週刊READING LIFE vol.172

時には、逃げるのも得策だ。特に、命が掛かった時は《週刊READING LIFE Vol.172 仕事と生活》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース、ライターズ倶楽部にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/06/06/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私はこのところ、元・同業者と連絡を取っていない。
何故なら、彼等は多分、私のことを“逃げ得”した男と思っているだろうから。
その上、私にはそれに反論する言葉を持ち合わせていないのが実情だから。
今から8年前の2014年2月1日、前日から月末の帳簿を閉めていた私は、思わず溜息を吐いていた。時計の針は、とっくに天辺を回っていて月が替わっていた。
そして私は、重大な決心をした。
 
翌日、正確には朝に為って、いつも通り出勤してきた取締役の常務と工場長に、午後から臨時のミーティングをしたいと私は申し出た。
 
前夜、私が思わず溜息を吐いたのは、新年早々、2014年1月の会計状況が芳しくなかったからだ。
私の会社は、家業として父親から受け継いだのは麺類製造工場だ。製麺業界では、毎年1月の会計では大幅な収益を計上するのが通例だ。
何故なら、その前月の12月は“年越し蕎麦”という年に一度のイベントが有る為、工場がフル操業し、売り上げが一年で最も多く為るからだ。12月末で締めた売掛金は、1月中には総て回収される。そして1月は、正月休みが入るので工場の稼働日が少なく、その分製造経費が少なくて済むという絡繰りだ。
私が途方に暮れたのは、前(2013)年9月末の本決算が済み、11月中に立てたばかりの予算が、最も収益が上がる予定の1月にして挫折したからだ。
 
その予兆は、2年前から起こっていた。
それは、弊社工場の製造機器がどれも耐用年数が過ぎていて、更新する時期に為っていたことに起因する。
耐用年数が過ぎた製造機器は当然、減価償却が完了しており帳簿上の価値が無くなっている。言い換えれば、収益の源泉ともいえる。経費が掛からぬ物で、製品を生み出しているからだ。
製造業の経営者なら、この点は誰でも熟知しているものだ。私だって、十分過ぎる程解かっていた。そこでプールした利益に、新たな借入れを足し、新規の設備投資をするのだ。
ただ、その際の足し算で、利益と借入れのバランスをどうやって取るかが、経営者のマネージング能力が問われることと為る。莫大な利益を出していて、借入をせずとも設備投資が出来る優良企業の経営なら楽なものだ。
ところが、私の会社の様な中小零細企業は、机上の理論通りには行かない。
 
私は、念には念を入れる様に慎重な予算を組み、健全な経営を目指していた。ところが、世の中は思った通りに行かないのが常だ。往々にして、不測の事態というものが起こるからだ。
その時点でも、顧客(ラーメン店)の店主の急死による閉店や、天候不良による想定外の原料(小麦粉・蕎麦粉)のコストアップが有った。大幅では無いが、徐々に収益が圧縮される前兆だった。
 
ただ、銀行を始め私の会社を取り巻いている取引先は、私が借り入れをして機械を更新するものと考えていた様だ。実際に、与信担保(抵当)には余裕が有った。
銀行の与信枠が空いているなら借入れをして、その後は苦労しながらも返済し続けるのが、世の通例かも知れない。しかし私は、後を託すつもりの常務や工場長に、無用な苦労をさせる様な気がして借入れに踏み切れなかった。
しかも、貸す側の銀行は、こちらの短期的な返済能力は見ても、長期にわたる事業継承迄は面倒を見てくれないものだ。
 
今考えると、その時点が一つ目の分岐点だった。
業績も業界も、後退基調に為っていることに気付きながらも、当時の私は、世間体を気にして強気な姿勢を続けた。それ迄も自分の経営姿勢で、十分に対応出来ていたからだ。それに、弱気を見せるのは勝手に定めた‘自分らしさ’ではないとも考えたからだ。
しかし、現実は冷酷だった。
どちらかというと‘イケイケ姿勢’を得意としていた私に、抗えない事実を突き付けて来ただけなのだ。
 
そもそも、企業という事業体は、利益を出し続けることでしか生き残ることは出来ない。
そして利益とは、事業によって社会に送り出す付加価値によって決まる。しかも、生み出した付加価値は、市場(しじょう)が求めるものでなければならない。
不確定要素が多い市場は、身勝手な価値判断を意図も容易く否定してくる。結果的に健全な経営が出来ないのは、経営者の判断が間違っていたことの証明でしかない。
 
