週刊READING LIFE vol.194

仕事つらいと感じたことない人生は、稀有な家庭から《週刊READING LIFE Vol.194 仕事で一番辛かったこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/11/21/公開
記事:冨井聖子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
仕事がつらい。そんなこと、1度も思ったことがない。
 
そんな稀有な人生を送っている。
 
バイトも何種類かしたことがある。
高校生の初バイトは、年末年始の鏡餅を、手でつくることだった。最低賃金より時給が少ないけど、アットホームな環境で面白かった。
大学時代は、高級料亭のバイトもして、百貨店のパン屋さんのバイトもした。
休学中にした塾の講師のバイト。このバイトが、私の仕事の倫理観をつくったと言っても過言ではなかった。
卒業後、就職もした。転職もした。一時期、秘書のようなこともしたことがある。
結婚・出産を機に、パートにも行くようになり、一時期はライターとして栄養の知識を発信する仕事もした。
今や、個人事業主として「自分で仕事をつくること」をしている。
それだけいろんな業種を経験し、いろんな人間関係の中に浸かっては出て、を繰り返した。今一度、深く深く考えても「仕事がつらい」と、1回も思ったことがないのだ。いろんな人がいた。人ひとりの記憶にとどめるには、もったいないほどの人たちであふれていた。
 
なぜ「仕事がつらい」と思ったことがないんだろう。
そう考えたとき、ひとつだけ心当たりがあった。
 
家がハードだったのだ。
 
北海道の片田舎。
ペリーが黒船で来航し、開けろと命じた港町。そこに住んでいた。
父は根っからの人好きで、お酒を飲みに出ては遊び歩いていた。
母は子どもが大好きで保育士を仕事にし、家のことも私たちのこともきちんとしている人だったように思う。
 
父の武勇伝は、本当に数が多すぎで、何が武勇伝なのかもわからなくなってくる。
武勇伝の基準も上げなくてはいけない、かもしれない。
子どもの私が知っているだけでも、多すぎて3冊くらいのエッセイになる。なかなかに過激な家庭で育ったのだ。
私は敬意もこめて【アクティブな家庭】と呼んでる。
 
文字にすると、インパクトが強いかもしれない。
パワーワードが並ぶのも避けたいため、できるだけ事実だけをならべてみようと思う。
 
1日3リットルは当たり前。これが通常運転。
500mlのビール6缶。
3缶目からは同じ部屋にいてはいけない。
逃げないと、絡まれる。絡み酒なのだ。
何をしていなくても、上手に何か探し出し、大声で指摘される。つまり怒鳴るのだ。
颯爽と、こっそり逃げるが勝ちなのである。
 
絡む理由なんて、なんでもよかった。
 
すこしだけ咳をした。すると、テレビが聞こえないと低い声でにらみを飛ばす。
冬にこたつでみかんを食べた。その匂いでビールが不味くなる、と大声を出す。
私が少し太って、後ろ姿が大きくなったのだろう。
「その体型。自己管理できねぇやつは、仕事もできねぇ馬鹿だ!」と持論を展開する。
テーブルの上に、読みかけの本を置いてみよう。
早く片付けろ! と、叫ぶのだ。
 
私が小学生のときから、こんな感じなのだ。
 
父の帰宅時間が迫ると、家の中はあわただしくなる。
当時はLINEやスマホがここまで普及していない。
つまり、おおよその時間しかわからないのだ。
残業で遅れるのならまだいいが、少し早く終わると大変だ。
 
父の帰宅時間は、子どもにとっては緊張感のある時間だった。
これは、自分の荷物を部屋に、ダッシュで持っていく時間なのである。
叫ばれないよう、怒鳴られないよう、自分のできる精一杯で対応する時間なのだ。
 
小学生のうちは、たしかに怖かった。
一緒にテレビを見ていても、お酒が進むにつれ、私の中で警報が鳴る。
いい感じのときに部屋に退散するのだ。逃げ遅れないよう、父の観察は必須だった。おかげさまで、早寝早起きだったし、部屋にテレビもスマホもタブレットもなかったので、漫画と図書館の本が私の娯楽だった。
 
言いなりになれば平和だと勘違いしていたときもある。
でも違うのだ。
言いなりになっていても
「自分の意志はないのか!」と怒鳴られるのだから。

 

 

 

結論、何をしても怒られるのだ。

 

 

 

そして、決定的なのは、この記憶がすべてないのだ。本人は幸せである。
自宅でのひとり飲み会なのに、記憶が飛ぶまで、飲むのだ。
 
いま、大人になって思うが、ひとり自宅飲み会で記憶を飛ばすのは、なかなかに至難の業である。
楽しいお酒は、好きな人と飲みたいし、会話も楽しみたい。
悲しいお酒のときもあるが、途中で気持ちがいっぱいになりお酒が進まない。
大人になった私には、いまだにできない芸当である。
 
