週刊READING LIFE vol.169

互いのテリトリーを破壊する前に《週刊READING LIFE Vol.169 ベスト本レビュー》


2022/05/16/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
数年に一冊くらいの割合かもしれないが、読み進めるうちに、本の登場人物に没入してしまうような感覚がある。
 
(これは、私のことなんじゃないだろうか)
 
フィクションなら、読者にそう思わせるような本は絶対に勝っている。何に勝っているかって? 読んだ人の意識を少しでも変えさせることだ。
本を多く読んでいると時折そんな本が現れて「マイベスト本」となっていく。柚木麻子著『ナイルパーチの女子会』も、その仲間入りをするようだ。

 

 

 

『ナイルパーチの女子会』には2人のヒロインがいる。
 
夫と2人で暮らす専業主婦の丸尾翔子は、人と比べない生活がモットーだ。家事はゆるく行い、気が乗らなければすぐ外食、子どもがいるかいないかも人に左右されない。その日出会った出来事、感じたことをゆるく書いていたブログの語り口が気取らなくていいということでアクセス数が急上昇、注目の主婦ブロガーとなった。
 
商社で働く志村栄利子は、蝶よ花よと育てられた大学卒の美人OL。何不自由なく人生を進んできたかのように見える彼女には、あるコンプレックスがあった。それは「友達がいないこと」。
 
普通に暮らしていればなんの接点もなく生きるはずの2人を結びつけたもの、それが翔子のブログだった。栄利子は翔子本人を突き止めることに成功して2人はリアルな知り合いになる。
しかし栄利子には、他人との距離感がつかめないという欠点があった。知り合って日も浅く、相手のバックグラウンドなどわからないはずなのに、栄利子は翔子の内面に踏み込みすぎる発言をしてしまう。友達がほぼいなかった栄利子も、他人と深く関わることが少なかった翔子もこの出会いを喜んだのも束の間、2人の関係は険悪になっていく。このこじれた関係が、次々ととてつもないモンスターのような出来事を生み出すとは知らずに……。
 
「袖擦り合うも多生の縁」ということわざがある。例え街中などですれ違うだけの関係だったとしても、それは前世からの縁である」という意味だが、今やインターネットの世界でもそれが当てはまるのかもしれない。
 
栄利子がどうして翔子を突き止めたのか。それは翔子が発信していたブログから、近隣にいるんじゃないかとあたりをつけたからである。翔子のストーカーと化してしまった栄利子のことを読むにつけ、本当であれば全く縁がないはずの人とも出会ってしまう、それがSNSの面白さでもあり怖さでもあるとつくづく思う。
 
そしてこんなことを書いている私も、ネット生活は約18年にもなる。
スマートフォンを持つようになってからは、気がつくと何かしらのSNSを開いているのが普通になっている。ひっきりなしに通知がくるからだ。
オンラインでSNSを見るだけではなく、そこで知り合った人とオフで会うことにもほとんど抵抗がなくなっている。オフで人と会う時はほとんどがコミュニティ絡みとか仕事絡みなので、とびきり変人だったとか、犯罪に巻き込まれたことはない。そこは大人なので見分けられる目は持っているはずだけど、それでも怖い出会いもあったな……と思い返している。

 

 

 

遡ること、17年前。私はブログを開設した。
当時はまだ子どもも小さく手がかかり、自分の時間もなかなか持てず働くこともできずで、社会との繋がりが絶たれたような気がしていた。
そんな折に家でPCを購入して、ネットの世界に触れた。当時はブログが全盛期で、ごく普通の人がいろんなことを発信していた。趣味のこと、日常のことを楽しそうに語れる場所があるのが、単純に羨ましかった。日常会話だけじゃなくて、日々に追われるだけじゃなくて、自分のことを語りたい。そんな気持ちが徐々にふくらんで、とうとうブログを作った。
 