既に業界内では、業績悪化する工場が続出していた。
そこには、先程述べたコストアップといった外的要因が在るのは事実だった。しかし冷静に考えれば、業界全体が市場の求める付加価値を生み出してないのが、第一義的な要因に違いなかった。
何故なら、製麺業界では100年以上も大きな技術革新が為されていなかったからだ。明治時代に考えられた製法が、21世紀に為ってもまかり通る筈が無い。業界全体が地盤沈下したというより、社会的な存在意義すら無くしていたのかも知れない。
勿論、食に関する産業なので、市場(しじょう)が皆無と為ることは無い。しかし、旧態依然たる経営手法では、昔と同じ収益体質で居られる程、現代社会は甘くない。業界を通して、社会的に重要とは思われなくなっていただけだ。
そのことを、業界の経営者は皆、気付いていなかったのだ。もしくは、気付いていても状況を好転させる知恵や熱意を、私を始め他社の経営者達は誰も持ち合わせていなかったのだ。
その証拠に、業界では突出して業績を向上させる企業は無かった。事業として成長して巨大化する企業も皆無だった。
 
私を含めた製麺業の経営者は、
「他所(よそ)も悪けりゃ(業績が)、ウチが悪いのは当然」
と、傷の舐め合いに終始していた。
そうして居る内に、取り返しが付かないことに為っていたにもかかわらず。
 
午後に為り、取締役2名とミーティングを始めた私は、
「これが、1月の暫定値。予算と比較すると、今期は間違いなく欠損に為る」
と、告げた。帳簿と資料に目を落とす二人に、
「但しそれは、今後も工場の操業を続ける前提の話だ。今、工場の操業を停めれば、得意先や取引先そして、役員二人を含めた社員に迷惑が及ぶことは無いと思う」
と、続けざまに言った。更に、
「得意先を継続して任せられる宛ては在る。二人は兎も角、社員達はそちらで雇って貰える筈だ。もっとも、ウチとの取引継続を望んでいた取引先には、期待に背くことに為るけど。しかし、会社を倒産させたら買掛金の支払だって出来なくなる。何としてもそれだけは避けたいのだ」
と、熱い中にも極力冷静を装って語り掛けた。
そして最後に、
「工場を停めるかどうかは、二人で判断してくれ。その判断を待って、俺が決断するから」
と、告げた。
二人は、一日だけ考える時間が欲しいと言った。
私は、了解した。
 
次の朝、両名は口を揃えて、
「やはり、工場を停めましょう。その方向で協力します」
と、言って来た。いや、言って来てくれた。私は、
「では、工場の稼働を停めることと決断する」
と、宣言した。工場長は、
「それで、期限はいつにするのですか?」
と、聞いてきた。
「3月31日にしたい」
と、私は言い切った。すると常務が、
「2か月では間に合わないと思いますが」
と、言い出した。私は、
「大事なことを伝え忘れたのだが、会社のコンピュータが古すぎて、改定される消費税に対応出来るプログラムが乗せられない。だから、消費税率が上がる(5%が8%に)4月前に、全てを処理しないと余分で不要なコストが掛かるし。もし間に合わなかったら、俺が全責任を取る。それ迄、可能な限り尽力してくれ」
と、二人に告げた。
 
得意先の同業者への移行は、思いの外順調に進んだ。同時に、従業員の移籍の確約も取れた。
我が社の給与水準と待遇は、業界内では良い方だったので、移籍を受け入れてくれた同業者には、少し迷惑だったかもしれない。それでも私は、社会的に制裁を受けることなく責任を取ることが出来たと思っている。
無論、取引先には、通常の期限前に支払いを済ませた。

そして、工場長は設備機器の処理完了時に、常務は工場社屋売却が決まった時に、それぞれ会社を後にした。私は二人に、規定より上乗せした額の退職金を渡した。せめてもの償いだ。
 
