週刊READING LIFE vol.144

ぼくの人生を変えたのは会計事務所で出会ったワニだった。《週刊READING LIFE Vol.144 一度はこの人に会ってほしい!》


2021/10/25/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「会計士」
 
そう聞いて皆さんがイメージするのはどんな人でしょうか。銀縁の眼鏡、びしっと決まったスーツ、受け答えもさわやかなエリートビジネスマン?それとも、髪はぼさぼさ、スーツはよれよれ。膨大な知識をぼそぼそと話すオタクっぽいおっさん?
 
いまでこそ会計事務所での経験を活かしコンサルタントをしているぼくですが、30年近く前、会計事務所で仕事が決まった時、ぼくの頭に浮かんだのもまさしく「エリートとオタク」でした。まさか、そこで出会ったワニに人生を変えられるなど想像するはずもなく……
 
 
ぼくが配属されたのは「会計監査」を行う部署、お客さんの会社の貸借対照表や損益計算書などが正しく作られているのか、調査するのが仕事です。
 
監査、調査、そんな言葉から劇的な場面を想像した方、ごめんなさい、会計監査って実はものすごく地味な仕事。定期的にお客さんの会社にお邪魔して、業績についてヒアリングをしたり、在庫の棚おろしに立ち会ったり。決算のときには、請求書や納品書を帳簿と突き合わせて、決算書があっているかを確認する、とかなり地道な作業が中心です。
 
基本的にはお客さんの協力のもと仕事を進めるので、求められるのは長期的な信頼関係を築く力。正確な会計知識はもちろんのこと、お客さんのビジネス・業務の理解をしっかり積み上げて、この人だったらだいじょうぶ、とお客さんに安心していただくことが大切、専門家と言っても、ほかの仕事と変わりません。イメージしやすいのは、自社の商品知識もお客さんの知識も豊富な営業マン。と同時に、現場の問題を自分で発見・解決できる技術者、それが会計士、といったところでしょうか。
 
というと、すごく優秀な人の集団のように聞こえますよね。でも、それはあくまで理想の話。
現実はスマートで人当り重視の営業系と、知識重視でオタクっぽい技術職系に分かれているのが実態、ぼくの知っている会計士もほとんどがそのどちらかのタイプでした。ただ、中には営業系と技術系、両面を持ち合わせた人もいて、そんな人達は本当に優秀、あっという間に偉くなっていきました。
 
そして、もちろんあの人もそうでした。エリートであり、かつオタク、2つの顔を上手に使い分け、将来は事務所を引っ張っていく人として期待されている人でした。でも、彼には、もう一つ、決して忘れられない特徴があったのです。それは今思い出しても、鳥肌がたつような……
 
ギラリと光る眼と大きな口、その人はワニ主任と呼ばれていました。感情が激しくて、笑う時は大笑い、でも怒る時は一瞬で沸騰。何事にも真剣で、負けず嫌い、とにかく暑苦しい人で、感情暴発の逸話は数えきれないほど。中でも忘れられないのが、新人歓迎会土下座事件。
 
それは、ある年の新人歓迎会。
 
現場では厳しい方ばかりなんですよね、と不安を口にする新人たちに、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、みんな、仕事に対しては真剣だけど、穏やかな人ばかりだから」 リラックスさせようと先輩たちは明るい口調で答えていました。事件が起きたのは、先輩の一人がこう付け加えたときのこと。「あっ、でも一人だけ例外がいるかな。あのワニ主任、あの人は『すごい真剣』だから気を付けた方がいいよ」 隣のテーブルに目をやりながら、冗談交じりにそういった時のことでした。
 
「おい、お前、真剣すぎない仕事ってあるのかよ」ワニ主任が立ち上がりました。顔は怒りで真っ赤、でも口調は恐ろしいほど冷静です。会場は一瞬で静まり返りました。
 
いやぁ、冗談ですよ。すいません、場を取りなおそうと努めて軽い調子で答えた先輩にワニ主任が発した言葉、それは「悪いと思っているなら土下座しろ」 その後、周囲のとりなしで場はなんとか収まったのですが、新人歓迎会はもうお葬式のような雰囲気。誰もが笑うことなどなく、小声でひそひそと話し、ひたすら早く終わるのを待つだけの場となってしまったのです。
 
よく問題にならなかったね。そんな人と一緒に仕事するの、嫌じゃなかった?そんな声が聞こえてきそうですね。もちろん問題になりました。ワニ主任、事務所の所長に呼び出されて怒られていました。一緒に仕事するのなんて無理。逃げ出したい、そんな風にいう人もたくさんいました。
 
