週刊READING LIFE vol.162

20年間共に過ごした彼女とこれからも一緒にいる理由《週刊READING LIFE Vol.162》


2022/03/21/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は1998年7月生まれ。人間の歳で言えばまだ23歳、可能性に満ちた年頃だ。でもパソコン界と人間界とでは時の流れが違う。私と同じ年代に生まれたものは、もうとうの昔に役目を終えて、世の中からほとんど姿を消している。私も長らく働いてきたが、ここ10年近くは出番もなく、部屋の片隅でひっそりと隠居をしていた。それが、去年の年末、久しぶりに引っ張り出された。今の持ち主が、私をそろそろ手放そうと決心したのであろう。積もったほこりを払って、私の動きを確かめようと電源を入れたのだ。
 
もともと私の主人は、今の持ち主の父親であった。彼は新しいものが好きで、今まで世の中になかった家電が発売されると、すぐに買うタイプであった。私を買った時もそうだ。彼はもう70歳になろうという歳だったが、まだまだ現役で働いていた。それまでは、私の兄弟分である据え置き型のパソコンを使って仕事をしていたのだが、持ち運びのできるタイプが欲しくなったらしい。発売されたばかりの私を手に入れたのだ。私は重さ3.5kg、厚みは5cmほどで、少々重いかもしれないが鞄に入れて持ち運ぶことができる。
 
「ノートパソコンはコタツでも使えて便利だな」
ご主人は新しいおもちゃを手に入れたかのように、毎日嬉しそうに私を使っていた。ところがある日、事件が起きた。
 
ご主人がいつものように私を広げて仕事をしていた時だ。隣にあったタンスの上から、体重が7kgもある大きな猫が、私の上に飛び降りてきたのだ。ものすごい衝撃で、私は気を失った。大けがを負った私は、長らく入院生活を送ることになったのだ。
 
ちょっと我慢すればいいのに、ご主人は私の退院を待ちきれず、また最新のノートパソコンを買ったのだ。つまり、私の出番はなくなってしまったのだ。私は退院してくると、ポケットがたくさん付いたベージュ色のアタッシュケースに入れられて、しばらく書斎に置かれることになった。
 
「こんな狭い所に閉じ込められて、私はこれからどうなるのだろう?」
つい最近まで私は「最新鋭」だったのに、今ではもうすっかりお株を奪われてしまった。無用の長物として、ずっと部屋に置かれたままになるのだろうか。そんなことを考えながら過ごしていると、ある日ご主人の娘が家にやって来た。
 
娘は2年ほど前に再就職して、近所でひとり暮らしをしていた。仕事が終わった後は、大学の夜間コースで勉強もしているらしい。私は部屋の片隅で、親子の会話を聞いていた。すると、いきなりフワリと体が浮いた。ご主人が私の入ったアタッシュケースを持ち上げたのだ。
 
「これを持っていけ」
「え、いいの?」
「ブー(私に大けがを負わせた猫の名前だ)が飛び降りてきて、クラッシュしたのを修理したんだけどさ。もう新しいの買っちゃったし。大学のレポートを書くのにパソコンが要るだろう? お前にやるわ」
 
こうして私は、ご主人の娘の所で暮らすことになったのだ。
 
娘は私を受け取ると、しばらくはゲームばかりしていたが、そのうち、大学のレポートを作ったり、会社の研修の課題を作ったりし始めた。私は彼女の役に立てているようで嬉しかった。彼女は時には夜中までウンウン唸りながらレポートを作っていたりしたが、大学も無事卒業してくれた。
 
私が5歳になろうとする頃、彼女はモデムカードとやらを買ってきて、私の体に差し込んだ。自宅でインターネットを始めるためだ。友人たちとメールをやり取りしたり、情報を検索したりして、毎日私を使ってくれた。私は、まだまだ自分の中にあった「可能性」を存分に発揮できていることに喜びを感じていた。私は、彼女の転職活動にも大いに貢献できた。求人情報の検索、転職エージェントとのやりとり、職務経歴書の作成……。私は彼女のそばで、いつも彼女を応援していた。彼女の成長を、誰よりも一番近くで感じられるのが嬉しかった。
 
