週刊READING LIFE vol.133

泣きたい夜に掃除をしたら、さらに泣きたくなったけど《週刊READING LIFE vol.133「泣きたい夜にすべきこと」》

thumbnail


2021/07/05/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
泣きたい夜は突然やってくる。
 
きっかけは些細なことだ。
 
力を入れていたことがひと段落して自分の手を離れたり、久々に会った友達が充実していてキラキラしていたり、子育てのことで自分が迷っていることを指摘されたり、めったに意見をしてこない夫からできていない部分を優しく諭されたり……。
 
どれもひとつひとつはたいしたことがない、指にできた「ささくれ」みたいなものなのだけど。
 
ただ、ひとたび気になってしまったらつつきまわさずにはいられない。
そうして、無理やり傷つけたところからドクドクと闇がこぼれ落ちてくる。
 
こんな日は、眠れない。
 
夜中に目を覚ますと、子供達がのんきな顔で口をあけて眠っている。なんの曇りもなく平和そうに寝ている姿を見ると、お腹の底からいとおしさと後悔が湧き上がってくる。
 
なんであんなに怒ってしまったのか。
 
子供達のことを咎めた数時間前を思い出す。漏れ出た闇に火種が飛んできたようなものだった。たまたま虫の居所が悪い所に彼らは爆発するきっかけを与えてくれた。たったそれだけのことで、しつこく怒られた彼らの顔を見て、ハッと我に返る。
 
思春期の狭間でぎゅっと歯を食いしばり、涙をたたえながら宙をにらむ長男、謝りながら泣く長女、ただただ泣きじゃくる次女。三者三様ながらも心地よさを感じている人間は一人もいなかった。怒鳴り散らした私ですら、口に苦い味しか残っていない。
 
彼らを怒ったところで、私の気持ちが晴れるわけではないのに、むしろ居心地悪いだけなのに。
 
泣きたいけど泣けない。こんな夜の方が苦しい。
 
そんな夜でも、寄り添って寝てくれる子供達は私なんかよりもよっぽど精神的に大人だ。彼らを起こさないように細心の注意を払って身体をずらした。次女の腕をほどきそっと下におろす。そのとたん次女が顔をしかめてもがいたので、身を固くする。しかし、ほどなくしてすぅすぅと規則的な寝息に戻ったのでホッとする。
 
扉を開け、キッチンに赴く。目は闇に慣れていた。明かりをつけずに暗がりで水を一杯飲みほした。喉にひんやりとした液体が沈んでいった。吹き出していた闇が少しだけ薄まった気がした。
 
「はあ、どうしよ」
 
つぶやいた声は思ったよりも弱っていた。夜が明けるまでまだ5時間以上ある。今、SNSを見たらますます落ち込みそうな予感がするから、他のことで時間をつぶしたかった。
 
そうだ、あれをやってしまおうか。
 
先日、冷蔵庫の下に次女が姉のおもちゃのパーツを入れ込んでしまった。救出しないと代わりがないものらしく、長女はずっと泣き続けていた。
 
簡単にとれるかと思ったけど、冷蔵庫はずらそうと力を込めてもうんともすんとも言わない。その時は、冷蔵庫の中身まで出して動かす気にはなれず、泣いて妹を攻撃する長女をなだめすかし、最後は叱りつけて、その場を抑え込んだ。
 
でも、今日も当たり散らしちゃったからな。どうせ眠れないし、罪滅ぼしがてら冷蔵庫を動かしてみるか。
 
まずは、もう一度冷蔵庫をそのまま動かしてみる。やっぱり動かない……か。仕方がないから冷蔵庫の中身を出していこう。床に新聞紙を敷いて、まずは手前のポケットに収まっている調味料類や飲料類を出す。
 
なんだか、私みたいだな。
 
思わず苦笑してしまう。秩序なく、ぐしゃぐしゃに詰め込まれて、余裕もあったものではない。
 
一つ一つを見れば素材にこだわっているものだからもったいない、と思って溜め込んだものがいつの間にか風通しを悪くしている。私の今の状態を視覚化して見せつけられているみたいだった。
 
とりあえず物の選別はともかく重そうなものは出して、冷蔵庫にもう一度力をかけてみる。上を軽くしたおかげか、上だけがゆらっと動いた。
 
そりゃそうだ、こんな瓶ばっかり入っていたら動くわけがないな。
 
下が動かなかったので、今度は一番下の野菜室を引き出しごと外す。
 
そうして、もう一度押したら、案外すんなりと冷蔵庫は動いた。けれど、肝心のおもちゃのパーツはすぐには出てこない。
 
すごいほこり……!
そう思う前に、身体の方が先に反応していた。大きなくしゃみがひとつ、ふたつ、と出てくる。こりゃいけない。
 
ようやくキッチンの明かりをつけた。よく見てみると、ほこりがそこら中に散乱している。壁にも、冷蔵庫にもびっしりとくっついていて、掃除をした方がよさそう。
 
冷蔵庫の外側も、今の私のようだった。色々と行き詰まって動けなくなってほこりまみれになっている。ネガティブな時には、みんな悪いことが自分自身に重なる。
 
隙間ぼうきと雑巾を駆使して、11年かけて溜め込んだほこりをかきだして、ふき取る。中身を出して、動かして、掃除をして、気がついたら汗だくだった。運動不足だから身体動かさなきゃ、なんて言ってないで、一日一か所真剣に掃除したら、一石二鳥なんじゃないかな。そんなことを思いながら、ほこりの見える部分を拭き、冷蔵庫をずらして、また拭き、を繰り返すとようやくお目当てのパーツが出てきた。
 
