週刊READING LIFE vol.144

人と直接会えることの貴重性についての考察と我が愛しき父母の肖像《週刊READING LIFE Vol.144 一度はこの人に会ってほしい!》


2021/10/25/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「あってほしい人がいます」
 
あなたのお子さんが妙に改まってこんなことを言うとき、想像通りその「あってほしい人」というのは、結婚を考えている人であろう。
 
息子さんであれば、ついにこの時が来たか! と心中で快哉を叫びながら期待に胸膨らまし、しかしそれを悟られぬよう何気ない顔で「ほお、どんな人だい?」と聞くだろう。
 
娘さんであれば、嬉しさ半分悔しさ半分、不安を少々といったところか。それでもその心中を悟られぬよう何気ない顔で「ほお、どこのウマのほn……どんな人だい?」と聞くだろう。お父さん頑張って!
 
つまりここでは、結婚するなり、そこまでいかなくてもお付き合いするなりのことが、当人の間だけで決まりつつあり、それの報告という形が成される。
 
そしてこれは現代ならではの現象なのではないだろうか。 
 
いや、現代と言っても一昔前の光景ではないか、と思われるかもしれない。しかしよく考えてみてほしい。いや、お若い方はあまり想像できないかもしれないが、昔の結婚方式といえば、その多くがお見合いである。
 
つまり、当人同士ではなく、家族同士で決めることであった。
 
余談だが、夫婦別姓への意見に年代的な齟齬があるのは、結婚を家と家との問題と捉えるか、当人同士の問題と捉えるかの違いによるところが大きいように思われる。
 
閑話休題。
 
ともかく、現代において、結婚は往々にして当人同士の間で決まる節があり、したがって冒頭のような儀式が行われることになる。
だが、それ以前の人々にとって、結婚はお見合いを通してのものであることが、ほとんどであった。
 
信じられないことに、結婚式当日に初めてあった、という人も結構いたらしい。
無論、時代の違いということで一蹴されてしまうかもしれないが、人生の一大事の決定を他者が担った時代が、我が国(あるいは世界的にも)確かにあったのである。
 
さて、ここにもその例外ではない一組の夫婦がいる。
何のことはない。我が父母である。御年古希近辺。
 
明朗闊達頭脳明晰たる母と、逆に結構体力と気力で何とかしてしまう父である。これでも二人とも理数系の教師であった。
 
息子である私が言うのも何なのだが、いや、本当に何なのだが! この二人、すこぶる仲が良い。
世に言う仮面夫婦とか離婚とか熟年離婚とか、はたまたDVとかモラハラとか、そんな言葉が辞書を引いても見つからないような家庭であった。
 
たいへん失礼な物言いだが、身内のこととて遠慮無く言わせてもらうと「気持ち悪い」くらいである。
 
その年をしてそんな言葉を言うかっ! みたいなもはや放送禁止用語にしてもいいんじゃないかと思うくらいの言葉を平気で言ってのけたこともあった。いや、とても恥ずかしくてここでは詳細は書けない。
 
その手のご家族には失礼かもしれないが、夫婦というのは仲がよいもの「しかいない」くらいに幼い私が思えたくらいであった。
 
で、こんな状態だから、人によっては、「昔からの長いお付き合いだったのでしょうね」というように恋愛結婚だと思われる人もいるかもしれない。
 
だが、先述したようにこの二人もやはり時代の落とし子。二人ともお見合い結婚である。
 
だからもしかしたら「あってほしい人がいる」と言ったのは、祖父母の方かもしれない。
いや、それすら言うこともなかったかも。
こういう人がいるから結婚しなさい、くらい言ったのではないだろうか。あの祖父なら。
 
母はかろうじて20代だったようだが、父は30代に突入していた。
これを言うと私の世代の人でも驚かれるのだが、二人とも、それまで付き合った人がいなかったようである。
 
つまり、彼氏彼女いない歴=年齢のまま結婚したわけだ。勉強と研究でそれどころではなかったというが、はてさて……
 
同じ理数系を専攻という以外に共通点はないようにも思えるが、未来の状況から考えるに、良好な滑りだしだったのではないか、と思う。
 
さすがにその時代だとしてもお見合い即結婚ではなかったようで、何度かお付き合いしてからのことらしかった。
 
あるとき昔の定番とて映画館デートをしたらしい。
『そして誰もいなくなった』を映画で見たようだ。選んだのは父で、ミステリーが大好きな母はそれを夢中で見ていた。
そしてふと横を見ると、父は口を開けて寝ていたらしい。
 
「自分はミステリーなんて見ないのにどうして選んだのだろうね」
 
と笑い話として聞いたあと、あ、これ、のろけ話だと気付いて舌をかみそうになったのはまた別の話である。
 
時代が時代だから、と一蹴される現象はいくつもある。
昔はこういうことがあった、と主張しても、それは昔だから、今は今、昔とは違う! と反論されれば、それはその通りで二の句も告げず引き下がるしかない。
 
