私は、玉ねぎだと思います。《週刊READING LIFE Vol.191 比喩》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/10/31/公開
記事:ロビンソン 安代(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「私は、自分をたとえるとしたら、玉ねぎだと思います。というか、玉ねぎのような人間になりたいと思っている人間です」
心臓が、六本木かどこかのクラブの中のように、大きなビートを刻んでいた。
身体全体がビートに合わせて揺れているような感じがした。その揺れのまま倒れこんでしまうような錯覚にも襲われた。
私はマイクを片手に、50人くらいの大人たちを前に、発言をしていた。
大人たちは皆、笑顔かつ興味津々の目でこちらを見ていた。
私は自分が裸で人々の前に立っているんじゃないかと思うくらい、恥ずかしい
気持ちで、逃げたかった。
それは第二新卒として入社する会社で、初出勤日に皆の前で他の新入社員たちと自己紹介をしていた時の事だった。直前にお偉方から、
「自己紹介の中では自分を何かにたとえるように」と指示があり、必死で考えて言った内容だった。
なぜ私が採用されたのか分からない、有名な会社だった。
コンサルティング会社らしく、どの人も話に無駄がなく、それでいてウィットに富んで面白く、
その会場で色んな人の話を聞くにつけ、私は自分が場違いな場所にいることを痛い程感じでいた。
私と同じ中途採用の「新入社員」の人たちは皆、有名な外資系企業で何年も働いていたような方たち
だったから、同期なんて全然思えないし呼べない(彼らも私を同期なんて思っていないだろう)
感じだった。
「へえー、玉ねぎ!」
「おー面白いね。なんでなんで?」
あちこちから矢継ぎ早に質問が飛んできた。好奇心の強い人々だった。
もちろん、理由を言わなくてはならない。
皆が知りたいのはそこだ。
「スナック菓子とかけて、浮気癖と解きます」と言ったら、
「その心は?」と聞かれて、
「なかなか止められない!」とか答えて、
あっはっは! 確かにね、となる謎かけ状態だから。
私は続けた。
「えーっと、玉ねぎは生でも、焼いても、煮ても食べられます。また、和食でも洋食でもイタリアンでも、中華でも利用できとても便利です。生で食べたらピリッと辛く、一方で肉や魚の臭みを消してくれたりします。飴色になるまで炒めたら、とろりとしてなんとも言えないコクと甘みが出ます。お肉と一緒に炒めたらシャキシャキの食感で肉を引き立たせます。なのに、ほとんどどのスーパーでも買える手軽さがあり、お値段的にも財布に優しい。臨機応変に姿を変え、有能に働いてくれるのに、出しゃばっていない。メイン料理にはなれないけれど、すごく価値のある完璧な野菜だと思います。私はそんな玉ねぎを、ある意味尊敬しています。自分もそんな人間になれたら良いなと思っています」
聞いていた大人たちは、うなずいて、なるほど~というような表情をしていた。(ように記憶している。記憶は美化される)
私は自分の席に戻って、
直前にいきなりふられたお題への答えとしてはよくできたほうだと
自分をなだめ、落ち着かせた。
初めが肝心。第一印象、大事。よし、第一関門突破だ。
そうも思った。
でも、初めだけではだめだった。当たり前のはなしである。
やり手のビジネスマンの方々が集う、できて間もないベンチャー企業なその会社に私が長く務めることはなかった。何のスキルも・体力も・根性すらもない不器用な私は、あっという間にそこでの忙しさと、求められる質、スピード感に付いていけなくなり、一生懸命頑張ろうとしたが体を壊したからだ。
あれから20年以上経った。生きてきてたくさんの経験をしたし、仕事もいくつか就いた。
私は少しくらい、玉ねぎになれただろうか?
その都度、必要に応じて
ピリッと辛みを出したり、
しゃきしゃき食感を出したり、
コクや甘さを出したり、
できるようになっただろうか?