というか、出てくるまで本来の目的をすっかり忘れて掃除に夢中になっていた。いつしかさっきまでのどろどろした気持ちもだいぶなくなっていた。
 
掃除ってすごいな。
 
そういえば、前にもどうしようもなく落ち込んだ時、引き出しのものを全部出しては、捨てて、掃除したっけ。考える前に無心に手を動かす。その時間が心も一緒に掃除してくれたのを思い出した。
 
ゴミの日にゴミを出していくたびに心が軽くなって、何に悩んでいたのかも忘れるくらいだった。
 
長女のパーツが冷蔵庫の下に潜り込まなかったら、まだ、ぐずぐずしていただろうな。気分が落ちてくると、片付けや掃除もできなくて、ますます負のスパイラルに陥ることもあるけど、少しずつ掃除したり、片付けしたりすることって大事だな。
 
冷蔵庫の外側もきれいになり、中身も長らく使っていないものは、サヨナラして、冷蔵庫の掃除が終了した。
 
キッチンの片隅からキラキラがあふれてくるようだった。
 
ああ、頑張った。気持ちもすっきりして程よく疲れたし、一息ついたら寝れそうだな。
 
涙の代わりに汗が流れてくれたのかな、すっきりしたな。
 
お茶をいれてダイニングテーブルの定位置に座って、天井を見上げた。
 
あれ、おかしい。
 
今夜に限って私の席の周りにやたらと虫が飛んでいる。しかも、ちょうどジメジメした時期から生ごみの始末が悪いと飛び始める虫だ。
 
でも、ダイニングの方で見かけることはめったにないんだよね。こんなに目につくのは、初めてだった。
 
何かあったっけな?
 
私の席の後ろにはカウンターがあって、そこには私の手作りの保存食スペースがある。味噌や醤油、魚醤に梅干し。時間を見つけて仕込んだ瓶や甕が所狭しと置かれている私の宝物のような場所なのだ。
 
「げっ」
 
リビングに声が響いた。
なんだこれは。
 
カウンターの下に置いてあったワゴンの下段に置いてあるホウロウの大きな器に卵らしき茶色い物体がぎっしりと乗っていた。
 
これってもしや、あの虫の卵?
 
確か、めちゃめちゃあっという間に成虫になるという話を聞いたか見たか、したことがあるんですけど!
 
こんなのが一斉に孵化したら……と思ったらゾッとした。
それだけじゃない、このままどんどん増えたら虫家敷になっちゃう!
 
ワゴンを引き出すと壁や床にも卵が散乱していた。
 
汗で流れたはずだったのに、別の意味で泣きたくなってきた。心地よい眠気もどこかに行ってしまった。
 
やばい、やばい。ここも掃除だ!
 
そこからさらに1時間近く、私は汗をかきながら必死に掃除した。
 
ぽろぽろと落ちてくる卵。そして、最初、卵を発見した器の蓋をあけたら、ちょっと表現できないほどおぞましい状態になったモノがあった。
 
腐敗したものに群がってくれるんだな、まるでナウシカじゃないか……。
 
いやいやいや、そんなのんきなことを言っている場合じゃない。
 
見える限りのものは取って、水拭きしたあとに、さらに清める意味を込めて塩水で拭き上げた。
 
あらかた、終わりが見えた時、夜の闇はうっすらと白くなりかけていた。
 
まさか、本当に夜が明けるまで掃除する羽目になるとは。
 
途中から、泣きたい夜の意味が変わってしまい、なんだか不思議な夜だったけど、とりあえずは当初のモヤモヤは吹っ飛んだ。
 
仕方ないよね。人間だから、自分が力を入れていたことがひと段落すれば気も抜けるし、子育てに迷いまくっているときに正論を言われたら凹むし、仲が良かった友達がキラキラしていたら羨ましいし、夫に言われたことがもっとも過ぎてグウの音も出ないこともある。
 
でも、掃除した冷蔵庫みたいに、自分が大切にしているものでも古くなったら整理整頓をしていけばいいし、時にはえいっと掃除してピカピカになったらきっと元気もでる。
 
また、泣きたい夜が突然やってきて眠れなくなってしまったら、どこかをキレイに掃除しよう。そうしたら、明けない夜はないし、スッキリして前に迎えるから。
 
寝ることができた時間は少しだったけど、朝はスッキリ爽快に目が覚めた。
さあ、また一日頑張るぞ……!
 
キッチンに目をやると、夫が顔面蒼白で立ち尽くしていた。
 
「……ナニコレ、どういうこと?」
 
視線の先には、昨日のなかなか悲惨なホウロウの容器があった。力尽きて朝始末しようと思っていたんだった。明るい所で改めてみると、隙間からそれはそれはリアルなナウシカの世界が垣間見えた。
 
「スミマセンっ、す、すぐに片付けます!」
 
どうやら、一夜明けても、片付けは終わらないようです。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県在住。慶応義塾大学文学部卒。フリーライター力向上と小説を書くための修行をするべく天狼院のライティング・ゼミを受講。小説とイラストレーターとのコラボレーション作品展を開いたり、小説構想の段階で監修者と一緒にイベントを企画したりするなど、新しい小説創作の在り方も同時に模索中。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2021-07-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.133

関連記事