ひとさじ、ひとしずくの愛は一笑をうむ《週刊READING LIFE vol.135「愛したい? 愛されたい?」》
2021/07/19/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「パパとママはどこ~~~!!」
3歳になる妹はそう叫んで、その場に座りこみ泣きだした。
そんなこと知るか、こっちが聞きたい……。
そういって私もその場にしゃがみこんで泣けたらどれだけ楽だろう。
まっ赤な顔で怒りを私にぶつけてくる妹は子ザルのようでまったく可愛くない。
なんでこんな子を両親は可愛がり、パパ、ママと呼ばせるのかまったく理解できなかった。
泣きたくなるのをこらえて私は妹の小さな手を取り立たせようとするが、妹はその場に座り込んで動かない。しかたなく彼女をおんぶすることにして、池にかかる小さな太鼓橋をわたった。
7才の春、天王寺動物園にある太鼓橋でとっさにとったこの行動は、愛されたいのに、愛する側にまわった瞬間で、その後の人生の私の行動理論を決定づけた。
これから妹と二人で生きていくためには、まず家に帰らなければそう思った。私たち姉妹は両親に見捨てられたのだ。とにかく家に帰ろう。帰ってから近所のおばちゃんか誰か大人に相談しよう。家までの最寄り駅までなんとか電車に乗って帰るのだ。
生まれてから両親の愛を盗む妹を好きになったことは一度もない。ただその時は、守らなければならないと感じた。
「守る」ということが愛する行為であるならば、私は子ザルのような妹をそのとき愛する対象に選んだ。
橋を渡り、キリンの檻までたどり着いたところで、両親は笑いながら私たちの前に現れた。妹は私の背中から飛び降りて、母に駆け寄る。
母は妹を抱きしめながら言った。
「お母さんたちがいなくなったらどうするか、見てみよういうことになって、パパとあの売店の陰から見てたんよ。そしたらまゆみがもも子をおぶってあげたから、感心したわ。すごいね、お姉ちゃん」
私は両親が戻ってきたことより私を試した両親に釈然としない怒りを抱いた。
それから一年くらい経ったころ、両親の別れ話がでた。あれほど口喧嘩がたえなかった二人の会話がなくなり家のなかが急に静かになった。不穏な空気が家のなかにはりつめていたあのころ。父が不在がちになっても母はもう一人で泣くこともなくなっていた。
腹痛が治ったのだ。それまで母は一人になるとときどき泣いていた。幼い妹が私より先に「ママどうしたの?どこか痛いの?」そう聞くと、母は決まって「お腹が痛いだけだから大丈夫」そういって妹を抱きしめた。
抱き合う母と妹の輪に私はなぜかはいることができなかった。
部屋の入り口で二人を見ている私は子供らしい無邪気さのないたたずまいで母は苛立ちを覚えることもあったようだ。
「お姉ちゃんは、本当にパパにそっくりになってきたね」
母の嫌いな父にそっくりになってくる。この何気ない一言は私を傷つけた。愛されたいのに愛されない存在なのだと傷ついた。
愛する父に似てくることは愛する母に愛されないことを意味する。
母が「まゆみ」と呼ぶときは、私を愛の対象としているときだった。
母が「お姉ちゃん」と呼ぶときは、役割をもった家族の一員に呼びかける時だった。
そして妹の呼び名はいつも同じで、変わらない。
そんな小さな習慣のなかから私は敏感に愛されていないと感じとっていた。
愛されるためにはどうすればよいのだろうか。
ただ愛されたいだけだったあの頃……。
ある日、父が私を部屋に呼んだ。
「お母さんと別れることになった。……それでまゆみはお父さんとお母さんとどちらと一緒にくらしたい」
ショックで私の心臓が痛くなった。息が詰まって心臓がこわれてしまうのではないかと思った。大好きな二人から一人選べというのだ。こんな残酷な選択はないと思った。
選べるハズはなかった。私はおし黙った。
注ぎ込む愛の量さえはかることができない大好きな二人から裏切られたように感じた。
父も母もそれぞれに言った。
まゆみのことが大好きなんだ。しかし私は子供ながらに、それがどうしても実感できなかった。
私は母のいる階下におりていって母を見つけた。ちょうど彼女はひな祭りの飾りつけをしている。七段の台座をくみあげて赤い毛せんをひいているところだった。後はひな人形を飾ればよいだけだった。床にひな人形をおさめた箱が散らばっていた。
少し豪華な霧箱のなかに十二一重を着たふっくらとしたお顔の女雛と男雛のお代理様が
向き合って、収められている。
ひな祭りが終わって片付けをするとき、母はよく言った。こうやって向かい合わせにしておくと来年までお雛様は寂しがらずにいられるからね。
そんな愛情深い側面を見せるひとが今度は娘に父と同じことを言う。