小さかった私も、中学生になった。
小学生のときとは違い、闘うようになったのだ。
とはいえ、言い返すだけ。まだまだかわいいものである。
 
思春期は大人になる第一歩と言われるが、私の中の「身近な大人」は間違いなく、この父だった。
 
こんな人に頼るもんか、と思った。
こんな人、父親じゃないと思ったときもある。
人としてどうなのよ? と言い争いになったとき「俺は、反面教師じゃ!」と叫んでいた。この人とは、理解しあえない、と察した瞬間だった。
 
酔ったあとの被害は、おもしろいくらいだった。
現実が小説の中のようなのだ。
 
朝起きて、リビングに行くと、被害状況がわかる。
名探偵コナンの頭は必要ないくらい、あからさまだった。
一般の小学生でも推理できるだろう。
 
土鍋の蓋も割っていた。陶器だから割れるのだな、と思って見てた。
こたつの脚も折った。こんなに太い木でも、折れるのだなぁ、と半ば放心状態で見ていた。カラーボックスにも、穴を開けていた。
 
壁に穴が開くのは、普通だった。
「今日は1つか、先週は2つだったな」なんて笑ってた。
祖父が大工で本当によかったと思う。穴はすべて直してくれたのだから。
 
2階にある父の部屋。
そこで寝るにも、酔って歩けず、階段から落ちてきたこともある。
1度や2度じゃない。朝、階段の下で、青たんをつくっていびきをかく父。
なんともいえない哀愁が漂うのだ。
 
父は、私が引きこもりになったら、外から板を釘打ちして「もう出てくるな!」と言いそうなタイプなのだ。絶対に、不登校も引きこもりもできないなぁ、と思い込んでいた。

 

 

 

そんな私の処世術は、弱みの排除。
つまり根掘り葉掘り聞かれ、いろいろ絡まれるのが面倒だったから、徹底的に弱みを見せないよう排除した。
 
小学生のとき、95点以下はとったことがない。
中学生のとき、生徒会役員。成績は上位10位以内。
高校は市内でも優秀と有名な高校で、部活も成績優秀。
国体地区予選突破、全道大会に出場するし、勉強も上位にいるのは常連。
友達もそれなりにいて、彼氏もいる。
偏差値65の大学に試験のみで受かるという、ちょっと嫌味な感じである。いや、かなり嫌味だろう。
 
でも、これは全て自分を守るための手段だったのだ。
 
勉強・部活動など、なにか1つ突出した才能のない私には、マルチ分野で上位に食い込むのが精一杯だった。
そうまでして、やっと嫌味を言われなくなった。
お酒を飲んだときに、絡まれなくなった。
ある意味、父のおかげである。
ありがとう、お父さん。
 
これだけみると、残念賞大賞の父に見える。
しかし、外では、とてもいい人で仕事ができたりするのだ。
だから、公務員だったし、公務員になる前も、営業職で、20代初めに営業所所長(支店長)にまでなったらしい。一緒に仕事をしたことがないので、正確には分からないが、実績が物語っている。
しかし、そのいい部分をすべてなしにできるほどの、マイナスすぎる家庭内所作だった。
 
暗黒期は、母に語ってもらったほうがいいかもしれない。
私はやはり子供の立場なのだ。
夫婦ではないからこそ、見えない部分が多い。
一時期、母と2人でホテルに逃げたこともある。1週間ほどホテル生活もした。
そのあと、ホテルから自宅には1回だけ帰宅。
夫婦、大喧嘩の末、父に住所は知らせずに、家を出た。
祖父に協力してもらい、母の友人に協力してもらい、家探しから引っ越しまですべて行った。
 
一度は、父とは音信不通になったが、私が道外で結婚することとなり、親への挨拶という形でつながることになった。
父娘の縁は、やはり、それなりに太いらしい。
 
私は、地元ではなく、仕事で行っていた関西で婚姻届けを出すことにした。
地元の役所に電話をして、戸籍を取り寄せたのだ。
きちんと確認して手続したはずだった。
戸籍が届いたが、なんと切手の代金不足。
寮のおじさんが、10円足して払ってくれ、事なきを得た。
 
なんで不足?
 
役所にも確認してから、返信用封筒に所定の切手も張り付けた。でも確かに、なぜか分厚いのだ。戸籍2枚(使う分と予備)にしては、厚すぎる。
父はバツ2。私の母と結婚する前に、一度結婚しているし、そこの方との間に子はいない。そのせいなのか?
 