やがて彼女は無事に希望する会社へ転職を果たした。引越しの時には、父親から譲り受けた時のアタッシュケースに私を入れて、一緒に連れて行ってくれた。新しい家でもこれまでと同じように、メールをしたり、インターネットを使ったりして、毎日のように私を動かしてくれた。私の体を動かしていたのは「Windows98」というOSであったが、当時はもう私は古株で、「Windows XP」というのが主流であった。でも彼女はいつも、「え? まだWindows98使ってるの?」と驚く友人に、「メールとインターネットだけだから、これで十分」と答えていた。
 
しかし、世の中の変化のスピードは思った以上に速い。
 
私が10歳になろうかという頃には、もう私には読み込めないファイルが増えてきたのだ。会社の研修で発表用の資料を作らなければならなくなって、彼女は仕方なく新しいノートパソコンを買うことにした。新しいノートパソコンは、真っ白で女性らしい雰囲気をまとっていた。ダークブルーでごつごつした私とはまるで違う。私は部屋の一角に置かれたパソコンデスクの上から、彼女がリビングのローテーブルに新しいパソコンを置いて、研修の課題を作るのを眺めていた。
 
「私が彼女のためにできることも、もうないかもしれない」
そんな風にも思ったが、彼女は課題を作り終えると、新しいノートパソコンはカバンにしまい込んで、また以前と同じように私を使い出した。ネットに繋がっていたのは私だったからだ。新しいパソコンに繋ぎ替えるのが、面倒だったのだろう。
 
でも私が15歳になろうという時、転機がやって来た。彼女は中国で仕事をするようになったのだ。彼女は持ち運びがしやすい、薄くて軽い新しいノートパソコンを買って、中国へ持って行った。1年の内、彼女が日本の家に帰ってくるのはほんの数日だけ。私の出番などない。しかも、彼女は新しいノートパソコンをいつも持ち歩き、日本の家に帰っている時でも、私ではなく、その新しいノートパソコンを使っていた。
 
こうして私は、見向きもされなくなった。悔しいけれど、仕方がない。私は部屋の片隅でほこりをかぶったまま、ひっそりとパソコンデスクの上で眠ることになった。気づけば6年半が経っていた。
 
一昨年、彼女は日本に帰ってきた。世の中はオンライン全盛の時代。彼女も新しい仕事はオンライン中心でやることにしたらしい。彼女は帰国するとすぐ、光回線に切り替えた。そして、17年間私に差し込まれていたモデムカードは外された。いよいよ本当に私の役目は終わるときがやってきたのか……。
 
彼女は4年前に買い替えたノートパソコンで、毎日仕事をしたり、SNSをしたり、情報を検索したり、片時も離れることなく使っている。一方の私はと言えば、モデムカードを外された後は、パソコンデスクからもおろされ、デスクの下にあった小さな台の上に追いやられた。そのまま2年が過ぎようとしていた。
 
実は彼女は、私を早く手放そうと考えていたらしい。使わないものを置いておいても仕方がない。パソコンのリサイクルの方法を検索したり、データ消去用のソフトを買ってきたりしていたのだ。ただ、他にやることが色々あって、ずっと後回しにしていたのだ。そんな彼女も、とうとう決心したらしい。きっかけは、昔彼女が買った真っ白で女性らしい雰囲気をまとったノートパソコンだ。10数年ぶりに起動させたそのパソコンは、立ち上がったものの画面は真っ暗だったからだ。
 
「あぁ、もう寿命だったのかな」
彼女はそう呟くと、LEDの懐中電灯を引っ張り出してきて、画面を照らした。暗い画面にうっすらと浮かび上がるアイコンやメニューを確認しながら、彼女はデータ消去用のソフトをインストールした。
 
