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週刊READING LIFE vol.130

子供の旅支度は、親の旅支度。《週刊READING LIFE vol.130「これからの旅支度」》


2021/05/31/公開
記事:白銀肇(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
「東京着いた」
LINEの家族グループに、今年25歳になる長女からメッセージが届いていた。
長女は仕事の関係で東京に一週間ほど滞在するため、この日の朝、大きいスーツケース引きずるようにして家を出ていった。
つい三日前のことだ。
 
家内が娘のメッセージに反応していた。
「東京どない?」
 
「緊張しすぎてようわからん」
「緊張でお腹痛い」
長女がよく使う、ちょっと丸っこいペンギンのスタンプとともにメッセージが届く。
スタンプのペンギンは、「参った」という感じで横にコテンと倒れていた。
 
東京なんて旅行でも行ったことがあるだろうに、そんなに緊張するか、と思わず笑ってしまう。
しかし、仕事でしかも一週間以上も滞在する、という体験は初めてなのは確かだ。
一般的には出張と呼ばれるものに当たるのだが、フリーターである彼女にはその体験がない。
 
そして、この出張の1ヶ月、もしくは2ヶ月後に、今度はその東京でひとり暮らしとなる予定だ。

 

 

 

「7月ぐらいに、3ヶ月ほど東京にいくかも」
長女が、そう言ったのは、今から1ヶ月半ほど前だった。
 
「東京の新店舗立ち上げを手伝ってくれないか、って店長から誘われた」
 
長女は、3年半ほど前から深夜営業する飲食店でアルバイトしている。
そのお店が店舗拡大として、東京に出店することを決めた、ということだった。
 
「それで、新店舗立上げの手伝いって、何をするの?」
 
「東京新店舗で雇った人の教育係をして欲しい、って言われた」
と、長女が答えた。
 
この話を聞いたとき、これはいい話ではないか、とすぐに思った。
どんな業態であれ、新しい事業にゼロから携われるなんて、なかなかあるものではないだろう。
ましてや、アルバイトの位置づけであれば尚更だ。
立ち上げスタッフの教育係というのも、それなりの信頼度がなければお願いされるものでもないだろう、と思うのだ。
アルバイトという立場を超えて、これはきっといい体験になるだろう、とすぐに思った。
 
「それって、結構いい体験になるんとちゃうか?」
思ったことを、そのまま素直に言葉にした。
 
「私もそう思うから、この話は引き受けようかな、と思っているねん」と、答えが返ってきた。
長女も、私と同じことを思っていたようだ。
 
そして、彼女のその言葉を聞いて、私は安心した。

 

 

 

「今の会社を辞めたい」
長女がそう言ったのは、かれこれ今から4年前、まさに今頃の季節だった。
2年間通ったエステティシャン関係の専門学校を卒業して、エステの店舗を持つ企業に就職した。
そして、憧れでもあったエステティシャンになれた、と思った矢先のことだ。
 
高校時代、それなりに成績も良かった長女は、「そこそこの国公立大学は狙える」と先生から言われていた。
しかし、長女は大学進学ではなく、「美」に関連する仕事に憧れを抱き、エステの専門学校を進む道を選んだ。
 
その道に進むことを聞いたとき、ちょっと意外だった。
ずっと大学受験をターゲットにしていたような勉強をしていたり、文系理系いずれにするか悩んだりしていたから、てっきり大学進学するものと思っていたからだ。
 
「自分が『学びたい』と思うものが、大学にはない」
ちょっとのんびり屋さんにも見える彼女が、えらくはっきりと主張した。
「自分の中では『美』に関することが興味あるから、それを学べるところに行きたい」
さらに、そう言い切った。
 
驚きと同時に、そこまで言い切れることに頼もしさを覚えた。
自分のことを振り返えると、「自分が入れる大学や学部を探していた」というフシがあったからだ。
「やりたいこと」は、大学に入ってから探してみようか的な思いがあったことは否定しない。
さらに言ってしまえば、「周りの雰囲気に合わせて、大学は行っておこう」という思いも根底にあった。
 
自分の好きな道を進んでみたい、という気持ちもなかったわけではない。
当時、絵を描くことが好きで、そちらの道もトライしてみようかと思い悩んだ時期もあった。
しかし、その道を進むよりも、将来的には安定に通じるであろうと思われる大学進学、そして企業への就職、という道を結果として選んだ。
 
