本だけは「先取りチラ見」しないことをおすすめしたい《週刊READING LIFE Vol.190 自分だけの本の読み方》
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2022/10/24/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
行きつけの本屋は地元の駅にある。
本屋に寄るときはどこかからの帰り道が多い。
今日はスーパーにも寄らないから買い物もない。このまままっすぐ家に帰るだけだから本屋でも覗いて行こうか……。そんな気分でふらっと入る。そしてそんな時ほど要注意だ。近頃は本の値段も上がったから、何が流行っているか見るだけにしておこうと思っているときほど、心を捉えて離さない本が並んでいる。その時も、そうだった。
その本の装丁は水辺の風景だろうか。薄桃色や薄紫に染められた景色の中で小舟が揺れている。単純に美しいと思った。本を手に取るとかなりのページ数で、しかも翻訳本である。翻訳本だと登場人物が複雑なことが多いし名前も覚えづらい。分厚いなあ、読むのに時間かかりそうか? 一瞬そう思ったけど妙な邦題が気になった。ザリガニが鳴くなんてあり得ないから。
タイトルの謎がどうしても気になったのと「2019年・2020年 アメリカで最も売れた本」「全世界1,500万部突破」「2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位」などという帯のコピーの華々しさも目をひいた。私好みの色の装丁も気に入って、勢いでその本、『ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ著、友廣 純訳:早川書房、2020)を買ってしまった。家に帰って改めて確認すると500ページ近くもある。え、こんなにあったのか、しまったと思ったけどもう遅い。
そこから『ザリガニの鳴くところ』はしばらく積ん読本となっていた。
他に読む本もあったし、そのうち読めばいいと思っていたけどそれは言い訳で、どうにも読もうと心を奮い起こすものが生まれてこなかった。500ページもあると手に重さがずっしりと伝わってくる。疲れていることもあってなかなか読み始めようという決心がつかなかったが、視界に入るとどうしても気になってしまう。1ヶ月ほどしてようやく最初のページを開いた。
「湿地は、沼地とは違う」、そんな出だしから始まる物語を読み進んでいく。
分厚いなと思っていたけど、なんか、面白いかも。いつの間にか、第1章、第2章と読めている。
どうしてだろう。湿地に暮らす、あまり幸せそうじゃない一家の話から始まるのに、なぜか先へ先へと読み進めたくなる。いつの間にか数十ページも読んでいた。
ここでふと、いつもの習慣をしてみたくなる。
でも違う、この本は、そういうことをしてはいけないのではないか。私は自分がしようとしていることが間違いのような気がした。そして粛々と続きを読んでいった。
長編の本を読み進めていく時に、途中からチラチラと、少し先のページをのぞきながら読むようになったのはいつの頃からだろう。
本は基本的に最初のページから順番に読んでいくものだ。そんなことは小さい子どもだってわかる。実際絵本を読み飛ばす子はそうそういない。もし絵本を読み聞かせている最中にページを飛ばして読んだら子どもたちは混乱するだろう。そしてもう1回読んでくれとせがむに違いない。まだ絵本に触れたてのほんの小さい子だったら「なんでそうなっちゃうの」と泣き出すかもしれない。
もちろん私だって子どもの頃から本はちゃんと最初から読んでいる。本とはそういうものだという刷り込みというか、思い込みはちゃんとあった。それがいつの頃からか、長編、特に小説を読むときに、少し先のページを半ページとか1ページ、ちょこっと挟みながら読書をすることが多くなった。ビジネス書だったらセクションが細かく分かれているのでなんの問題もない。短編小説ならすぐ終わるのでこれも問題ない。それをするのは決まって長編小説のときだ。どうしてそんなことをするようになったのだろう。
理由はいくつか思いつく。
まず、その本の中身にちょっと飽きているからかもしれない。
長い小説だと登場人物もたくさん出てきてストーリーも複雑になる。途中中だるみっぽくなったり、過去を振り返るパートになったりすると「この先どうなるの?」と先を急ぎたくなる。だから少し先をランダムにめくってみたくなる。
あるいは登場人物のキャラクターや、話の中身があまりにも鮮烈な場合だ。
破天荒なキャラクター、何をしでかすか予測不能な人物だと、その先にどうなるのか知りたくて仕方がなくなる。あまりにもエキセントリックすぎるがゆえに「一体どう着地するんだろう」と気になって、その先の適当な部分をパッと開いてちょっとだけ先に読んでしまう。
先取りチラ見をするとドキドキする心が少しだけ抑えられるような気がする。ちゃんと読むまで不明だった展開の方向性がなんとなくわかるので、安心するからだ。だがしかし、それがいいことばかりとも言えない。例えば先取りチラ見をした先に、登場人物の1人は既に死んでいたなんてことが書いてあると「しまった!」という気分にもなる。ついつい読んでしまってネタが書いてあって「あー、この人好きだったのに死んじゃうのか……」と、ちょっと残念な感情が沸くことも実はある。先取りすることで、知ってよかった情報と、知らない方がよかった情報が錯綜するからだ。
