週刊READING LIFE vol.151

友達をつくるのがヘタだった私のための偶然と必然《週刊READING LIFE Vol.151 思い出のゲーム》


2021/12/14/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「じゃ、あなたはいったい誰!?」
 
「僕の名はアレックス・ケイベール」
 
アレックスと名乗る男は、自分がタクシーの運転手でないこと話しだしたが、私は頭が混乱して耳にはいってくる言葉が理解できない。
 
ずっとタクシーの運転手だと信じ込んでロサンジェルスで半日過ごした後、その日の終わりになって運転手ではないと告げられたのだ。
 
男の属性が信じていたそれと違うという事実に、こんなにたやすく狼狽するのかと可笑しくなった。
目の前の男はスキンヘッドでまつげが長く少し浅黒い肌をしていた。背は高くはないが肉厚で筋肉質の身体には独特の迫力と存在感があった。
年は一まわりは離れているだろうか。
私は注意深く目の前の男を観察する。
 
男の向こう側の窓にサンタモニカピアとパシフィックパークの観覧車が見えた。
この男はいったい誰なんだ! 混乱の後に今度は大きな不信感が波のように心をのみこむ。
 
 
9時間前、大阪からロサンジェルス(LA)まで長時間のフライトの後、私はLAX空港のそばのホテルにいた。午前に空港へ着き、乗り継ぎのためLAに一泊して翌朝、キューバに向かう予定だったからだ。
 
キューバの情報はなかったので、LAで衣類など日用品を買うつもりで、空港のインフォメーションで紹介されたビジネスホテルに移り、少し休んでから、タクシーを呼んでもらった。
 
しかし予約の時間が過ぎてもタクシーはやってこなかった。
仕方なくホテルの車寄せから幹線道路まで様子を見に行き、通り過ぎる車をみていると
1台の白いセダンが少し行きすぎて停車した。
てっきりタクシーだと信じた私は、駆け寄り運転席の男に話しかけるとドアが開く。
開いた後部の席に乗り込んで私は言った。
 
「すいぶん待たされたから機嫌がよくないのはわかってちょうだい。あまり時間がないから、すぐに最寄りのショッピンターまで走ってもらえますか」
チラと見ると運転席にメーターがついていないので、白タクだと察して運転手に釘をさす。
「最初にはっきりしておきましょう。さっきフロントで確かめたらモールまでの相場は往復で20$位だと言ってたから、チップとは別にその料金でお願いします。それ以上は1セントだって払いません!」
 
「……わかった。それでどのモールに行けばいい?」
ホテルで教えてもらったショッピングモールの名を告げると、運転手はそこは治安が悪いからやめて、もう少し離れた別のモールをすすめてきた。
旅の出だしで余計な出費はおさえたかったので私は考え込む。
 
それを察した運転手は、追加料金なしで行ってあげるよ。そう譲ってくれたので私たちは市街へと向かった。
中流クラスの人がショッピングにくる安全なモールで買い物をすませたが、足に合うサンダルがどうしても見つからない。
 
車に戻って運転手に話すと、もう一軒、回ろうとこころよく別の店に行き、買い物を終えると予定していた時間をずいぶんとすぎていた。
 
申し訳なく思った私が、もしよければ夕食をごちそうすると申し出て、サンタモニカの海沿いにあるダイナーに連れてきてもらったのだ。
道路わきに背の高いパームツリーが並ぶ、いかにもLAらしいカラっと明るい雰囲気と店員も愛想のよさが印象的な店だった。
 
あまり食の進まない運転手に料理をすすめると、普段は野菜しか食べないと答えた。
だったらなぜこの店を選んだのかと聞くと、日本の女性旅行者に人気がある店だからと淡々と答えた。
 
会話もあまり進まなかったので、気まずくならないよう私はこれから自分がなぜキューバに行くことになったかそのいきさつなど一方的に話した。
そして会話も途切れたので、今日、なぜ遅れてきたのかと尋ねたときだった。
男はクライアントとの打合わせが終わって、会社に戻るところだったという。
 
「会社……??」
「うん、僕はタクシーの運転手じゃないんだ」
「!? じゃ、あなたはいったい誰?」
 
アレックスと名乗る見知らぬ男は、事情を話しだした。
 
「今日、会社に戻るためハイウェイを走っていると、アジア人の女の子が腕くみをして
すごい形相で通る車をにらみつけていた。
ハイウェイに立っていると危ないので、注意しようと停車したら、きみが走ってきてタクシーと間違えて車に乗り込んできた。
あまりの勢いと剣幕だったので、間違いを正せずにいるうちに面白そうだったから買い物につきあうことにしたんだ」
 
