週刊READING LIFE vol.127

たまごの恨み、晴らさでおくべきか。《週刊READING LIFE vol.127「すべらない文章」》


2021/05/10/公開
記事:白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
休日、家で食べるお昼ごはんは、楽しい。
特に休日初日のお昼というのは、これからまだ休みの時間がいっぱいあるぞ、と期待感に満ちてとても充足した気分だ。
 
お昼ごはんは何をしようか。
そうやって、じっくり考えることができるのも、また幸福なひとときだ。
仕事をしていると、時間に追われる。
仕事中でも、昼の食事は楽しみではあるが、食事をするというよりも食事後に休める時間をどれだけ確保できるか、ということにも意識が向くから、厳密にいえば気持ちの全てを食事に向けられていない。
 
休みの日は、そんなことも気にしなくていいから、食事に全集中できる。

 

 

 

「今日はこれを食べよう」と、あらかじめ目的を決めるのもいいが、「食べるものは何があるだろうか」と台所の周囲を探るのも楽しいもので、これもまた休日だからこその時間の使いかただ。
 
家内や、娘たちはまだ寝ている。
夜遅くまであれこれと話し声が聞こえていたから、お酒飲みながら女子会でもやっていたのだろう。
だから、昼ご飯は自分の分だけをつくればいい。
気楽に、気兼ねなく、自分の食べたいものをつくるのだ。
 
まず自分に聞く。
「いまは何が食べたい?」と。
主食を何にするか、頭に思い浮かべて、いまの気分を確かめる。
あれこれと思いを巡らす。
ご飯、パン、麺類、まず主食はどれにするか。
まるで瞑想でもするかのように、目を閉じて2、3分ジッと佇む。
 
「うん、今日の気分は麺類だな。しかも、うどんだ」
 
「うどん」と閃いたら、気分のスイッチはうどんでしかなくなる。
そして、うどんを「いかに美味しく食うか」という目的に向けて、全ての意識がはたらきだす。
だからといって、やたらと手間をかける、ということではない。
「手軽く、かつ美味しく」だ。
 
この「手軽さ」が、ここではとても大きなポイントだ。
手間を最小限にして、美味しくすることに、価値と達成感がある。
このギャップが大きければ、大きいほど感動を生むのだ。

 

 

 

具材の探索がはじまる。
まずは、冷蔵庫の中をみる。
 
お、たまごが1パックまるまるあるではないか。
「まず、たまごは決定やな」
心のつぶやきが洩れる。
 
そして、うどんに欠かせないもの、「ネギ」だ。
冷蔵庫の野菜室をのぞくと、青ネギが残っている。
これは自分で切らねばなるまいが、あっただけラッキーだ。
ネギを小口切りにする手間なぞ、知れている。
 
あと、他に何があるだろうか。
油揚げがあれば最高なのだが、と思いつつ冷蔵庫の奥の方までのぞき込むが、ありそうにもない。
 
「そういえば、天かすが残っていたかもしれない」
先日、晩ご飯にお好み焼きを作ったときに確か余っていたはずだ、と期待に胸を膨らませながら戸棚をみてみる。
 
あった。
袋に半分ぐらい余っていた。
 
たまご、ネギ、天かす。
オーソドックスな具材ではあるが、間違いのない鉄壁の布陣だ。
 
天かすというのは、薄くちの出汁によく合う。
天かすの油が、ほどよい濃厚感というか、コクというか、なんともいえない深みを加えてくれる。
この味がとても好きだ。
 
そして、たまご。
たまごの白身がちょっと色づいたかな、といった程度の半生状態の黄身が、うどんやおそばの出汁に、これまた本当によく合う。
 
私の場合、食べるときにすぐにたまごを割ってかき混ぜるようなことはしない。
 
まずは、普通にうどんの味を楽しむ。
後半以降に、たまごによる「味変」を楽しむのだ。
 
食べるときに、まず黄身がどこに潜んでいるのか、その場所をしっかりと認識する。
間違っても、箸で突くことがないようにするためだ。
黄身を崩すのは、だいたい6割から7割ぐらい食べたあたりが最適だ。
 
半分を食したあたりで、さてどのあたりで黄身を崩すか、その頭の中でその算段がはじまる。
うどんや出汁が多く残りすぎてもいけないし、かといって少なすぎてもいけない。
これはもうその時の感覚でしかなく、神経を研ぎ澄ます瞬間でもある。
味変をいかに楽しむか、その味変でもっていかに自分を楽しませるか、そのことに神経が研ぎ澄ますのだ。
 