答えは、「まあまあYes」だ。
それぞれの仕事でまあまあ良くやっていた。成績もまあまあだった。
プライベートでは、人並みに恋をし、結婚し、妊娠や出産をして二人の子どもの親にもなった。
働く人間としてだけでなく、妻として、母としてなどの役割も追加され、
地域の大人としての役割なんかも出てきた。
多忙ではあったが、その都度、自分の考える理想に向けて
努力を重ねていたという、自負に似た記憶がある。
目指せ優等生、をスローガンにでもしていたのだろうか。それはそれは一生懸命だった。
でも、そんな生活を続けているうちにいつしか、
どれが本当の自分の姿なのかわからなくなっていった。
言うなら、
ピリッと辛くて皆を涙させてしまうのが私なのか、
シャキシャキで、かめば甘みがあふれ出るのが私なのか、
飴色で、甘みとコクのあるのが私なのか、
分からなくなった。みたいな感じだ。
構造上でも、玉ねぎはむいてもむいても同じような層があり、どれも玉ねぎ。
実際の私も、会社で、家で、地域の会で、保護者面談で、それぞれの層の顔を見せていて、どれも私。
であるけれど、どれが私なのか、なぜか&もはや分からないという複雑な感じだった。
ところで、皆さんは玉ねぎの皮はどの層までなのか、悩んだことはない?
色が付いている層を全て取っていったら、どんどん小さくなってしまうなあと、料理を覚え始めたころの私は思ったりしていた。皆さんは玉ねぎの皮問題、どうしている?
私は、今は外の薄い皮だけむいて、後は色のついた頭部分と、芯のあるお尻部分を包丁で
切り落とすだけで落ち着いている……。
話を戻すが、玉ねぎは外側も内側もどれも似たような層が連なっているのは周知のとおり。
私の層・顔も、たくさんありすぎて、どれが核となる大事な顔で、どれが外用の付属品なのか?
何だかよくわからなくなって、誤作動を起こしそうな感覚になることがあった。
そんな時は自分に言い聞かせた。
全部大事って事で! 余計なことは考えない。よっしゃ、今日も行くで。
全部を充実させていこうとしているうちに、私はだんだん眠れなくなっていった。
夫とは喧嘩が絶えなくなり、子どもたちとの対立も激しくなり、
家の中には頻繁に嵐が吹き荒れ、心は砂漠の砂地のようにからっからになっていった。時々原因不明の微熱が出るようになった。
そこで私は気がついた。
どうやら、いくつもの層や顔を操って、いくつもの味を使い分けていくのは、私には負担が大き過ぎたようだと。私は残念ながら、そもそもあまり器用ではなかったし、中年に差し掛かって体力も落ち始め、太刀打ちできなくなっていたのだった。
「自分を知る」
言うのは簡単だが、実は難しい事でもある。
「自分の知っている自分」が、本当の自分ではなく、
「自分がなりたいと思っている自分」であることがある。私のように。
そういう時、心には常に靄がかかっている。
何となくおぼろげな違和感が常駐するのだ。
それを無視して進んでいると、たいてい体調を崩したりして、進路を修正せざるを得ないような事がおきる気が、私はしている。
だから、私は玉ねぎをするのはやめた。
健康をあきらめてまで追求する理想なんか必要ない。が私の信念になった。
人生の折り返し地点に立って初めて、「本当の自分」を探し始めた遅めの春だった。
「理想」という名の縛りによって自分を置き去りにして何かを追い求めていた
さすらいの旅人の私が、自分の内側に「アテンションプリーズ!」
を始めた瞬間だった。
でも、長年自分の気持ちなんかないがしろにして理想を追求していた私には、自分が何が好きで何をしている時が幸せか、はっきり言ってよく見えなかった。本当にわからなくなっていた。
どうすべき? が長年、自分の言動の判断基準になっていたからだろうと思う。
いざ、自分の気持ちに正直になろうとしたところで、
何を食べたいのかもよくわからない。
自分の好きなものが何なのかよくわからない。
嫌いなものもわからない。
