週刊READING LIFE vol.194

あの日救えなかった命《週刊READING LIFE Vol.194 仕事で一番辛かったこと》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/11/21/公開
記事:小田恵理香(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
梨泰院での痛ましい事故からもうすぐ1カ月になる。
楽しいはずだったハロウィンの1日は一転して悲劇の日となってしまった。
156名の尊い命が犠牲となり、日本人からも犠牲者が出た。
それだけでも胸が締め付けられるような悲しみを感じたが、私はこのニュースを見て別のことも気がかりだった。
それは所々で取り上げられるようになった、救助に当たった人たちである。
ニュースでは路上で必死に心肺蘇生を試みる救急隊員や民間人の映像が流れていた。
「必死に心肺蘇生を試みたが助からなかった」
「何もできなかった」
その日のことがトラウマとなってしまい、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症してしまった人も少なくないそうだ。
「そうだよな……」
私はもうすぐ一年になるあの日の出来事を思い出した。
 
2020年12月17日。
その日は冬の始まりで、急に寒くなり始めていた。
いつものように臨床検査技師として午前中の採血をこなしていた。
何でもない、いつもと変わらない平日の光景だった。
病院は24時間待ったなし。
なのでお昼の休憩は全員で一気に取らず、分かれて取る。
その日は早めに休憩を取る週だった。
「では休憩行ってきます」
外はすっかり寒くなってきたし、引き出しに入れているフリーズドライのスープを思い浮かべ、今日は何にするか考えながら休憩室へ向かった。
持参した弁当を電子レンジで温めて、スープを選んでいると同じく先に休憩に来ていた同僚が言った。
 
「なんや、えらい火事が起きてるよ」
「冬は火事多いですよね」
「そんなもんじゃない。速報で入ってきてる」
「え」
 
私はスマホを取り出しニュースを開いた。
それは大阪の繁華街北新地にある雑居ビルで火災が発生したことが書かれていた。
のちに“北新地ビル放火殺人事件”と呼ばれるものだった。
この時、時刻は12時前だったと思う。
その時点で何人かの心肺停止者がいることが報道されていたがまだ情報がなかった。
休憩室の話はその話題になる。
 
“繁華街の雑居ビル火災”
“すでに心肺停止者がいる”
“うちの病院にも、どっと傷病者が運ばれてくるのではないか”
 
そんな話をしているうちに休憩は終わり、持ち場へと戻った。
程なくして、上司がやってきた。
「報道されている通り北新地の雑居ビルで火災が発生しました。何人来るかは現時点ではわからないけど、うちも受け入れすることになったから。そのつもりで」
「はい」
空気が変わった。
とりあえず、今片づけられる業務は早めに片づける。
どんな状況になるかはわからないし、あくまでも体の状態を数値化するのが仕事である臨床検査技師ができることは限られている。
だがその時に
「これがありません」
「機械の調子がよくありません」
といった事態にならないように皆が準備をしていた。
時間が経っていくと院内にこんなアナウンスが流れた。
 
「コードレッド。救急救命科スタッフは全員救急外来へ集合してください。繰り返します。救急救命科スタッフは全員救急外来へ集合してください」
 
“コードレッド”
院内放送では“コードブルー”と呼ばれるものがある。
これは患者や利用者の容態が急変し、心肺停止状態などの緊急事態が発生してことを知らせるものだ。
コードレッドは救急現場から重症外傷の方が搬入されることを知らせる。
外傷治療に関わる医師を救急外来へ参集させ、手術室や集中治療室などもその後の緊急手術や集中治療に対する準備を開始する。
 
そうこうしているうちに救急車が到着した。
「患者さん来ました!」
現場の空気が一気に変わった。
ストレッチャーに乗せられたその人は、心肺停止状態。
搬送されながらも心肺蘇生処置を受けていた。
救急外来にある診療台に移し替え、救命科の医師たちが指示を出していく。
薬剤や酸素マスクなどあらゆるものが準備されていく。
 
「戻ってこい!」
そう言いながら胸を圧迫する医師。
“ピリリリリ! ピリリリ!”
と心電計モニターは危険を知らせる音が鳴りやまない。
「検査室! 血液ガスよろしく!」
 