もちろんぼくもその一人。ワニ主任との仕事となると夜も寝られない。そんなプレッシャーを感じていました。ただ、このワニ主任には困ったことが一つありました。それは、仕事がものすごく、本当にものすごくできるのです。
 
会計監査はお客さんである会社ごとにチームを組んで行われます。そして、このチームのリーダー役を務めるのが主任。
 
その仕事は、メンバー選定、チームの方針の決定、監査資料と呼ばれる会社数字チェック資料のレビューから、会社社長と会計事務所所長とのトップ会談に向けた事前交渉と多岐にわたるのですが、このワニ主任、どの仕事をとっても一流、その力は所内の誰もが認めるところ。
 
どこまでも真剣にお客さんのことを考え、一方で会計のプロとして曲げたことは絶対に許さない。きつい、きついと口では言いながらも、いつも楽しそうにする仕事をしている。そんなワニ主任を「あいつとの議論は自分を燃えさせてくれる」そんな風に言って会うのを楽しみにしているお客さんの社長もいたほどでした。
 
当然のことながら、チームメンバーに求める質も高く、そして厳しい。ワニ主任が納得できる監査調書を作らないといけないのだけれど、これがとにかくハードルが高い。中途半端な知識、理解で作ったものは、すぐに見抜かれ即却下。情報を集めて、必死に考え抜いて作った資料も、彼からしたら底の浅い適当に作ったもの。大量の修正点を指摘され、やり直しとなるのですが、これだけで済まないのがワニ主任。
 
メンバーの力量を引き上げるのに並々ならぬ熱意を持っているワニ主任、ぼくたちの隣にべったりと張りつき、俺だったらこう考えると、と長~い講義が始まるのです。大量にやり直しを命ぜられたこっちとしては、正直、有難迷惑な話。
 
しかも、長いだけなら黙って聞いていればいいのですが、こちらの意見も求められるからたまりません。とは言え、ワニ主任を納得させられる意見など出るはずもなく、次第にこちらの声は小さくなり、あちらの声はヒートアップ。ぐうの音も出ないほど問い詰められて、黙っていれば激怒されて、というのがいつもの展開でした。
 
実際、ぼくも何度も同じ目にあいました。特に覚えているのは、新人の頃に任された借入金利息のチェック。ざっくり言えば、会社の一年の支払利息が、平均借入金額×平均借入利率で計算される数字と大体あっているかを調べる仕事。
 
簡単そうじゃん? そうなんです、頭ではそう思うでしょ。でもやってみると、意外と難しいんです。
 
平均借入金、平均利率ってどこからそんな数字をもってくるんだと必死に頭をひねったり。いろんな前提を置いて調査したけれど、全く見当外れな結果が出て途方にくれたり。さらに細かい話をすれば、利率は変動なのか、固定なのか、それに為替レート、金利スワップといったデリバティブも絡んできて、かなりマニアック。(すいません、オタクな話になってしまいました)だから、一生懸命勉強して、必要な情報を集めて調査をして、なんとか数字をここまで詰めました、と徹夜で作った資料を提出すると、
 
「お前、この仕事、徹夜する価値があると思っているのか」 冷たく言い放たれました。
 
確かに考えてみれば、その時監査していた会社の規模を考えれば、借入金利息の数字は重要ではありません。細かくやろうと思えばどこまでも検証できるけど、全体に与える影響度を考えたら無視してもいいほど。続けて言われた言葉は、今も忘れられません。
 
「常に全体を見ろ。知識があるのも、分析ができるのも大切なこと。だけど、自分たちはプロとして、常にかけた労力とその効果を考えなければいけない。細かい点に目が行って、大局を見失っているのだとしたら、すべての行為には価値がない」プロとして生きる姿勢を教えられた瞬間でした。
 
こんなこともありました。それは「仮払金」を調べているときのこと。
 
仮払金というのは、例えば従業員が出張する際の費用として会社が一時的に渡したお金。出張が済んだら領収書と残ったお金を返してもらって精算する、みなさんもなじみがあるじゃないでしょうか。チェックポイントは定期的に精算されているか。従業員に渡したままの状態になっていないか、という点です。
 
会社から提出された一覧表を見ると金額は少額、きちんと精算がされているようでした。ここは時間をかけちゃいけない、そう判断したぼくが調査終了とワニ主任に報告すると、
 
「お前、帳簿の動きは追ったのか。領収書は調べたのか」
 
ワニ主任によると、従業員だってアホじゃない。期末に会計士のチェックが入ることだってわかっている。仮払金を使い込んでいたって、借りた金と手書きの領収書を揃えて精算するくらいのことはやってくる。そして、ほとぼりが冷めたころ、また仮払金を申請してくるんだ、と。
 
