週刊READING LIFE vol.190

子どももおとなも、論理的に本を読むことをおすすめしたい《週刊READING LIFE Vol.190 自分だけの本の読み方》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/10/24/公開
記事:種村聡子(READING LIFEライターズ倶楽部)
 
 
本を読むときに、ただ漫然と読み進んでしまうと、いま、自分はなにを読んでいるのだったかしら、とわからなくなり、立ち止まってしまうことがある。つい、字を目で追うだけで、内容を理解しないでページだけを進めてしまう。これでは本を読んでいる意味がない、と思い、もう一度読み直してみるものの、なかなかうまくいかない。最近のわたしの読書は、ほんとうの意味での読書とは言えないものとなっていた。以前はきちんと読めていたのに。なぜなのだろう。読み方に、どんな違いがあるというのだろうか。
 
本を読みなさい、と両親に言われて、わたしは育ってきた。本は、読んだ人の知識を増やし、疑似体験することで、未知の体験であっても、まるで自分ごとのように感じることができるものだから。わたし自身もそう感じたから、自分の子どもにもたくさんの本を読んでほしいと思っている。ただ、親の思惑どおりにはうまくいかないもので、わたしの息子はあまり読書には関心がないようだった。興味がありそうな本であれば、読み進めることができるけれど、「どんなことが書いてあった?」と内容を聞くと、「忘れた」とか、「よくわからない」という言葉が返ってきた。児童向けの図書の、一章ほどの文章量でこの反応であったから、おかしいぞ、と思い、同じ箇所をもう一度読むように促してみた。すると、驚くべき言葉が返ってきた。
「おかあさん、すごくおもしろいよ、こんなことが書いてあったんだね、この前読んだ時には気付かなかったよ!」
そして、一度読み終わった本を最初から読み直した後で、ここがおもしろかった、この登場人物はこんなセリフを言っていた、と話すことができるようになった。
 
一度目の読書では内容を理解できなかったのに、二度目ではできるようになって、「ここがおもしろい」という感想まで言えるようになっていた。不思議だった。息子が本を読んでいる様子を観察していても、静かに読んでいる様子は、あまり変わらないように感じた。いや、違う、一度目は読んでいるうちに集中力が切れたようで、ふわふわと目が泳いでいたけれど、二度目ではしっかりと目を見張ってぐんぐん読み進めていた。なんだか、ひとつひとつを理解しながら、納得しながら読んでいるようだった。
 
「なんだかね、読んでいて、お話がつながったんだよ。こういうことだったんだ! って」
 
息子が言う、お話がつながった、ということは、物語の前後、背景、登場人物などの細かい部分がつながり、あたまのなかで物語のイメージがしっかり出来上がるような感覚だったのではないか、と想像できる。この、物語や書かれている文章の構造を立体的に把握して認識できるように読む力を、論理的な読解力、と言うそうだ。論理的に読み進めることができれば、本に書かれている内容をしっかりと理解することが可能になる。息子は一度目の読書では漫然と読み進んでいたけれど、じつは、一度目の読書でぼんやりと物語の素地ができていたことで、二度目の読書ではお話の構造がはっきり見えてきて、内容を理解しやすくなったのではないだろうか。難しい文章や興味のない文章を読むとき、あるいは気が乗らないときの読書は、表面的な字面を追うだけになってしまうけれど、一度ではなくて二度、三度と同じ文章を読んでいくと、理解は深まりやすいのだ、とあらためて納得した。
 
ああ、そうか、わたしの読書で足りないものは、この、本の内容を論理的に理解することだったのだ。息子が言っていた、「お話がつながった」感覚が、もうずっとできていなかった。
 
そういえば、最近のわたしが読書に選ぶ本は、「読まなくてはならない」ものや「読んだ方がいい」ものが多くて、興味はあるものの、あまり気が乗らないものが多かった。だから読書が進まないのだろうか、と思っていた。そして、以前、同じように自分の意思とは関係なく、文章をたくさん読まなければならない経験をしていたことを思い出した。そう、かつて、受験勉強で長文問題を読み解いていた時のことだ。
 
本を、好きなだけ読みたい。なんのしがらみもなく、ただ、読みたいように読みたい。いまから30年ほど前、受験勉強に苦しんでいたときに、わたしがずっと思っていたことだ。自由な時間を制限され、勉強をしているなかで、子どもの頃から大好きだった、本を読む時間は減ってしまっていた。唯一の読み物と言えば、国語科の長文読解の問題文ぐらいだった。物語文だったり、論説文だったり、さまざまな種類があり難易度も高かったけれど、読み物に飢えていた時期だったこともあって、没頭して読み進めることができた。過去に試験のなかで出題された文章や、問題集のなかに収められているものは、良質な文章であることが多かったから、読み物としても楽しいものだった。問題文の最後に出典が記載されていたので、いつかこの本を読もう、と思いメモをした本のタイトルは、数冊にも及んだ。
 