黄身を崩したあと、それをかき混ぜて出汁に薄めるなどはありえない。
求めるものは、黄身の芳醇で濃厚な味と、わずかばかりに加わる出汁の味との合わせ技だ。
 
ご存知の通り、黄身の大きさは知れている。
おそらく、濃厚な味のまま堪能できるのは、崩してからかせいぜい三口ほど、といったところだ。
だけど、その瞬間がたまらない。
 
一口目、黄身の味≧出汁の味
二口目、黄身の味=出汁の味
三口目、黄身の味≦出汁の味
 
文章で表現すると、こんな感じだろう。
ある意味、刹那的だ。
しかし、刹那的であるからこそ、その味変にまた価値があるのだ。
 
すくい切れずに出汁に薄まっていってしまう黄身もあるが、それはそれでいい。
出汁に薄まっていった残りの黄身は「余韻」だ。
刹那的な味変化を楽しんだ後、こんどはその余韻に浸るのだ。

 

 

 

味変の至福に思いを馳せながら、白だしと液体昆布だしと水で混ぜ合わせた出汁を小鍋に入れて火にかける。
沸騰するまでの間、冷凍うどんを600W4分間でチンする。
 
うどんがチンされたちょっと後に、だいたい小鍋の出汁が沸騰し出す。
いいタイミングだ。
 
すでにレンジで熱くなったうどんの袋をハサミできり、うどんを小鍋に入れる。
すでに熱が入っているから、さっと馴染ませるように湯がく。
 
うどんを小鍋に投入したら、いよいよたまごの投入だ。
ここからが、慎重を期する時間帯となる。
 
たまごを慎重に割り入れる。
黄身を崩してしまおうものなら、その瞬間にもうゲームセットだ。
立ち直れないぐらいに気持ちが萎えてしまう。
 
無事に割り入れられることができたら、ここから小鍋のなかのものを全てどんぶりに移し終えるまでが、さらに緊張をもって対処しなくてはならない。
それは、まさにジェット旅客機が着陸するときに、オートパイロットから手動操縦に切り替わる「魔の8分間」のようなものだ。
 
ポイントは二つだ。
 
まず、火加減。
煮立たせつつ、余熱を使いつつ、白身を少し色づかせる。
ここで火を加えすぎてしまったら、黄身が固まってしまう。
間違いなく、これはアウトだ。
 
次に、鍋からどんぶりへの移し替えだ。
ここが、もっとも慎重を期する時間かもしれない。
ここで荒っぽいことをしてしまうと、たまごが潰れてしまう。
過去の体験上、ここでたまごを損ねてしまう確率が一番高い。
 
全集中の呼吸だ。
 
小鍋をゆっくり傾ける。
なかのものが一気に流れ込まないように、徐々に傾け、出汁を緩やかに流し込んでいく。
うどんの塊とともにたまごが一気に流れ込んでしまったら、どんぶりに着地したと同時に、うどんの重みでたまごは間違いなく潰れてしまう。
うどんは、特に太さがあるからその確率は高い。
 
あらかた、出汁を流し込めたら、いよいようどんだ。
箸で一気に流れ込まないよう、さらに息を殺して慎重に介添えしつつ移していく。
もちろん、このとき間違ってもたまごに箸を当てるようなことをしてはいけない。
 
全てをどんぶりに移し替えたら、ミッション完了だ。
黄身の姿が、無事であることがわかると同時に安堵の息をつく。
湯気立つうどんの面に、天かすとネギを加える。
 
さあ、ここからが、お持ちかねの至福の時だ。

 

 

 

テーブルにどんぶりを運ぶ。
出汁の香りが食欲をそそる。
一味唐辛子を思う存分かける。
 
レンゲで出汁をすくい、香りがかぎながら口に含む。
出汁の味が、口のなかに広がっていく。
濃度、塩加減、バッチリだ。
天かすの油はしっかりコクを出し、予想通りいい仕事をしている。
 
黄身がある場所の確認し、黄身を損なわないようにそっと箸を入れる。
うどんをすする。
ネギと天かすも口の中に運ばれ、もう最高の気分である。
ひとまずは、普通の天かすうどんの味を楽しむことに集中する。
まだ、たまごをどのタイミングで潰すかを考えるのも、もうちょっとこの味を楽しんでからだ。
 
こうして至福ひとときに浸りはじめた、そのときだ。
足音がする。
 
娘たちだ。
なんというタイミングで起きやがるのだ!
 