ブログを作ったところで、さて何を書こう? と考えた。
その頃私は、長年育児で封印していた映画鑑賞を再開させた頃だった。
ちょうど下の子が小学校に入った頃だ。登校してから帰宅するまでに映画を1本観て帰宅する。それが楽しみになった。映画の感想をブログに記して、他の映画ブログさんも読みに行って交流をするとブログ友さんができた。自分が書きたいことを語れる場所があって、それをよしとしてくれている人が少しでもいることが嬉しかった。認められると嬉しいことがさらに加速して、私は毎日ブログを更新するようになっていった。ブログを更新するネタ作りのためにというわけではないけど、映画を観る本数も増えていった。たくさん映画を観てそれをブログにUPして、わいわいコメントをいただくのが日常になりつつあった。
 
たくさんのブログ友さんができた中でも、印象に残る人とそうでもない人がいる。毎回コメントを書いてくださる方はやはりインパクトがあるし、こちらも丁寧にお相手のブログにコメントもしてみる。そういうことで繋がりをより強く感じる人がいた。その中に、ある1人の女性がいた。仮に名前をAさんとでもしておこう。Aさんのブログもまた、鋭い視点で映画のことを書いていた。私はその人オリジナルの視点で書かれた文章が好きだったから、Aさんのブログが更新されるたびに読みに行き、感想を書き合っていた。そんな関係がしばらく続いたころ、Aさんからメッセージが来た。
「今度上京するんです」
彼女は地方在住で、応援しているアーティストがライブを東京でするのでそれを観るためにやってくるとのことだった。
「そうなんですね! もしお時間あったらお茶でもどうですか?」
「ぜひ、そうしましょう」
そんなわけでオフでお会いすることとなった。
新幹線の都合で待ち合わせた品川に現れたAさんは、すらっとした方だった。私たちは近くのカフェで話し合った。
スタンディングのライブだったけど、背が高いからよく見えてラッキーだったわとAさんは喜んでいた。そんなたわいもない会話や、互いが好きな映画の話をして、Aさんは帰っていった。
 
日常に戻ってしばらくは、いつものブログ上のやりとりが続いた。
そのうち私は仕事を持って、毎日のようにブログ訪問ができなくなった。仕事も家事もくるくると忙しく、専業主婦だった時のようにブログに多く時間を割くことができなくなった。映画を観ても自分のブログだけ書いて終わってしまっていた。
しばらくぶりにAさんのブログを読みに行くと、彼女は自分のブログへのコメントの少なさを嘆いているようなことを記事の途中に書いていた。
「最近あんまりコメントがつかないんだよね……」
ああ、そうか、ごめんなさいとも思ったが、そこにコメントを残すのもちょっと気が引けたのでそのまま何も書かずに終わった。そうするとAさんはTwitterにこう書いていた。
「見にきても何も書かないで帰るなんてひどい!」
 
え、それ私のこと? 少し怖くなった。ブログに足跡機能がついているからなのだろうけど、読みに来たことを見張っているのかしらと思った。ブログってそこまでするものなのかな。みんな自分のことで忙しい中、ブログを書いているんだから、お互い様じゃないのかな。
それから私はAさんのブログを読みに行くことをためらうようになった。いつ読みにくるのかと見張られているのが怖くなった。そうやって足が遠のくことと比例するように、AさんはTwitterで明らかに私に向けて、ブログで交流しないことに対しての不満を書くようになっていった。
「もう誰も読みに来ないし、コメントもないし。他のブログには行くのにね」
他の人のブログに書いたコメントまでチェックされてるとは! 恐れ入ったけど、そんなことされたらますます訪問しづらい。リアルでお会いした時は普通の人かと思ったんだけどなあ。リアルとネットじゃ、人は変わってしまうものなのだろうか。でも嫌味っぽいコメントを返されることを承知で訪問する義務もない。そう思いながら私はAさんのブログから遠ざかった。そのうちにTwitterのフォローも外されていたことがわかった。私もそっとAさんのフォローを外した。それからは、彼女のブログは見に行っていない。