私は言葉をなくした。
アレックスは、君って面白い女の子だね。そういうとエビアンの水を一気にストローですすった。
 
食事の後、せっかくLAにきたのだから夜景を見て帰ってはどうかと気をつかってくれたが、
私は自分の失態から立ち直れず、とても夜景をみる気分にならなかったので、朝が早いからとホテルに帰ることにした。
 
ホテルの前で、Sorryと言いながらおそるおそる私が差しだす20ドル札をアレックスは笑って断ったが、私の意気消沈ぶりに最後は受け取ってくれた。
そして自分の携帯番号を書いた紙をわたして、帰路でLAに寄るとき連絡してほしいという。私は携帯をもっていなかったので、なぜか自宅の電話番号を書いて交換した。
これ以上、失礼な女だと思われたくなかったからだ。
 
結局、私はキューバに飛んでから、毎日、それなりに忙しくまた刺激にみちた日々を送っていたので、アレックスの存在を忘れてしまい連絡することなく帰国した。
 
一週間がたった頃、突然、国際電話が入った。
無事かどうか心配した。どうして連絡くれなかったの? と明るく聞くアレックスに、
忘れていたとは告げられず、疲れていたからと慌てて答えた。
 
それから時々、国際電話がはいるようになった。私は最初から家族がいることも話したが、
彼はまったく意に介していないようで、家族にも挨拶するほどおおらかな人柄だ。
そして事あるごとに機会があればLAに遊びに来てほしいといった。
 
生返事のまま時は過ぎた。
そして中南米に行き来する乗り換えの際、LAの空港内で少し会うことはあったが、街まででることはなかった。
アレックスは不思議なロマンティストだった。
空港の花屋は、帰国者や入国してきた人を歓迎する花束を売るために存在している。
しかし彼は、トランジットでそのまま出国する私に必ず花束をくれた。
すると彼の花束は過酷な運命にあう。税関審査を通るまで手をふって見届けてくれる彼の見ている前で花束は税関職員に没収され、ひどい時はゴミ箱に捨てられることもあった。
花束は機内に持ち込めないからだ。
 
私がせっかくの好意を傷つけたくないし、もったいない。花にもかわいそうだからと彼に伝えるまでやめなかった。
一度、天候不良で降機地がLAから急遽、サンフランシスコに変わったことがあった。
それでも彼はサンフランシスコまで自分も飛行機でやってきて、たった20分話して
別れたこともあった。
 
会えるのは数年に一度の数時間だけだったが彼は実に楽しそうで、一度も何かを要求することはなかった。
一度、なぜそこまでするのかと彼に聞いたことがある。
 
「ある日、勝気な日本人の女性が現れて、僕の人生に飛び込んできたんだよ。やたら怒っていたけれど、あふれるエネルギーで目が輝いていた。面白い子だなと思った。
あの姿が忘れられないんだ。
人生はタフだろう。自分の想い通りにいかないことも多い。だからこそ自分に正直な
気持ちでいたいんだ。
僕にとっては自分の行動が報われる、報われないはもうどっちでもいいんだよ」

 

 

 

その後、アレックスとLAで会ったのは最初に出逢ってから8年の歳月が過ぎていた。
友達との旅の途中でLAに立ち寄ることにして3日間すごした。
初めてアレックスにLAを案内してもらう。
女性誌に載るようなおしゃれなスポットやビバリーヒルズ、ハリウッド、サンタモニカの海岸、チャイナタウン、そして観光客が行かない場所まで様々な場所を案内してもらった。友人もいたので気安く過ごせたのは事実だった。
彼がオニオン好きなのも初めて知った。食事ではいつもオニオンリングやオニオンの入ったサラダを食べていた。おやつと言って生のレッドオニオンを車のなかでかじった時はさすがに匂うのでとめたほど好物なのだ。それ以外は彼は自らのことを多くは語らなかった。
 
8年前に断ったグリフィス天文台から見る初めてのLAの夜景は人の暮らしの数だけ小さな星のように街の灯がキラキラ輝いてLAでみたなかで一番、忘れがたい場所になった。
 
「前よりこの街が好きになったような気がする」
そうつぶやく私に彼が聞く。
「君がこの街にくる可能性はある?」
「……ううん、やっぱりないな。とても素敵な街だけど、ここは私の居場所じゃない」
 