それを思えば、自分の思いと向き合い、自分の行くべき道をはっきりと明言しただけでも大したものだ。
本人がそう決めたのであれば、こちらはその思いが実現できるよう応援することにまわるだけだ。
 
のんびり屋に見えていたけど、真面目に自分の軸をちゃんと見据えているのだなと、このとき思った。
 
だから、「今の会社を辞めたい」と言った長女の言葉の裏には、彼女の中で然るべき向き合いと葛藤を経たうえで出てきたものであろう、とも思った。
 
およそ1時間半弱の通勤時間、ほぼ毎日最終電車で帰宅し、翌日は朝から出勤という日々が続いていた。
5月半ばぐらいから、そんな生活リズムから「体がキツいなあ」という長女の声が洩れだす。
やがて、会社のしくみにどうやら自分が馴染めそうにないこと、先輩との折り合いがつきにくい、と言った声が加わっていく。
だけど、「辞めたい」という切り札の言葉までは出さない。
好きなエステの仕事にようやく就けたこともあり、入社してもまだ2ヶ月だ。
おそらく自分の中では「まだ早い」「まだやれることがあるのでは?」といった、いろんな葛藤があったのではないか、と推測する。
 
日を追うにつれて、のんびり屋さん特有のあっけらかんとした表情が影をひそめる。
だんだんと思い詰められていることがみて取れた。
 
「もうええんちゃうか、やれるだけやったのだから。心と体が壊れる前に辞めたほうがいい」
これが、「会社を辞めたい」と言った長女への答えだった。
 
長女の心労が、エステという仕事の相性云々ではなく、その会社のやり方との不一致であることが明らかに感じ取れたからだ。
 
「やるだけやって、しんどくなったということは、それが自分に『合わなかった』ということだけのこととちゃうか。それやったら、早いこと見切りをつけて、進路変更したらいいやん」
 
どうしても無理と思ったら、いったん身を引いたらいい。
身を引いて、気持ちが落ち着いてから、次のことを考えたらいい。
そう思うのだ。

 

 

 

前に勤めていた会社で、管理職を経験させてもらっていた時のことだ。
 
心を病んでしまった部下の面談を、上司として幾度か体験したことがあった。
そのような人たちは、本人は頑張ろうとしているのだけど、どうにもやる集中できない、やる気になれない、そして長期療養となっていくパターンが多かった。
 
この体験を通してわかったことは、仕事が「できている」「できていない」という言葉で判断してはいけない、ということだった。
その仕事がその人に「向いているのか」「向いていないのか」をまず考えなくてはならない、ということに気がついた。
 
私らの世代は、「頑張ったらなんとかなる」的な精神論の風潮が多かった。
だから、そのように考えてしまう。
だけど、面談でいろいろと話を聞いていくうちに、頑張ってもなんともならないのは、その人だけの問題ではないだろう、と気づき始めた。
そもそもとして、その人と仕事を含めた環境がマッチしているのかどうか、ということも掘り下げないと解決していかないのでは? と思うようになった。
 
実際にその視点で取り組んだら、職場に復帰できた人もいた。
「できない」という言葉で片付けるのは簡単だ。
でも、それでは何の解決にはなっていないのだ。
 
実際に、私自身もそうだ。
「できている」「できていない」だけで自己評価したら落ち込む。
「向いている」「向いていない」と考える方が、気が楽だ。
そして、気が楽になるから、落ち着いて次のことが考えられる。
 
誰しもが、得手、不得手といったものはある。
不得手のところだけを突いて、その人をあれこれ言うのもアンフェアだ、とも思うのだ。
 
だから、長女が就職して早々に辛くなったのは、なんのことはない、その会社が彼女に「向いていなかった」ということだけの話だ。
だったら、一旦そこを離れて、落ち着いてから次を考え直したらいいのだ。
 
8月に長女は会社を辞めた。
そこからはフリーターとなり、いつもの長女に戻った。
高校からやっていた好きなバンド活動をしながら、自分に合う仕事を見つけて日々を過ごしていた。
 
その後、しばらくしてから他のバンドに移り変わった。
そのバンドにいたメンバーの一人に、今働いているお店の店長さんがいた。
今のお店に勤め出したのは、その店長さんがきっかけであった。
 
そして、その店長が、今回の東京新店舗の店長になることが決まり、長女にサポートをお願いしてきたのだった。

 

 

 

