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週刊READING LIFE vol.133

心を揺らして生きるのも悪くない《週刊READING LIFE vol.133「泣きたい夜にすべきこと」》


2021/07/05/公開
記事:高橋由季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
青森の汽車に乗っているとき、私の携帯が鳴った。
母からだ。
私は、電話が嫌いである。
特に母から電話がかかると動悸がする。
それは、母からの電話は「何かあったとき」しか来ないからだ。
兄が入院した、飼い猫がいなくなった、祖母が倒れた、など。
 
1年前は父の訃報を知らせる電話だった。
父は仲間たちと宴を囲み、楽しくお酒を飲んだあと、家のお風呂で突然亡くなった。
寒い冬に特有のヒートショックという現状で、心臓発作だった。
 
母からの電話は、嫌な予感しかしない。
その予感は、見事的中してしまった。
 
「ばあちゃんが、空の向こうに行きました」
 
祖母が、自宅で昼食をとったあと、亡くなったのだという。
食器の片づけをしていた母と、ちょっと前まで話をしていたというのだから、本当に眠るように旅だったのだろう。101歳、誰からみても大往生なのかもしれない。
それでも、家族としては、もっと長く一緒に居たかったという気持ちのほうが強くある。
 
すぐに祖母のもとに駆け付けたかったのだが、私はいま、青森県にいる。
実家のある三重県に、すぐに帰れるはずもなかった。
それに、連続した4日間研修の仕事の移動中の訃報であり、あと2日間の研修日程が残っていた。研修の仕事は代役がきかない。私が居なければ、成り立たなくなる。
 
母と兄は、仕事を終えてから帰ってくるように言ってくれた。
通夜と告別式は、とりわけ祖母と仲の良かった私の都合に合わせてくれるという。
私は、研修の仕事を終えた3日後に帰宅することを告げた。
 
汽車の窓の外は、一面の雪景色だった。
その風景をぼんやり眺めながら、祖母のことを考えていた。

 

 

 

祖母は、明治44年生まれ、6人兄弟の長女だった。
高等女学校という現在の中学校と女子高に相当するところを卒業していて、進学率が低かった時代においては、十分な教育を受けたといえる。
弟たちを背中にオンブして、街頭の明かりで勉強をしていたそうだ。
27歳でお見合い結婚したのだが、当時としては晩婚だった。
弟たちの世話があり、婚期が遅くなってしまったと言っていた。
結婚した翌年に、女の子が生まれる。それが、私の母である。
母が1歳になる前に、祖母の夫は病死した。
当時は、再婚の話もあったようだが、子を生きがいに1人で生きていくという決心をした。
いわゆるシングルマザーとなったのだ。
 
これまで働いたことのなかった祖母であったが、生活のために働く道を選んだ。
縁あって、銀行で働くこととなった。
当時は、女性は結婚したら退職するのが暗黙のルールだったと聞く。
そんな時代に、子持ち中年女性が働くことになるのだから、大変なことも多かったようだ。
祖母は車どころか、自転車にも乗れなかった。遠くの支店への転勤を命じられたときは、長く続く道を、徒歩で通勤していたと言っていた。
 
祖母が職業婦人となったため、母はかぎっ子のような状態となったと思いきや、周囲にはたくさんの親戚がいて、母は淋しいと思った記憶がないという。その言葉とおり、天真爛漫で明るく成長してきたようだ。
 
そんな母は22歳のとき、結婚することになる。
相手は、職場の同僚であった2歳年上の男性であり、後の私の父である。
父は三男坊ということもあり、婿養子となり、3人家族となった。
 
母が結婚したあとも祖母は、ずっと銀行に勤務していたが、孫(私の兄)が生まれたことをきっかけに退職することにした。父と母は共働きであり、兄の世話は祖母の仕事となった。
その4年後には、私が生まれて、5人家族となった。
 
兄も私も学校に行くようになり、孫の世話も一段落したこともあって、祖母は和裁の仕事を家でするようになった。
私は、学校から帰ると、自宅内の祖母の作業場に直行した。
着物の端切れを使って、てるてる坊主を作ったりして遊ぶことが私の日課であった。
いつも、祖母と一緒に居た。
 
