週刊READING LIFE vol.162

ありがとう、ふたりのMくん《週刊READING LIFE Vol.162 誰にも言えない恋》


2022/03/21/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「だから、どうしても気持ちを伝えたくて……。Kさんに、好意を持っています」
 
20代の後半、私はそんな告白をしたことがあった。
大阪の外資系ホテルのとあるバー。
その店には、古代中国の有名な詩人の名前がつけられていた。
仕事終わりにKさんをそこへと誘った。
もう、30年も前のことになる。
 
子どものころ、私は典型的な内弁慶だった。
家の中では家族に対して、言いたいことを言って、わがまま放題だったように思う。
ところが、一歩外へ出ると一言もしゃべれなかった。
だから、幼稚園も大嫌いだった。
母親どうしの仲が良かった友だちと、一緒に登園する日は、まだ大丈夫だった。
友だちとしゃべりながらなら、お教室に入るのはイヤではなかった。
ところが、一人で幼稚園に送って来られた日には、帰ろうとする母にしがみついてよく大泣きしていた。
一人はイヤだ。
一人では何もしゃべれないのだ。
そんな私を担任の先生がお教室へと連れて行ってくれるのだが、そのドアを自分で開けることもできなかったのだ。
お教室の中では、先に登園してきた子どもたちが、ワイワイと楽しそうに遊んでいる様子がドア越しに聞えてくる。
そうなると、ますますその中に入ってゆく勇気がなかったのだ。
楽しそうなその輪の中に入ってゆくことは、とてもハードルが高かったのだ。
じっと、自分のお教室なのにドアが開けられなかった私。
どれくらいの時間が経っただろうか、目の前のドアがスッと開いたのだ。
 
そこには、真っ黒で大きな瞳が印象的で、髪の毛が天然パーマで、どちらかというとかわいらしいMくんが立っていたのだ。
彼の名前は、M.Oくん。
Mくんは私を見つけると、「おいでよ。Tさん」と、私の手を引っ張ってお教室の中へと招き入れてくれたのだ。
Mくんの手が私の身体と心を、そのにぎやかで楽しそうな空気の中へとやさしく混ぜていってくれたのだ。
あんなにも入るのが怖かった、みんなが楽しそうにしているお教室。
大きな声で笑っている友だち。
元気に走り回っている足音。
そのどれもが、自分からはずいぶんと遠くにあるようで、とてもじゃないけれど私が溶け込んでゆけそうになかった世界。
そんな幼稚園のお教室へ、これまでに経験したことがなかったくらい、自然に誘ってくれたのだ。
あの日のMくんのきれいな瞳。
とてもかわいらしい男の子だったことを、ずっと私は忘れていなかった。
 
それから十数年後、私は社会人一年生として働き始めた。
そこから3~4年が経ち、やっと会社の仕事に慣れた頃、ふと見た社内報にその時の人事異動の情報が載っていた。
当時、私が入った会社は大阪、東京とそれぞれで新入社員が採用されていた。
同期入社だけれども、東京採用だったある男性の名前にくぎ付けになったのだ。
 
「あっ、あのMくんと同じ漢字の名前だ」
 
そこには、M.Kという名の、その同期入社の男性が大阪店への転勤が記されていた。
その瞬間、急にあの幼稚園の時の気持ちが蘇った
 
実は、幼稚園を卒園してからのMくんの記憶がないのだ。
きっと、幼稚園では一緒だったけれども、その後は別々の小学校だったのかもしれない。
それに、数十年も経つと、どこかへ引っ越したのかもしれない。
でも、その名前だけははっきりと覚えていて、その名前を見つけた途端、あの頃に気持ちが戻っていったのだ。
私を助けてくれた救世主のようなMくん。
 
私は、今思うとその社内報を見た時から、大きく時間が逆流して、当時の私がひっぱり出されてきたように思えた。
ちょうど、会社に勤めて3~4年経った頃というのは、周りの同期入社の友だちが毎月のように結婚していった。
本当に、毎月、結婚式に出席していた年があって、お祝い金が跳ぶように出て行った。
 
私の親は、良いのか悪いのか、「早く結婚しなさい」とは、一度も私に言ったことがなかった。
当時、付き合っている彼もいなかった。
そんなこともあって、のんびりとOL生活を送っていると、生活面での充足感は得られていても、心の充足感はかすかなものだった。
ちょうどバブル全盛期で、かなり良いお給料とボーナスをもらっていた。
その頃出来た言葉通り、「花の金曜日」には大阪はミナミで夜の街を楽しんでいた。
欲しいモノはなんでも手に入れられたし、行きたい所へはどこへでも行けた。
でも、何かが足りなかったのだ。
 
