週刊READING LIFE vol.189

書くことが与えてくれるもの〜「思いました」で文章を結ばない理由《週刊READING LIFE Vol.189 10年後、もし文章がいらなくなったとしたら》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/10/10/公開
記事:西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ました、で終わっちゃダメなんだよ。したいです、で終わらないと」
 
へ、と声が出た。小学校6年生の姪の、勉強をみている時だった。作文の問題で、「作者の意図をまとめつつ、あなたの意見を述べよ」という問題だったのだが、文章の最後を「ました」で終わってはダメだと言うのだ。
「あ、そうそう『何々だと思いました』とかで終わると絶対、減点されるよ。過去形はダメ。『意見を述べよ』なら最後は、『したいです』で終わらないと」
姪の母親である、私の姉も声を揃えた。
塾では必ず、そう言われるのだと言う。
6年生の姪は中学受験を控えており、それも、私立ではなく都立の中高一貫校を目指していた。地方育ちで、中高一貫校イコール私立、と思っていた私は、都立という公立の中高一貫校があることにも驚いたが、その問題を見てさらに驚いた。必ず、作文、という、400字超の文章を書かせる問題が入っているのである。二つの文章を読んで、それぞれの文章の要旨をまとめ、さらに自分の意見を具体例とともに提示する、という、かなり総合的な実力を要求される内容になっていた。
その、作文を書くときの作法として、「思いました」ではなく「したいです」で文を結ぶように、と指導されていると言うのだ。
「へーーー」
私は再度、声を出した。
「これは、いわゆる、ポジ抜けじゃないか!」
 
「ポジ抜け」がどこまで一般的な言葉なのかは不明だが、私が今、受講しているライティング講座では、「ポジティブな印象を与えるくだりで文章を結ぶ」ことを「ポジ抜け」と言っており、読後感を良くするために有効な手段だとされている。私はこのポジ抜けが大好きで、良いポジ抜けを思いつくとニヤニヤしてしまうくらいだ。
それが、こんな小さな小学生の作文で、指導されているとは。
受験テクニックと言ってしまえばそれまでだが、文章を書く、ということの本質を捉えていることだと感心し、私は力を込めて言った。
「そうだね、ポジ抜けは大事だね。自分の気持ちも、前向きになるからね!」
 
 
「文章を書く」ということは、私たちにどんな影響を与えてくれるだろうか。
数年前にライティングブームが来てからというもの、世の中には文章が溢れ、読むのが追いつかないくらいだ。おまけに、昨今の文章作成の技術進歩は、目を見張るほどである。先日、PCをWindows10に切り替えたところ、チャットツールで会話をしていたら、自動で「返答の候補文」が表示されるのを見てたまげた。会話の内容から、ツールが「こうだろう」と判断した返答が3つほど並んでいるのである。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「とんでもないです」
「いいえ、とんでもありません」
たった一言だが、文脈には合っている。
こんな例を見ると、近い将来、内容を提示したら、「自動で、正確で、わかりやすい文章が出来上がってくる」という世界が実現してもおかしくないなァ、と思ってしまう。
そうなった時に、それでも文章を書くだろうか?
聞かれたら、きっと
「……書くだろうなァ」
と答えると思う。ここ数ヶ月、文章を書くという行為を続けてみて、文章を書くことが、単純に「正確でわかりやすく内容を説明する」ということではない、自分でも底知れぬ奥深さを持つものだと実感しているからだ。
 
その理由の一つ目は、「書く」ということを通して、頭の中でうすらぼんやり感じていたことが具現化され、視覚的に整理された結果、自分がなぜそう考えたのか、本当に感じていたことが何なのか、という「思考の深部」に到達できることが、わかったからだ。
言いたいことは頭の中だけではもやもやと形にならないことが多い。
特に、私はその傾向が強いらしい。社会人になりたての新人の頃、上司に言われたことがあった。
「考えてから資料を作るんじゃなくて、資料を作りながら考えるやり方にした方が、良いよ」
目を丸くした私に、上司はさりげなく付け加えた。
「多分、西條さんは、そういうタイプだから(ボソ」
その時は、へー、そうなのか、としか思わなかったが、何年も経った今なら、上司が言わんとした「そういうタイプ」がよくわかる。考えていると、色々な物事が浮かんできて、因果関係がわからなくなり、収集がつかなくなってしまうのだ。問題が複雑になるほど、さらに深みにはまり、脳内で整理しきれなくなる。熟考型といえば聞こえは良いが、裏を返せば瞬発的な整理力に欠け、考え込む姿はさしずめ「PCが固まってくるくるなっているアノ状態」にそっくりであった。
うーんうーんと固まる私に、上司が施したアドバイスが、先述の「資料(アウトプット)を作りながら考えろ」である。
頭の中でもやもやするのではなく、書き出すことにより、視覚的に整理され、因果関係が明確になる。書いたものは逃げないので、自分の目でみながら、現在地を確認することができるのだ。
同時に、書き起こすために言葉を選ぶということは、複数の選択肢から、本当に言い表したいことを能動的に選択するということだ。脳内に現れては消える言葉の「候補」たちの中から、これはと思うものを選び取る。不要なものを消していくことで、思考はよりシャープに、研ぎ澄まされていく。
最もピッタリとした言葉を探し当てる過程で、時には、思いもよらなかったところに着地をすることもある。
この気持ちは
「寂しい」なのか?
「心もとない」なのか?
「ちょっとがっかり」なのか?
……いや、この場合は「少しだけ、腹が立った」なのだ……。私は、なぜ、何に、腹を立てたのだろう……。
書くために言葉を選んでいくことで、より深く、心の底にダイブし、自分が本当に感じていたことは何なのか、なぜそう考えたのか、を掘り当てることができるのだ。
 
