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週刊READING LIFE vol.129

「今この瞬間」に生きててよかったと思える生き方を《週刊READING LIFE vol.129「人生で一番『生きててよかった』と思った瞬間」》


2021/05/24/公開
垣尾成利(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「あなたが担当者で本当に良かった。ありがとう」
 
仕事で、お客様に初めてこの言葉を頂いたのは社会人五年目の時だった。
 
私は地方銀行に勤務している。
この時は担当していたお客様から住宅ローンのご相談を承り、ご要望に沿った土地を見つけ、建築業者を紹介し、ローンの借入手続きのお手伝いをした。
 
お客様の希望の場所に、思い描いたマイホームの夢を目一杯に詰め込んだ家を建てるお手伝いをすることができた。
引っ越しが終わってすぐ、完成した家に上がらせて頂いた日のことをよく覚えている。
「ここが主人の書斎。主人がずっとほしいと言っていた壁一面の本棚、やっと夢が叶ったってすごく喜んでいます」
一生懸命に取り組んで、お客様にも心から喜んで頂けた、私の銀行員人生の中でも心に残る仕事になった。
 
このお客様からは、その後長きにわたり年賀状を頂いた。
当時小学生のお子様が三人いらっしゃる五人家族のご家庭だった。
「一番上の娘が大学生になりました」
「子供が全員巣立っていきました」
「主人も退職し、これからは年金でお世話になります」
そんな言葉の傍にはいつも「あなたが担当者で本当に良かったです」と、書いてくださっていた。
 
長い人生の節目に、私のことを思い出してくださる瞬間がある。
こんな嬉しいことは無かった。
 
銀行員は転勤が多く、ひとつの勤務先に3年程度でしか在籍しないため、ひとりのお客様の人生に長く関わり続けることは無いのだけれど、このご家族とのご縁を通じて、銀行員という仕事は、お客様に一生忘れない感動をお届けできる仕事だと実感した。
 
以来、お客様の心の中にある器が感動で溢れるように、精一杯気持ちを注いで担当することをいつも意識して実践してきた。
 
それでも、喜びを超える感動をお届けする域にはなかなか達しない。
私の思いだけでは決して届かず、お客様の思いやタイミングなど、様々なことが重なってようやく感動の域を超えるのだ。
 
ここまできて初めて、「あなたが担当者で本当に良かった」と言って頂けるかもしれないのだ。
 
このひと言って、「盛りこぼし」の冷酒のようだ。
桝まで並々と注がれて表面張力で盛り上がる冷酒に更に酒を注ぐと、ひとしずく溢れてグラスの縁をゆっくり伝う。
 
この、零れ落ちるひとしずく。
これがお客様から頂ける「あなたが担当者で本当に良かった」のひと言だ。
このひと言が聞きたい、そう思いながら、今も銀行員として働いている。
なかなかここまで辿り着くことはできないけれど、そう言っていただけた時は、何度聞いても心から嬉しくて、頑張ってよかったなぁと、心が満たされるのだ。
 
最近も「あなたが担当者で本当に良かった」と転勤の時に泣いてくださったお客様がいた。
あちこちの金融機関で相談したけれど、取り合って貰えなかったと仰った。
確かに、お話を伺うと簡単にはいかない厳しいご事情があった。けれど、家を買いたいという強い熱意になんとか応えたいと思い、様々な角度から検証し、大丈夫、必ず返済できる、と確信を持って取り組んだ結果、無事家を買うことができたので、精一杯尽くした結果が実って良かったなぁと、心から嬉しかった。
このお客様も、きっと生涯私のことを覚えていてくださるだろう。
 
このどちらも、私だけが頑張ったのではなく、お客様の気持ちと二人三脚で取り組んだからこそ実った結果だった。
 
銀行員の仕事は、どんなに大きな仕事を成し遂げたとしても、銀行員が主役になることはなくて、いつだって主役はお客様だ。
お金の面で主役であるお客様を支えて、一緒にその夢を実現させる裏方のような存在、それが私の思い描く銀行員の姿だ。
 
私は、自分が主役になるのではなく、裏方として誰かのために精一杯尽くすのが大好きだ。
誰かのために頑張って、喜ぶ顔を見る瞬間が、生きていて良かったなぁと思う時だ。
 
お手伝いしたら、きっと喜んでくれるだろうな、と思ったら、他の人ならやらないようなことでも、なんとかしたいと思うことが多い。
想像力なのか、妄想力なのか、お客様のご相談を承った時に、鮮明にイメージが浮かぶのだ。
ああ、これはきっと実現できる。よし、手伝おう!!
乗っかって、一緒にこの夢を実現させたい!!
 