長女は、毎年1月になると百貨店の期間限定アルバイトを申し込む。
そこでは毎年、1月からバレンタイデーまでチョコレートの特設販売が催される。
その特設販売店のアルバイトだ。
 
エステの会社を辞めて初めてそのバイトしたとき、勤めていたお店が売り上げのトップとなった。
そのときの長女は、とてもいきいきとしていた。
お客さんと接するがとにかく面白い、面白から楽しんで販売活動していたら、いつの間にか売り上げも伸びていった、と楽しそうに語ってくれた。
「お客さん対応をするのは、やはり楽しいな」と言っていたことが印象的だった。
自分で、自分の好きなことをあらためて感じていたようだった。
そして、好きなことを楽しくやっていたら、気がついたら実績も伴っていった、という体験。
 
だからであろう。
今の深夜営業のアルバイトと掛け持ちして、このチョコ販売の期間限定アルバイトは毎年必ず応募する。
 
今の仕事も、まさに接客だ。
いろんなお客さんもいるだろうけど、その辺りの不平とか不満の声聞かない。
もちろん、今の仕事がもう嫌だ、という声も聞かない。
それどころか、東京の新店舗立上げという、貴重な体験にむしろ一歩踏み込もうとしている。
店長やオーナーさんとも風通しよく、コミュニケーション取れていそうな話をときどき長女から聞く。
 
自分のやりたいこと、そして周りの環境とも、今回はよくマッチしていそうだ。
 
「今」を楽しく、伸び伸びやってくれたらそれでいい。
そうやって、その瞬間の自分の気持ちを嗅ぎとりながら進んでいれば、そのうちエステの仕事にもつながる可能性だってあるだろう。
あるいは、この新しい体験から、さらにまた違う憧れや道が見つかることだって考えられる。
人生の幅を広げられる機会となることは十分にありうる。
 
この体験を得て、長女がまたどのように変わっていくのか楽しみだ。

 

 

 

「あー、なんか寂しくなるな」
目の前では、長女がそう言いながら、わずか一週間の出張荷物をスーツケースに入れて支度をしている。
 
「出張でそれやったら、今度ひとり暮らしで旅立つときなんて、どないなんねん」
と、笑いながら言葉を返す。
「ほんまやねー」
と、長女も笑う。
 
だけど、そんなやりとりのしながらも、自分の心の中に娘と同じ気持ちがあることは、すでに気がついている。
 
京都から東京。
新幹線でわずか2時間ちょっとの距離だ。
出張でも旅行でも何度も通った場所でもある。
だけど、住まいを別とすると考えたとき、その距離がとても遠く感じた。
こんな感情を抱いたのは初めてだ。
 
自分は、性格的にそんなセンチメンタルな感情は抱かないだろう、と思っていたけどそんなことなかった。
しかも、娘のわずか一週間の出張で、ここまでの感情が湧くとは、自分でも意外だ。
「寂しさ」だけでない、「ちゃんとやっていけるか?」みたいな、余計なお世話的な感情までもが顔を出してくる。
なんだかんだと言って、長らくずっと一緒に暮らして、いろんなことがあったからだろう。
 
そう考えたら、大学進学、就職、様々な転機で、我が子をはるか遠い地へ送られた親御さんってつくづくすごいなあと、今更ながらだけど、しみじみと感じ入ってしまった。
 
いつまでもあてにされても困る。
かといって、いなくなったら、それはそれで寂しい。
困ったものですね、この親の心境というのは。
なかなかに、深く考えさせられてしまうではないか。
 
かといって、いつまでも自分の感傷に浸っていても仕方がない。
いまのうちに自分の気持ちをしっかりと整理しておこう。
今度、ひとり暮らしでの旅立ちで、彼女を快く送り出すためにも。
そして、いつ何時、どんな理由で帰ってきても、当たり前のように「おかえり」と言ってやれるようにするためにも。
娘は、新しい体験をしてステップアップしていくわけだから。
親だって、同じように成長していかなくては。
 
長女が支度している姿を見ながら、子供の旅支度は、親の旅支度でもあるな、と思ってしまった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

京都府在住。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、次の生き方を探っている。
ひとつ分かったことは、それまでの反動からか、ただ生活のためだけにどこかの会社に再度勤めようという気持ちにはなれないこと。次を生きるなら、本当に自分のやりがいを感じるもので生きていきたい、と夢みて、自らの天命を知ろうと模索している50代男子。

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2021-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.130

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