週刊READING LIFE vol.189

書くことでわかることは「わたし」《週刊READING LIFE Vol.189 10年後、もし文章がいらなくなったとしたら》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/10/10/公開
記事:大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 
今僕には2つの道がある。一つはこのまま文章を書く勉強を続ける道。もう一つは書く勉強は辞めてその時間を別のことに使う道。どちらにする? と自分自身に問いかけてみると、僕はこのまま勉強を続ける道を選択した。以前の僕だったらすぐに辞めて別のことに使う道を選んでいた。文章を書くことを学び出してからやく8ヶ月。どうやら文章を書くことの必要性が分かってきたということか。実際、今学んでいるコースは今月で終わり、もう一度最初から同じコースを継続して受け続けるか、辞めるか悩んでいたが、結局継続することを選んだ。
 
なぜこんなことを悩んでいるかというと、どうやら10年後には新しい技術が開発され、文章を書く必要がなくなるらしいのだ。
その技術というのはテレパシーのようなもので、今考えている映像をそっくりそのまま相手に転送して共有することができるようになるらしい。
 
もし本当にこの技術が開発されると、今、いちいち文章にしたり言葉にしたりして伝えていたことが、細部まで正確に相手に伝えるというか移すことができるようになる。きっと今まで思っていることが言葉にならなかったり、書き出してみても細かいニュアンスが伝わらないでヤキモキした経験があるんじゃないだろうか? それが無くなるのである。
 
その技術を使うだけで、考えてることが正確に伝わるようになれば、文章や言葉にする手間がなくなることで大幅に時間が短縮になる。細かいところまで正確に伝わるので認識が違ったことでのすれ違いもなくなるだろう。そして何よりいちいち説明を聞いたり文章を読んだりといった時間も要らなくなる。
 
もう便利なことこの上なく、文章は本当に書かなくていい世の中になっていくのだろう。でも僕は文章を書くことを学び続ける。
 
それはなぜかというとそもそも文章を書くことの目的は書いた文字そのものではないからだ。例えば英会話にしても今はアプリやインターネットで自動翻訳してくれるものがあるので、わざわざ自分が英語を習って話せるようにならなくても、言葉の意味はわかるはずだ。それでも英会話教室は無くならない。英語を習いたい人は英語を翻訳することが目的なのではなく、英語を話す相手とのコミュニケーションをとるのが目的なのだ。
 
コミュニケーションとは「間」だと思う。例えば先ほどの英会話にしても、旅先で目的地まで行くための電車に乗る駅の場所を尋ねる場合、翻訳アプリを使えばすぐに相手に伝わって難なく駅の場所を教えてもらえると思うが、習いたての拙い英語で伝える場合、いきたい駅の名前や駅そのものの英語、そして「そこに行きたい」という気持ちをどう伝えればいいのかを必死に悩んで相手に伝えると思う。その姿を見た相手は聞き取りやすいようにゆっくり話してくれたり、目的地までの金額や、駅の何番ホームで乗って何駅で降りると目的地に着くかを教えてくれるかもしれない。
 
この「うまく伝わらない」からこそ、相手の想像力だったり、助けになろうと感情が動いたりするのだ。この相手と自分の間にできる「間」がコミュニケーションであり、その「間」を感じたいがために英会話を習うのだ。
 
文章を書くのも同じで読み手とのコミュニケーションなのだ。書いているときは一人で書いているが、書きながら相手を想像し、
 
相手の知っている言葉は何か?
どのくらいのことを知っているか?
何に興味があるのか?
今どういう状態なのか?
 
などいろんなことを想像して書く。相手が知らないことや理解できないことが書いてあるとそこで読むのを辞めてしまうのでとにかくこの「相手を想像する」のが必須の技術だ。
僕はとにかくこの相手を想像して相手が読みやすい文章を書くのが苦手で、説明しすぎて助長した文章になってしまったり、難しすぎて理解できなかったりしてしまう。
 
今、自分が感じていることを伝えたくて、相手を想像して、どうやったら伝わるか悩んで、考えて、伝えて、伝わったときは嬉しい。この感じたことを共有する「共感」した瞬間がコミュニケーションが楽しくなる瞬間だと思う。
 
実は文章で伝えているのはこの「感覚」で、自分の頭の中で出来上がっている「映像」ではない。もし新技術で頭の映像がそのまま相手に送れるとなったらこの「感覚」を共有することができなくなる。
 
例えば、僕が「カッコイイな」と感じる人を見たとする。その時の映像を他の誰かにそのまま送ったとして、それを受け取った人が同じように「カッコイイな」と感じるかどうかは別の問題なのだ。
 
