あなたが読んでくれる限り《週刊READING LIFE Vol.189 10年後、もし文章がいらなくなったとしたら》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/10/10/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
天才のことをちょっとうらやましい、と思ったことがある。天才であるというだけで、世間はその天才の存在価値を認めてくれるからだ。世の中にいてもいい、と言われるのはなんてすばらしいことなんだろう。両親にすら存在を認めてもらえなかった私は、もし、自分が天才だったらどんなに幸せだっただろうかなんて想像してしまう。
けれど、身近に天才がいると、案外大変なんだな、というのは後で知ったことだ。周りが全く理解できない行動に振り回されるのはいつも身内だ。
ベッドで眠る女性を見下ろしてため息をつく。警察から電話をもらって、大学から駆けつけた時には緊急手術も終わっていて、右腕と左足にはギプスがハマっていた。
廊下がざわついたと思ったら、この部屋の前で音が一瞬止まった。ドンドンと叩く音のあと、返事も待たずに、スライド式のドアがあいた。
「麻衣さん! 麻衣さんは……大丈夫なんですか? 美紀さん」
飛び込んできたのは、デビューの頃からの担当編集の木村だった。取り乱していたのに、私を見て少しだけ頬を緩めた。
「まだ起きてないのでなんとも。とりあえず、足と腕を骨折しているそうです」
「どういうことなんですか、飛び降りなんて! 何かそんなに思いつめていたことがあったんですか?」
なんで気づけなかったのか……と木村が眉間にしわを寄せてつぶやく。
「いや、多分なんですけど……昨日の夜、どうしても飛び降りる人の気持ちが表現できないってブツブツ言っていたから」
木村がまじまじと私を見て、「いつもの好奇心病か! 人騒がせな」声は怒っているのに、目は苦笑いするように目尻が下がるというなんとも複雑な表情を見せた。
「そういうことですか、もう、どこに怒りをぶつけたらいいんだ、本人に言ってもきっと反省しないし」
「すみません」
「いや、美紀さんも被害者でしょう? こんな人が里親になったばかりに振り回されて」
「ホント、坂下麻衣被害者の会でも設立したいところですね」
でも、私は知っている。目の前の木村は、坂下麻衣の天才だからこそ引き起こす厄介事をなんとなく楽しんでいる。そうじゃなければ、彼女の担当をもう30年も続けることなんてできない。噂では、社長に直談判してまで絶対に担当を外れないということだ。それだけ、彼女の才能を愛しているのだろう。私にとっても、心配できる人がいる、というのは幸せの証だ。本当の両親は、私が心配しても何にもならなかったから。
麻衣の眉間にしわが寄ったと思ったら、ぼんやりと目があいた。
「麻衣さん」
木村が目ざとく麻衣の変化を認めて声をかけた。さっきまで怒っていたのに、砂糖をなめたような甘い声に驚いて木村の横顔をまじまじと見つめてしまった。
「木村さんが私のこと下の名前で呼ぶなんて珍しいね、いつも坂下先生なのに」
気だるそうな声で呟いて、笑おうとしてイタタタタと声をあげた。
「あれ、身体が結構痛い、しかも、動けない……かも?」
「坂下先生、全力で反省してくださいっ。今、差し迫っている締め切りは抱えてないんですか?」
木村が急に声を荒げたのは、怒りなのか照れ隠しなのかはよくわからなかった。
「麻衣さん、右腕と左足を骨折してる状態だよ。しばらく入院だって。とりあえず必要なもの思いつく? 家から持ってくるよ」
「美紀、ありがとう、まだちょっとしんどいから今はパソコンくらいかな、出歩くときに持ち歩くノートパソコンの方を」
「うん、わかった。じゃあ、当面必要そうなものを見繕って持ってくるけど、その腕じゃあしばらくはパソコンは打てないよねえ」
まじまじと右手のギプスを見て、麻衣はゆっくりと捨てられた子犬のような表情になる。書けないということだけが、彼女を落ち込ませるのだろう。
「麻衣さん、飛び降りる時に、怪我したら、パソコンが打てなくなるとか思わなかったの?」
「……」
隠れたくても腕が思うように動かせないのだろう。ギプスのない左手で顔を隠した。
