週刊READING LIFE vol.166

人生の指針を他人に預けると決めた10代のわたし。その決断は果たして名案だったのだろうか。《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》

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2022/04/25/公開
記事:野地美咲(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「親の言うとおりに過ごしたら、人生もっと楽に生きられるかもしれない」
 
夕飯を食べ、テレビをみながらリビングでくつろいでいたある日。
突然、ふと、このフレーズが降りてきた。
 
ただ、この言葉が、思い込みが、のちの私の人生の歯車を大いに狂わすことになるとは、想像もしていなかった。

 

 

 

当時、私は中学生だった。
私の人生における全盛期でもある。
 
毎日何も考えず楽しく学校へ行き、朝練から始まり、授業を受け、部活に精を出し、帰って宿題をし、休みも部活に励む。その繰り返しの日々。
成績は上から数えた方が早く、先生との関係は良好。
親友もいればクラスメイトともそれなりに仲良し。
 
学校では絵にかいたような優等生であり、親にとっては聞き分けのいい娘だった、と思う。
 
今思えば、当時の私はそれらを「演じる」ことに限界がきていたのかもしれない。
 
家では幼い頃から母親の顔色をうかがっていた。それが身体にしみついていた。
それが波及し、学校でも先生や友達の顔色をうかがう。自己主張をするときはするが、ベースは受け身。どこの場にいても、その空間とっての正解、と思われる対応を提供することがあたり前となっていた。
 
母親は、彼女の意向と違うことがあると、いちいちがみがみ小言を言ってきていた。
 
それは違うんじゃない?
それはやめといたほうがいいよ。
あの子とは付き合わない方がいいよ。
 
それに対し言い返すことはぼちぼちで、聞きながら嫌気がさすことが多かった。
どうしてそんなこと言うの?
そう思っても、言い返すと倍以上で畳みかけられるような気がして、飲み込むことが多かった。
もやもやしていた。
 
はぁ、またなんか言ってきたわ。
うるせーな。
なんでそんな否定ばっかりしてくるん?
言い返す気力もないわ。
 
しまいには、
うるさい、うるさい、うるさい!
ほっといてくれ!
と、テレビやマンガの世界に逃げ込み、平静を保とうとしていた。
 
学校では、女子同士でありがちな仲間割れ、仲間はずれ、のような構図ができあがっては、友人関係が面倒になっていた。
そういう場に出くわすと、私は基本、仲裁役になる。
分裂した際、どちらかと言えば人数が少ない、弱い方につきながらも、双方の主張を聞きつつ、仲直りの様子を窺う。
仲裁は面倒くさいが、同じ空間でどちらの状態も注視しながら何事もなかったように一緒に接しなければならない環境の方が、私としては地獄。なにより居心地が悪いことが苦しかった。
 
例えば修学旅行での散策のグループ分け。きれいに分けられなかったり、独りぼっちになりそうな子をみつけたら、どうやったらみんなの妥協点を見つけられるか、私なりのベストを模索する。
別に、誰にも頼まれていないのに、だ。
 
A子とB子は一緒の方がいいよな。
C子はD子とじゃなくても、A子、B子のところでも楽しめるよな。
D子はE子とF子のところ? それとも他になじむグループがあるかな。
 
考えた内容を提案して、顔色を窺って、調整してまた提案して。
そうやって、もめごとやトラブルの火種を消してきた。
 
単純に人が好きで人に興味があったこと、誰かの顔色を窺うことがしみついていたこともあり、間に入って調整するという役回りは、ある意味私のはまり役だったのだと思う。
 
 
でもそんな役回りも疲れ、受け止めるキャパが限界に達しようとした時、冒頭のフレーズが降りてきた。

 

 

 

「親の言うとおりに過ごしたら、人生もっと楽に生きられるかもしれない」

 

 

 

名案だ、と思った。

 

 

 

親の言うとおりに生きれば、少なくとも親からの小言は聞かなくて済む。
1日24時間のうち、家で過ごす時間の大半は、母親との関わりが多い。
母親の小言が減るかもしれない、ということは、私にとっては最大の魅力だった。
 