お金でも、海外という場所からも、得ることが出来なかった何かがあって、そのために心の中のジグソーパズルはいつまで経っても完成しなかったのだ。
そんな私の心の中の、誰にもわからない小さなスペースに、幼稚園時代のあのMくんの名前が飛びこんできたのだ。
苗字は違うけれども、漢字は同じMくん。
その中に、私の最後のジグソーパズルがあるような、そんな妄想が起こってしまったのだ。
 
ところが、私の周りにいる同期入社の男性社員から聞いた話では、Mくんにはすでに大学時代からお付き合いしている彼女がいるということだった。
その話を聞いたとき、私は意外にも動揺はしなかった。
だって、Mくんは素敵だもの、そりゃあ彼女だっているでしょう。
それはそれとしながらも、同期入社のMくんに、完全に幼稚園時代のMくんを重ね合わせて考えるようになっていたのだ。
疑似恋愛というものは、本当にあるのかもしれない。
心の寂しさ、小さく空いたスペースには、少しでも早く、何かしら温かいものを流し込みたいと思うのかもしれない、無意識に。
 
そんな話を、当時仲が良かった後輩たちと、今で言うところの「恋バナ」をしていたときに、ふと話したのだ。
話しをしながら、なぜか私の中では、同期入社のMくんにあの幼稚園時代のことを話したくなったのだ。
全く別人のMくんなのに、なぜかお礼が今言いたくなったのだ。
 
大阪での勤務となったMくんは、仕事の面での評判もすこぶる良くて、そんな噂はすぐに耳に入ってきた。
当時、会社での福利厚生の行事の際には、リーダーとなってその会を進行していた姿もとてもカッコよかった。
うん、やっぱりMくんは間違いなく、私の中ではヒーローだ。
あの、幼稚園のお教室のドアを開けて、私を引っ張ってその中へと連れて行ってくれた時のたのもしさと同じだった。
 
そして、とうとう、会社の同期のMくんと会う日がやってきた。
当時、大阪の中心街に出来た外資系のホテル。
古代中国の偉大な詩人の名前がついていたそのバーは、想像通り静かで大人の社交場と言えるような雰囲気だった。
 
私が席に着いて、少し経ってからMくんがやってきた。
ほぼ初めて話をするような関係なのに、私は恥ずかしくもなく、緊張することもなく、ただこうしてMくんが時間を割いてやってきてくれたことが嬉しかった。
私は、来てくれたお礼を告げると、幼稚園時代のMくんの話を始めた。
Mくんは、オーダーしたウイスキーの水割りを少しずつ飲みながら、静かに私の話を聞いてくれた。
わたしは、その姿を近くで見られたこと、同じ時間を共有してくれたこと、ただそれだけで心がとても温かくなった。
そして、幼稚園時代のあのMくんと同じ名前のKさんに対して、好意を持っていることも告げた。
すると、Kさんは、「どうもありがとう、そんなふうに言ってくれたこと嬉しいよ」
そう、やさしく微笑んで言葉を返してくれたのだ。
もう、もうそれだけで十分だった。
幼稚園時代のMくんには、はっきりとお礼が言えなかったのだ。
いつの間にか、私の前から消えていったMくんはいつまで経ってもあの幼稚園児のままだった。
でも、こうして目の前にいるKさんは、やっぱり素敵で、私が疑似恋愛であっても、妄想であっても、間違っていなかったと思えるくらいの男性だったのだ。
 
今思い出してみると、幼稚園時代の私を助けてくれたMくん。
その記憶がふと寂しいことや悲しいことがあったときに、私にも味方になってくれる人がいるよ、助けてくれる人が現われるよと、どこかで安心感を持たせ続けてくれていたように思う。
一人じゃないし、困ったら誰かが助けてくれるよ、と。
そんな思いを得て、私は内弁慶だった自分を奮い立たせ、身体も心も成長してきたように思えたのだ。
そんな十数年ぶりの自分の心の中での答え合わせに、M.Kくんが目の前に現われてくれたかのようにも思えた。
少しだけ、心の中のスペースにあうジグソーパズルのピースが、そっとはまってくれたようにも感じられたのだ。
もしかしたら、とても大胆な行動だったかもしれないけれど、自分の思いを伝えることが出来て良かったと今でも思う。
 
同期入社の女子社員から、訳の分からない話を突然されて、それでも嫌がることなく笑顔でお礼まで言ってくれたMくん。
やっぱり、私にとって二人のMくんは誰にも理解してもらえないかもしれないけれど、永遠に心の中の恋人だと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。

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2022-03-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.162

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