血液ガスと呼ばれる検査は体の中の酸素や炭素、電解質の数値を図るのが目的だ。
酸素は人間の体の動力源の1つ。
私たち人間の体は食べ物などの栄養を酸素で燃やし、エネルギーを取り出している。
生きていくのに必要だからだ。
炭素はいわばその燃えカスだ。
この燃えカスを排出し、酸素を取り込む。
そして体を動かす。
そのために呼吸をするのだ。
だが酸素の供給が止まってしまえば停電状態に陥り、何もすることが出来ない。
この状態が続けば体の機能を維持することが出来ず、その機能は停止してしまう。
血液の中には赤血球と呼ばれる、酸素の運搬係がいるのだが一酸化炭素はその赤血球と結合しやすい。
数字にすると酸素の2~300倍。
火災でよく問題になる一酸化炭素の怖いところは、いくら酸素があったとて運搬係が結合しやすい方とどんどん結合していくものだからたちまち体の中の酸素の量は減っていくことだ。
一酸化炭素は酸素の供給が不完全な場所での燃焼、つまり不完全燃焼の状態で生じる。
正体は目に見えないし、匂いも刺激もない。
発生しても気づきにくく、症状も頭痛やめまいといった軽い症状から始まり、嘔吐などの中毒症状が現れ、いつの間にか意識を消失し、最悪の場合は致命的となる。
私は受け取った検体を急いで検査室へ運んだ。
機械に検体をかけると、とんでもない数値が出た。
血中の一酸化炭素濃度は70パーセント。
普通は体の中に無いものだ。
付随して、色々なデータが見たこともない数値を示していた。
機械が壊れたのかと疑った。
別の同僚がさらに追加で出た検査の検体を測定したもののこれも同様だった。
身体がとんでもないダメージを受けていることは一目瞭然。
とりあえず出た値が印字された用紙を握りしめ、救急外来へと走る。
蘇生のための処置は変わらず続けられていた。
数値を報告すると医師は一瞬驚いていたが、すぐに冷静に判断をして次の処置へと移った。
その場にいた全員が
「この命を助けなければ」
そう思っていた。
 
だが、想いは届かなかった。
 
死亡確認。
 
付き添っていた救急隊員もうなだれていた。
めちゃくちゃな数値は身体がもう機能していないことを示していたのはわかっている。
搬送されてきた時点で手遅れだった可能性が高いこともわかっている。
頭ではわかっている。
病院は生と死が行き交う場所。
よくある1つの死だ。
だがなぜなのだろうか。
涙は出なかったが、何とも言えないやるせなさ。
無力感。
その日搬送されてきたのはその人ただ1人だった。
年齢も私と近しかった。
突然奪われたその命。
救いたかった。
助けてあげたかった。
検査技師の私が出来ることは少ないけれど。
元気にして家に帰してあげたかった。
 
この日は生きた心地がしなかった。
だが医療の現場は待ったを知らない。
悲しみに明け暮れる間もなく患者は次々とやってくる。
淡々と仕事をこなしたものの、仕事をしている感覚がなかった。
正直どうやって帰ったかもあまり覚えていないぐらいだ。
仕事を終え、保育園に迎えに行った息子の顔を見てようやく生きた心地がした。
「ママ」
と言い笑いながら近づく息子を見て、この日はぎゅっと抱きしめた。
いつもならお迎えの時は恥ずかしいから抱きしめないけれど。
この日はすぐにでも息子を抱きしめたくなったのだ。
 
家に帰ってテレビをつけると今日の出来事は大々的にニュースとなっていた。
心肺停止となり方々に搬送された人たちはほとんど助からなかったことも知った。
きっと私が今日体験したことと同じことが大阪中のあらゆる医療機関で起こっていたのだろうか。
あの日の出来事は一つの分岐点を私に作ってくれた。
追いつめる前に、自分で追い込んでしまう前にできることをしたい。
負のスパイラルに陥る前にできることをしたい。
まだ学びは足りないけれど、あの辛い日の出来事は確実に私の原動力となっている。
また事件や事故で助けられなかった命のニュースを聞くと医療従事者やその命を救うために闘った人達のことを心配するようになった。
かつての自分がそうだったように。
あの痛ましい事件からもうすぐ1年。
もし今私があの時の自分に声をかけるのならば。
「自分を傷つけないで。あなたはやれることはやった。やり切ったんだから」
と声をかけたい。
 
母になってからよく考える。
どんな人であっても、望まれて産まれてきた。
どんな人であっても大切な一人の人間なのだ。
その命はかけがえのないもの。
その命を支える医療の現場。
生と死が交錯する医療の現場。
あの日助けることが出来なかった命があるけれど、あの日は医療従事者人生で一番辛い出来事だったけれど。
かといって歩みは止められない。
ただ目の前にある命を救うこと。
その場でできるベストを尽くすこと。
その信念で私は今日も動いている。
私だけではない。
医療に携わる人たちはその信念で今日も現場で闘っているのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小田恵理香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ大阪育ち。
2022年4月人生を変えるライティングゼミ受講。
2022年10月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に加入。
病院で臨床検査技師として働く傍ら、CBLコーチングスクールでコーチングを学び、コーチとしてクライアントに寄り添う。
7つの習慣セルフコーチング認定コーチ。
スノーボードとB‘zをこよなく愛する一児の母でもある。

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2022-11-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.194

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