そう思ったことには全力で関わってきた。
裏方であることに誇りをもって仕事をしてきたぞと胸を張って言える。
こう言えるのも、五年目の時の経験があったからだ。
 
それまでの私は、自己肯定感の低さから、求められた期待値以上のことを形にしないと、私の存在価値はない、と思いながら仕事をしていた。
認められたければ結果を出せ、そんな強迫観念から求められる以上のことをやろうと思っていたので、何をやっても、どれだけ結果が出ても嬉しくも楽しくもなかった。
感じていていたのは、これで否定されないで済む、という安堵の気持ちだけだった。
自分の身を守りたいと思っているだけだったから、お客様に喜びを超える感動を届けることが使命だ、なんて考えたことも無かった。
 
それが、この仕事を通じて大きく変わったのだった。
自己肯定感を満たすためではなく、お客様の夢を叶えたい、そのために全力でサポートしたい、初めてそう思って取り組んだ仕事でもあった。
 
お客様のために全力を尽くす、そう思って取り組んだら、これまでに感じたことのないくらいの充実した気持ちを感じることができた。
 
ああ、これは天職だ、そう思えた。
 
 
同じ頃、仕事以外でも気持ちが大きく変わる出来事があった。
合気道の指導を任されることになったのだ。
大学から合気道を続けていて、町道場に通っていたのだが、先生が東京に帰ることになり、指導者が居なくなるので引き継いでほしいと言われたのだ。
私が引き継ぐか、道場を閉鎖するかの二択、不安もあり大いに悩んだが、断ると道場が無くなり合気道ができなくなってしまうので、引き継ぐことにした。
当時はほとんど生徒がおらず、引き継いだものの続けていけるのかもわからないような状況だった。
けれど、少しずつ生徒が増えていき、あっという間に24年もの月日が経ってしまった。
毎週日曜日の午後、道場には小学生から80歳の高齢者まで、様々な年代の人がやって来る。
 
ある人は健康のために、ある人は親子の共通の時間のために、ある人は上手くなりたくて、その目的はひとりひとり違う。
家庭を持っている人は、家族の時間より合気道の時間を優先して来てくれるわけだ。
もう20年近く通い続けてくれている人も何人もいる。
 
引き継いだ時には実感が無かったが、ここでも銀行での経験が大いに生きていることに後に気付いたのだ。
 
私が指導する合気道が、たくさんの人の人生の中で大切な時間になっている、ということだ。
 
この道場に出会ったことで人生が変わったんだ、そう言ってくださる方がいる。
毎週の稽古を楽しみに一週間を頑張れている、そう言ってくださる方がいる。
引っ込み思案だったけれど、道場に通うようになって明るく前向きになってきたと、子どもの変化を伝えてくださる親御さんもいる。
 
私の経験がみんなの役に立っているということだ。
 
大学から始めた合気道は今年で33年になる。
自分のためにもっともっとと追い求めた経験値がたくさんの人を笑顔にしてくれる。
生徒全員が自分の意志で道場に来ることを楽しみに思って続けてくれている。
ひとりひとりの人生の中に合気道が重要な位置を占めていて、皆が稽古の時間を心待ちにしていてくれる。
道場に行く度に、こんな嬉しいことは無いなぁと思うのだ。
 
道場でも私は主役ではない。
主役は合気道を習いに来ている生徒さんひとりひとりで、私は技術指導としてそれぞれの目指す道を一緒に伴走させてもらう役割だ。
 
指導を引き継いだ頃、師範からこんなふうに言われたことがある。
「時間、金、気持ち、このどれかが欠けたら、その人は来なくなる。今日ここにいる人達は、全てに優先して合気道を大事に思って集まってきている人だ。だからこそ、今目の前にいる人のことだけを大切に思いながら全力で指導することが指導者の最低限の責任だ。来て良かったと思えるように、目の前の人たちのために尽くしなさい」
 
この言葉は、仕事で得た経験と同じことを言っていた。
 
同じ時期に、仕事と合気道の両方から、喜びを超える感動を届けるために、目の前の人のために全力で尽くすことの大切さを学んだのだ。
 
共通することは、相手が応えてくれてもくれなくても、私がそうしたいと思って一方的に「尽くす」気持ちで向き合って、役に立てたと実感できた時に、私は生きてて良かった、と感じているということだ。
 
 
実は、生きていて良かったと感じる瞬間って、何も特別な時じゃないのではないだろうか。
 
その瞬間って、実は日常的にあるもので、自分自身が熱量をどれだけ込めるかによって変わってくるものなのだと思うのだ。
 
素晴らしい景色を目の当たりにした時、何かを成し遂げた時、最高に美味しいものを口にした時、いろんな時に生きてて良かった!! と感じることがあるだろう。
 
それは、特別なことのように感じるが、実はそうではなくて、強く思っていたことが叶った瞬間に訪れる喜びを超えた感動を手にした時で、どれだけ熱量を注いだか? によって、生きててよかった!! と思えるかどうかが決まる、ということなのだと思うのだ。
 
私は、仕事や合気道を通じて、目の前の人に全力で尽くした結果、その人の役に立てた時、ああ、生きていて良かったと感じて満たされた気持ちになることが多い。
 
同じように、日常の様々な出来事にもっともっと熱量を注いで向き合うことができたら、些細なことにでも生きてて良かったと思えるようになるのではないだろうか。
 
人生で一番「生きててよかった」と思った瞬間ってどんな時?
 
それは「今、この瞬間だよ」
 
「あなたが担当者で本当に良かった」と言われた時に感じた喜びが特別なもので無くなるくらいに、常に熱量を注いで日々の生活を送れるようになって、平然とこう答えられるようになりたいと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
垣尾成利(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

兵庫県生まれ。
2020年5月開講ライティングゼミ、2020年12月開講ライティングゼミ受講を経て今回よりライターズ俱楽部に参加。
「誰かへのエール」をテーマに、自身の経験を踏まえて前向きに生きる、生きることの支えになるような文章を綴れるようになりたいと思っています。

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2021-05-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.129

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