週刊READING LIFE vol.159

私の歩き方は泥臭いですか?〜乙武さんから学ぶ”泥臭い人生”と感じさせない唯一の方法〜《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》

thumbnail


2022/02/28/公開
記事:すじこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ちゃんと自分の足で歩いてて偉いわね〜」
たとえば、街中で突如前から歩いてきた見知らぬおばあちゃん(歳は70代後半だろうか)からそのようなに話しかけられたとしたらあなたはどのような反応をするだろう。
 
多くの人は「だれ?」と思いながらその方に対して警戒するに違いない。
外国人のような初めて会った人とでもハグができる文化で育った人以外は、素性の知らない方から声をかけられると、それがたとえ聖母のような佇まいの貴婦人だとしても、アイドル並みにかわいい女性であっても警戒する。
「声を掛られる」までは100歩譲ってまだ理解ができる。
きっと、ご近所付合いの文化など人との繋がりが今より気迫ではなかった時代で育ったおばあちゃん世代にとって他人に語りかけるという行為は若年層よりハードルが低い行動に違いない。
だから、つい他人にも気軽に話しかけてしまうというのはまだ理解ができる。
問題は内容だ。
仮にそのおばあちゃんが知り合いから声だったとしても、成人に向かって「歩いてる」ことを賞賛するなんて大分おかしい。
その大分おかしい場面に私は人生の折々で遭遇してきた。
 
 
「ちゃんと自分の足で歩いてて偉いわね〜」
「君が頑張って歩いてる姿を見てると元気が出るよ〜」
と、突如言われる原因として、一重に私の足に障害があるからと結論づけて間違えない。
私の足は歩行する際、内股になってしまう。
それが人によっては滑稽な歩き方に見えたり、はたまた、見る人に元気を与えてしまう歩き方になったりする。歩き方を見てどう感じるかは人それぞれだとおもうが、違和感を感じてしまう歩き方だということは間違えない。
違和感を感じることについて咎めたりはしない。
人は「普通ではない」と感じた時、どうしてもそれを「違和感」として処理する。
その「違和感」を感じる処理機能は人間である以上なくすことはできない。
だからそれについて咎めはしないが、方や私にも感情というものがある。
 
多くの人が警戒するように、私も突然声をかけられたり、話しかけられたりすると「怖い」と感じる。
また頑張って歩いているつもりもないし、元気を与えるために歩いているわけでもない。
普通に歩いてるだけだ。普通に。
しかし、他人には「頑張ってる」や「励まされる」など予期していない言葉を言われることに言い表せないもどかしさを感じていた。
 
歩いているだけで褒められるのは未就園児までの特権である。
といういことは私は未就園児だとおもわれているのだろうか。
確かに未就園児が、ハイハイし、つかまり立ちをし、ヨタヨタと歩き始める成長過程は親になったことのない私であっても胸に熱くくるものがある。
ただ、未就園児も何も大人を感動させるために歩いてるわけでは無論ない。
勝手に大人が感動しているだけで、当の本人は歩きたくって歩いてるし、本人にとってはそのヨタヨタ歩きが「普通」の行動なのだ。
私も同じだ。歩きたいから歩いているだけ。向かいたい場所があるから歩いてるだけ。
それなのに「頑張ってる」と思われるのはなぜだろう。
それはおそらく私の歩いてる姿が「泥臭い」と感じる人が多いからではないだろうか。
「泥臭い」や「健気」という言葉は多くの人に感動を呼ぶ習性がある。
スポーツ選手の「泥臭く」頑張っている姿を見ると観戦者は無性に応援したくなる。
映画で主人公が「健気」に成長する姿は、鑑賞した者の心に熱いものを感じさせて、大ヒット映画となる。
人は自然と「泥臭さ」や「他人の成長」などに心を震わせる。
心を震わせるから、声援や、ヒットコンテンツに繋がると考えると人にとってなくてはならない習性だ。ただその習性は相手の意図しないところでその習性を発動してしまう。
相手にとって「普通」のことが、自分にとって「泥臭く頑張ってる」と思ってしまったら勝手に応援したくなってしまうのだ。
きっとおばあさんは私の歩いている姿を見て「泥臭く頑張っている」と思い私に声をかけてきたのだろう。
特に昔の考えの人は、「障害者=可哀想な人」という考えが根強いらしい。
唯一の救いは若者にその考えが継承されなかったことだが、それでも一部の人は私
を煙たい目で見てきた。「泥臭い」は一部の人にとっては感動を呼んでしまう反面一部の人からは「煙たい存在」として扱われる。
特に同世代はその傾向が顕著だった。
考えてみれば、自分と同じように歩いてるだけで褒められる人間が隣を歩いてれば鬱陶しいと思うことは当然だ。特に小学生は大人や先生に”褒められることこそが正義”という世界だ。
そんな世界に「歩けば褒められる」というチート人間がいたら、やはり煙たいと感じ、なるべく排除したくなるのは自然なことかもしれない。
 