別れの朝、ホテルに迎えにきたアレックスと一緒に朝食をとった後、散歩をしようと誘わ庭を歩いているうちに駐車場へ入った。
巨大な立体駐車場にまでLAの明るい日差しがさしこんで、つくづく気候に恵まれた街だと感心する。天気や気候がそこに住む人の性格や思考に影響をおよぼすというが、確かにここで生活していたらふさぐ気持ちとは無縁だ。
彼の性格が楽観的なのはこの土地の養分を吸って生きているからかもしれないと思った。
 
彼がトランクをあけてリボンのついた小さな箱を取り出して、私にわたした。
あけてみると指輪が入っている。
驚いて反応に迷う私に彼はいった。
「心配しないで。君が結婚しているのは知っているから……。ただ君と知り合えた記念にこの指輪を持っていてほしいんだ。身につけなくていいから日本でもっていて欲しい」
「いつから用意してたの? だって私がいつくるかわからなかったでしょう」
「これはもうずっと前から買っていたな。君がLAに来たらいつでもすぐに渡せるように
車に置いてたんだ」
「もし、二度とここへくることがなかったとしたら?」
私は少し意地悪な質問をする。
「まゆみ、いつか君に人生はタフだと言ったことを覚えてる? もし一生、会えなかったら……。それでも指輪を買っていたよ。今日のような日がくるのを期待して……。
そして叶った。想いは通じたんだから充分だよ」
 
コンクリートの駐車場からホテルの庭のパームツリーが輝くような緑をはなっていた。
誰もが知る豊かな輝くLAだった。
しかし私は彼の言葉を聞きながら、この人は北極圏でみるオーロラのようだと感じた。
アレックスの世界観はとらえどころがなく自由だった。それは吹く風や気象や温度に
よって色を変え、形を変えるオーロラのように、私の人生の空にときどき遠くに現れたり、
時に私を包み込むように頭上に現れては寛大な愛情の粒子を降り注ぐ。
そして音もなく消えていくのだ。
 
彼は純粋とも違う「無垢」という強さをもっていた。彼の楽観主義は間違いなく強い意
から生まれたものだ。
 
今思えば、車がないとたちまち立ち往生してしまうLAの街で、携帯電話も持たずに
安心して自由に行動できたのは、無言のうちに彼に全幅の信頼をおいていたからだろう。
 
帰国してからも日本とLAでしばらく国際電話が続いた。メールやスカイプという選択肢も
あったが、互いに電話を好んだ。
忘れたころ、ふいにかかってくる明るい声はLAの天気を思い出させる。そしてそれは
私を元気にしてくれた。
 
ある時、サンタモニカの海を見ていたら急に声が聞きたくなったといつもより弾んだ声で、
アレックスが電話をかけてきた。
「君を想って15年になるよ。すごいと思わない。日本の生活はどう。幸せ?」
その時の私は仕事やプライベート、そして家族のことで悩み、人生でとても大変な時期に
さしかかっていたので、その問いに喉がつまる。
そして「幸せだ」と答えた。
また私の頭上でオーロラのような優しい粒子のエネルギーがふりそそぐのを感じた。
 
アレックスとの出逢いは、偶然のハプニングでうまれた類まれな関係が友情に発展した。
お互いがその時々に誠実に接したからこそその後の関係につながった。
自分から働きかけるより待った方が良いときもある。
 
人は自分にもっとも近い人を信用する傾向があるが、自分の成長を助けてくれる友人との
間にたとえ距離があろうと信頼を育くむことはできる。
 
今、友達はとても作りやすい時代になった。ネット環境さえあれば誰とでもつながれる。
ましてや感性の通じる人とつながれば、リアルな友達より励まされることや元気をもらえ
ることも多い。
 
ではSNSがなかった頃より、今の方が私たちの寂しさはまぎれただろうか?
つきあう時間の長さや密度は、友情の良し悪しに比例するのだろうか?
時間とともに変わる人の心とどう向き合い、何を許容し、与え、受け取れば自他ともに
幸せになれるのだろうか。
 
もうすぐ20年以上つづくグリーティングカードが彼から届く季節だ。
今年はどんなカードにどんな言葉がそえられているか心待ちにしている。
 
アレックス・ケイベールは私の人生において忘れがたく信頼のおける大切な友人だ。
そして私はいまだに彼のことを何も知らないでいる。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、現在、大阪本社の派遣会社にて新規事業の事業戦略に携わる。
2021年 2月ライティング・ゼミに参加。6月からライターズ倶楽部にて書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。

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2021-12-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.151

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