ただ、飛び降りる人の気持ちを追うためだけに飛び降りてみる天才はようやく、ことの重大さに気づいたようだった。
「いやあ、今まで、散々、坂下先生には驚かされてきましたけど、あんなにショックを受けている顔を見たのは初めてだなあ。ざまあみろ、と思いたいところですけど、こっちもとばっちりが来るんでした」
部屋を出る時に木村も一緒に帰ると出てきた。入ってきたときのあからさまに心配した様子からだいぶ落ち着いたようだ。
「今後、どんな形で書いていくのかは、とりあえず麻衣さんと相談してみますね。麻衣さん、時々、スマホ使って音声入力とかもやっているし、全く書けないってことはないと思うんです。多分、今、他社の締め切りは大きいのはなくて、エッセイとかそんなのが多かった気がするので」
「うちの来年の分が一番早いなら、それはずらせるようにしてみましょう」
「お願いします」
木村と別れて、バスに乗る。
木村さんは、すごいな。あんなハチャメチャな人と30年もつきあっているのだから。私は、たかだか、10年足らずだ。初めて会った時のことはよく覚えている。施設の来客スペースで引き合わされた。あの頃は、コロナで、お互いにマスクをつけたままの面会だった。
『美紀さんが今一番好きな本は何?』
『クレヨン王国の12か月です』
『私も大好きよ。どんなところが好き?』
麻衣は、キラキラした目で問い返してくる。
『王妃様にワガママ言われたいなあって思いました』
『え? どういうこと?』
『ワガママを言ってケンカができるっていいなあって。私、そういうことを誰ともしたことがなかったから……』
『わ、そうなんだ! なんだか仲良くなれそう!』
そんなささやかなやり取りだけで仲良くできるわけがない、と思った。自分の親にも見捨てられたのに、たったそれだけ話しただけでずっと一緒に暮らしていけるはずがない。当初は、週末や長期休みとかに1泊2日で遊びに行くところから始まった。彼女は、小説を書いているか、本を読んでいるか、食事をしているか、それがメインだったから、本が好きな子が条件だったと後から知らされて納得した。
結局、私達の相性はとてもよくて、養子縁組もした。ただ、麻衣は、そもそも里親を体験してみたかったという、興味から始まっていたらしい。『あの時は離婚もしたばかりだったから話し相手がほしかったの。美紀と相性が悪かったらすぐに里親を投げ出せばいい、って思っていたけれど、美紀のことは好きになったのよね』と話してくれたことがあった。その時、こともなげに投げ出せばいい、などと言うのでゾッとしたけれど、今のところはその様子もない。けれど、気まぐれな麻衣がいつ自分を手放すのか、というのは心のどこかにあって、それが薄い壁のように私の心の前に立ちはだかっていた。
家に戻って、病院から指定された衣類や下着、使えないとは思うけど、麻衣のためにパソコンを抱えて、再び病院に向かった。
病室に戻ると、麻衣がスマホにかじりついていた。
「麻衣さん、もう音声入力で書くの?」
「ううん、あのさ、美紀、これ知ってる? 左手で入力する練習がてら見てたんだけど」
麻衣が熱心に見ていたサイトには、
『AIの文章作成ソフト“オーサーズ”は、自分のアイデアをキーワード入力することで、憧れのプロの作家風の物語が作成されます』
と書かれていた。
「この際だから、色々試してみようと思ってたどり着いたのがこのページだったんだけどね、このアプリで作った坂上麻衣風の小説っていうのが載っていたのよ」
左手でぎこちなく指を動かすから、なかなか思ったところに行かなくて、小さくうなりながら、画面の操作をしている。
麻衣に示された“マネラボ”という有名作家風の小説を集めた投稿サイトを見ると確かに坂上麻衣の小説に出てきそうな文章に仕上がっていて、“オーサーズ”を使って作成しました、と書いてある。なんだかちょっと居心地が悪かった。
「どう思う?」
「確かに、坂下作品っぽい文章で気持ち悪いね」
麻衣がなにを求めてこの画面を、文章を見せたのかはわからなかった。
「なんか、作家なんて、いらない時代が来ちゃうのかね。こんな文章をAIが作ってしまって、まだまだ進化し続けているなんて……作家がいらなくなるのかね」
「いや、まさか……」
でも、それ以上、気の利いたことが言えなかった。
10日くらいあとだっただろうか、大学の友達から、「坂下先生って最近webで短編小説書いているの?」と聞かれた。