それに、少なくとも自分より長く生きている。親以外の大人の意見を集めたら、いろんな人の経験を聞いたら、もっと着実に人生を歩み進められる道しるべが見つかるかもしれない。
 
そう思った。
 
それからというもの、他人の顔色窺いとともに、なにかを決める時の参考として、親や他の大人の意見を熱心に聞くようになった。
 
人生の先輩の意見だから、絶対参考になるはず。間違いない。
 
そう思い続けるうちに、やがて自らの意思で決断するということが薄れていった。
 
親(身近な大人)のokをもらう=正解の人生を生きている
そう信じ込み、進学する高校、大学、就職先を決めていった。
 
高校は自転車で行けるところにしよう。
弟もいるし、お金はあまりかからない公立高校で。
大学は家から通える範囲、県内にしよう。
家から通える大学はどんな学科があるかな。
就職先は、安定していそうな企業がいいかな。
 
 
もちろん100%親の意見ではなく、そこに10%くらい自分から湧き出た思いもあったはず。
でも、自分の思いなんてほんのちょっと、おなさけ程度にあったくらいだろうから、もはや親の意見にのみこまれているのも同然。そこに自分の内側からの意思を乗せて決断していたかどうか、いまとなっては怪しい、記憶はおぼろげだ。
 
そうしてわたしは、それなりの高校、大学へ行き、就職した。
大学生が売り手市場の時代にもかかわらず、就職先がなかなか決まらず思い悩んだくらいで、新卒で入社した会社にかれこれ10年以上勤め、自分で稼いだお金を自由に使い、周りの人たちにも恵まれ、大きな問題もなく毎日を過ごしている。
はたから見れば、それなりに楽しそうな人生だ、と思う。
 
しかし一方で、想定外のことも起きている。
 
結婚して家庭をもつこと。
そのことについては、私自身はもちろん、親が思い描いていた我が子の人生とは違う状況にある。
 
それこそ、自分の意思をもつことから、放棄したあの日。
大学行って就職して、それなりに恋愛して、お年頃になったら結婚して家庭をもつのだろうな。
そんなことをぼんやり夢見ていた。
それは誰にでも当たり前にある未来で、親の言うとおりのレールに乗れば、そこまでは自動的に運んでくれるだろうと信じていた。
 
しかし、それだけは違った。
 
物事決める基準が、常に自分の外側にある状態で生きていた。
他人に委ねていた。
 
それゆえに、
「私がいいと思うんだからこれがいい!」
と強い意思を持って決める、押し切る、ということが、知らぬ間にできなくなっていた。
 
例えば、
この人素敵だな、と思う人が現れても、
 
私はこの人のこといいなと思うけど、他人から見たらどうだろうか。
顔は? 身長は? 体型は?
性格は? 価値観は? 包容力は?
 
親は、兄弟は、親戚は、この人のことを気に入ってくれるだろうか。
家族からokはもらえるだろうか。
 
誰かの正解を求めてばかり。
頭で考えてばかり。
私にピッタリの人。というよりは、私に見合う人、という上から目線。
他人らの視点が気になり、その人自身、中身を見ようとせず、肩書きやステータス、条件で判断しようとする自分がいる。
 
それに加えて、
別に。私1人でも十分楽しいもん。
やりたいこともたくさんあるし、自由が効いていい。
と無駄に強がり、全部自分でなんとかしようとする人間になっていた。
 
全く持って、可愛くない。
 
彼氏がほしいとつぶやいても、
えっ、本当に彼氏欲しいの?
彼氏がいなくても、1人で楽しそうだよね。
と、周りからは、彼氏が必要なさそうな人、というくくりに入れられる始末。
 
本当に欲しいんだってば!
と、強く主張する勇気もなかった。

 

 

 

 

 