一人会社に残った私は、その後の事を思案した。
時に私は、55歳だった。
私が若い頃、55歳といえば定年の歳だった。
以前から私は、55歳に為ったら後進に後を任せてセミ・リタイヤするつもりだった。悠々自適な第二の人生というやつだ。
定年が無い自営業の私は、自ら定年というかリタイヤする時期を決めるつもりだった。そうでもしないと、死ぬまで会社に職席を残した父親と同じになると思い込んでいた。
しかも、それが周りに計り知れない迷惑となることも、私が一番よく知っていたのだ。
 
しかし、工場を停めると決断をすることで私は、セミ・リタイヤが為らぬ事と観念した。
未だ返し切れない事業資金としての借り入れを、私は一人で背負うことにした。それが、代表取締役としての責務と感じていた。
それでも、事業継続は出来なくとも、取引先や得意先そして従業員といった関係者の誰一人として、金銭的な迷惑を掛けなかったと自負している。取引が有った銀行も、借入金を残しているメインバンク以外は、全ての返済を完了した。メインバンクにしても、今後も取引を継続することでこれまでの恩に報いようと考えた。
 
それでも、想定していたこととはいえ、私に対し陰口をいう者が居た事は事実だ。
それは、
『親から受け継いだ事業を潰した』
とか、
『結局、経営能力が無かっただけ』
といった、誹謗中傷に近いものだった。
私はそれ等に、一切耳を貸さなかった。自分には、
『誰に迷惑を掛けた訳ではない』
と、言い聞かせた。
 
その内、知り合いの同業者の中には、
『山田さんが廃業したのだから、この業界はもう限界なのかも』
と、私に続いて事業に見切りを付ける者が続出した。
私は、一抹の罪悪感を残しつつも、業界内で思いの外“信頼”“注目”されていたのかと、妙な感心をしてしまった。
 
私が、自社の製麺工場閉鎖を決定した6年後の2020年、御存知の通り世界中で猛威を振るい始めた新型肺炎ウイルスの蔓延で、日本でも感染者が爆発的に増大した。外出自粛令が施行され、街がゴーストタウン化した。
人出と売り上げが直結する飲食店は、正に壊滅状態と為った。飲食店のベンダーである製麺業者も、全く先の見通しが立たずにいた。
その頃から、事業維持に窮した製麺業者達は一斉に、率先して窮状から逃れていた私に対し、
「上手く逃れやがったな、お前は」
と、これ見よがしに詰って来た。
人間誰しも、生死が掛かれは感情的に為るものだ。私は、何を言われても仕方が無いと諦めていた。

そんなことよりも、現在コンサルをさせて頂いている食品製造工場や飲食店からの先行きに関する相談で、私は頭を悩ませ続けている。
自らの経験から、余力が有る内に撤退する方が得策と説いている。後ろ向きの意見に違いはないし、多少なりとも心苦しさが残る。
しかし、私は、
「会社が倒産しても、従業員は失業するだけです」
続けて、
「でも、経営者はそうはいきません。会社を倒産させたら、失業だけでは済まされません。第一、経営者には失業保険が無いのです」
更に、
「経営者は、会社が倒産すると同時に破産します。その後は、人生が悲惨に為るだけです」
と、語呂合わせの様に説いている。
私の様に、倒産を避けて廃業して欲しかったのだ。
何故なら、この際の廃業は、誰も傷付くことなくウイルスのせいに出来るからだ。
しかも、廃業は逃げであっても役立つからだ。
廃業は、撤退であっても敗北ではない。
現に私は、誇れるような生活では無いが、後ろ指を指されずに生きて来られているのだ。
 
そう、倒産・破産は、人間に例えると“死”だ。
誰でも、死にそうな時は逃げても誹られることは無い。
生き続けることに、無駄なんて無い。有りっこない。

それに、再起するのに必要な最低条件は、活きていることだ。
活き続けている限り、勝負は決していないのだ。
 
私は、新型肺炎禍以降の二年間、これ迄の取引先の立て直しに奔走して来た。
昨年秋から、これ迄とは別角度からの新規のアドバイスも始めた。
これは多分、新型肺炎が完全に収束した後も、飲食業や食品製造業に役立つものだろう。
 
それもこれも、8年前に私が倒れなかったからこそ可能に為ったことだ。
あの時本当に、意地を張り過ぎなくて良かったと、私は今に為ってそう思う。
 
私もまだまだこれから、もう少しだけ、世の中に役立てそうだ。
 
それだけが、何だか嬉しい次第だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2022-06-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.172

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