だから、金額が小さいから問題無しなんて、視野が狭い、思考が浅い。取引の性質に応じて調査のやり方を変える、それができないようなら、いつまでたっても素人に毛が生えたようなもの。簡単に従業員に騙されて、恥をかくのはお前だよ、と。
 
その後、ぼくは言われた通り、帳簿の動きを追い、領収書の束と格闘しました。結果、何も見つからなかったけれど、当初の予定調査時間はとっくにオーバー。これもワニ主任によれば、お前の時間の見積もりが甘いから。最初から作業に必要な時間を見積もって、それを想定した動きをしていれば、こんなことになるはずがないとのこと。俺の講義時間もカウントしたら、お前の付加価値はゼロ、そう言われてしまいました。
 
 
と、とにかくワニ主任との仕事はへこまされることの連続でした。全体を見ろ、と言われたかと思えば、次の瞬間には調査が粗いと言われます。どうしていいのかわからなくなり、動けなくなっていると、時間を無駄にするなとプレッシャーをかけられます。長時間の講義で時間がなくなることもしばしば。とにかくワニ主任との関わりは、すべてに自分の至らなさを痛感させられ、もう勘弁してほしいと思うことばかりでした。
 
だから、みんな、ワニ主任のチームメンバーに選ばれると、とにかく心配で仕方ありませんでした。またひどく怒られるんじゃないか、そしてひどく落ち込むことになるんじゃないか、と恐れていました。
 
ただ、そんな心配をしながらも、みんな、どこかでわかっていたんじゃないかと思うのです。ワニ主任と一緒に仕事をすると、とんでもなく勉強になるということを。一日、いやたった一時間でも一緒に過ごすだけで、今まで考えもしなかったような視点で物事を見ている自分に気が付くのです。そして、ワニ主任のように、どこまでも真剣に、そして、とことん楽しみながら仕事と向き合っている自分に気が付くのです。
 
だから、きっとぼくだけじゃなかったはずです。どこかでワニ主任との仕事を楽しみにしていたのは。怒られるけど、ひどく落ち込まされるけど、ワニ主任に鍛えてほしい。そして、いつかワニ主任に怒られなくなってみたい。だって、それはきっと自分がプロとして一人前になった証なんだから、そんな風に思っていたんじゃないか、そんな風に思うのです。
 
 
その後、ぼくは転職という道を選び、結局、ワニ主任からの卒業証書をもらえることはありませんでした。ただあれから20年がたった今でも、ワニ主任のことを思い出します。特に仕事で難しい判断を迫られた時によく思い出すのです。
 
例えば、自分よりもずっと立場が上の相手との交渉。相手が気に入らないことであっても、正しさを主張しないといけないとき、ワニ主任だったらどんなふうに伝えるのだろうか。
 
例えば、後輩や部下の指導をしているとき。伝えたいこと、身につけてほしいことは山ほどあるけれど、一方で、仕事の質や効率、締め切りがある。ワニ主任はどうやって、バランスをとっていただろうか。
 
そして、仕事で悩んでしまった時、どうしたらワニ主任にように、いつも前向きに、そして真剣に仕事に取り込むことができるだろうか。そんな風についつい考えてしまうのです。
 
思い出すたび浮かんでくるのは、あのギラギラした目と、大きな口。想像するたびに、今でも胃がひっくり返るような、鳥肌がたつような感覚があります。あの頃に感じた緊張感は一生克服することはできないのかもしれません。でも、それでかまわないのかな、と思っています。だって、今でもこうして仕事を楽しんでいられる自分がいるのは、毎日少しでも成長したいと思っている自分でいられるのは、ワニ主任との仕事があったからなんですから。そして、いつの日かワニ主任からの卒業証書をもらいたい、そう思って前に進んでいられるのですから。
 
 
えっ、令和も3年になる今、そんな情熱でぐいぐい引っ張っていくタイプ、もう流行りませんよって? ですよね。わかっています。でも、皆さんにも一度、ぜひワニ主任に会ってみてほしいのです。絶滅危惧種を見るような物珍しさでも構いません。そうしたらきっと……
 
ぼくには確信があります。会えばきっと彼の熱を感じるはずです。そして、その熱は皆さんの心にも伝わるはず。そして、その時、皆さんの情熱にはきっと火がついているはず、ぼくにはそんな確信があるのです。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2021-10-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.144

関連記事