「まゆみ、お父さんと別れることになるかもしれない。そしたらお母さんと暮らしたい?」
マザー、私はただ妹と同じように愛されて育ちたいだけ……。それ以外は何にもいらない。
心のなかでそう叫んだ。
モ・ウ・ダ・レ・モ・シ・ン・ジ・ナ・イ
どちらかを選ぶと、どちらかを捨てたことになる。生きてきたなかで最初の選択にこんな苦しくつらいことを言ってくる人たちはきっと私のことなど愛していない。
私はただ親から降り注がれる愛情を日々、感じながら安心して生きていきたいだけた。
しかし現実は毎日、親の顔色をうかがいながら生きている。
結局、両親はその後、別れることはなかった。
最後の選択をせずに済んだのは幸いなことだったが、家族を以前のように無心に愛することをあきらめていった。
母は私より少し妹を愛していた。妹は活発で大人にわかりやすい愛嬌のある娘だった。
当時、昭和の少女の習い事の三種の神器はピアノ、そろばん塾、学習塾だった。
皆、一斉に習い始めるがいつのまにか自然淘汰されていく。
なかでも母が強く勧めたピアノ。習い始めてすぐに私には絶対音感もなく、指先の動きも器用でないことに気付いた。だが母の夢もあってから愛されたい一心で稽古を続けた。
母は仕事から戻ると、私が稽古で弾きならす練習曲を聴いては、心休まると褒めては柔和な笑顔を見せてくれた。
その笑顔が見たくて、私は練習に励んだ。
週に一度、片道30分もかけて通ったピアノ教室の先生はスパルタで、指が覚えて勝手に弾けるようになるまで同じ曲を繰り返し練習させた。それが退屈で演奏中にうっかり居眠りしてしまうと、容赦なくタクト棒で指をたたかれた。
震えあがるほど怖かったが、母の喜ぶ顔や今度こそ妹より愛されたいという強い想いが苦手なピアノに向かわせた。
時はたち練習曲はだんだんと難しくなるにつれて現実は厳しくて指は思うように動かなくなった。音楽への情操や表現力も周りと差がつきはじめたころ、才能がないことをはっきりと自覚した。
愛されるために弾き続けるピアノはいつまで続くのだろう。
そんなことを考えているとピアノから遠のくきっかけが自然とやってきた。
高校受験を控え、生活のウエイトが受験勉強に向かっていったからだ。
中学最後の文化祭で合唱コンクールが開かれることになった。そのピアノの伴奏に投票で私が選ばれた。それはピアノから卒業することをゆっくりと家庭に暗黙知するきっかけになった。
同じクラスに天才的にピアノの上手な女子がいた。山本さんは勉強もできて、誰とも群れずにいつも一人で行動するような少し成熟した女子だった。
ある時、ちょっとした事件が起こった。数学の時間になると騒くばかりの一部の男子達に受験を控えたクラス中がうんざりしていた時だ。数学の教師は、年老いていたので彼らを怖がって注意もしない。
その日、行き過ぎた彼らの授業妨害に、授業の途中で山本さんが席をたって、後方で群れて騒ぐ男子たちに近づいた。そしてリーダー格の男子の頬をいきなりぴしゃりと平手打ちしたのだ。怒った男子が彼女のセーラー服の胸元つかんで罵倒したが、顔色ひとつ変えず彼女は今度は反対の頬をぴしゃりと叩いた。
教室中が騒然となり、別のクラスから教師が仲裁にはいったところで騒ぎが収まった。
その翌日、問題の男子たちに下校時間に私を待ち伏せて声をかけてきた。
「おい岡田。お前、ピアノ弾けるんやってな。俺らが推薦するから、文化祭のピアノはお前が弾け。山本は絶対、弾かせへん!」そういきまいた。
面倒に巻き込まれたくなかった私は小さく、うなづいた。
そして山本さんの存在を無視する形で、ピアノの伴奏は私に決まった。
しかし放課後に一人で伴奏の練習を始めると、思うように上手く弾けない。
苦戦していると歌唱隊に加わっていた山本さんがさりげなく伴奏の手ほどきをしてくれるようになった。
私の心に迷いが生じた。このピアノ伴奏は私ではなく山本さんの方がふさわしいのではないかと思い始めていた。私には合唱隊をリードする伴奏のテクニックなどなかったからだ。
そこで担任教師に山本さんとピアノを連弾で伴奏させて欲しいと願いでた。
もともと何をするにも優秀な山本さんだ。教師も快諾し山本さんも喜んで加わってくれたが、事態は深刻だった。
私は連弾を甘く見ていた。並んで弾くと演奏テクニックの差が際立ってしまうのだ。
安定している山本さんの演奏に並ぶと、楽譜を追いながら弾きこなすのが精いっぱいの力量差はどうしても見落とりしてしまうが、私としても今回の伴奏はあきらめたくなかった。
学校行事の発表会で晴れ舞台になるピアノ演奏は母も心から喜んでくれていたからだ。
なんとしてでも最後の集大成にしたい。
そしてこれを最後にピアノ嫌いを永遠に心のうちに封印してしまうのだ。
もう発表会まで1か月を切ったとき、山本さんは高度な合唱曲をやめて、短い楽曲を2曲に変更してはどうかと教師に提案してくれた。
