私たちは小説の世界を生きている《週刊READING LIFE Vol.186 本業と副業》
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/09/19/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
農家に生まれて、のびのびと育てられた。
と書きたいところだが、私としては厳しい父におさえこまれて育てられた。典型的な男尊女卑で、女は男の三歩下がってついていくというような家庭だった。父が怖いから従う。おそらく父が怖くなかったなら、私はもっと自由に生きていたかもしれない。女の子だからあれはしてはいけない、これはしてはいけないと言われ、なんて不自由なんだと感じていた。
とはいえ、田舎で生まれ育ち、遊ぶにしても畑だ。自然のなかで、自由にのびのびと遊んでいたように思う。自然は私にとって遊びの宝庫だった。冒険心をそそられる。川原の畑は景色もよくて、広々として気持ちがいい。
もともとお米もつくっていたけれど、70年代の政府のお米の減反政策で、我が家もお米をつくることをやめたらしい。祖母は反対したらしいが、家長である父が決めた。私の記憶があるのは、レンゲ畑だ。田んぼにはレンゲが咲く。ちなみに、田んぼには自然にレンゲが咲くのだと思っていたら、レンゲの種を蒔いているそう。それはなぜかというと、レンゲ草は緑肥と呼ばれ、窒素肥料になるのだという。レンゲのようなマメ科の植物は、土に栄養を与えてくれるという。
話を戻すと、それで我が家は野菜の専業農家だった。新聞を見て、父が野菜の値段をチェックする。安いときはほうれん草が一束5円だったりした。そんな5円のものをつくっていても全然お金にならない。きっと、家族がなんとか普通に暮らしていけるような家だったと思う。
その我が家の仕事を変えたきっかけは、たぶん私だろう。私は勉強が好きだった。たまたま小学校でできた親友が、私立中学校を受験すると言った。だから、私も一緒に行きたいと思った。受験したいと言うと、父は受験したらいいと言ってくれた。でも、学歴のない父は、受験のことなんて全然わからない。知人に聞いて、学校説明会というものがあることを知って、説明会に行った。証明写真なるものを写真館に撮りに行き受験の申し込みもして、私は受験させてもらうことができた。そして、まぐれで合格した。親友も合格して、一緒に同じ中学に行けることになった。祖母も伯母も喜んでくれて、お祝いの電報までもらった。電報をもらうほどだったから、この家で私が私立中学に合格するというのはよほどの出来事だったのだろう。
農家に嫁いでいた伯母に中学に合格したことを伝えると、こんなことを言われた。
「まあ、それは親も子もたいへんやな」
親も子も大変……。私は遠い中学校まで通うことが大変ということか? 親が大変なのはお金のことか? 私立に通うということがどういうことなのかが、あまりわかっていなかった。父も母も私立の高校だったし、あまり大きなこととしてとらえていなかった。でも、その一言が、鋭い言葉だったのだと思う。
私が中学校のときは、まだ父は農家をしていたと思う。兄も私立高校に進学し、学費が嵩張っていった。ふつうなら中学生の私に、高額な授業料はいらないはずなのに、毎年高い授業料を払ってくれていた。中学校のときの担任の先生が、授業料を払う時期になると、「ご両親に授業料を払っていただいてありがとうございます、と感謝を伝えなさい」と仰った。この学校に通えることは当たり前のことではないのだと。父に感謝すると、塾代と思えば同じぐらいだと言っていた。でも、きっと農業だけではやっていけなかったのだろう。農地を駐車場にしたり、徐々に父は農地を手放したり動かし始めた。本業だった農業を助けるための副業だったのか、計画的に土地の運用を本業にしていこうとしていたのかは定かではないが、私が高校生のころには、父は農業をしなくなった。農業という仕事をしなくて何をしているかというと、ずっと家にいて何もしていないようにみえた。ときどきスポーツジムに行って、なまった体を鍛えていただけれど、働いていない父を見るのは、なんだかすごく嫌だった。土地から入ってくる収入で生きていく方向にシフトしたということなのだろうと思うが、小さなころから汗水たらして働いている父を見ていたので、何もせずにテレビばかり見ている父の姿は、大嫌いだった。でも、妹も私立高校に進学して、子ども3人が私立に通うというのは、相当お金がかかったと思う。そして、兄は地方の大学に行って、一人暮らしの費用もかかったし、私はさらに私立大学に進んだので、父がお金を得るためにいろいろと考えてせざるを得なかったのだろう。親も子もたいへんやなと言っていた伯母が、そんな父を見て、運動のために畑仕事したらいいのにと言っていた。私もそう思った。やっぱり私は、汗水たらして働いていた父が好きだったのだ。泥臭くても、きれいな仕事でなくても、全然儲からない仕事であっても、畑仕事は働いている感じがした。生きている気がした。子どものころは、家が農家であるのがかっこ悪いし、恥ずかしいと思っていたけれど、父が畑に行かなくてもお金を得るというのは、全然かっこよくなかった。むしろ、畑に行って泥まみれになっていた父は、とてもたくましくてかっこよかった。
家でぶらぶらしている父を見ていたからか、私はすぐに働きたかった。自分で仕事をして稼いで生きたいと思った。私が就職するころは超氷河期で、特に大卒女子にとって就職活動は困難を極めていた。父は、お前は女なんだし勉強が好きなんだったら働かなくても大学院に進めばいい、と言ってくれていた。でも、大学院に進みたいとはこれっぽっちも思わなくて、女だから仕事しなくてもというのは、時代遅れだ。なんとか就職活動をして、希望の会社に就職することができた。