「次は私か……」
部屋の片隅から私はそう思いながら彼女を見つめていた。すると、彼女は近づいてきて、私を久しぶりにテーブルの上に置いた。たまったほこりを払い、画面を開き、電源のスイッチを入れる。
 
ブイーン、カリッ、カリッ。10年近くも動いていないのだ。彼女は少し不安そうに私の画面を見つめていた。カリカリカリカリ……。しばらくの間動作音が続く。年老いた私は、動き出すまでに時間がかかるのだ。
 
やがて画面に水色の背景とWindowsのロゴと「Windows98」の文字が浮かび上がった。そして、しばらくするとアイコンだらけのデスクトップ画面が現れた。
 
「おおー、今でも立ち上がるんだ! すごい!」
彼女は嬉しそうに声を上げた。彼女は試しに手元にあった3.5インチのフロッピーディスクを私の体に挿入した。すると、問題無く読み込めるではないか。次に彼女はデスクトップに保存されたファイルをクリックしてみた。こちらも問題無く開くことができた。デスクトップには、昔苦労して作った大学のレポートや、転職活動で作った職務経歴書などのファイルがそのまま残っていた。昔遊んでいたトランプのゲームもできる。
 
「どうだ、これが20世紀の日本のモノづくりの真骨頂だぞ」
私は誇らしげに彼女に語りかけていた。
 
彼女は今使っているパソコンを私の隣に持ってきて、大きさや厚みを比べたりしている。
「20年でこんなに薄くて軽くなったんだ」
そんな声を上げながら、バチバチ写真を撮っている。彼女はこの20年の時代の変化、技術の変化を感慨深く思い返しているようだった。
 
「記念写真を撮ったら、いよいよ私もデータを消されてお役御免か」
私は嬉しそうに写真を撮り続ける彼女を見ながら、この20年を思い返していた。彼女と一緒に過ごしてきた20年を。私は、彼女にとっては「父親の形見」となった。そして、再就職した彼女が、自分の可能性を広げるために大学の夜間コースに通い、その後転職し、さらには中国へ渡り、新しい世界へ踏み出す姿を、私は彼女のそばでずっと見ていた。
 
「私がいなくなっても、これまでの20年と同じように、自分の可能性を信じて進み続けてほしい」
私は自分の記憶が消される前に、彼女に精一杯のメッセージを送った。
 
彼女はひとしきり写真を撮ると、そのままシャットダウンの操作をして、画面を閉じた。
 
「おい、データ消去して処分するんじゃないのか?」
「動かなかったら諦めたけど、このパソコンはやっぱり特別だからね」
彼女はそう言いながら私を軽く撫でると、また元の場所に私を戻した。
 
そうか。彼女にとって私は、共に歩んだ20年間を思い起こせる存在なのかもしれない。この20年の間、パソコンやネットは飛躍的な進化を遂げた。同じように彼女もこの20年の間に色々な変化があった。でも、人はできるようになると、それが当たり前の状態になって、以前のできなかった時のことを忘れてしまいがちだ。20年前、私は最新鋭のパソコンだった。ワープロしか持っていなかった彼女の生活は、私と一緒になってからどれほど便利になったことだろう。会社でしか使えなかったインターネットを自宅でも使えるようになり、どれほど情報入手が便利になったことだろう。私を父親から譲り受けて家に持ち帰った時の彼女は、経験の無い仕事に就いたばかりで、知らないこと、できないことが沢山あった。不安と期待が入り混じる日々を、ただ必死に生きていた。でも、この20年の間に沢山の経験をして、沢山のことができるようになってきたのだ。そんな自分の変化を思い出させてあげられるのが、私なのかもしれない。
 
私はもうパソコンとして彼女の役に立つことはないかもしれない。ただ、彼女が自分の心の拠り所として私をそのまま残してくれたのだとしたら、私は彼女の父親になりかわって、この先の彼女の変化を見届けることにしよう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。

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2022-03-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.162

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