本当は必要としているのに。
心からそう思っているのに。
伝わらない。
 
唯一、内側からくみ取れる、自己主張激しめな自分の思いなのに、周りからみえる印象は真逆。
 
なぜ。
どうして。
 
どうしたら信じてもらえる?
周りに伝わるのだろうか。
 
って、よくよく考えてみれば。
いままで散々自分の思いは聞かずに、親の、他人の意見を聞いて人生の岐路を決め、生きてきたくせに。
これだけは自分の思いを信じてくれ、伝われ、なんて、虫のいい話があるかって話よな。
無視し続けのだから、かまっていなかったのだから、拗ねてあたりまえ。
まずは話を聞いて、自分自身と和解するのが先なのだろう。
 
 
そう。
調整役、間に入るのはハマリ役、とか自分で言っておきながら、実は自分の思いとの調整をしてこなかった結果、内側の自分と外から見られる自分に、気づかぬ間に大きな溝ができてしまっていた。
 
カッコ悪い。
一番近くが見えていなかった。
 
こんなことになるとは……
 
自分の人生を生きようとしなかったツケが、こんなかたちで現れようとは、思ってもいなかった。

 

 

 

何度かの結婚ラッシュを通過する中、いつか私もこの波に乗れるかな、
なんてのんきなことを考えていた20代。
でも、何度披露宴に参加しても、高砂に立つ自分の姿が全く想像できなかった。
そのおかげで、その「いつか」は、いまだ私には訪れていない。
気づけば周りの友人の大半が結婚し、自分の家庭をもち、新たなフィールドに進んでいる。
 
こんなはずじゃなかった。
私も、みんなと同じような生活を送っているつもりだった。
そのために大人の意見を参考に生きてきた。
 
嫌だ、もううんざりだと思って、「親の言うとおりに」生きてきたにもかかわらず、
最近また、親に会うたびに小言を言われるようになっている。
 
 
職場や仕事関係者、趣味のつながりでも、誰かいい人はいないの?
田中さん(仮名)ところの息子さん、独身なんだって。
お母さんいい人だし結婚してみたら?
と、母親ネットワークを駆使して地元の情報を集めては、私に披露してくる。
 
10代で決断した、あの頃と同じ状況を繰り返している。
正直、うんざりだ。
 
断ち切るためには、逃げ出さず、立ち向かっていくしかない。
 
長年無視し続けた自分自身の本音が、じわじわと湧き出てきている。
 
これまでの人生における決断のほとんどを、親に頼って生きてきたにもかかわらず、
恋愛と結婚、これだけは自分の意思で決めたい、と思っている自分がいることに気がついた。
このことは委ねないのな。
不思議だ。
これも他のことと同じように、手放していたら違っていたのかな。

 

 

 

自らの意思で決めることに対する恐怖はある。
そらそうだ、だっていままでほとんどやってきてないんだから。
経験値が少ないのだから、仕方がない。
 
 
日々生きていれば決断のシーンは大なり小なりいくらでもある。
日々の場面場面で鍛えながら、自分にとって大事な、大切な決断をする際にバシッと決められるように備えたい。
 
これだけは自分で決めたい、決めるんだ、というその思い、自ら決断する自分を信じられるようにったら、道が開けるような気がしている。
 
その道のりは遠いのか、近いのか。全く見当もつかないが、今まで逃げ回ってきた分、自分を成長させるための課題として、真正面から向き合い、ギャーギャー泣き叫び騒ぎながらも、一歩ずつ、自分を信じて進んでいきたいと思う。
 
 
そんな自分を想像してみたら、自然と笑みがこぼれた。
ちょっぴり滑稽で、でも一生懸命で、じわじわ笑えてくる。
そうそう、不器用もわたしだよね。
 
そんな自分も愛おしいと思えたら。
どんな状況でも小さな楽しみを見い出せたら。
 
きっと、大丈夫。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
野地美咲(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

平日会社員の傍ら、ヨガを伝えたり、ライティングを勉強中の30代女子。
2021年11月にライティングゼミに参加。
日常をいかに自分の心地の良いペースで、楽しく過ごせるか。マイペースに実践中。

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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