だが、ふと果たして本当にそうなのか、それだけなのか、と考えることも必要なはずである。
 
親が決めた、あったこともない人と有無を言わさず結婚する。
現代では信じられないことかもしれない。いや、昔だって納得できない人もいただろう。
 
ただ、そういう時代に生きて、そうではない時代まで夫婦を続けている男女は確かにいる。
 
そういえば中学校時代の恩師が言っていた。
「現代は長い間お付き合いをした後に結婚する。するとイヤなところが目立ってくる。そういうものだ。だが、お見合いで知らない人と結婚すると、その人がこういう人だということが分かって、時間が経つごとに愛おしくなるのだ」と。
 
突っ込みどころはいろいろあるだろうが、一理あるかもしれない、とも思った。
人は一緒にいると、どうしてもイヤなところが目立つ。ずっと一緒にいて、いざ結婚となると、それがイヤでも目につく。
 
一方これからの二人は、気付くものと築くものが多い。たぶん。
 
現に、私の両親はアレである。もう、新たに気付く時代はとうに過ぎたであろうに、と突っ込みを入れたいが、当人たちにとっては日々が新しいのかもしれない。
 
人は出会ってこそ、その人の魅力に気付けるものである。字面や風聞では決して計りきれない、分からない、そういうものが人間にはある。
 
当たり前のことかもしれないが、今は直接会わなくてもコミュニケーションが取れる時代である。
その人のプロフィールから何から、その人の口から聞かなくても、その人を想像できる時代である。
だからこそ、私たちは見も知らぬ、あったことない人に期待してしまう。
きっと善人だと、きっと自分を分かってくれると、きっときっと……
 
だが、その期待が大きいだけに、出会ったときの差に愕然としてしまうこともしばしばではなかろうか。
 
現代ではマッチングアプリというものがあるが、多かれ少なかれそういうリスクを含んでいる。まあ、理想と現実なんてそんなものである。悲しいかな。
 
しかし、考えてみれば、公的なり民間なり、お見合いサイト(のようなもの)に登録している人はかなりの数いるはずで、これはつまりお見合い結婚の再来ではないか。
それどころか、親を対象とし、子どもの結婚相手を探す会も催されているとか。
 
もはや出会いにつべこべ言っている状況ではない。原点回帰だろうと何だろうとしなければ、日本の出生率は下がり続け、少子高齢化はますますひどくなるばかりである。
 
と、そんな年寄りじみた小言はさておき、直接あわずにコミュニケーションがとれる現代においては、面と向かって「会う」なんてことはますます貴重になるかもしれない。
すなわち、「会う」ことの価値の変化である。
 
会って話をし、二人ないしそれ以上の人々と、同じ時間を共有することが、とても贅沢になるのではないか。
私たちは、このコロナ禍で、そのことを痛いほど思い知った。
誰かと会う。一緒にいる。
それがどんなに心休まることか、それがどんなに貴重なことか。
 
この世界規模の災害が、そう簡単に再来するとは思えないが、しかし、会うことが容易い人ほど結局会わなくなるし、そうこうしているうちに遠くへ行ってしまう(物理的or比喩的に)ことも多々ある。
 
そう、油断は禁物である。
会いたい人には機会がある時に、ぜひ会っておくべきだ。
これは私からの助言ではなく、私自身の後悔である。
 
近所のお婆さん。何度か話した友人。誰も彼も、会おうと思えばすぐに会える人ばかりであったが、もうそれは叶わない。
会える機会がたくさんあると思うと、かえって会おうとしないものである。
逆に遠方にいる友人とは1年に1回ほど会っているから不思議だ。もちろんこのコロナ禍ではそれも叶わなかったが、えてしてそういうものだろうか。
 
中途半端に会えるというのが、実は一番いい距離なのかもしれない。
これが、例えば北海道とか沖縄とか、あるいは海外とかだったら、まあ、会えないよな、で諦めがつくものだが、電車で2時間ほどの位置関係ならば、年に一度は、と思ってしまうものである。
 
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
 
という百人一首にある歌、確かそんな意味ではなかったかしら。(正確に言えば、偶に会えるから好きな気持ちを諦めきれない、という意味)
 
結局行き着くところは、会える人には会える時に直接会って話をするのが良い、といったところか。
そして人の相性なり仲良くできるか、そして結婚までいけるか、なんてのは、会った時に決まるものかもしれない。
多分一緒にいた時間の問題でも、ましてや遠隔でコミュニケーションをとっていた時間の問題でもない。
人は、直接会ってなんぼである。その結果、私もまた、生を受けた。
 
世のお父さん、お母さん、どうかお子さんがいう「あってほしい人」に会っていただきたい。
判断はそれからでも良かろう。
皆様が好ましい人に出会えるのを願うばかりである。
 
って、独り身の私が言っても説得力ないですよねー。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(天狼院公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2021-10-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.144

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