食事の準備は、買い物も含めて、祖母が全部していた。
毎日の献立も大変だったろう。「今日は何が食べたい?」とよく聞かれていた。
書籍やテレビで、栄養の勉強をして、私たちの身体のことを考えた食事が食卓に並んだ。
好き嫌いの多かった私は、おかずを残すたびに怒られていた。
「健康な身体は、食べる物から出来ている」が口癖だった。
おかげで、大体のものは食べられるようになった。
 
そんな家庭であったため、私には「母の味」というものがない。
かわりに「ばあちゃんの味」というものが存在する。
甘いちらし寿司や、煮物など、気が付けば祖母の味を探している。
伊豆に行ったときに食べた、金目鯛の煮つけはとても美味しかった。
その感想は「ばあちゃんの煮つけと同じ味だ」というものである。
祖母の味が、私の舌基準となっているようである。
 
兄も同じように思っていたと最近聞いた。
兄の奥さんが「ばあちゃんの煮つけが食べたいというのよ」と話していた。
兄にも「ばあちゃんの味」が染みついているのだろう。
 
祖母は、365日食事を作ってくれて、家族のために働いて、どこにも出かけることはなかった。そのことに文句を言ったこともない。
祖母が86歳のとき、私は祖母に、北海道旅行に行こうと誘った。
初めは躊躇していたが、私と一緒なら、ということで、2人旅に出かけた。
温泉に入り、美味しいもの食べ、短い期間であったが、楽しい旅行になったと思う。
その後、「次どこへ行く?」が口癖となり、年に1回は沖縄や九州、北海道などを旅する楽しみができた。
95歳を超えてからは、脳梗塞になったり、大腿骨を骨折したり、入退院を繰り返すなど、大変なことは沢山あった。
そんなときは、旅行の写真を何度も眺め、「元気になって、もう一度、旅行にいきたい」と言って、リハビリに励み、持ち前の精神力の強さで、何度も復活した。
もしかして、祖母は、不死身なんじゃないかと思ったこともあった。
 
そんな祖母と私は、とても仲良しのように見られるが、1度だけ大きな喧嘩をしたことがある。
 
私は、結婚後も、週に1回は実家に帰っていた。
実家近くで、習い事をしていて、その帰りに実家に寄っていたのだ。
実家で飼っていた亀が暮らす池の掃除もしたかったし、実家に帰る理由はいろいろあった。
でも、今思えば、結婚生活がうまくいかなくて、そんな空間から逃げ出すため、一息つくために実家に帰っていたような気がする。
そこでは、他愛もない世間話をしていた。
 
ところが、結婚して2年くらい経った頃から、祖母は私に、
「早く子どもを産め」というようになった。
 
結婚しても、仕事や趣味に勤しむ私が気にかかったのだろう。
祖母の心配は、よく理解できた。
しかし、当時の私は、すでに結婚生活は破綻していると感じていた。
感じていた、というのは、そう思っていたのは私だけで、相手は何も思っていなかったからだ。だからこそ、話が進まなかったのだ。
 
自分の気持ちを誰にも話せなくて、1人で悩んでいた。
今後の人生について考えだすと、うつ状態になってしまいそうで、できるだけ考えないようにしていた。当然に、子どものことなんて考えることさえできなかった。
そんな事情も知らずに、祖母が私に、子どもを産む大切さを力説した。
 
祖母自身の経験として、子を産んだことで、家族が増え、現在の幸せがあるという実感があるようだった。
「1人子どもを産んでおいて、本当によかった」と何度か聞いたことがある。
その思いがヒシヒシと伝わってくる。
祖母のエピソードとして、一般的な話として、軽く流して聞くようにしていた。
気にしないでおこうと決めた。
 
しかし、祖母の性格は、ある意味しつこい。頑固ともいう。
自分の主張を通すため、私の顔を見るたび「早く子どもを産め」というようになった。
次第に私は追い詰められていった。
 
あるとき、とても精神的に不安定な状態のときがあった。
いろいろとイザコザがあって、この結婚生活をやめてしまいたいという感情が高ぶっていた。
そして、いつもと同じ「早く子どもを産め」という祖母の言葉に、異常なまでの反応をしてしまう。
とにかく感情をぶつけた。
何という言葉を発したのか、覚えていない。
しかし、おそらく祖母が傷つくような言葉を連発したように思う。
ここで、絶縁となってもよいというくらいの心境だった。
泣き叫びながら、実家を後にした。
そんな自分が嫌で、もう実家には帰らないでおこうとさえ思った。
 