ちなみに、言葉を選ぶだけなら「話す」でも代替可能に聞こえるが、思考に時間がかかるPCくるくるタイプの人間には、かなり難易度が高い。「話す」と言う行為はスピードが速く、脳が追いつかないのだ。早く言葉を出そうと焦ってしまい、間違った言葉を選択してしまうこともしばしばである。(そして、そういう時は大概、ヘコむものである……)
「書く」は「話す」よりもスピードが遅く、頭の中で考える速さに近い。思考のスピードに書くスピードを合わせることも可能だ。私など、自分の中で固まり切ってないことを書く時、キーボードのタイピングでも速すぎることがある。選んだ言葉が嘘くさくて気持ち悪くなり、スマホのタッチパネルを使い人差し指で書くのに切り替えることすらあるくらいだ。
 
書くスピードだからこそ、落ち着いて自分の本当の思考をたぐることができ、適切な言葉を選ぶことにつながる。そして、言葉を選び続けた結果、自分の中でも明るみになっていなかった「思考の深部」にたどり着くことができるのだ。
 
 
もう一つ、書くことの効能で外せないのが、メンタル面でのメリットだ。
頭の中でもやもやしていたことを正確に言い当てられるというのは、思いの外、快感なのである。
「それ! それよ、言いたかったこと!!!」
言い当てているのも自分なので、1人ノリツッコミもいいとこなのだが、本当にピッタリの表現ができた時は、「それや!!」と鼻息が荒くなる。脳内にドーパミンが出ているのではないかと思うくらいだ。
「そうかそうか、あースッキリした」
もやもやの真因がわかって、1人でご満悦だ。文章を書く時、「自分自身は最初の読者」とはよく言われることだが、まさに、自分で思考して、その結果に自分で納得しているのである。書かない時にいかに曖昧に物ごとを考えているかの裏返しな気もするが、なにはともあれ、気分が良い。書くことは、精神衛生上にも良いのだ。
書いた文章が人に見せるものになると、さらにメンタル面の効能は上がる。冒頭の「ポジ抜け」である。
日記なら愚痴を書き連ねて終わっても良いし、話が尻切れトンボになっても良い。が、人に見せるコンテンツとなると話は別だ。結びの言葉がないと文章が締まらないし、やはり何らかの「読んで良かった」という気持ちになって頂きたいものだ。
日常のワンシーンでほっこりさせたり、ポジティブな気持ちや静かな決意で未来を感じさせたり、クスリと笑える小ネタで締めたりしているうちに、自分もなぜか、ポジティブで前向きな気持ちになってくるのは本当に不思議だ。
話しの流れでうっかり「これからはXXしていこう」などで締めてしまい、ホントにそう決意をした気持ちにさせられることもしばしばである。心で思っていたからその言葉が出たのか、言葉が出たから心が引っ張られたのか、ニワトリが先かタマゴが先かは定かではないが、そのへんはどちらでも良いのである。
自分がポジティブで、ちょっと楽しく、前向きな気持ちになれたことが重要であり、人生、その方が楽しいに決まっているのだ。
そしてこの現象はきっと、自分で書いたものでなければ、味わえっこない領域なのである。
 
 
近い将来、自動化が進み、内容を提示したら「自動で、正確で、わかりやすい文章が出来上がってくる」世界がきたとしても、きっと私は、文章を書くだろう。
文章を書くことは、心の中の、たくさんの道の中から、本当に進みたい道を探し当てるようなものだ。たくさんの脇道や迷い道があると、ついつい、覗き見をしてしまったりしゃがみ込んで遊んでしまったりする。そして、どれが脇道なのかは、正直、自分で思考して、言語化してみなければ、わからないのだ。
「なんせ、私自身にも、到達地がわからないんだからなー」
言葉を選び、意識的にも視覚的にも進みたい道を確定させることで、最終的な到着地にたどり着くことができるのだ。
たとえそれが、思っても見なかった場所だとしても。
そして、どこに到着したとしても、
「あらー、こんなところに着いちゃった」
とか言いながら、とりあえずポジティブに締めることで、人は本当に前向きになれる生き物なのである。
 
 
「これさ、良い問題だね。人の考えを読んで、自分の体験とか思い出して、最後に自分の意見をポジティブにまとめる、そういう練習をしているんだね」
姪が受験する学校の問題をみながら、私はうんうんとうなづいた。
「えーーー?」
と姪は、下を向いたまま、間違えた問題を消しゴムでゴシゴシと消し始めた。
自分の意見を述べることも、訓練が必要だ。深く思考できなければならないし、適切に言語化する力も必要だ。中学受験といえば、いわゆる、暗記が大半を占めるガリガリしていたものだと思っていた私は、予想以上に子供たちを思考させる方向に向かっていることを知って、日本の未来が少しだけ、明るく見えた。
姪は私より、何十年も長く生きる。私が見ることのできない未来を、その目で見ることができるだろう。その世界で、どれだけ自動で文章ができるようになっても、自分の心からの意見は、自分だけのものだ。その着地先は事実だけからは読み切れないし、着地先がとんでもないところだったとしても、ポジティブに向かうのは自らの意志である。
 
「受験だから、とかじゃなくて、コレを身につけるの、本当に良いと思うよ。絶対、死ぬまで、役に立つから」
私は心を込めて言った。
私自身がこの言葉を噛み締めていることは、間違いなかった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

小学校時代に「永谷園」のふりかけに入っていた「浮世絵カード」を集め始め、渋い趣味の子供として子供時代を過ごす。
大人になってから日本趣味が加速。マンションの住宅をなんとか、日本建築に近づけられないか奮闘中。
趣味は盆栽。会社員です。

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2022-10-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.189

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