「あー、なんかいい匂いがする」
匂いにつられたかのようにキッチンにやってくる。
まだ寝てればいいものを、よりによってなぜこのタイミングで起きてくるのだ!
このシンクロニシティを思わず呪う。
 
「あー、美味しそう。おなか減ったー、ひと口ちょうだーい」
 
やはり、そうきたか。
確かに、この匂いと光景をみたら、誰しもがそうなるわな。
まぁ、ここは大人げないことしてもしょうがない。
持っていた箸を渡す。
「ほんまに、ようこんなタイミングで起きてくるもんやな」と、ひとことブーたれながら、席を明け渡す。
 
「えへへ」と言いながら、空いた席に座る娘。
ほんの少しの時間だけど、娘が食べている間に使った鍋を洗おうと思い、流し台に体を向ける。
 
鍋に手をかけたとき、ハッと、気がつく。
そうだ! たまごが入っている。
それを潰さないようにと注意しなきゃ! と思い振りかえろうとしたそのときだ、「あっ!」という声が聞こえた。
 
「たまご入っていたんやね、ごめーん潰してもうた」
 
「……!!」
一瞬からだが止まり、ことばにならない叫びが心に響く。
 
大事に、大事に育てあげ、まさにこれから味わおうとしていたさらなる至福の瞬間。
それが、事情を知らぬ娘の手によって、あっけなく打ち壊されてしまった。
 
やってまいよった、コイツ。
なんということをしてくれんねん!
ここまで来るのに、どんだけオレが気を使ったことか……。
この始末、どうしてくれよう!
 
積み上げてきたものを、あっさりにこやかに崩されるものほど、心が打ち砕かれるものはない。
私の心のなかは、赤黒い憤怒の感情が渦まくようにこみ上げ、ずるずるとダークサイドへ落ちていく。
 
「てめえ、こら! なんてことすんねん! 人の至福の楽しみを奪いやがって!!」
と、なりふり構わず怒鳴り散らす。
 
……てな、ことがきたらどれほどいいか。
 
娘も「ごめん」と、いちおうは謝罪している手前、感情をむき出しにはできない。
「そのたまごを、後々のお楽しみとして、大事にとっておこうと思ったのに……」
思わず吹き出てきそうなる心の赤黒いものを必死になって抑え、できる限り平静な口調で言う。
 
どんぶりを見ると、黄身は出汁に溶け出し同化しつつある。
その変わり果ててしまった姿に、落胆しながら残りを食す。
私の至福は、味わうことなく終わった。

 

 

 

赤黒い感情は、まだくすぶったままだ。
このままでは、気が収まらない。
食べ終わってから、自分の部屋に戻る。
赤黒い感情を始末しないと、このままではずっとダークサイドに陥ったままになってしまう。
 
我が家には、人に対する感情が膨れあがったとき、辛辣なことばを書きつらねる専用のノートがある。
私たち家族全員が、個々に持っている秘密のノートだ。
人付き合いのいろんな場面で、自らの感情を損ねたとき、そこに相手に向けた悪口雑言を撒き散らすのだ。
そのノートには、それはそれはもう、とてもこの場では言い表せないようなことが、たくさん書き連ねられていく。
 
そのノートを、我が家では「デスノート」(*)と呼んでいる。
 
我がたまごの恨み、いざここで晴らさん!!

 

 

 

(*)「デスノート」
この呼び名は、家内がつけた。
使い方は、個人の自由であり、その表現方法は一切問われるものではない。
ただし、非常に過激な内容が記述されることから、その秘密保持には厳格な管理を要する。
これは私的憶測ではあるが、私などは、家内が持つデスノートの中で、おそらくは幾度となく殺められていることであろう。
デスノートという名は、まさにそんなことが由来となっている。
職場やいろんなところで、その人間関係で嫌なことがあったときに、「あいつ、腹たつ! もうデスノート行きや」と、いったセリフが我が家ではよく交わされる。
 
ただし、このノートの用途は、あくまで個人の感情を納得がいくまで整理することが目的である。
間違っても、「呪いの〇〇人形」のように怨嗟でもってその相手をなんとかしてしまおう、ということではないので、そこは決して混同した理解をなさらないようご注意いただきたく。
 
さらにこのノートの詳しい活用方法として、以下の記事をご参考していただけたら、大変嬉しい限りです。
 
「ノート 〜一生もんのパートナー〜」

ノート 〜一生もんのパートナー〜《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》


 
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

京都府在住。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、次の生き方を探っている。
ひとつ分かったことは、それまでの反動からか、ただ生活のためだけにどこかの会社に再度勤めようという気持ちにはなれないこと。次を生きるなら、本当に自分のやりがいを感じるもので生きていきたい、と夢みて、自らの天命を知ろうと模索している50代男子。

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2021-05-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.127

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