しかし、文章で「カッコイイ人」と書くと、その文章を読んだ人は勝手に自分の中で「カッコイイ人」を想像する。おそらくその「カッコイイ人」は文章を書いた人が思い描くそれとは異なるかもしれないが、「カッコイイ人」という感覚は共有できている。それでいいのだ。
 
もし文章を書く必要がなくなったらこの感覚を共有する機会が激減してしまう。そしてこの共感できないことの弊害はその先にある。
 
自分以外の人と感覚を共有できないので、想像の幅が極端に狭くなってしまう。自分が感じている感覚と現実が異なることを認知的不協和といい、脳みそにとってあまりいい状況ではない。なので脳はその状況を避けたくて現実の方に合わせてしまうのだ。要は見せられた映像がカッコイイと思えないが、相手はカッコイイと思っているので自分もそれに合わせる。そしてそれまで自分がカッコイイと思っていたものを忘れてしまう。
 
これを繰り返していくと同じものを同じように感じる人だらけになってしまい、想像の幅が極端に狭くなっていくのだ。おそらくテレビや雑誌で見るような「カッコイイ人」や「綺麗な人」はほぼ同じ顔は体型になり、同じような服を着て、同じような話しかしない人だらけになっていく。カッコイイのかもしれないが、面白くない。
 
車や住宅など多くの人が利用するものはおそらく同じ形になっていく。「みんなと同じ」がカッコイイや綺麗の基準になってしまう。しかも元々あった自分の感覚を忘れて新しい感覚が上書きされているので、元々何が「カッコイイ」や「綺麗」と思っていたのかさえ忘れてしまう。「みんな同じ」がその基準になったことに気づかなくなってしまう。そうなると「そんな世の中面白くない」ということさえ感じることができなくなってしまうのだ。
 
こうなってくるともう止まらない、判断基準が「みんなと同じ」なのだから自分の考えというものがなくなり思考停止状態に陥ってしまう。深く考えず、頭に浮かんだ映像をそのまま共有して、それを受取った人は何がいいとか何が悪いかではなく、みんなと同じなら「いいな」と思うし、違っていたら「よくない」と感じる。
 
考える過程がないので恐ろしくこの過程が効率化され、時間がかからず映像が共有できるようになる。時間がかからないということはまさに「間」がなくなり、コミュニケーションが成立しなくなってくるのだ。
 
映像、画像を共有して、みんなにいいなと思ってもらう。これ、10年後の未来ではなくて、今のSNS時代そのものなんじゃないか?
 
みんなにいいねをもらえる投稿をして、いいねをもらう。最初は自分の感覚でいいと思うものを投稿していたが、だんだんといいねが欲しくなりいわゆるみんながいいねを思うような「映える」ものを投稿するようになる。
 
現在は通信技術が発展したおかげで一度にやりとりできる情報の量が圧倒的に増えた。情報が増えたことで想像する余白が減ってきてしまっているのだ。でもこれは今のインターネットの時代から始まったものではない。そもそもテレビが白黒だった時代は色を想像しなければいけなかったし、テレビがない、ラジオの時代は映像を想像しなければいけなかった。ラジオが無い文章だけの時代は音を想像する必要があったし、 長い文章を書く紙が貴重な時代はなるべく短い文章でより多くのことを想像してもらう必要がある。5・7・5の17字で構成される俳句がいい例だ。
 
これだけ情報量が増えて、簡単に相手と映像や考えが共有できているにも関わらず、俳句や書籍、WEB記事など文章は無くなっていない。文章が要らなくなったとしても文章は必要なのだ。文章を書くことは想像力が必要だ。全てを伝えきれないからこそその余白を想像してもらうために考える必要がある。その考えているのは他の誰でもない「わたし」だ。
文章を書くのはわたしを見失わないようにするためだ。文章を書き続けわたしを実感し続けることで、「みんなと同じものがカッコイイ」という感覚に気づけるようにしたいし、「わたしにはこれがカッコイイ」という自分の感覚にも気づけるようにしたい。わたしとあなたをどちらの存在も認められるように今日も文章を書きづつける。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県藤沢市出身。理学療法士。2002年に理学療法士免許を取得後、一般病院、整形外科クリニック、介護保険施設、訪問リハビリなどで下は3歳から上は107歳までのべ40,000人のリハビリに従事。現在は自身で店舗を持ち、整体、パーソナルトレーニング、ワークショップなどを提供。自身でも「歩く」ことによって身体も人生も変化した経験から「100歳まで歩けるカラダ習慣」をコンセプトに自身が体験して得た身体の知識を提供している。

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2022-10-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.189

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