「泥臭い」自分は、人を感動させてしまう。
「泥臭い」自分は、煙たがれてしまう。
ならば、いっそのこと「泥臭い」自分がない世界に行ってしまいたい。
 
そう思った私は文字を書くという世界に飛び込んだ。
文字を書くと、それを誰かが読む。
その間に私の容姿は関係ない。泥臭さもない。フラットな世界。
憧れてた世界がそこにあり私は文字を書くという世界にどんどんのめり込んでいった。
しかし、フラットだと思っていた世界はそう長くは続かない。
書けば書くほどあることに気づいた。
 
文章の世界は現実世界と表裏一体といういことだ。
 
人が文字を読む最大の目的は、”心を動かす”ことだ。
感動でも、共感でも、なんでもいい。とにかく”心を動かす”ことが文章には必要なのだ。
他人の”心を動かす”ためには小手先のテクニックではなく、ある程度の書き手の代償が必要であって、その代償とは自分の苦悩話だったり、実体験だったりする。
つまりは「泥臭い」自分を露呈することこそが他人の”心を動かす”最短にして最強のルートであった。
原に評判の良い記事は自分の「泥臭さ」というのが混在している記事ばかりだ。
小手先の記事なんて読まれはしない。やはり人は他人の「泥臭さ」が好きな生き物なようだ。
 
これは困った。
なぜなら、私の書く目的が「泥臭い人生から脱したい」に対し、読み手が求めるものが、「他人の泥臭い人生を読みたい」と需要と供給が完全に相反しているのだ。
困った、実に。
 
なるべく私が障害者である部分を削って記事にしたいと模索した。
しかし、それでは文字がどこか薄い。というか、虚像のように感じる。
「障害」は自分を語る上での中枢部分だ。
その中枢を語らずに、記事を書くというのはやはり他人の”心を動かす”ことはできない。
どうすべきか悩んだ。
 
しかし、つい先日、著書に「五体不満足」を持つ乙武さんが障害者とメディアについて語っていた動画を目にし、ハッとさせられた。
その動画で乙武はこんなことを語っていた。
乙武さんといえば2016年に不倫で世間を賑わせ一表舞台から姿を消した。
乙武さんからしてみれば、仕事もなくなりさぞ落ち込んだことと勝手に想像してしまうがのだが、本人は全く逆の発想でむしろチャンスだと思ったようだ。というのも、テレビ業界というのはタレントがテレビから姿を消すと、その席を類似した系統のタレントが埋めるという世界なのだそうで、それでいくと、乙武さんの席が空いたということは、障害者の枠が空いたということになる。つまり、乙武さんでない障害者タレントが生まれるチャンスだったのだ。
しかし、蓋を開けてみれば乙武さんが復帰するまで、新たな障害者タレントは生まれなかった。
その理由は、乙武さん以外の障害者の扱いがわからないというものだった。
テレビ番組というものは、バラエティ番組はもちろん、最近は情報番組も1人は、お笑い芸人を起用する。そのお笑い芸人と障害者の絡みがたとえ当事者同士の合意があっても見方によってはイジメと捉えられる可能性がある。
そのリスクを取ってまで障害者を起用したくないというのが障害者タレントがなかなか生まれない原因だとのことだ。
片や乙武さんは20年以上のタレントとしての実績によって「障害者」の枠ではなく、「
乙武さん」という人間性を世の中に周知したことで、たとえお笑い芸人や他のタレントから突っ込まれたり、イジられても、「イジメ」として見る人は少ない。
だから、乙武さんは復帰後もバリバリ活躍してるのだ。
それは、乙武さんが「乙武さん」という人間性を少しづつ世の中に浸透させた成果にほかならない。
つまりは自分に「泥臭さ」を言い続けることこそが「泥臭さ」を克服する唯一の方法なのだ。
 
それに気づいた時自分の「泥臭さ」を隠さず露呈しようと決めた。
人はどうしても弱い部分を隠したい生き物であると同時に、人は他人の弱い部分を見たい生き物だ。
ただ、その弱い部分を見せ付けたり、「泥臭い生き方」を見せることで、その「泥臭さ」が当たり前な世の中になりやがて無臭になる。
そうなるのを願って私は「泥臭い人生」を泥臭く綴っていこうと思う。
 
そしてやがて私の歩いている姿が「頑張っている」や「勇気をもらえる」と声をかけられない普通な世の中になることを願ってやまない。
そんなことを思いながら私は今日も文字を綴っている。
泥臭く綴る文字の先が無臭な世界につながっていることを信じて
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
すじこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1992年東京生まれ

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

関連記事