がっかりするようなリスクを負ってまで先取りチラ見をするなんてことは以前なら絶対しなかった。それを平気でするようになってしまったのは、先に書いたような理由もあるとは思う。けれどそれ以上に、私の中で本質的な何かが変わったからそんなことをするようになったのではないか。
ひとつだけ思い当たることがある。それは映画やTV録画を再生して観るときに、一時停止して観る癖がついたことだ。
録画や動画はいつでも好きなところで止めることができる。家で見ている時はさらにその状況がひどくなる。家族の誰かに呼ばれた、電話がかかるメールが来る、荷物の配達だなんだかんだで動画を見ている最中もしょっちゅう邪魔が入るので一時停止せざるを得ない。
さらに気がついたことに、誰かの邪魔が入った時だけではなく、自分1人でコンテンツを視聴している時にも結構一時停止していることが多いのだ。理由をつけて一時停止することもあるが、間延びしたからとか疲れたからとか、頑張って見続ければいいのに自分の都合でなんとなく止めてしまうこともある。
要するに、黙って1つのコンテンツを続けて観ることが少なくなったということだ。本を読む、動画を見るようなことを途中でちょこちょこと中断してもなんの問題もないと判断してしまうことが、以前とは大きく変わったことだ。昔は大好きな歌番組が始まったら、そこから1時間、TVの前から何があっても離れない子だったのに、コンテンツに対するそんな熱狂のような感情を持つこと自体が少なくなっているということなのだろう。
『ザリガニの鳴くところ』を読み始めて、一瞬どこか先のページをチラ見してみたいような衝動もあった。しかし私はそうしない方がいいのではないかという予感がしていた。この本のストーリーは現在と過去を交互に語っているパターンで、予測不可能だったけどそれも変化があって面白い。ランダムでめくった先が現在なのか過去なのかわからないから、先を読んでもしょうがないとも思った。
加えて舞台である湿地の描写が美しいのだ。湿地の自然そのものの描写が細かい。まるで目の前に湿地があって、細流の道筋もちゃんとわかって、水の流れる音までも聞こえてくるようだ。空を舞うカモメたち、森の動物たちや虫たち、水辺の貝殻たちの姿までくっきり見えてくる気がする。この世界をずっと味わっていたい、そんな熱っぽさを感じていた。
神秘的な情景を舞台にして展開される、主人公カイアをめぐるストーリーも複雑だ。子どもながらに天涯孤独になった彼女はどうやって生きていくのか。これでもかと彼女に降りかかる偏見と誹謗中傷、数少ない支援者たちの優しさの行方はどうなるのだろう。ところどころ挟まれるアマンダ・ハミルトンの謎めいた詩や、動物たちの生態が語るものはなんなのか。どれひとつ取っても、そこには必ずなんらかの伏線が折り込まれていた。そしてそれが解明されたのは、本当に最後の最後、数ページのところだったのだ。
読み終わってしばらく呆然としていた。そんな本はたぶん、今までの人生で読んだ中でもほんの数冊だったであろう。改めて私は、先んじて展開を知ろうとしなくてよかったと思った。もしいつものようにチラチラとなんとなく先のページを開けていたら、この深く納得する感情は得られなかっただろう。伏線とは、こんなふうに使うものなのだよ、ここまで慎重に、計画して張り巡らして初めて伏線と呼べるんじゃないですかと突きつけられたような気がしたのだ。
改めて「コンテンツがどうしてその順番で描かれているのか」を感じることができた一冊、それが『ザリガニの鳴くところ』だ。世に様々なコンテンツは溢れていて、正直玉石混交ではないかと思うことも多々ある。全部見終わって、読み終わってがっかりするものも今後おそらく出てくることだろう。だが多くのコンテンツの中に突出して素晴らしいものがあるのも確かだ。その鉱脈を掘り当てるためにもコンテンツに多く触れることがまず大事で、とりわけ本に関してはいろいろなジャンルのものを多く読むことが必要だ。そして私たちの側もコンテンツそのものを軽んじずに味わうことも問われている。いろんな都合があるとはいえ、途中で止めたり、読み飛ばすというのも、コンテンツを軽くみていることに繋がってはいないだろうか。
多くの本に触れて、自分の中でフィーリングがピタッとくるものに出会ったら、まずは書かれている通りに読み進めることをおすすめしたい。自分を飽きさせない内容だったら、著者が目論んでいる通りに沿ってみる。著者の意図はどこにあるのか、伏線とはなんなのか、そこをじっくりと文脈から味わえるのが本の醍醐味である。そのためにも、例えふらっと入った本屋で偶然見つけた本であっても騙されたと思って、本だけは最初から素直に読んでいこうと思っている。
□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)
2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月天狼院書店ライターズ倶楽部「READING LIFE編集部」公認ライター。「Web READING LIFE」にて、湘南地域を中心に神奈川県内の生産者を取材した「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/manufacturer_soul 、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」 https://tenro-in.com/category/yokohana-chuka/ 連載中。
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