週刊READING LIFE vol.159

それでも私は尾を泥中に曳く《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》


2022/02/28/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
古代中国の賢人の一人に、荘子という人がいる。
「無為自然」……すなわち人間は自然なままに生きることがよい、と唱える一派の一人である。
 
この荘子の噂を聞きつけ、楚という国の王が、二人の使者を使わした。
何でも、荘子を国の宰相(総理大臣みたいなもの)としてスカウトしたいらしい。
 
これほどの好待遇はない。一も二もなく快諾すると思われた荘子。
だが、彼はすぐに返答をせず、使者にこんなことを尋ねた。
 
「あなた方の国には、死後3000年も経った霊験あらたかな亀の甲羅があるそうですね。その甲羅で占えば百発百中で、王は大切に祭っているとか。ところでその亀ですが、死んでから甲羅を拝んでもらうのと、泥水に尾をひきずって生きてきた頃と、一体どちらが幸せでしょうか?」
 
使者は答える。
 
「そりゃ、生きていた頃でしょう」
 
そして荘子はこう言った。
 
「往(ゆ)け。吾将(まさ)に尾を塗中に曳かんとす」
(お引き取りください。私も泥水の中で尾をひきずっていたいのです)
 
華々しく絶大な地位とそれに見合った莫大な富。しかし、それらを得る代わりに、国のために生きなければならなくなる。責任も当然重く、そして一挙手一投足が注目される。
 
士官して束縛されるより、貧しくても自立して安らかに暮らしたい、という意味の言葉、「尾を泥中に曳く」のもととなった故事である。
 
「泥臭い」という言葉は、「あかぬけてない、洗練されていない」という、それだけの意味だが、我々がその言葉を使うとき、例えば「泥臭い生き方」なんて言うときは、少なくとも「それでもよい」いや、「その方がよい」という意味を多分に含んでいる。
 
洗練されて、垢抜けた生き方、例えば(私の貧弱な想像力で語ると)外資系企業でバリバリと仕事を任され、こなしている、そんな生き方ではなくとも、劣等感を感じることはないではないか、とその言葉の裏にはあるように思われる。
それよりも、田舎で食うに困らない程度の農業をやって(ただこれは実はかなり難しいのだが)、自分のペースで生きていく方がよい。
 
「泥臭い」の裏には、まさにそれを善とする、ある意味本来の荘子の思想に近い、「自然な」ままを良しとするニュアンスも、そこに感じ取れるのである。
 
しかし、だ。
私は思う。
どうして、それが善であるのか。良しとしなければならないのか、だ。
 
前述の例え話であるが、甲羅になった亀が不幸だと、なぜ言えるのだろうか?
死んでもみんなからありがたがられる方がいいかもしれないじゃないか。
 
いや、ここは生死の問題になっているから即答なわけで、実際例え話ではなく、聞きたいのは宰相となるかどうか、である。荘子でなければ、即答でイエスと答えるかもしれないだろう。
そもそも、荘子はこのとき、いわゆる隠者である。現代風に言えば無職である。
 
それこそ、現代ではちょっと泥にまみれすぎなのではないだろうか?
 
そういった視点で見ていくと、やはり真逆のことを唱えた人もいた。
皆さんご存じ、古代中国の賢人の筆頭、「孔子」である。
 
彼は、生け贄に捧げられる牛を、これ以上ない名誉と捕らえている。
丁寧に育てられた牛でなく、野生の牛でも、その資格(角の色とか毛色とか)があれば、その名誉にありつける。身分差別をする人間と違って、山川の神は見捨てておかないよ、と。
 
さあ、そうして生け贄に捧げられた牛は幸せなのか、不幸なのか?
 
そういったことを考えると、やはり「泥臭い」の是非は、その人の捉え方次第という、平凡な回答をせざるをえない。
 
それはそうだろう。
生き方の是非なんて、本人が決めることなのだから。
 
ただ、それこそが、大いに難しい。
私にとって、自分の生き方を自分で決めて、さらにそこに是非の評価をつけるなんてのは、至難の業なのである。
 
つい最近のことである。
私は人生において、かなり大きな、かつ、難しい決断を迫られた。
 
幼少期より患っていた腎臓が、ここへきて限界にきたようなのである。
となると、いよいよ透析(人工の機械を通して血液をきれいにする)をしなければならない。
 
すなわち、今まで大事にしてきた自分の臓器に見切りをつけるのである。
 
腎臓だが断腸の思いだ。
しかし、そうしなければ、多臓器不全でより一層ひどいことになる、と医師は言う。
 
だが、一方で、東洋医学を修めた整体の先生は、まだそのときではない、と言う。
 
一体どちらが正解なのだろうか?
どちらが善なのか、どちらが良いことなのか、私にはとんと分からない。
 
正直なところ、まだ、手術は早いのではないか、だって、こんなに普通に生活できているのだから。
ところが、いつも見ている家族に言わせると、やはり無理は顔に出ている、と言う。
 
ここで、自分の生き方なのだから自分で決めなさい、とか、自分が良いと思った方が良いのだ、なんてことは、もう言えない状態なのである。
自分が良いと思った結果、その道を選び、そして最悪の事態になるかもしれない。
具体的には、今は手術をしたくないからしない、という道を選んだ結果、手遅れになる可能性だってある。だとしても自分で決めた道なのだから、なんてかっこつけられる状況ではない。
 
この選択肢の失敗の先に待っているのは、間違いなく命の剥奪である。
失敗などできない、不正解ではあってはならない。
 
私は、総合的に正しい道を行いかねばならないのである。
 
さて、結論から言うと、私は手術を受け入れた。
まっとうなというべきか、自然なというべきか……
最先端医療といえば「泥臭くない」選択だが、その後のこと、一週間に3日、4時間ずつを拘束されることを考えると、「泥臭い」選択なのかもしれない。
 
時期尚早だったという意見だってあるかもしれない。
まだ、回復する可能性だってあるかもしれない。
しかし、そういった葛藤も含めて、私は、私の生き方を決めてしまった。
 
しかし、これに対して責任はとれない。
周りの意見に押されての決断でもあった。
 
読者は、私の意志の無さ嘆かれるであろうか、自分の生き方すら自分で決められない、薄志弱行の情けない人間と一喝なさるだろうか?
 
まあ、それならそれでもかまわない。
おそらく、周りによって右に流され、左に流されるのが、私の生き方なのだろう。
 
そう悟ったなら、それもまた是である「泥臭い」生き方に思えてきた。
決してかっこよくはない。
というか恥ずかしいことこの上ない。情けないことこの上ない。
 
しかし、そういう生き方もあるにはある、人と自分に迷惑をかけなければ、それもいいのではないか、とそのように思ったのである。
 
ならば、後はもう、進むのみである。泥の中でもかまわない。尻尾をひきずってもかまわない。それでも一生懸命に生きる。
これこそが、私の泥臭い生き方である。
 
もっとも、そこに荘子のいうような自由はない。あっても活用できないと思う。私は自由より、正しい選択肢がほしかったのだから……
 
今日もみっともなく生きていくことだろう。
やることなすこと、私は私自身が選んで正しかった覚えがない。
 
それでも生きていかねばならないのだ。
かっこ悪くても、選択肢を間違っても、生きていかねばならないのだ。
 
なるほど、これが亀の気持ちか。生きていかねばならない、生き物の性質(さが)か。
 
ならば私も、荘子同様、泥中に尾をひきずっていることにしよう。
 
それが、生きるということならば。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

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