しばらくして、祖母から手紙が届いた。
「ばあちゃんが悪かった。あなたのことを考えずにごめんね」
私がここまで頑なに子を産むことを拒否する理由、つまり離婚を考えていることは言っていない。
なのに、私の気持ちを理解してくれていたのだ。
悪いのは私の方なのに……私さえ自分の人生を諦めて、子を産み、一般的な家族という形式整えることができれば、周囲の人たちは幸せになるに違いないのに、それができない私が悪いはずなのに、祖母が謝っている。
辛い思いを祖母にさせてしまった。
手紙を読みながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
以後、祖母から子どもの話を聞くことはなかった。
 
数年後、私は離婚することになる。
離婚の話を両親にしたとき、「考え直せ」「もう少し頑張ってみれば」の連発だった。
何度も考えたし、もう頑張りつくした。
もう、できることは何もない状態だった。
だから、両親の言葉は響かなかった。
でも、分かってもらえるように説明する気力もなかった。
「1人になれないなら死にたい」というしかなかった。
 
そんななか、祖母はこう言った。
「離婚して、新しい人生を生きてみますか?」
 
明治生まれの祖母には、きっと世間体とか何とか理由をつけて、大反対されると思っていた。
あまりに意外な祖母の言葉に驚いた。
私の味方が1人だけでもいることが分かり、本当に勇気づけられた言葉だった。
 
その後、祖母の言葉とおり、私は新しい人生を歩むことになる。
 
考えてみれば、祖母の人生は、困難の連続だっただろう。
戦争を経験し、早くに夫に先立たれ、シングルマザーとして生活を支えるため、働いてきたのである。
その間、家を建て、子を育て、たくましく生きてきた。
そんな祖母からみれば、私の離婚など、大したことでもなかったのかもしれない。
離婚ごときで、生き死にを考える必要もなく、懸命に生きれば、人生なんとかなる。
言葉にはしていなかったが、祖母の生きざまがそう語っているようだった。
 
明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いた祖母の人生は、振り返れば、きっと幸せだったのだろう。
最後に会ったとき、「今年も桜が見たいなぁ」と言っていた。

 

 

 

母からの電話を受け、祖母との思い出をたどりながら、青森のホテルで1人、何もせずにいた。ただ、ベッドに腰かけ、スーツケースも置きっぱなしで、気づかぬ間に何時間も過ぎていた。夕食の予約をしていたのに、閉店時間はとっくに過ぎていた。
立ち上がる気力がなかった。いわゆる放心状態だ。
それでも、明日は研修講師の仕事がある。明るく振舞う必要があった。
一夜で、気持ちを整理して、明日からの自分を創らなければならない。
存分に泣き、明日の自分をフェイクしよう。
祖母が亡くなったことは、誰にも言わなかった。
言葉にしたら、私のフェイクが成り立たなくなることは明らかだったからだ。
きっと涙に暮れてしまう。
だから、次の日からは、祖母のことは思い出さないように努力した。

 

 

 

祖母が亡くなって7年が経つ。
1つ1つ思い出を振り返ると、逢えない淋しさがこみあげてくる。
家族が寝静まった夜、私は泣きながら、この文章を書いている。
 
そんな感情を呼び起こしたくなくて、心を揺らすことなく平穏にしておきたくて、積極的に祖母との思い出を振り返ることを避けてきたように思う。
自分の感情を抑え込み、感情を揺さぶられずに、生きようとするクセがついてしまった。
知らず知らずにうちに、泣くことは、弱さや恥ずべきことのように、負の感情の表現方法として捉えていた。
 
しかし、祖母の想い出は、私が愛されていたこと、いつも味方であったことを自覚させてくれる。それは生きる糧となるものだ。
祖母を思い出して流れる涙は、淋しさだけと思っていたが、感謝の気持ちがあふれ出ている現象のようにも思えた。
愛が大きかったからこそ、感情の揺れの大きくなり、心の振動が涙を発生させるのだろう。
 
感情を抑えた生き方を良しとしていたが、そうでもないのかもしれない。
いつも、涙が流れたあとには、何か前向きな感情が生まれてくる。
泣いたっていい。
自分の感情に対して、素直に生きるのも悪くない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
高橋由季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2020年の天狼院書店ライティングゼミに参加
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2021-07-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.133

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