サラリーマンが安定していると思った。毎月必ず決まったお給料をいただける。農業や自営業は波がある。野菜は豊作になれば高く売れないし、台風や自然災害で水に浸かったりして、一瞬にしてダメになってしまうこともある。土地の運用は、借りる人や買ってくれるところがなければ収入がない。父は、倉庫を貸していた企業が撤退して空いてしまってうまくいかないのを気にして、ストレスを抱えていたと思う。父が末期癌がわかって病床についたときも、手に携帯を離さず、管理会社からの連絡を待っていた。自分でどうにもできず、待つというのは、しんどい。心配しながら逝ってしまった。
社長になって、自分の人生で一花咲かせたいという思いがあったと思う。その望んだ一花がどんな花だったのかわからないけれど、お金や土地などの財産を持てば持ったほど、気苦労が増えるというのは本当かもしれない。農業をしていれば、もっと穏やかに過ごせていたかなと思ったりする。
父が亡くなったとき、私は兄に言った。
「会社辞めたらあかんで」
それは、サラリーマンが安定していると思ったからだ。自営業をしていた父が、波に翻弄されて苦労していたのを見ていた。自営業はしんどい。サラリーマンなら、必ず毎月お金がいただける。兄は父の仕事を引き継がざるを得ない状況だからこそ、言った。あんなに苦悩した父の仕事を兄が本業にするなんて考えられなかった。兄はずっとサラリーマンで生きてきた人だ。仕事の分野も全然違う。
私の言葉に、兄は何もこたえなかった。サラリーマンをしながら、兄は長男として父の法要をすべてとりまとめて、相続手続きもしてくれた。父の仕事のことをするのは、亡くなって間もないからということで、会社も副業を大目に見てくれていたようだ。1年ぐらい経ってから、兄に話があると呼ばれた。兄は、暫定的に副業としていた父の仕事を本業として引き継いで、勤めていた会社を辞めるという。勤めていた会社は本来副業を認めていなくて、そろそろけじめとつけないといけないと上司に言われたそうだ。1週間後には退職するという。もう既にすべてが決まっていた。お嫁さんにも反対されたみたいだけれど、兄の心は決まっていた。着々と動いていた。私が口を挟む余地はなかった。父がしていたことだけではうまくいかないので、自分が新しい仕事を習得してそれを本業にしていくとのことだった。40歳を超えて新しい仕事をする覚悟をした兄を、誰も止められない。兄を信じて応援するしかなかった。
その翌年だったか翌々年に、私は離婚をした。離婚したときいろんなことがあって、購入した家の処分とか、私は兄を頼った。それまで兄にそんなに頼ったことがなかった。なぜなら、父がいたからだ。思えば、父が私のすべてを受けとめてくれていた。私が受験したいと言えば受験させてくれたし、困ったことがあったら助けてくれた。振り返れば、懐の深い父だった。でも、その父もいない。離婚して帰るところは実家だけれど、男手が必要なことはすべて兄が引き受けてくれた。兄は新しい事業を始めて慣れなくてたいへんな時期だったと思うが、離婚に際して私が起こした面倒をすべてうまく処理してくれた。兄に心から感謝し、あらためて見直した。父みたいには頼れないと思っていた私が恥ずかしいほどだ。兄は父の後を継いで、コツコツとものごとを采配する力をつけてきていた。
それから数年が経った。コロナ禍となり、誰も想像できなった世の中になった。私の会社は大混乱に陥った。上司が言った。
「僕たちは小説の世界を生きているようだね」
そう言った5か月後に彼は会社を辞めた。ボーナスが出なくなった。安定していると思ったサラリーマンというものは、実は全然安定なんてしていなかった。時代の波に翻弄される。会社は変革に変革を重ねて、時代の荒波を超えようとしている。
ボーナスをもらえなくなったとき、兄に尋ねた。
「コロナの影響でお仕事どうですか?」
あまり影響ないとのことだった。え?! そうなの? すごーい! と心の中で思った。世の中ひっくり返っているときに、兄の仕事は影響を受けずに安定していた。あれ、こんなときこそ、安定してお給料いただけるサラリーマンがいいと思っていたのに、そうじゃないわけ? 私のサラリーマン信仰がガラガラと崩れ落ちた。
それで、私は会社以外で、自分で稼ぐ力をつけたいと思った。でも、私に何ができるのか。何をしたらいいのかわからない。そんなときに、ライティング・ゼミに出会った。書きたいという思いはもともとあった。それをあなたには書くのが向いていると勧めてくれる人がいた。とにかくやってみよう。
書き始めたけど、なかなか書けない。思い切って自分をさらけ出したら、ようやく書けた気がした。恥ずかしいことも出さないと、文章には意味がないことを知った。自分を出しきらないと、読む価値がない。何を仕事にできるかはわからないけれど、とにかく自分の人生のすべてをかけないといい仕事はできない。
女は男の三歩下がってついていくということの本当の意味は、男尊女卑ではないらしい。そこには、男が女を守るという強い意志があるのだという。いざ何かがあったときに、自分が敵に対峙する間に逃げろという意味で、女性が男性から大切にされていることをあらわしている。確かに、父は本業が何であれ、ずっと私を守ってくれていた。今は兄が私を守ってくれている。父の遺言状に書かれていたのは、ささやかな願いだった。
「兄妹仲良くするように」
当たり前のことが当たり前ではない。世の中何が起こるかわからない。私は優しい兄にあたたかく見守られながら、故郷から遠い地で羽根を伸ばして自由に生きている。自分で生きる力をさらに磨くために書き続ける。
9月9日重陽の節句は、父の誕生日だった。生きていたらいくつだろうかと思った。でも思い浮かぶ父はいつも、畑で日に焼けたたくましい父だ。
□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
同志社大学卒。京都での結婚生活に終止符を打ち、京都を離れて自分らしい人生を歩み始める。陰陽五行や易経、老荘思想、日本文化への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。
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