方がいるかもしれないので一応説明しておくと、白い陶器の和式の便器は地下に向かって穴が開いていて、その穴の深い奥底には排泄物が溜まっているのだ。私はこのトイレがどうも苦手で、普段からなるべく使わずに済むよう何かと気を遣ってきた。つまり先生の家に行く前は水分を摂るのを控えたり、もしくは必要火急の事態に陥りそうな場合は、お稽古が終わって先生の家を出た後に用を足すようにするなど、とにかく先生の家のトイレにはなるべく近づかないようにしてきた。
しかしどんなに気を遣っていたとしても、生理的な我慢というものには限界がある。
2013年の11月、秋も深まり空気がひんやりしてきた時節、いつもならお稽古は休日の午前中に行われるのだが、その日はたまたま平日の、しかも夜の時間帯に行われていた。私は平日の日中は仕事をしていて、おまけに少しやっかいな残業をしてから稽古に行った。その上職場から先生の家まで1時間ほどかけて車を運転してきたので、身体は疲れが、そして気づかぬうちに水分が溜まっていたのだろう。あろうことか、あのお手洗いに行かざるを得ない状況となってしまった。
話は少し逸れるが、日本語に「茶禅一味」という言葉があるのをご存知だろうか。これは茶も禅も同じだという意味である。禅をという漢字を分解すると「単を示す」と書くが、これは何事にもとらわれない、無駄をそぎ落としたシンプルな心のありかたを指す。禅僧たちもこのような心の在り方を目指し、厳しい修行を繰り返してきているのであろう。そして茶道においても、茶を飲む行為が心を養うという思想が背景にある。だから茶をたしなむ者は、その心境を目指して日々稽古を繰り返すのだ。つまり本来、茶の湯をたしなむということは、単にお茶の点て方や飲み方を学ぶだけではなく、喫茶を通して養生し、禅の教えにも通じる精神を自分のものにすることが自然のうちにできているはずなのだ。
しかし無駄をそぎ落としたシンプルな心のありかたでいることは、簡単なようで非常に難しい。私は普段からスマートフォンを身に着ける習慣があり、俗世間とのつながりを断ち切ることができず、自ら進んで煩悩に苛まれているようなしょうもない人間だ。その上疲れというのは人を注意散漫にさせる恐ろしいもので、その日私は不注意にも、普段稽古中に身につけることはないスマートフォンを懐中にしまっていて、その状態で先生の家のお手洗いをお借りしたのだ。ここまで話せば、この後に何が起こったかは想像に難くないことと思うが、そう、私はスマートフォンを便器の中に落としてしまったのだ。その光景は今も鮮明に覚えているが、見たくもない便器の中には、私の黒のスマートフォンが照明に反射して光っていた。
事態を理解するまでにしばらく時間がかかった。冬が迫る秋の夜、ひんやりとしたお手洗いでしばらく呆然とした後、まずは先生のところに戻り、事のいきさつを正直に話した。排泄物とは違って、スマートフォンは自然に分解されるものではないから、もしかしたら汲み取り業者等に迷惑がかかるかもしれないと思ったからだ。この時点で私には、「便所に落としたスマートフォンを拾う」という発想はみじんもなかった。さてこれからいつどこで誰に何を連絡し、どうやって手続きをとればよいか。平日は休みをとれそうにないけれど、どうしよう。新しくスマートフォンを買うまでの間、どうしようか。恐らく目を泳がせながら、そんなことばかり考えていたら、先生は無表情のまま黙って立ち上がり、茶室を出た。
そう、先生はトイレに行き、「便器の中」に向かっていたのだ。ここで詳しい状況を説明するのは控えたいのだが、先生には「やらずに後悔する」という発想はなく、可能性が少しでもあるものならなんだってやる人だ。ここではつまり、スマートフォンはまだ使える可能性があるから、排泄物の中から拾い上げることを意味していた。
しかし先生ひとりだけではどうしようもなく、だからといって落とした張本人には便器に向かって排泄物を扱う勇気もやる気もなく、ただただ「どうしよう」の5文字しか、頭の中に浮かばなかった。先生はそんな私を当てにするはずもなく、すでに床に就いていた旦那さんをたたき起こし、あらゆる方法でスマートフォンの救助活動が始まった。先生と旦那さんが一生懸命作業をしていたのに、私といえば少し離れたところで立ち尽くし、イヤホンを差し込む穴の奥底まで排泄物がしみ込んだスマートフォンを想像し、吐き気を催していたのはここだけの話である。
作業が始まってから随分と時間が経った後、地下数メートルの排泄物のたまり場に落ちたスマートフォンがついに地上に戻ってきた。その後疲れ果てた様子の先生は無心に付着物を取り除いてくださった。だから私の手元に戻ってきた時のそのスマートフォンは、まるで何事もなかったかのようなぴかぴかな状態だった。その時、先生と旦那さんには、ただただ「ありがとうございました」以外、何も言うことができなかった。
先生と旦那さんのファインプレーと先生の入念なアフターケアのおかげで、真っ黒な画面に、白いリンゴのマークがぱっと浮かび上がり、私のスマートフォンは見事に復活した。先生は私に「よかった」とだけ言って、私を帰らせた。時はすでに0時を過ぎていた。
自分の薄情さには自分自身でも呆れているところだが、今でもわからないのは、先生は、いつも自分自身に関係のないことでもいつも一生懸命に考え、親身になってくれるということだ。便器に落ちた私のスマートフォンの行く末なんて、先生の知ったこっちゃないはずだ。もし私がお茶の先生の立場だったら、便器に物を落とすなんてその人の自己責任だし、ましてや自分がそれを拾ってあげようなんて思いもしないだろう。
この行動への先生の意図は分からないけれど、今も思うのは、先生の精神の崇高さだ。先生には、(基本的には)よこしまな思いはなく、自分自身が「こうしたほうがよい」と思うことに従って行動している。そこには忖度や、損得の勘定が入っていないのだ。あのとき便器の中に身を置いたことはきっと、自分のしょうもない教え子に対し、茶の湯の心――いろいろな解釈ができるものなのだが、ここでは相手を思うこころづかいと定義しようか――について、身をもって教えてくれたものかもしれないと今は認識している。
便器に落としたスマートフォンは、見事に復活――
しかし実は、家に帰ってから充電すべく、スマートフォンに電気を通したが最後、そのスマートフォンにリンゴのマークが再び浮かび上がることはなかった。もしかしたら液体の排泄物が機体の内部の隅々まで染み込んでいたのかもしれない。このことは先生には話していないし、話す必要もないだろう。それ以降、そのスマートフォンは通信機器としてではなく、先生が身をもって教えてくれたひとつの教訓として、そしてこれからも私に異なる形の「運をもたらす」ものと信じて、部屋の片隅に飾っている。
□ライターズプロフィール
清田智代(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
長年茶の湯の道に身を置くも、未だにその精神を悟るにはいたっていない、しがない万年初心者。
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