「どこのサイトのこと?」
先日のAIの話が引っかかっていたので聞いてみると、その友達は、“マネラボ”のサイトを見せてくれた。トップのページに『坂下麻衣先生風、新作短編小説』と題してサイトが更新されていた。その文章は、前に見たよりもより麻衣っぽい文体に近づいていた。
恐ろしい速さで本物の麻衣に近づいている……そんな風に感じた。この間見たものは、表現は似ていたけれど、行間にある麻衣らしさというのがない気がしたのに、今回は、麻衣が書いたと言ったら、友達のように信じてしまう人がいるのではないか、というくらいに麻衣の文章だった。
読み進めていると、途中で飛び降りのシーンが描かれていて、それが秀逸だった。落ちる間際には、少年の心の動きが丁寧に描写されていた。
授業が終わった後に病院に寄ってみた。
相変わらず、スマホを左手でぎこちなく操作している。
「ねえ、麻衣さん」
「何?」
うわの空で返事をしながら、スマホの画面に向かっている。
「麻衣さんさ、この間、AIの麻衣さん風の小説に修正をいれて“マネラボ”に投稿しなかった?」
「え?! なんでわかったの?」
やっぱり、何やってるんだ、この人は! プロの作家なのに、私的に運営しているサイトのAIの原稿に手を入れてAIが作った原稿として公開するなんて、なんのメリットがあるってやっているんだ!
「そりゃ、わかるよ! この間読んだ“マネラボ”の小説とは明らかにちがったもの。麻衣さんが書いたっていう気合とか、迫力とかがあった。そういうものって目には見えないのかもしれないけどちゃんと伝わると思うの。修正したAI小説にはちゃんと入っていたもの……麻衣さんの気合が」
「どんなに技術が上がってもAIには、書けないと、思う?」
「うん、絶対にできない。麻衣さんじゃないと書けない。やっぱり小説家は小説家だよ、誰にも負けないよ。だから、作家がいらなくなるのかも、なんて言っていたけど、そんなこと絶対にない。麻衣さんの文章がAIになんか負けるはずがない」
「そっか……。なんかね、小説って、宝さがしみたいだなって思うの」
「宝探し?」
「そう、ひとつの話を書くのに、登場人物のキャラクターを考えるでしょ。場面とか事件とか、色んなシーンのカケラがいろんなところに転がっていて少しずつ探していくような感じなの。それが集まって小説が出来上がった時が本当に幸せなの」
「うん、そうなんだね。それは、AIが真似ようと思っても絶対にできないことだと思う」
「確かにそうよ。それとね、もう一つ、私には大切なことがあって。出来上がった作品を美紀に読んでもらった時に、いつも一生懸命読んでくれるのが本当に嬉しいの。私、読者をあまり見る機会がなかったから。あなたがこの家に来てから知った、私の新しい喜びなの」
ダメだったら投げ出せばいいという言葉を聞いていたから、そんな風に思ってもらっているなんて思わなかった。
「だから、美紀が私の前にいてくれる限り、私はAIよりもいい話を書きたいし、書ける自信がある」
「じゃあ、早くケガを治さないとね、せめて右手だけでも」
「ホントよー、やっぱり不便。早く書きたい」
麻衣はギプスのハマった手を右上のほうにかざした。ごつい手の間から夕焼けがかった空がこぼれ落ちてきた。
早く麻衣の次の話が読みたい。夕焼けを眺めながら、麻衣のギプスをポンポンと叩いた。
□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
2022年は“背中を押す人”やっています。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、愛が循環する経済の在り方を追究している。2020年8月より天狼院で文章修行を開始。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写にこだわっている。人生のガーターにハマった時にふっと緩むようなエッセイと小説を目指しています。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season総合優勝。
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