おそるおそる開封する。
 
ホチキスで止まったA4用紙が2部出てきた。
1枚目は、1人目の女性との結婚・離婚のこと。そして母との結婚、離婚の日付が書かれていた。2枚目をめくると、そこには「ジュンコ」(仮名)と書かれており、婚姻が約1年前。
 
さすがの私も、予想をしていなかった。
娘に内緒で父が再婚しているとは、思いもよらなかった。
音信不通状態だが、LINE もメールもつながっているし、電話番号は変えていない。なのに、連絡なしって……。
 
「誰よ!! ジュンコって!!」と叫んだのは、仕方ないと思う。

 

 

 

これが小説だったらよかったのに、と何度も思うが、すべて現実社会に起こった私の人生なのだ。

 

 

 

あの日から約12年経つが、いまだに父は変わらない。
ちなみに、ジュンコとは離婚して、慰謝料を払ったという噂を聞いた。
ジュンコが置いていったハイブランドの鞄は、私のお下がりとなった。
ありがとう、ジュンコさん。
 
60超えた父は、今でも、普通に彼女がいたり別れたり、恋愛の中で生きているらしい。
私に子どもが生まれ、さすがに「会わせない」という選択肢はないと思い、会わせるようになった。が、安心して孫を預けることは、今でもできないのだ。
 
飲めば記憶をなくす。
忘れているので約束は守らない。
守れば奇跡。
私の誕生日はおろか、孫の誕生日すら覚えておらず、祝いはない。
一緒の空間にいられるのは、もって2時間。
以前は、飲酒運転は当たり前。
そのせいで免許取り消しにまでなっているし、飲酒運転でうちの子2人を乗せてきたときは、大喧嘩になった。
 
私の娘は、そんな父を面白がって、からかって遊ぶが、息子は「無理」の2文字で切り捨てる。
私や孫に、暴力を振るわないだけ、マシ。
という、「人として、それ、どうなの?」という判断を下してしまいそうになる。
とはいえ、居てくれないと、私は生まれないし、子どもたちも生まれないので、感謝しているのだ。
しかし、人として尊敬したことは、ほとんどないし、惜しい人だな、と思うときもある。「やさしいおじいちゃん」という生き物ではないのだ。
 
酔って記憶をなくしてタクシーを蹴って、3日ほど拘留されたときもあった。
コンビニの前にいる若い子たちに、絡んだこともあった。
なににそんなに怒っていたのか、まったくわからない。
でも、その怒りの矛先が家庭になってから、母がかわいそうで仕方なかった。

 

 

 

そんなアクティブな家庭だったのだ。
 
はじめてバイトで失敗したときも、会社で上司に怒られたときも、すごく楽だった。
上司は理不尽に怒ることは、それ程多くない。
怒ったとしても、怒鳴るだけ。蹴られることもなければ、目の前で机をたたかれることもない。パソコンを壊そうとしたり、椅子を倒されたり、そんなこともない。
そういうちょっと暴力的なことをされることがないからこそ、会社ってお金ももらえて、家より楽だなって思ったのだ。

 

 

 

「苦痛に感じて耐え難い事」を「つらいこと」と言うらしい。

 

 

 

しかしである。
小説のような家庭で育った。しかも、家庭という狭い世界である。これしか知らなかったのだ。この家庭が私のすべてであり、私のリアルであり、私の人生の大半を占めていた。
「家庭ってこんなもんでしょ?」
その感覚がすごく強かった。こんな家庭以外知らないのだから。
だからこそ、社長や会長、直属の上司の怒りや指摘に対して、つらいという感情がなかったのだ。仕事ができないのは、まだ慣れてないから。私のせいなのだ。そのくらいに思ってた。
 
お酒を飲んでいない、普通状態の父は、「お金とは、血と汗と涙の結晶だ」とよく言っていた。
塾のバイトをしていたとき、塾長に「人間関係も仕事のうちだ」と言われていた。
給料+α、少しだけ多く働くのがいいことだ、と教えてもらった。
 
ただ個人事業主という仕事にシフトチェンジをしたとき、仕事やお金は感謝の対価だと思うようになった。
生徒さんとのやり取りは楽しい。レッスンに来てくれる子どもたちの成長は、本当にうれしく思うのだ。

 

 

 

「人を喜ばせることが仕事」

 

 

 

そう実感することしか起こらない。
だからこそ、こんな家庭で育ってよかった、と思うのだ。
いろんなものに耐性がついた。優秀に育ててもらった。
あとは、この経験を生かして、たくさんの人に「なんとかなるよ」と届けるだけである。
 
やはり、仕事はつらいと感じられないまま、生きていくのだろう。
きっと、それでいいのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
冨井聖子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

北海道生まれ、北海道育ち。
個人事業主として独立。料理教室のかたわら、コラムニストとしても活動中。
等身大で悩み、向き合い、言葉にしているコラムは、男女問わず支持されている。

メディア出演:雑誌「栄養と料理」レシピ掲載/毎日新聞/朝日新聞なにわびと/雑誌「コープこうべステーション」掲載

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2022-11-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.194

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