変更曲は私も練習で弾きこなしていたスメタナの「我が祖国」~モルダウだ。女子だけの合唱にもよくあった。その曲なら弾けると思った。
そして曲を分けることで私たちの個性を活かすことにした。
私は山本さんが差しだしてくれた一滴の愛に救われた。愛されているという感情を実感できた。
男子達はそのなりゆきに不満を募らせた。愛されたがっている彼らはまたもや私を待ち伏せた。
文化祭も近くなった放課後の帰り、一本道の向こうに彼らは待ち伏せていた。
家までつづく道はその一本だけだ。周りは畑で見通しがいい。私が逃げると彼らは必ずおいかけてくるだろう。事態は決して解決も好転もしない。私は意を決した。
通学で使っていた自転車をゆっくりと20mほど後退させた。そして助走しながら自転車に乗り、ペダルを力強く踏み込んでぐんぐんとスピードを上げた。
腰をサドルから浮かして前のめりになり重心を低くする。ペダルを踏みこみ回転速度を上げた。セーラー服のスカートの裾が車輪に巻き込まれたら大ケガだ。
男子たちがスピードをあげて近づいてくる私をただその場に突っ立って見ていた。何をしでかすのか予想がつかなかったからだろう。
近づいてくる自転車を除けなかったら彼らも私も衝突して大惨事になることも厭わなかった。私は片手でハンドルを握りしめ、右手に持っていた教科書とノートでパンパンになった革のカバンを振り上げた。そして目をつむり彼らに突っ込みながら叫んだ。
「私はぜったいに! 山本さんとピアノを弾く~~!」
振り回したかばんは確かに誰かにあたってにぶい音がした。そして実にあっさりとそこを走りぬけることができた。
後ろで私の名前を呼び叫ぶ声が聞こえてきた。
私は後ろを振り向かず、家まで全速力で自転車をこぎ、母の大事に育てているバラの植え込みにつっこんでバラの株を数本なぎ倒した。そしてそのまま自転車を放置して震える手で家の鍵をあけて、ドアを閉めて玄関に座り込んだ。
彼らは追ってこないか怖くて怖くて仕方がなかった。身体の震えは止まらない。
どれくらい時間がたっただろうか。陽も暮れて、仕事から帰ってきた母は、私の尋常でない様子に、我慢強く、事の次第を聞きだしてくれた。
そして私が泣いている間、ずっと抱きしめてくれた。
大事なバラを台無しにしてごめんなさい。
山本さんのようにピアノが上手に演奏できなくてごめんなさい。
不良に目をつけられたことを話せなくてごめんなさい。
話は支離滅裂だったが、母は問題の本質を見抜いたようだ。
「ここからはお母さんにまかしとき!」そういったまま家を出ていった。
その時、確かに母に愛されている確信がもてた。
それから母がどのように手をうったかわからないが、翌日から平穏な日常が戻った。
一風変わった経緯で迎えた合唱コンクールも滞りなく成功した。あれだけ大騒ぎし阻害していた男子達はまるで何事もなかったように合唱に参加していた。
一曲目は私の「モルダウ」を、そして次は山本さんの「翼をください」を二曲伴奏して私たちのクラスは入賞した。
山本さんを含めて女子たちが喜び合っていると例の男子たちも寄ってきて、「合唱よかったなぁ」などと一転、歩み寄ってくる。
山本さんと私は彼らにも一滴の愛情を注ぎこむ。そして笑いあった。
本能的に愛したいところから愛は生まれる。私の知る「愛」はいつもどこかで「慈悲」につながっていたような気がする。
なぜなら生きているかぎり自然とわきあがる優しさや、そうありたいと願う正義が自分の愛情の本質だと感じるからだ。
本当の愛に条件などつかない。
愛するよりも愛されたい。もちろんそうだ。愛されることはいつも心地よい。
でも愛されてばかりだと自分が少し優位にたっていると誤解してしまう。そして相手と比べて優位に立ちたいがための「愛されたい」には、どうしても企てや技巧が生じてしまう。
そんなことに心を囚われるよりも、ひとさじ、ひとしずくだけ相手より余分に愛する方が、自分を人間的な高みに成長させてくれる。
ゆっくりと時間をかけてお茶を蒸すように、相手の喜ぶ顔を浮かべながら、一滴、また一滴と自分にできる愛の欠片をそそぐことで相手の心は温められ、相手もその愛に報いたいと思う作用に私は何度も出会ってきた。
愛されたいなら、愛すしかない。
□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、大阪地場の派遣会社にて現在、新規事業の企画戦略に携わる。2021年 ライティング・ゼミに参加。書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
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