 

 

 

『ナイルパーチの女子会』を読んで、以前の自分に起こったことを思い出していた。
人は他人に認められたくて何かを発信している。ネットという海に向かって。誰もいないように見えてもどこからかそれを見つけた人が寄ってきて、どうかするとバズりもする。発信している本人は何も変わらないつもりでも、それを受け止める側はどう反応するかわからないのだ。
 
発信する側だって、丸尾翔子がそうだったように、もしかしたら半径10メートルくらいの出来事にしか関心がないのかもしれない。自分のスマートフォンが捉えた画角の中さえ完璧であればそれでいい。その画角の中に踏み込まれてもうっとうしく思うだけなのかもしれない。私ももしかしたらそうだったのかもしれない。いきなり遠ざけたりせずに、もっとあの時Aさんと会話をやりとりしていたら、お互いの関係ももう少しよくなっていたかもしれないのに。白か黒か、嫌なものは嫌とすぐ切り捨ててしまったことが本当に正解だったのだろうか。
 
そうかといって、人との距離感がわからない感じの人と深く関わることはやっぱり怖かった。もしもあのままAさんと対話を続けて誤解がエスカレートしていったら、栄利子が翔子に投げつけたような、ストレートな批判を浴びたかもしれない。ネットの世界で煩わされることはストレスにしかならないから、それも避けたかったのは本心だ。
 
そんなことがありつつも、今、私のブログは開店休業状態だけど辞めてはいない。ブログはあの頃から比べると下火になって、他のSNSに書くことが多くなってきた。TwitterやFacebook、Instagram、どこでもそれなりにネットでの知り合いはできているが、あの時の怖さは忘れてはいないつもりだ。それでもネット上での交流をすっぱりやめようとはしない自分がいる。単純に交流もしたいからというのもあるけど、それ以上にSNSからビジネスにつながることが多くなってきたので、やめようにもやめられないのが現状なのかもしれない。
 
こうして綺麗事を書いていても、結局人間は、承認されたい欲求から逃れることは一生できないのかもしれない。もしもそれを克服したかったら、リアル人生を充実させることしかないのかもしれない。それこそネットなんかに書き込んでいる暇もないくらいに。
 
人気ブロガーとしてさらに上を目指すことしか考えていなかった翔子が自分の人生を棚卸ししたように、「誰かの人生を自分が握っている実感を獲得したい」栄利子が地に足をつけ始めたように、常に常にネットが、SNSが気になっていた自分だって、何かを考え直さないといけないのではないか。
 
ブログを始めた頃に知り合った人たちの中で、今でも交流が続いている人たちが少なからずいる。彼女たち、彼らの現状を見ていると、15年ほどの時を経てそれぞれのプライベートもゆっくりと成熟して、結実するものも垣間見えている。コツコツと自分の目の前のことに取り組まれているからなのだろうなと推測していて、そんな人たちが今でもお付き合いしてくださることがとてもありがたいと思っている。
 
私はこの歳にして、新しくチャレンジしたいことが山ほどある。ただ単に人に認められたい、共感してくれる人が欲しいがためにSNSを活用するだけではなく、自分の生活を充実させながらネットも上手く活用できればと思っている。これからもたくさんの人とネットで出会うことだろう。その出会いに依存することなく、ナイルパーチのように相手の生活を侵食することもなくやっていけるだろうか。もし疑問が出てきたらこの本をじっくりと読み返して、自分が誰かのテリトリーを破壊していないかどうか確かめる基準としてみたいのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)

2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月天狼院書店ライターズ倶楽部「READING LIFE編集部」公認ライター。「Web READING LIFE」にて、湘南地域を中心に神奈川県内の生産者を取材した「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/manufacturer_soul 、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」 https://tenro-in.com/category/yokohana-chuka/  連載中。

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2022-05-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.169

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