あれ程さまざまな種類の文章を読んだのは、もしかしたら、あの時期だけだったのかもしれない。自分が選んだ文章ではなかった。物語であったり、論説文であったり、紀行文であったり。与えられたものをひたすら読み、内容を吟味し、機械的に解答を探していた、あの頃。なんてつまらないんだ、読みたいものを読ませてくれよ、と愚痴をこぼしていたけれど、あの時ほど深く文章に入り込んでいた時期はなかったのではないか、といまでは思うのだ。
 
長文読解の問題文を読むことを、わたしは楽しんでいたのだ。でも、これは純粋な読書ではなく、設問に答えるための課題であったから、ただ読んだだけで終わることは許されず、毎回問われるがままに、正解を導くための選択肢を選ぶため重要な箇所を探す、という作業が必要だった。
 
なんて無粋な作業なのだろう、とわたしは思っていた。設問では、誤った選択肢を作るために、過剰な部分が追加されたり、解答者を惑わすための、遠回しだったり、全く別ものに変えられた文章が作られていた。もとの美しい文章は切り刻まれて、見るも無残な状態だった。
 
わたしは、長文読解が得意だったのでほぼ苦労することなく解答することができていた。問題文として掲載されている文章は良文であるし、与えられた文章のなかに必ず解答を導きだせる箇所があった。それがわかっていたから、設問の選択肢を「なんとなく」眺めただけで正誤を判別できた。課題の長文を読んだだけで、感覚的になにを言わんとしている文章なのかを理解していたのだ。それでも困ることはなかったのだが、予備校で正しい選択肢の選び方を指導されて実践したときに、目から鱗が落ちる思いをした。
 
当時の選択問題は解答がひとつである場合が多く、選択肢のなかには明らかな誤記が入っていたから、ひとつずつ文章と照らし合わせて正解を探していくように指導された。おそらくほとんどの人は初めから丁寧に取り組んでいたのだと思うけれど、わたしには新鮮な作業だった。そして、読解は得意だ、と慢心していたけれど、じつは僅かなところで読み間違えていたことに気付くことができて、いつしか正答への精度が上がっていった。
 
それだけではなくて、ただ表面的に読み進めるだけでは得られなかった、提示された文章のより深い視点までわかるようになってきた。選択肢を精査することで、筆者が論じたいことはなにか、主人公が考えたことはなにか、に気付くきっかけとなり、文章自体への理解が深まるものとなっていった。わたしが、つまらないと思っていた作業は、読者が文章に向き合うために必要な作業なのだと気付いたのだ。
 
もちろん、これは特異で独特な本の読み方であることはわかっている。さらに、わたしが読んでいたのは本でもなくて、本の一部を抜粋した文章に過ぎない。でも、一般的な読書をする際に、章ごとに確認テストがあれば、もしかしたらもう少し、難しい文章でも初心者には取り組みやすいのかもしれないのに、と思うこともある。しかし実際は、そんな親切な本はないので、自分でがんばるしかないのだ。子どもにばかり、本を読みなさいと促すだけではなく、親である自分がまず本を理解しながら、読む努力をしなければならない。
 
本の内容を理解して読むことは、じつはとても高度な技術だと思う。子ども向けの内容であっても、いろいろな要素が複雑に絡み合って、構造を成し、物語を形作っている。それを段階的に理解し共感したり、あるいは反発したりできるように読み進めることができるようになるのは、じつは論理的で知的な作業なのだ。そして論理的に本を読むことで、そこから思考が深まり、世界が広がっていく。子どもだけではなく、大人であるわたしも、身につけたい技術だ。
 
手始めに、これからなにをしよう。
 
たくさんの本を読んでほしい、とわたしが切に願っている、息子が読む本を、わたしも一緒に読んでみようと思う。そして、この部分はどうだった? この登場人物のこの言葉をどう思う? などと息子に問いかけながら、わたし自身も本の内容を考えていきたい。きっと答えはひとつではないはずだ。問題文を解くように、簡単には答えが出ないものも、出てくるだろう。でも、それをひとつひとつ、息子と一緒に考える時間を持つことができたら、とても意味深いものになるのと思う。そして少しずつ、息子の読書量を増やしながら、わたし自身も、自分の読書をもう一度、楽しんでみたいのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
種村聡子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2022-10-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.190

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