自分が何を着たいのかもよくわからない。
自由な時間があったら、何をしたいのかもわからない。そんな重度の状態だった。
「おーい、“私”はどこへ行ったぁ~?」
そう、叫びたくなるような状態だった。
好きなものも、母として大人として、我が家の財務大臣としてふさわしくなければ、楽しまない。
嫌いな事も、妻として母として大人として、やらなければいけないなら、我慢して、やる。
今日何を着るかを一つとっても、自分が何を着たいかというよりは、
洗濯物のたまり具合・天気・子ども・会社・崩れてきた体型・年齢事情、どう見られるべきなのかで、選ぶ。
自由な時間はとにかく寝る。
「欲しがりません、勝つまでは」そんな感じだった。
意味不明だがそういう生活を15年以上絶え間なく続けてきていた。そりゃ重症にもなる。
それが当たり前だと思っていた。大人だから。もっと大変な状況の人もいるのだから。
それで良いのかと疑う事さえなかった。
自分が体調不良でダウンして、いろいろまずいと認識するまで……
別に全てを投げ出す必要はない。
自分にとっての、小さな快適を探す。
自分にとって小さな楽しみ、小さな喜びを「探そうと」する。それだけで意外と自分の世界は違ったものになってくるから不思議だ。
私が始めたのは2つだった。
1.朝ご飯は自分の食べたいものを食べる。(食べたくなかったら食べなくても良いことにする)
2.自分に昼寝を許可する。
些細な事だ。本当にとるに足りない事。
でも、私が「本当の自分」を取り戻すためにはこれが必要だと、感じた。
なぜなら、私が自分の心にアテンションプリーズ! した時、
寝たい・おいしく食べたい が自分の今の望みだと気づいたからだ。
最初は自分の心の声が全く聞きとれない私だったが、今は少しずつ取り戻し始めているように思う。では、そんな私は今、自分のことを何かにたとえろと言われたらどう答えるだろう?
マシュマロだな。(やっぱり食べものだ)
私はマシュマロみたいな人間かな。と思う。
万人受けはしない。用途も限られている。嫌いな人もいるだろう、甘いだけだし。
でもキャンプで焚火をしたとき、必ず食べたくなる人がいる。
串に刺してほんの少し火であぶる。すると外はパンみたいで、かじるととろ~り天国の甘さがこんにちはと出てくる。
ココアの上に乗せる人がいる。
凍えるような寒い日に、温かい家に帰ってきて、大好きな人が作ってくれたココア。
その上に、ポカッと季節外れの入道雲のように乗っかっている。下は半分溶けていて……。
そのまま食べるのが好きという人もいる。
あの弾力が良いのだよ。ふに、ふにっとかむときの感触が好きなんだという人がいる。私はこのクチだ。私は昔から、マシュマロをそのまんま食べるのが大好きなのだ。あの感触はやっぱりマシュマロにしかないもので、それが何ともいえず好きなんだ。
それで良い。
使い勝手が良くて、どこででも重宝されて、お値段も好感度大な、そんな優等生でなくても良い。
不器用で、独特な特徴しかなくて、用途も限られている、そんなで良い。
それが私という人間なら。
そう思える自分が今、誇らしくもある。
わが子にもそんなふうでいいのだよと繰り返し伝えていこうと思う。
他の誰かになろうとしなくて良い。
他の何かになろうとしなくて良い。
あなたはあなたにしかないものを持っていて、それが素晴らしい。
そしてあなたのそれを大好きな人が必ずいる。
それを知っていてほしいと思う。忘れないでいてほしいと思うのだ。
あなたはあなたのまんまで素晴らしい。
□ライターズプロフィール
ロビンソン 安代(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
静岡県生まれ。津田塾大学卒。 教育業界で数々の職を経て、昨年から専業主婦。
国際結婚で高校生と中学生ハーフっ子二児の母。
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